小さい頃は、広い邸宅の奥にある座敷牢の前だけが唯一の憩いの場だった。


今も時折訪ねるそこには、一人の少女が閉じこめられている。


彼女だけが俺の唯一の味方であり、友人であった。


木で出来た枠に似合わぬ重苦しい鉄の鎖。


さらにベタベタと貼られたたくさんの札で、彼女が封じられているのは分かっていたけれど、その理由を俺は知らなかった。


いまだに、知らない……。


「また苛められたのかい?」


久しぶりに訪ねた座敷牢。


「別に……苛められてなんかないよ」


そこにいるのは鈴の鳴るような声で、似合わぬ老人のような言葉を話す小さな少女。


「それなら別に良いさ。いちいち泣きつかれちゃたまんないからね」


「何年も前の話だろう?」



「まだ10年と経っていないよ」


くすくすと笑う彼女は俺が物心ついた時から変わらぬ姿でそこにいる。


「全く……キミには叶わないな」


そういって木枠の牢屋に手を伸ばせば、彼女は札と鎖に触れないように注意しながら俺の手に触れた。


「周一……友だちは出来たかい?」


まるで氷のように冷たい手が心地良い。


「ああ……出来たよ」


優しげに俺を見つめる彼女の目は、まるで子どもを見守る母親のようだ。


「見た目だけなら、俺の方が年上なんだけどね」


ポツリと呟く俺に、彼女は不思議そうに首を傾げる。


「可愛らしい姿で母親ぶるのだから」


愚痴るようにそう言えば、彼女は声を上げて笑った。


「お世辞が上手くなったものだ」


「真実だろう?」


「ふふふ……真実か」


機嫌が良さそうにクスクスと笑う彼女。


「もう大人になったのだな……月日が経つのは早い」


感慨深げに呟いて、彼女は俺の手を放した。


「周一は妖祓いとして優秀のようだ……式も友だちも出来たようだし」


涼しげな風が吹く。


「もう……私は必要ないな」

彼女の周りを季節外れの桜が舞っていた。


「定期的に会いに来るよ」


「お前は優しい子だね」


ひらひらと桜が舞う。


不思議と床には花びらが一つも落ちていない。


「だが、周一に私は必要ないようだ」


年相応の少女のように微笑む彼女。


ああ、いなくなるのだ……。


そう思った瞬間に、高い木の上から落ちる彼女の姿が見えた気がした。


死んでしまった彼女を……彼女を愛した男が蘇らせる。


彼女が世界から消えてしまう前に。


― いかないでくれ ―


そう言いそうになったけれど、口には出さなかった。


彼女はもう、自由にしてあげるべきなのだ。


「さようなら周一」


「さようなら……名字」


まるで竜巻のように花びらが彼女の周りを舞う。


その中で彼女は、俺に優しく微笑んでいた。







後には何も残っては居なかった。


木で出来た座敷牢も、厳つい鉄の鎖も彼女を封じていたはずの札も……何もかも。


元から何もなかったかのように何枚か畳が敷かれているだけだ。


「主様、こちらで何を?」


背後から不思議そうに俺を呼ぶ声が聞こえた。


「さあ……何だったかな?」


俺は記憶を辿ってみたけれど、俺自身もここで何をしていたのか覚えてはいなかった。



no more me.



君に私はもういらない。