名前はとある島で知り合った女だった。いや、知り合ったと言えば語弊がある。とある島のとある酒場でローが見初め、半ば無理矢理船へ連れてきたのだった。初めは抵抗していた彼女も日を追うにつれて笑顔が増え、この船にも船員にも慣れてきたと考えていたのだが…
今ローの目の前で両の掌をぎゅうと握り締め、ローの威圧感からか小刻みに震える名前からはいつもの明るさは見えない。

「もう一度言ってみろ」
「……船から、降ろして欲しいんです」

突然だった。ついさっきまでは何時ものように食堂で朝食を摂って、シャチやペンギンと話したりベポとじゃれたりと普段と変わらない日常だったはずなのに。それが、何があったのか何の前触れもなくローの部屋まで来たと思ったら、わたしを船から降ろしてくださいと、俯いたか細い聲ではあったが確かにそう口を動かしたのだ。

「理由は」
「……」
「言えないのか」

ローの纏う雰囲気が増して険しくなる。ピリピリした空気にぎゅっと今より強く拳を握り締めた名前は躊躇うように口を開いた。

「い、厭になったんです。ここに居るのが」
「……」
「故郷が恋しくなったんです…っ」

無理矢理この船に乗せられて無理矢理大海原へ連れてこられてうんざりしてるんです。
矢継ぎ早に言葉を吐き出した少女をローは眉ひとつ動かさずに見つめていた。

「嘘だな」
「っ…!?」
「お前は普段は人の顔を見て話をするが、嘘を吐くときだけは絶対に相手の目を見ようとしない」
「そん、な…」
「おれを騙すなんて百年早いんだよ」
「っ、」
「本当の理由はなんだ」

吐き捨てるように言ったローはそのまま名前に言葉を促した。故郷が恋しくなったというのも確かに理由の中にはあるのだろう。だが大きな理由はそれではない筈。ついさっきまでとても楽しそうにしていた名前がいきなりこんなことを言い出すくらいなのだ。何か別の深い訳があるのだとローは踏んだ。
俯いたまま己の歯を強く噛み締めた名前は頑なに握り締めていた手の力を抜き、何を思ったのか震える手で服を脱ぎ始めた。突然の事に一瞬だけローは眉を寄せる。が、止めようとはしなかった。ぱさりと細い音を立てて衣服を脱ぎ、上半身を下着だけ残した名前はくるりと彼に背を向けた。長い髪を手で束ね、背中を露にする。背中に刻まれた焼印を見、珍しくローは息を詰まらせた。

「それは…」
「そうです、これは天竜人の奴隷の証」

そこには深々と天竜人の紋章が刻まれていた。直ぐにそれを隠すようにそそくさと髪を下ろして服を羽織った名前は、ゆっくりと小さな聲で己の過去を語り始めた。

「わたしは昔両親に捨てられました。幼かったわたしには行く宛もなくて、とにかく島中さ迷っていたんです。店の品物を盗み、それで飢えを凌いでいました」

震える手を握り締め、言葉を続ける少女をローはじっと見つめていた。

「そんなときでした。天竜人がその島にやって来たのは。…わたしは天竜人なんて存在を知らなかったので、況してや彼らが貴族だなんて事は知らなかったんです。島の皆が彼らに平伏すなかで、わたしは彼らの前を通り、その上彼らの服を汚してしまったんです。勿論、その行為は天竜人の気に障りました。その時は死を覚悟しましたが、何故かわたしは天竜人に連れていかれ、彼らの奴隷にされたんです。…それからは死よりも苦しい日々でした」

数年後、奴隷解放に臨んだフィッシャー・タイガーにより世界貴族が襲撃された事件でようやく逃げ出すことができたのだと名前は言った。ローと出会ったあの島はその後に辿り着いた場所なんだと。

「奴隷であるわたしが海賊である貴方達と同じ船に乗るなんて事、やっぱりダメなんです」

海賊と奴隷は全く違うもの。奴隷として扱われるならともかく、と小さな聲で名前は続けた。

「海賊だって似たようなもんだ。そんなの今更だろ」
「今更なんかじゃありません。ずっと考えていました」

そんなとき、ペンギンから近くに島を見つけたと訊き、名前は船を降りる決心をした。

「皆さんの厚意は凄く嬉しかったです。でもわたしは皆さんと一緒に居ることは出来ない。…今までお世話になりました」

俯いたまま頭を深く下げた名前にもローは言葉を返さない。無言で彼女を見つめていたローは不意に立ち上がり名前に歩み寄った。そう、と彼にしては珍しく名前の頬に手を添え、その手を顎まで滑らせるとぐいと顔を上げさせた。その行為に息をのみ、目を逸らそうとする名前に対して「逸らすな」と一喝。

「元奴隷だと訊いて捨て逃げるような奴に見えるか」
「え、」
「お前はおれやあいつらがお前の過去を聞いて蔑む野郎だとでも思っていたのか」

ローの言うあいつらとは勿論他のクルーのことである。
まさか。そんなわけない。ぶんぶんと横に首を振って否定するとさっきよりも幾らか険しさの抜けた柔らかな聲で名前、と名前を呼ばれる。同時に顎を掴まれていた手が離れ、背中に回されたその腕にきつく抱き締められた。

「お前の過去がどんなだろうが、今のお前はこの船のクルーだ」
「…せ、んちょ…」
「そんなしょうもない勝手な理由で船を降りるなんざ許さねえからな」
「っ…」

ローの言葉が温かく名前に染み渡り、彼女の凍った心を溶かしていく。同時に目尻から溢れ出た涙をローの親指で拭われ、名前は漸く笑顔を浮かべた。

「余計な心配してんじゃねえよ。お前は黙っておれの傍に居ればいいんだ。わかったか」
「…アイアイ…っ!」


は枯れると聞いていた





11.11.14 蒼以