「お姉様…お姉様、どうですか?…私に似合いますか?」
「…………………」
VOCALOIDというアンドロイドのいる生活に慣れたある肌寒い日のこと。
ベッドに腰掛けるあたしに見てもらおうとその場で両手を広げてくるくる回る桃色の髪の彼女こそがVOCALOID兼あたしの同居人…巡音ルカ。出会った(=買った)頃と比べるとだいぶいろんなことを覚えたし、あたしをお姉様なんて危なげな呼び方をする以外は至って普通の女の子……たまに起動時間が長すぎて強制的にスリープ状態になっちゃうけど。
とにかく。あたしを見付けるなり嬉しそうに笑う表情や呼ぶといそいそ駆けてくる姿、たまに髪を梳いてあげると気持ち良そうに目蓋を下ろすその様子が似てたの。それで、ひょんなことからVOCALOID用の着せ替えアイテムが売っているって聞いて…そう、そうよ、ちょっと似てるなぁ、って思ったから。試しに買ってみようかしら…なんて誰にでもなく呟きながらダブルクリック。
そして…ついさっき届いて。
「お姉様…」
「、え、あ…あは、なに?」
「…似合いませんか…?」
「………、え?」
しゅん、と彼女が項垂れるのに合わせてパタリと垂れる薄茶色でふわふわの犬耳………そう、犬の耳。しかも垂れ耳。全身を使ってあたしに懐き愛情を示す姿が、あたしにはもう犬にしか見えなくて。ちなみに耳が垂れているのはあたしの趣味。冗談が半分、そして興味が半分で買ってしまったそれはあたしが思っていた以上に似合いすぎていて軽く眩暈がした。
どうしようかしら、この可愛い生き物…あたしが浅はかだったわ、でも今年一番のグッジョブあたし。
あたしがそんなことをぐるぐるループさせているだなんて夢にも思わない桃色の彼女は今にも泣き出しそうな顔で視線を泳がせていた。
「…似合わなかった、ですか」
「え、…あ、や、違う違う違う違うの、待って待って落ち着いて。そうじゃないのよ」
「…?」
「似合うわ、すっごい似合う!似合いすぎててちょっとビックリしちゃった」
「……本当、に?」
「本当よ。信じられない?」
「信じます!」
あたしの問いに即答した彼女は嬉しそうに耳と同じ薄茶色の尻尾を少しだけ左右に振って見せたあとほんのりと頬を染めた。さすが専用パーツ、ちゃんと動かせるんだ…なんて思いつつ頬の朱が格好の恥ずかしさからか褒められたことに対する嬉しさからかはちょっと判断できないのが惜しいところ。
だけど、せっかくのわんこスタイルがこの衣装じゃあんまり活かされない。そう考えたあたしは素早く立ち上げたパソコンの前に彼女を手招いた……歩く度に揺れる尻尾が眩しいわ。
「ねぇ、それに似合う服も買おうと思うの…アンタはどれがいい?」
「服…?私に、ですか?」
「それ以外に誰がいるのよ」
頷いて見せると再び薄く色付く頬とちょっとだけ持ち上がる耳。どこまで癒やしの塊なのかしら、この子。
ページ移行や商品を詳しく見る方法を一通り教えて冷蔵庫へビールを取りに行くと後ろからカチカチっていう音と一緒に「可愛い…」とか「綺麗…」とかの呟きが聞こえてくる。そういえばあの子をまだ外出したこと無かったと気付いて、その内一緒に服でも買いに行こうかななんて考えつつ戻ると彼女の尻尾がぶんぶんと打ち振られていた。きっとお気に入りが見付かったんだ、そう思うと自然と口の端が持ち上がる。
(あたしって親バカ…?)
内心そんなことを呟く自分に気付かないフリをしながら彼女の背後に回って画面に表示されているページを見た瞬間、――ビールを缶ごと落とした。
「る…か、それ…」
「お姉様、私これが気に入りました。すごくすごく気に入りました!」
「…ちょ、だから…それ…」
「高い…ですか?」
「…………値段じゃなくて…」
うきうきと楽しそうに私を仰ぐ彼女が指差しているページには黒くてテカテカした…………所謂「女王様」が着るようなボンテージがずらりと並んでいた。慌てて前のページを確認してみると、どうやらページを進む内そこかしこにある広告の中のひとつを開いてしまったらしくて…言うまでもなく、そこはオトナがオトナのオモチャをこっそり買うためのサイト。
でも、そんなことよりもあたしには確認しておきたいことがひとつだけ。
「ルカ…アンタ、本当にこういうのが好きなの…?」
「…?えぇ、とても」
「誰かが着た姿が好きとかじゃなくて…アンタが着たいのね?」
「そうですけど…」
「……………………」
「………………?…」
しっかりと頷かれてまた眩暈がした。
最初の出会いから今日までありとあらゆる卑猥な物から遠ざけてきたのに…何時の間に。もしかしてインプットされてた…?いやいやそんなはずはないわ、だって無知だったんだもん。
反応を示さなくなったあたしに小首を傾げたあと彼女はまたページを繰り始めた。多種多様かつ多彩で派手なボンテージ…またボンテージ、次もボンテージ……そしてボンテージ。三度目の眩暈に襲われかけたときゆさゆさと腕を揺すられてハッと我に返る。そして彼女は再び画面を指差しながら見たこともないくらい楽しそうに笑う。
「お姉様…、お姉様」
「あ、…あぁ、うん、なに?」
「これ」
「え、」
「これ絶対お姉様に似合います」
「……………え…、」
指し示されたそれは…下着。
下着なのかどうかはちょっとよく分からないんだけど、ネグリジェなのか下着なのか判別できないくらい透けていて「やっぱりそういうサイトなのね…」なんて現実を突きつけられる。
そして挙げ句の果てに私に似合うだなんて…そんなまさか。
「アンタまさか…」
「似合いますよ、絶対」
「…ワザとじゃ…」
「あ、お姉様…お得なセットが。さっきの服も入ってます、買っちゃいましょう」
「待、」
「どうやって買うんですか?…あ、これですね。このボタン…」
「…ルカっ」
「…………………」
「…………………」
「………………購入、と…」
「ちょ…っ、」
画面に映し出されたご購入ありがとうございますの文字と間髪入れずに届いた確認メールに開いた口が塞がらなくなってしまう。
床にへたり込むあたしに対し椅子に座ったままの彼女がメールに目を通すことなくパソコンの電源を落としながらにこりと微笑んだ。
「…お姉様」
「なに…?」
「私、実はなんでも知ってるんですよ」
「…………は?」
「でも、私が無知でいるほうがお姉様は喜んでくれるし…とても可愛らしいから」
「か、可愛いってアンタ…」
「わんこに迫られるのも悪くないと思うんです、セットが届いたら試してみましょうね」
「なにマニアックなこと言ってんのよ…」
なんだか急に力が抜ける。無知で可愛い妹を手に入れたつもりだったのに、どうやらあたしは大変な勘違いをしていたみたいで。どちらかと言うと…捕食者、かしら。あたしはこれから毎日身の危険を感じながら過ごさなきゃいけないらしいことだけは分かる。
至極楽しそうにゆらゆらと揺れ動く目の前の薄茶色を恨めしげに眺めつつ、今度こそ三度目の眩暈があたしを襲った。
( …わんこ、お好きですか? )
( 好き。でもアンタは嫌いよ )
( あら…そんなこと言わずに )
fin.