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「ハリードは、」

まだ幼い少年の、だけれど鋭い声が部屋に響く。カン、とした声を大理石が反射すると、広い空間に緊張が走った。

少年を取り巻くように立ち並ぶ人が、十数人。壁際に控えているらしいその人ごみから、ただ一人を見つけ出すために少年は目を細めて見渡す。左手には陶器のカップが、わずかに湯気を立てている。

なんとも息の詰まるようなティータイムであるらしかった。

「ここに」

呼ばれた男が、人を割って一歩前に出た。

「もっと寄れ」

幼い声がそう言うと、ハリードと呼ばれた男はその通りにする。周りの人々より一段高いところに据えられた、玉座の目の前で膝をつく。

絢爛に装飾の施されたそこに座る少年は、カップに注がれた紅茶と同じ、透明感のある褐色の肌をしていた。そこにはめ込まれた黒曜石のような瞳が男を無造作に見下ろす。

「顔を上げろ」

張り詰めた空気の中でハリードは顔色一つ変えることなく、言われるままに少年の顔を見上げる。

その肌の色は、この部屋の中で特異だった。ただ一人、この部屋全体を包み込む大理石と同じ、白い肌。髪が黒いのは少年を含めた周りの人々と同じだが、その顔だちからして異国の人間だということがわかる。

さらに服装も、褐色の肌の人々が一様に白い布をゆったりとローブのように身にまとう中、彼は黒いタキシードに身を詰めている。一人、この部屋の中で最後に残ったオセロのように存在感を放っていた。

と、部屋にどよめきが走った。少年がなんの前触れもなく、手にしていたカップの中身を浴びせたのだ。ハリードは咄嗟のことに顔を背けこそするが、その場から身じろぎ一つしない。

「なんだこのぬるい茶は。俺にこんなものを飲めと言うのか」

ぬるい、とは言っても顔にかけられては相当の熱さだろう。それでもハリードは顔や洋服から滴る茶を拭いもせず頭を垂れた。

見かねて、少年の一番近くに控えていた老人が前にでる。

「王子アミルよ、やりすぎです」
「お前は黙っていろ。――首をはねられたいか?」

少年らしからぬ言葉を、しかし未来の王たるにふさわしい気迫で言われて老人が言葉を詰まらせる。頭を垂れていたハリードが老人をかばうように声を出した。

「申し訳ございません。もう一度お出しいたします」
「今できるなら、なぜ一度でやらない」
「王子のお口に合うかと」
「―――俺を子供扱いするなよ、」

アミルと、そして王子と呼ばれる少年は低い声を絞り出すと、周りが制止する暇もなく立ちあがった。

「―――っ」
「王子!」

ハリードの小さくうめく声に続いて、アミルを咎める声が部屋からあがる。白い、異国の者の顔を、正面から褐色の素足が踏み付けていた。

「…顔を背けたな。俺のかけた茶が、そんなに嫌だったか?」

周りの人間の咎める言葉も聞かず、アミルは足を伸ばしてハリードの顔に押し付ける。人形のように整ったパーツをかき回すようににじるアミルの顔には、微かに喜悦がまじり、頬は上気しているように見えた。

「…っ、申し訳、ございません」

顔を踏みにじられながらも、ハリードはやはり、さほど表情もかえず正面から少年の顔を見据えたまま答える。

それを見てつまらなそうな顔をすると、アミルは興味を失ったかのように足を降ろした。

ただ、その横顔はまだ火照ったまま、息も不自然に上がっているように見える。しかしそれは、ハリードほどの近い距離にいなければ気付けない程のわずかな、ぎこちなさ、だった。

「もう茶はよい。お前は入浴の準備をしろ。その後で俺の部屋に来い」
「仰せのままに」

床に膝をついたまま深く頭を垂れたハリードの態度は、慇懃無礼に過ぎるようにも見えたが、アミルはそれを黙殺してどさりと玉座に腰を下ろす。

ハリードが立ち上がり、もう一礼してから部屋を後にする。アミルはそれを苛立つような視線で見送りながら、指の先でしきりに肘かけを叩いている。重厚な扉がゆっくりと閉まった後、そばに控えていた男が進言する。

「王子アミル、あの者は単なる教育係にございます。異国の者とはいえ、使用人のように扱ってはなりませぬ。入浴の準備などは侍女にさせればよいものを、」
「黙れ。すべてあいつにやらせろ。入浴も俺一人でよい。誰も側によるな」

男に目もくれず、吐き捨てるように言うと、アミルは一人でさっさと立ち上がり部屋を出ていこうとする。お待ちください、と侍女たちがあわてて追いかけていく。

重々しい音を立てて再び扉が閉まると、王子のいなくなった部屋に数々のため息が漏れる。緩んだ空気の中で従者たちは口々に憂いげに囁き交わす。

「まったく、あの教育係が来てからというもの、王子の暴力の対象になってばかりではないか」
「ご自分のシーツやお召し物まで洗わせているというではないですか」
「鉾先があの者ばかりに向いているようですな」
「かといって解任すると言えば余計なことをするなと怒られました」
「最近の王子の顔つきには鬼気迫るものがございます」
「言われてみれば。王としての自覚をお持ちになられたとしたらよいのですが」
「ともかくは、もうしばらく様子を見るのがよろしいかと」
「そのように」
「そのように」
「そのように」
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