鏡花水月 | ナノ

読者、越えられない距離の第三者

四月二十日 水曜日

今日はいつもより早く、しかも制服姿で来店した総悟くん。彼とこの店で会うのは3回目だが、制服姿を見るのはこの世界に来てから初めてだ。
まだ他にも数人お客さんのいる時間だったので、一緒に賄いを食べることもなく私は仕事をしていた。彼があと少しで食べ終わる、という頃には他の客も帰り時刻は9時前になっていた。

「ナマエちゃん、賄い用意するから座りな」

平五郎さんに声をかけられたが、もうすぐ食べ終わる総悟くん。隣に座るか、離れて座るか少し迷った。

「ナマエちゃーん、その前にお茶下せえ。二つ」
「はい」

何で二つ?と思いながら湯呑みを用意する。朝の時間は急いでいる人が多いのであまり出すことはないが、言われれば食後に温かいお茶を無料提供している。ちなみに作り置きでは無く、今のように頼まれてから急須で入れるので数分かかる。

湯呑みをお湯で温めている間、本日初となるお茶の葉を急須に入れる。湯呑に入れたお湯を急須に注ぎ、1分程度蒸らす。二つの湯呑みを交互に行き来しながら少量ずつ急須からお茶を注ぐ。注ぎ切ったら急須のおしりをポンッと軽く叩き、注ぎ口に集まった茶葉を中央に移動させておく。これでお茶のおかわりを頼まれた時に二煎目がスムーズに入れられる。

そんなに時間は経っていないはずだが、席にお茶を持っていった時には彼はすでに食事を終えていた。二つとも彼の手の届く位置に並べるように湯呑みを置くと、一つに手をかける。しかし持ち上げることはなく、そのまま少し横にスライドさせた。

「これはアンタの。座りなせぇ」

お茶がスライドされた場所は彼の真横の席。自分が飲み終わるまでは横で茶を飲め、ということなのだろうか。そこにどんな意図があるのかは全く読めない。

「お皿もらうよ総悟くん」

カウンターの中からお時さんが両手を差し出す。隣の彼もそれに従い、お膳を両手で持ち上げて手渡した。これで私が食器を下げるために厨房に引き返すことも出来なくなってしまった。彼は自分の分のお茶を手に取り、ずずっと音を立てて飲んでいる。「私はいらない」なんて言い出せる雰囲気ではなく、大人しく横に座った。
厨房の奥でお時さんは洗い物を始めてガチャガチャと食器の擦れる音や水を流す音が聞こえる。平五郎さんは店の奥にある従業員スペースに行ったのか姿が見当たらない。
そのタイミングで彼は湯呑みから口を離し、両手で持っているそれを机の上に置いた。そして頬杖を付きながら私の方に顔を向け、ジト目で見てくる。

「ナマエちゃん」
「はい」

初めは表情から何を考えてるか読み取れなくて怖い、なんて思ってはいたのたがそれは違ったのだと気付く。それは前回と比べて、今の彼は明らかに機嫌が良くないことが見て取れるから。

「ナマエちゃーん」

そしてもう一度私の名前を呼ぶその声は、少し呆れているとも取れるような、なんとも物言いたげな間延びした言い方。これはこれで、何に対して不機嫌か分からなくて少し怖い。

「何ですか?」

理由を聞きたい、その名前の先に続く言葉を早く言ってほしい。そういう思いで疑問を投げる。

「名前」
「名前?」
「名前呼べって言ってんだ」
「……あぁ、」

たしかにレジで手を掴まれたあの時以来、本人に対して名前を呼んでいないかもしれない。頭の中では呼んでいたのだが……、どうやら目の前の彼は些かご立腹らしい。少し尖らせている口から発する言葉は、決して語気は強くないが敬語が完全に取っ払われており、僅かに眉を顰めている。

「俺だけに呼ばせてんじゃねーや。何様でぃ」

そのセリフには、漫画で知るようなキャラクター性が滲み出ている気がする。出会ってから今までは感じていなかったのに、猫をかぶっていたのだろうか。平五郎は席を外し、お時が洗い物で音が聞こえないこのタイミングを見計らった上でこの口調になったのだとしたらなんとも彼らしい、と読者目線で思ってしまう。きっと猫をかぶっているのは私に対してではなく、山本夫妻に対してなのだろう。そんな様子を見ていると、この世界に来てから彼に対して抱いていた"警察"という印象はほぼ無いに等しいほど薄まったように思う。

この人の女性に対する扱いなんて初対面の女の子に鎖を付けたり、恋愛シミュレーションゲームのキャラを飼い慣らしていた事くらいしか知らない。まだそういった事をされていないだけマシなのだろうか。それ以前にあれは、対象の女の子が彼に惚れるなり調教の末に絶対服従することで成り立っている構図だ。私がそんなことになる未来は全く見えないし、なろうなりたいとも思わない。

それにしても、そんなに名前に執着するタイプなんて思わなかった。いや、でも漫画でも間違った名前で呼ばれた時に絶対すぐ訂正していたな。
でも、仕方ないじゃないか。会話の流れの中で、今まで私が彼に呼びかける場面がたまたま訪れなかったのだから。決してわざとではない。

「すみません、タイミングが無くて」
「今呼べ」
「え?」
「3秒以内に呼ばねえと一生」
「すみません総悟くん」

一生、の続きを聞きたくなくて食い気味に名前を呼ぶ。別に呼びづらいから呼んでいなかったというわけではないので、慌てることなど全く無くすっと口から言葉が出た。

「はーいよく出来ましたぁ~~」

小馬鹿にするように棒読みで言う彼の表情は、先程まで粘り着くようだった目付きとは違い少し目尻が下がり、口元を満足げに緩めて笑っているように見える。
女には縁のない芋侍と宣っていたが、漫画には描かれていない裏の部分で実は交流があるのだと思う。そうでなければどういう経緯であれ、女性をあんなに一瞬で服従させるなんて出来ないだろう。何よりこの恐ろしく端正な顔立ちだ。この悪戯な笑みに落ちる女がどれほど沢山いるんだろう。さすが人気投票上位は伊達じゃない、と第三者の視点で目の前の男を見る。

彼の交友関係なんて、真選組と万事屋以外に知らない。漫画に出てきた猫の溜まり場で話していたお爺さんや、引きこもりのヒロ君は友人なのだろうか。うちの店が馴染みの店であることを知らなかったように、きっとまだまだ他にもそういった場所があるのだろう。まぁ、それらの詳細を私が知る時は来ないだろう。何と言っても、私はただのモブキャラなのだから。

目の前で実際に本人と会話をしているのに、まだ"読者"としての立場が抜けきっていない自分がいる事に気付かないふりをした。それを飲み込むように、私は湯呑みを両手で持ち一口お茶を啜った。

(2022/04/24)

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