鏡花水月 | ナノ

道案内の極意は目印とテンポ

一:四月九日 午後の街中

結局私が食べ終わるまで待っていてくれた坂田さん。一緒に店を出たのは15時前。
頼まれたのは本当に近所の案内だけだと言うので、すぐ終わるだろうとのこと。店の前から私の家とは逆方面、かぶき町の方へ歩いてぐるっと一周して戻ってくる、と初めに説明された。

家と職場の往復しかしていなかった私は、職場の店より向こう側へは行ったことがなかった。厳密にいうと行ったことがない訳ではないのだが、それは墓参りに行ったエイプリルフールの事だ。あの時はスマホを使っていたし、道なんて覚えていない。あれがかぶき町だったのかすらわからないし、そもそもそんなことを考えている余裕は無かった。そのため、案内してもらえるのは正直助かる。
「ここに派手な色の店があるからこれを目印に」「ここは道が狭いし人通りが少ないから避けて大通りを行ったほうが良い」など意外にも丁寧に詳しく教えてくれる。ちゃんと依頼として仕事を全うしようとしてくれているらしい。

「このスーパーは卵が安くて、もう少し行ったとこは牛乳が安い」
「へぇ。家庭的ですね」
「まぁ、よく食うガキがいるから…あ、俺の子じゃねぇよ?従業員だから」

よく食うガキ、とはあのチャイナの女の子の事だろう。間に少し会話を挟んではいるがメインは道案内なので、坂田さんが9割話していて1割は私の相槌。目印になる要所を押さえながらテンポよく説明してくれるため、とてもわかりやすい。やはりこの街に長く住んでいるだけのことはある。

そうやって歩いているうちに、いつの間にかかぶき町の中でも一際"夜の街"の雰囲気が漂うエリアに入っていた。キャバクラやホストクラブ、風俗店などが軒を連ねている。

「この辺りはあんま来ることねぇかもな」
「昼にも結構営業してるんですね」

夜の街といえども風俗店は昼もやってるし、看板を持ったボーイが前に立っている店もある。

「慣れねぇ内は夜一人で歩かねえ方がいいぞー。タチの悪りぃ勧誘もいるから」

たいして心配しているとは思えない間延びした口調。しかしそう言っている彼は先程までは一歩前を歩いていたのに、今は肩が触れそうな程の真横にいる。勘違いでなければ距離が近付いたのは、ガラが悪かったりチャラついた男が増えてきてからだ。私が絡まれたという話を先ほど店で聞いたからだろう。こういうところは主人公らしくて頼もしい。

「まぁこの辺は今いいか。そろそろ引き返して、」
「あら、銀さんじゃありませんか」

坂田さんが話し切る前に、前から歩いて来た紫色の着物の女性に声をかけられた。

「おぉ、お妙」

坂田さんもそちらに顔を向けて返事をすると、お互いに立ち止まったので私も足を止める。

「給料も払わないくせにこんな時間に女引っ掛けてプラプラしてるんですか?良い身分ですねぇ」
「違ぇよ。依頼だよ依頼」
「新ちゃんが今日は休みって言ってましたけど」
「ついさっき頼まれたんだよ。お前こそ何、仕事?」
「えぇ、まぁ。土曜日だし忙しいんです、銀さんと違って」
「俺だって現在進行形で仕事中だわ」

ポニーテールの綺麗な女性。ハキハキと滑舌の良い口調だが女性らしさを感じる話し方。そして、言葉の節々に少し棘を感じるのは気のせいではないだろう。

「最近ヘルプ要員の子が一気に辞めちゃって…」
「お前のいびりに耐えられなかったんじゃ…ぶべらっ!」

女性が笑顔のまま坂田さんの顔面に「ふんっ!」と張り手を食らわせると、彼は鼻血を出しながら地面に尻餅をつく。

「あら嫌だ、鼻血なんて出して穢らわしい」
「誰のせいだと思ってんだよ、記憶喪失ですかぁ!?」

登場人物の一人である女性。どのような女性か知ってるから問題ないが、これが知らない人だったらちょっと、…いや、結構怖いかもしれない。

「私そろそろ行かないと。貴女も、銀さんなんかと同伴してもお金搾れないからやめた方がいいですよ?」

ふふ、と可愛い笑顔で私の方を向いて言うと「失礼しますね」と横を通り過ぎて行った。どうやら私をこの辺のキャバ嬢と勘違いしたのか。もしくは、単純に嫌味かもしれない…。どちらにしても私に対してあまりいい印象を抱いてもらえなかったようだ。
ただの依頼人という立場の私が言葉を発する場面ではないと思い口を閉ざしていたにも関わらず、何故そんなことになったのか。それはこの男の日頃の行いによる信頼の無さのせいだろう。敵に回したくないタイプの女性なのに、どうしてくれるんだ。

「……悪りぃ、なんか勘違いしてるみたいだわアイツ」

尻餅をついた彼が立ち上がり、バツが悪そうに後頭部を掻きながら言った。いつの間にか鼻血は拭われていた。

「いえ、大丈夫です」
「今度弁解しとくわ」

誠心誠意込めて弁解してくれることを願う。口では大丈夫なんて言ったが、先ほど主人公らしくて頼もしいなんて思ったのは撤回しようと思う。

「そろそろ引き返すか、今度は別の通りからいくから」

そう言って今いる道から左に曲がり、店がある方面に引き返していく。ガラの悪い人も少し減ったため、先ほどよりは距離を開けて横並びで歩く。

「こっちの通りにも割とスーパーとかコンビニとかある」
「スーパー多いんですね」
「まぁ結構広いからな、かぶき町。あ、ここのだんご美味いよ、寂れてるけど」

このように時々店を指差し、初めと同様に説明しながら歩いてくれる。彼の指差す方向には『魂平糖』と言う看板。何だかとてつもなく見覚えがあるのだが、悟られないように「へぇー」と適当に受け流した。

「ここが動物病院。うちの犬がたまーに世話になる。ナマエちゃんペットいる?」
「いいえ」
「まぁ女の一人暮らしがペットなんか飼ったら婚期逃すもんな」
「私一人暮らしなんて言いましたっけ?」
「おやっさんが言ってた」

本当に私がレジをしている時に何を話したんだろう。そんな短時間でたいした話はできないはずだし、私が平五郎さんに話した内容の中で聞かれて困るものはないはずだから、たぶん大丈夫だとは思うけれども。

「別に、一人暮らしで頼るヤツもいねぇみてえだから街案内でもしてやって来てくれって頼まれただけだって」

気になるので他に何を聞いたのか全て知りたいところだ、と思っていたら坂田さんの方から答えを言ってくれた。

「全然休み取ろうともしねぇし心配だからってよ」
「そうなんですか」
「田舎から出稼ぎか?」
「私家族いないんで。ただ都会に来たかっただけです」
「ふーん」

これ以上は聞かれると困るのだ。過去の話を聞かれた時に私はなんて答えいいのかわからない。そのため、なるべく相手が踏み込んで来づらい言葉選びをしなければいけない。
実際坂田さんも追求する様子はなく、相槌でこの会話は終わった。それは彼にも聞かれたくない過去があるからだろう。

「なぁ」

別の話題に切り替えるつもりなのか、彼が呼び掛けてくる。

「なんであん時、あんなに顔真っ青だったんだ?」

あの時とは、ぶつかった時のこと。よりによってその話題。何か疑っているのか、と少し頭を過るがそれは考えすぎだろう。おそらく単純に疑問に思っただけだ。
私はこの時のために予め考えていた言い訳を頭の中で復習する様に唱えると、それを口に出した。

「実は、あの日で…」
「あの日って、あの日?」
「しゃがんだ勢いで、ちょっと血が漏」
「ごめんごめん、なんかごめん俺が悪かった。そんな真顔で淡々と言われると逆に戸惑うからやめて」

坂田さんが私の言葉を遮って食い気味に言った。両手のひらを突き出して待て待て、と言うジェスチャーをしている。

「坂田さんが聞いたんじゃないですか」
「もうちょいぼかせや。銀さん大人だからわかるよ?」
「だから、あの日ってぼかしたじゃありませんか」
「その後で全部台無しになったわ。女が漏れるとか濡れるとか言ってんじゃねーよ」
「いや、言ってないんですけど」

あなたもどんどん頼もしい主人公像から遠ざかってますよ、と思いながらジト目で睨む。

「世の中には色んな性癖のやつがいるんだからよぉ。ナマエちゃんみたいにぱっと見お淑やかに見える子がそんなこと言うと余計にアブノーマルな感じになるから」
「それは坂田さんがご自分の癖を暴露してるってことでしょうか?」

……これが漫画の中でもよく言われていたセクハラ発言というやつなのか。本当に息をするようにサラッと下ネタ言うなこの人。しかし漫画でそのような人物だと知っていたと言うこともあってか、あまり不快感はない。

「バッカ、ちっげぇよ。ナマエちゃん割と下ネタ大丈夫な子なのね。田舎から出てきたっつーからもっとこう、ウブな反応期待してたんだけど」
「勝手にセクハラ発言して私の力量測るのやめてくれませんか」
「ナマエちゃん、店着いたぜ」
「あ、」

会話をしている間に気づいたら店の前に戻っていた。最後の方は道案内でも何でもなくなってしまい、私は坂田さんに話しながらついて行っただけでよく道も見ていなかった。

「後半ダベってただけだな」
「そうですね」
「まぁ別に街案内くらいいつでもしてやるさ。そもそも全部案内しようと思ったら一日はかかるし。もしして欲しかったら依頼しに来いよ」

万事屋の場所知らないんですけど、と思ったがもう坂田さんは背を向けていた。手をひらひらとさせながら、今歩いてきた方向に歩き出している。

「ありがとうございました」

その背中に向かって言うと、顔だけ少し振り向く。返事をするように目が一瞬合うとまたすぐに前を向き、背中はどんどん遠くなって行った。
現在の時刻は16時過ぎ。約一時間の街案内を終了し、私も坂田さんとは反対方向の自分のマンションへ歩き出した。

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