鏡花水月 | ナノ

媚眼秋波【下】

一:四月二十八日 すまいる@

「あのぉ……坂田君?」
「なぁに、近藤君」
「……何故に相席?」
「お妙に用があるって言ったら、満席だからってここに通された」

ボーイに言って連れて来られたのはこの席。ちょうどお妙がもうすぐ来るというタイミングらしく、コの字型のソファの中央席にゴリラが一人で座っていた。

「いやいやいや、おかしいだろ!?何で万事屋と相席ぃ!?」

俺が座っているのは中央席のゴリラから斜め前。左側に通路があり、俺は通路側。その内側、俺の右横にナマエちゃんを座らせている。

「……あの、坂田さん」
「なぁに、ナマエちゃん」
「助けていただいたお礼なら別のお店で……」
「……なに、奢ってくれんの?」
「それは勿論」
「ふーん。じゃ、お言葉に甘えて。ゴリラ、メニュー表取って」
「いや、あの、坂田さん……」

何か言いにくそうに口籠もり、眉尻を下げた困り顔でこちらを見てくる彼女。

「……ほら見ろ〜、オメエのせいでナマエちゃんが気ぃ遣っちまってるだろうがぁ。空気読め」
「いや、そりゃあ気も遣いますよ……」
「えっと、ナマエさん?貴女が気を遣う必要はありませんよ。どうせ万事屋に無理やり連れて来られたんでしょう?」
「……それも少し語弊があると言うか、」
「まぁ、とりあえず今日は相席という事で。どうです?一杯」
「……すみません」

なんやかんやでコミュ力の高いゴリラがナマエちゃんに飲み物のメニューを渡したことで、彼女も諦めがついたらしい。というより、たぶんゴリラへの遠慮だったみたいだから。そのゴリラ本人が良いというなら問題ないということだろう。

「あ、酒はやめとけよ?コロナミンCでも飲んどけ。ビタミンCさえ取っときゃあ何事も上手くいく」
「……あっ!お妙さ」
「あら?銀さん」

ナマエちゃんが開いているメニュー表を横から覗き込んでいると、左側の通路から聞き慣れた女の声がした。

「あの、お妙さ」
「よぉ」

俺とナマエちゃんの座る席の対面側にゆっくりと腰掛けたお妙。

「銀さんそちらの方、確か……」
「そ、ナマエちゃん」
「あのぉ、お妙さん……?」

席に来てからずっとゴリラを視界に入れることもせず無視を貫くお妙。彼女の興味は、ずっと俺の右横に向いている。

「私のこと、覚えていらっしゃるかしら?以前は失礼なことを言ってしまって、本当に申し訳ありません」
「いえ、とんでもありません。何も言わなかった私にも非がありますので」

歯を見せない薄い微笑みを張り付けた女同士の会話は、腹の底が見えなくて少し恐怖を感じる。何より、気疲れしそうだ。その間に挟まれている中央席のゴリラは、お妙に無視され続けて落ち込んでいるのか、頭を垂れている。

「はーい、その話これで終わり」
「……銀さん、もしかしてこのために?」
「いや、たまたま拾ってきただけ。つーかさぁ、注文して良い?」

俺のその言葉によりお妙が呼びつけたボーイに、ナマエちゃんが注文したのはオレンジジュース。俺はボーイにメニューを見せ、声に出さずウーロン茶を指さした。空気の読めるボーイは、何で酒じゃないんだ、と勘繰ることも無くその場を去った。
……そして持ってきたグラスも、同じくソフトドリンクのナマエちゃんとは違うグラス。黙っていればウーロン杯に見えないことも無い。マジで空気読めるんだなボーイって。

飲み物も来たところで、ゴリラもメンタル復活、お妙も仕事モードとなり乾杯を交わした。ナマエちゃん以外は元から全員知り合い。その上に控えめでも消極的でもない人間ばかりのこの席において、無言で葬式の様なことになるなんてことは無かった。既に酒が入っているゴリラとお妙は、ノンアルの俺たちと比べると酒の席らしい饒舌さ。その雰囲気に飲まれたのか、心なしかナマエちゃんの口数も増えてきた気がした。
……そんな中、お妙が話題を振ってくる。

「そういえば銀さん。何でうちの店に?」
「騒がしい所の方が良いと思って。ナマエちゃんが寂しそう〜にしてたから」
「え?」

静かに声を漏らしてちらを見てくるナマエちゃん。

「なぁに、だからついて来たんだろ?」
「そんなんじゃ……」
「買い物行くとか言ってたじゃん」
「…………」
「別にかぶき町に来る必要なかっただろ」
「こっちのスーパーの方が夜遅くまで開いてますから」
「今日行く必要あったか?明日から休みなんだろ?どうせやることなくて暇なんだろ?寂しいでちゅね〜?ぷぷぷっ」
「……女には陰で色々やる事がありますから。それなりに忙しいんですよ」
「あれか、髪の毛とか眉毛とかケツ毛とかの処理?」
「何で全部毛の話なんですか」
「女の陰の努力つったら全身の毛に纏わる話だろ」

どうやら普通に会話ができるほど、すっかり調子は戻ったらしい。街の喧噪のせいもあるが、ここに来るまでの道中は会話もなく静かだったから。

「俺もケツ毛、脱毛した方が良いかなぁ……どう思いますかお妙さん」
「脱毛サロンの方に迷惑ですからやめて下さいね」

ゴリラとお妙が会話をする中、両手で持っていたオレンジジュースをコトンと静かにテーブルに置いたナマエちゃん。そしてまた、ゆるりとこちらに顔を向けてきた。

「少し、席を外しても良いですか?」
「何、厠?」
「はい」

そう言うので、通路側に座っている自分も一度立ち上がり、内側に座る彼女をボックス席から出させる。

「ここ真っ直ぐ行って左」
「ありがとうございます」

指さした方を見た後、こちらに目を合わせて頭をペコリと下げた。そして背中を向けて歩き始める。それを確認してからもう一度ソファに座ると、お妙と近藤が俺の方を見ていた。


「やっぱり、綺麗な人ですよねぇ」

本人がいないところで女が女のことを褒める、というのは嫌味か本音か。おそらく後者。……まぁ、自分もだけどあの人もまぁまぁ綺麗ですよね、くらいのテンションだと思う。

「俺はお妙さんが一番だと思いますよ!……でも、なんて言うんだっけ?ああいうタイプの美人」

腕組みをして、うーん、と唸って考える仕草をする近藤。

「……儚げ美人だろ」
「そう!それそれ!」

“儚げ美人”

それが、彼女への第一印象だった。今月頭、エイプリルフール。パチンコ帰りにかぶき町を歩いていて、ナマエちゃんとぶつかった時の話。

珍しく大当たりして、隣で打ってた長谷川さんに『エイプリルフールだろ!嘘だろ!』って僻みを言われたので日にちまでしっかり覚えてる。ギリギリのバランスを保ちながら、引き換え品であるお菓子やカップ麺が山積みになっていた紙袋。それを両手で抱き抱えて家に帰っている道中のことだった。


---


………………金曜日の昼下がりの道。平日ではあるが、それなりに人通りが多かった。でかい荷物を持っていて視界が悪かったことと、浮かれていたこともあり少し注意が疎かになっていた。下を向きながら歩いて来た奴に気付くのが遅れて、肩がぶつかった。

「あっ、」
「うぉっ、と」

大した衝撃では無かったが、ギリギリのバランスを保っていた紙袋から何個か戦利品が落ちた。

「す、すみません」
「あー、いや。こっちこそ」

声からして、ぶつかったのは女。すぐに俺の左横にしゃがみ込み、落ちたものを拾い始めた。落ちたと言っても二、三個だし、俺がしゃがんでさらに物を落とすのも何だったので、黙って拾ってもらうことにした。見下ろしてみると、和服ではない丸首の襟元からチラリと鎖骨の窪みが見えた。肩幅も狭く華奢で、七分袖の黒い服から見えている手首も細い。その手でカップ麺を持ち、上に酢昆布を二つ乗せた。しかし下を向いたまま、なかなか立ち上がろうとしない。

「あのぉー、すんません。ここに乗せてもらってもいいですかね?」
「…ぁ、っ」

聞き逃しそうなほど小さな声を発するとようやく立ち上がった。落ちたものを紙袋の上に乗せてくれている横顔は、なかなかに器量の良いものだった。

(儚げ美人って感じだな)

細い体のラインに沿った真っ黒なワンピースは色白な肌を際立たせており、憂いを帯びた大人っぽい顔つきも相まって儚さを感じる。全くこちらに顔が向かないし視線が合わないが、横顔のおかげで長さ際立つ睫毛が目をしばたたかせる度に揺れる。
……唇が青ざめて顔も青白くなってなければ、めちゃくちゃ色っぽい女なんだと思う。なんだか、とても体調が悪そうだった。

「どーもどーも」

頼んだ通りに紙袋の上に拾ったものを乗せると、ぺこっと頭を下げて人混みに紛れるように走っていった。

(なんであんな青白い顔してたんだ?あの日か?)

そんなことを思ったが、まぁ別にどうでも良い。もう会うこともないだろう、と脚を動かして家路についた。


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いろいろ疑ったりとかもしたけど、その印象は初めから今に至るまで変わらなかった。……実はナマエちゃんも、ゴリラ女だったり、歩く下ネタ女だったり、そういう残念美人だったりするのだろうか。そんなことを考えながら対面席に座っているお妙を視界に映し、ウーロン茶を一口流し込んだ。

(誰か似てる女っているかねぇ)

知り合いの中に、ナマエちゃんと似たような系統の女は……いない気がする。強いて言うなら、お妙?アルカイックスマイルを張り付けてるあたりとか特に。でも、少し違うような気もする。なかなか人と比べるっていうのは難しいのだが……。

(……あ、一人いたわ)

無理矢理にでも誰か似たような人物を引っ張ってくるとしたら、一人だけ心当たりがある。タバスコをパフェにぶっ掛けてくる、そんな隠れドSなところ以外は非の打ち所が無かった聡明な女。

(沖田くんの、姉ちゃん……)

別に容姿や声が似てるとかそんな話ではない。どこも似てないし、完全なる別人だ。性格に関しては、二人とも比較できるほど知り得ていない。あくまでここ数年の記憶の中で、強いて言えば彼女が一番雰囲気が似たような系統の女だというだけ。彼女とはもう二度と会うことが叶わない。人は初めに声から忘れていくというが、まだ何となく覚えてる。鈴を転がしたような、透明感のある声だった。

甘えたような幼稚さを感じさせたり、鼻にかかる高めのアイドル声だったり、まるで“早送り”のように甲高い声でまくし立てたり、せかせかと慌ただしい女というのは色気のかけらもない。それらとは真逆の女。ゆったりした動作は、何事にも余裕を感じさせる。それは、話し方一つとってもそうだ。
低めの声……いや、地声が低いとかそういう話ではなくて。何というか、テンションというか、声のトーンが低い。そんな声遣いでゆっくり、ゆったりと行間がある落ち着いた話し方。言葉に“間”のある話し方はなんとなく気だるさが漂うが、語尾はだらしなく間延びしたりしない。かといってスパッと切るわけでも無い。ストンと落ちるような話し方でありながら、その言葉尻はふわっと柔らかく、相手に安心感や癒しを与えるような口調。
若者言葉や汚い言葉を使ったり、大袈裟なリアクションはしない。言葉は簡潔、それらの発音は一語一語が丁寧で聞き取りやすく、艶やかな印象。相手の目をしっかりと見て微笑みながら時々頷いたり、短く吐息まじりに『はい』『えぇ』と相槌を打っていたような気がする。控えめな仕草や相槌の方が会話に集中しているように見えて、話す方も気分が良い。そうやって聞き上手、喋らせ上手に徹して弟を立派なシスコンに育てあげた甘やかせ上手な姉だったんだと思う。……まぁ、あんな姉ならシスコンになる気持ちも分からなくはない。

あんま周りにいないタイプの、女らしい女だっだ。神楽はまだガキだし、婆さんは場末のスナックのババア感滲み出てるし、日輪さんとかは陽気で逞しい女、九兵衛は典型的な僕っ娘。月詠とかはちょっと男前な感じ、さっちゃんは俺の前だとキーキー甲高い声出してるイメージが強すぎて普通に話してるのがぱっと思い出せない。お妙はちょっとハキハキしてるというか若さがあるというか……あぁ、抑揚が強いんだ。

(何というか、もうちょい棒読みな感じなんだよなぁ)

かと言って、絡繰家政婦のたま程ではない。……うん、とりあえずやっぱ、話し方の雰囲気とかがあの激辛姉ちゃんとちょっと似てんだわ。口元に微かな笑みを浮かべ、どことなく大人の余裕や色気を感じさせる。そういう、女らしい話し方。
それに、儚げ美人なところも似ている。体調が悪そうだとかそういうことではなく、見てるこっちがちょっとだけ心配になるような女。

(……寂しそうに笑うから)

実際、店主夫妻も心配しているのだ。だから、あんなに過保護にしてる。俺も実際真正面から向けられてちょっと心配になったくらいだからね。心配半分、違和感半分。感情ぐっちゃぐちゃだったからねマジで。これだから“目で語る女”ってのは厄介なんだ……。

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