鏡花水月 | ナノ

媚眼秋波【上】

一:四月二十八日


世間一般では大型連休に入る前日。平日休日関係なく仕事があれば働くスタイルの万事屋は今日休みだった。明日からの連休中は、意外と安定して仕事が入っている。主に人手が足りないから来てくれという助っ人要員の仕事。
現在時刻は20時前、明日の仕事は夜からだが、一応連日仕事が入ってる。晩飯がてら外に出て来ているが今日は程よく呑んで早めに帰ろうと思っていた。神楽は神楽で、今日は友達の家に泊まりに行ってる。あと一杯くらい軽く引っ掛けようと足を進めていると、斜め前からとぼとぼと歩いてくる女が見えた。

(ナマエちゃんじゃん)

割と道幅が広くて彼女と距離があるせいなのか、おそらく向こうは俺に気づいていない。そのまま通り過ぎたのだが、あの横顔は間違いない。すっと通った鼻筋、涼しい目元、キュッと締まった顎のライン。会った回数は少ないものの、彼女の横顔は記憶している。

彼女は、馴染みの店で最近働き始めた店員の女だ。その店はかぶき町から目と鼻の先に昔からある、あんみつが美味い茶房。手作りの寒天がチェーン店などとは違って変に固い食感ではなくて少し緩め。しかしそれが良い。
店の外見はよくある古い木造建築で、内装は定食屋のようにカウンター席と四人掛けテーブル席がある。洒落たデートスポットとはかけ離れており、カップルや若い女の姿は見受けられない。ファミレスの喧騒と違って静かな雰囲気の漂う店内にガキどもと来るのは何となく憚られ、まだ神楽や新八を連れてったことはない。

そんな店で、今月頭から働き始めたナマエという女。実は、初めて会ったのはその店ではない。その前に一度、かぶき町で会っているのだ。その時は何やら体調が悪そうにしていたのだが、すぐに走り去っていった。まぁもう会うことも無いだろう、と特に気にも留めなかった。

しかし、その予想は外れてその約一週間後にあの茶房で再会したのだ。どことなく、言動の節々に“違和感”を感じる女だった。なんというか、初めて会った気がしないというか。……いや、実際初めてではなかったのだが、そういう事ではなく。昔から江戸に、このあたりに住んでる女であれば感じなかったはずの違和感。

<最近江戸に上京して来たというのに、“ぶつかる前から俺のことを知っていたのではないか”>

そんな違和感があったのだ。しかしなんやかんやあって、それらは払拭された。結局その違和感には断言できるような根拠なんて無くて、ただの野生の勘の範疇を越えなかったという話。

その違和感という色眼鏡が外れたら、ただの顔見知り。店で働き始めて日の浅い彼女のことを、店主夫妻は何やら過保護に心配しているらしい。確かに、目を引く容姿をしているのだ。あんな店で働いてるのが不思議な程に。他にもっと稼ぐ方法がありそうなものなのに……かといって、金に困ってるようには全く見えない。
服も、肌も、髪も全て、頭のてっぺんから爪の先まで手入れが行き届いた万人受けする清潔感。明日の食費にも困るような自転車操業な暮らしなんて絶対していない、生活に余裕がある人間に見える。どっかの裕福な家の女が社会勉強程度にお遊びでバイトを始めたんだと言われたとしても、疑う事もなく信じるだろう。上品、清楚という言葉が似合う容姿の女。そういう、自分の容姿に自信がありそうな女。

……それなのに今しがた通り過ぎて行った彼女は、どこか自信なさげに見えた。胸の前でキュッと握り拳を作った姿が何とも頼りなくて。

(何で一人でこんなとこ歩いてんだ?)

まだ20時前だし、別に一人で夜のかぶき町を歩くなとは言わない。ただ歩くにしても、もっと堂々と歩いた方が良い。左右にゆっくり視線を散らすようにキョロキョロしながら歩くのは、夜のかぶき町を一人歩きするには不用心。歩くのが遅すぎると、予定もなく暇そうだと思われてカモにされる。……何にせよ、気を配るべきだと思う。出来ないのなら女一人で歩くのは避けた方が良い。よっぽど護身術に長けてるなら別の話だが。
ぶっちゃけ、ナンパとかされ慣れてそうだし、追払い慣れてそう。そう思っているのに俺はクルッと方向転換し、彼女の後ろをつけるかのように、今歩いて来た道を戻ることにした。何故、そんなことをしたのか。

(何か嫌な予感するよなぁ)
 
脳裏に、気遣わしげな表情で『心配だ』と言っている、あの茶房の店主夫妻の顔が浮かんでしまったから。だからなんとなく、彼女の後をつけることにしたのだ。

(つーか、何であんなにキョロキョロ歩いてんの)

この道、前に案内してやっただろうが。なに?そんなに道覚えるの苦手なの?
……そうだよね、俺と道でぶつかったのかぶき町なのにオヤジたちに『かぶき町行った事ない』って言ってたんだもんね。
だからこそ街に連れ出した時に、帰り道でぶつかった場所を通ってリアクションを確かめたんだよ。あん時もキョロキョロしてたもんな。他の道の時もそうだったけど、もう完全に初めて通りましたってツラだったもんな。最初から最後まで案内してる時ずーっと俺の指先に目線ついて来てたもんな。まるでキャッチボールの球をずっと目で追いかけてる子猫みたいだったよな、ちょっと可愛かったよな。

そもそも、なんで街案内するなんて話になったのか。それは、店で初めて会った日に遡る………………。

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