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嘘はついてない。


放課後、私は日直日誌を書きながら空を見上げた。
ひどい天気だ。今にも雨が降り出しそうな、重く覆いかぶさるような雲が延々と広がっている。
空を見つめたまま、私は教室の隅で黒板消しの粉と格闘している日吉を呼んだ。

「日吉氏日吉氏」
「なんだ」

けふけふとチョークの粉に咳き込む日吉はどうも不機嫌らしい。まあ、彼には部活があるのに日直だからといって引き止めてる私が悪いんだけども。

「天気すっごい悪いよ。めっちゃ悪い。日吉の口みたい」
「お前には言われたくないな」

ハッと鼻で笑った後、黒板を消しにかかる。

「それよりも、早く終わらせろ。この後部活があるんだ、暇なお前と違ってな」
「日吉こそ早く終わらせなよ。この後詰んでるゲームがあるんだ、部活な日吉と違ってね」

なんの張り合いにもなってないぞと言ったきり、日吉は黒板消しに夢中になった。私も大人しく日誌に集中しようと思った。
しかし、強い風が窓をガタガタと揺らしたせいで、集中力が切れる。

「日吉ーめっちゃ風強いよ。日吉の私へのあたりみたい」
「それはお前が悪いからだろ」
「え、私風さんに何かしたかなあ、ごめんね風さん」
「……あほだな」

冗談に決まってんじゃん。
呟いてみたが、日吉がタイミングを見計らったようにつけた黒板消しクリーナーのけたたましい音によってかき消された。しかたがないから日誌にむかう。なにも書くことがないので「今日は天気がすこぶる悪いです。日吉の機嫌もすこぶる悪いし、私の文章力もすこぶる悪いです」と書いてみた。この日誌はどうせ担任と日直しか読まないものだから、多少おかしなことを書いてみてもどうってことはない。ならば書くことは一つしかないだろう。

「えーと……同じ日直の日吉君は黒板を担当しています。きれい好きなのか、黒板消しを必死にクリーナーでガーガーしている様はなんだか愉快です。けど、あのクリーナーの中にはたくさんの粉がつまっていて、威力が薄まっているのか、なかなかきれいにならないみたいです。中の粉を捨てればいいのに、それでもガーガーし続ける姿はまさに愚の骨頂……あいたっ」

ガツンっと固いものが脳天を直撃した。日誌の上に黒板消しがコロンと落ちてきたので、日吉がこれを投げたのだと推測する。
そちらの方を見ると、片手に汚い黒板消しを持った日吉が私を睨んでいた。

「消せ。そして嘘を書く暇があったらもっとましなことを書け」
「汚い方じゃなくて綺麗な黒板消しを投げる日吉って実はめちゃくちゃ優しいよね。投げること自体は優しさのかけらもないけど」

言うと、日吉がため息をついてこちらに向かってくる。投げられた黒板消しを取りに来たのかと思い差し出したが、私の目の前に立つ日吉が掴んだのは、なんと私の消しゴムだった。
まさか、と思う間もなくその消しゴムはなんの躊躇もなしに日誌の文字の上を滑る。

「あああああ!!」
「うるさい」

おかまいなしに私の文を消していく日吉。腕をバシバシ叩いてみるが効果はなし。

「ひどい! 私がせっかく一生懸命書いたのに!」
「名誉毀損で訴えなかっただけありがたく思え」

日誌の上の消しカスを払いのけると、先ほどまで半分は埋まっていた欄が真っ白になっていた。筆圧のあとだけが残っているのがまた切ない。

「バカ! 私があの文章をひねり出すのに砂糖何個分のエネルギーを使ったと思ってるんだ! 答えてみろ! ねえ何個くらいなのかなあ?」
「知るか。聞くな」

ぽかすかぽかすか叩いても私の気は一向に晴れない。しかたがないから最後の手段だ。日誌を両手で持ち、卒業証書を授与するときみたいにして日吉に押し付けた。もちろん私によるBGMつきだ。

「……なんのつもりだ」
「書いて」

言うと「はあ?」と靴の裏に張り付いたガムを見るような目で見られる。が、今では慣れっこなので無視をする。

「いやさ、日吉が書いた方が早いよ絶対。ずっと思ってたけど」

「ほら部活のためにさ」とぐいぐいと日誌を押しつけると、何かを言おうと開いた日吉の口がきゅっと結ばれた。
おや、と思っているうちに日誌をひったくられる。
そのまま私の前の席に腰をおろす日吉に「はい」とシャーペンを渡すと、ギロリと睨まれ、舌打ちをされるというコンボを食らったが、大人しく受け取ってくれた。多分可愛らしいピンクのシャーペンをわざと選んで渡したのがバレたからだ。
むこうを向いて座ってしまった日吉の正面にまわり、椅子に座る。一瞬嫌な顔をされたが、私には目もくれず日誌にすらすらと今日あった出来事を記入していった。

「字綺麗だよねー日吉って」

声をかけたが、無視をされた。

「日吉の顔みたいに綺麗だねー」

無視。

「髪の毛も綺麗だしねー」

無視。

「うっわ手も綺麗じゃん」

無視。

「そういや私の顔も綺麗だよね」
「正気とは思えない発言は控えろ」
「……ひどいな」

こういう時だけ反応されるのって地味に傷つく。ちょっぴり傷心した私は、再び窓の外に目をやった。先ほど見たよりもさらに黒みを帯びた雲が渦巻いている。

「やばいよ日吉、雲めっちゃ暗いよ、日吉の性格みたいだ」
「うるさい」

ぴしゃりと叱られ、私は肩をすくめた。これ以上邪魔してやるのもかわいそうなため、黙って日吉の手元を見た。あと一行ほどで全部が埋まるようだが、その一行が思いつかないらしい。

「私との日直楽しかったですって書いたら?」
「いや、日誌に嘘を書くのは趣味じゃない」
「おいおいそりゃないぜ!」

外国人風に両手を使ってオーバーリアクションしてみたが、不発だった。日吉の視線は、私の肩のむこうをじっと見つめている。まさか幽霊? と振り返ったが、そこには綺麗にされた黒板が広がっているだけだった。なんだと日吉に向き直ると、彼はもうすでに日誌を閉じ、教室を出る準備をしていた。

「え、ラスト書けたの?」
「ああ」

せかせかと鞄を背負う日吉。
置いてけぼりにされないように私も慌てて荷物をまとめた。

「なんて書いた? 私との日直楽しかった?」
「そんなわけないだろ」

鞄を肩にかける頃には日吉はもうドアの近くに立っていた。なんやかんやで先に行かない日吉は優しい。

「教えてよー」
「明日日直の奴にでも見せてもらうんだな」
「あ、そっか」
「ほら行くぞ名前」
「うん」

私たちは出口のところで教室を振り返り、忘れ物がないかを確認した後、教室の電気をパチパチと消した。
外から廊下に差し込む光が、徐々に明るくなっていくのがわかった。


後日、日誌の最後の行を見た名前が「ちょっと! 私が馬鹿でしたって書いてあるんだけど! いや確かに嘘じゃないけども!」と憤慨する姿が確認された。


*****
日吉好きだけどいじめたくなる。


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