風邪によく効く薬
※大学生設定
いつもはアンパンマンより元気100倍(私調べ)な私が、風邪を引いた。37.8℃熱がある。
しかしバイトに穴は開けられないという事で絶賛勤務中である。
「おーい名字……」
ぼやける視界で、一つ年上の切原先輩が私に向かって小さく手を振った。緩やかな動きで首をひねり、切原先輩を見上げると眉をハの字に垂らして「帰るか?」と聞いてくれた。しかし今帰ると今日来た意味がない。しっかり働いて銭を稼がねば。
ゆるゆると首を横に振ると「お、おー……」と気の抜けた返事が来る。体調が悪い人と働くのはさぞや鬱陶しいことだろうが、普段は私の方が切原先輩のやかましさに辟易しているのでこれで貸し借りなしという事にしていただきたい。
「いらっしゃいませー」
「せー」
マスク越しのくぐもった声でお客様に挨拶をすると、被せて切原先輩も言った。せーってなんだよ風邪引いてる私よりサボるんじゃないよ、という視線を向けるとばつの悪そうな顔をされた。いやあなたが悪いんですからね。
ピ、ピ、とバーコードをスキャンする。切原先輩は隣でレジ袋に入れる作業をしてくれている。有り難いけど、そっちの方が喋らなくて楽だから代わってほし……いやいや、手伝ってくれるだけありがたいんだから文句は言うまい。
そんなことを思いながら商品を手に取っていると。
「あ……!」
ペットボトルが力のない手からすべり、地面に落としてしまった。
「すみません、すぐに取り替えてきます!」
すぐに切原先輩が新しい商品を持ってきてくれ、お客様も優しい方だったので事なきことを得たが、私は居たたまれなくなってしまった。
店にお客様がいなくなったのを見届けると、切原先輩は俯く私の顔をのぞき込んだ。
「おいおい本当に大丈夫か?」
「大丈夫……ではありませんが、私にはやるべき事がありをり侍りいまそかり……」
「ダメだこりゃ」
やれやれといった調子で切原先輩がバックルームに向かう。あ、やばい、店長に電話されちゃうかなぁ。他のバイトに電話して交代させられるかもしれない。
それも仕方ないかもな、と首を竦めると。
「おら……よっと!」
かけ声とともに乱暴にドアが開けられる。そして、それに続いてガシャンと何かを置く音。
緩慢な動作でそちらを見ると、そこにはパイプ椅子が置かれてあった。
背もたれを叩きながら、切原先輩がにっと笑う。
「お前、ここにいろ!」
「は……?」
「あ、心配すんな、客からはここ死角になってるから!」
意味が分からず首をひねると、無理やり腕を引かれ座らされてしまった。目を白黒させていると、「しんどいんだろ?」と頭を撫でられる。どうすることも出来ず、ただ頷いた。
「けど帰りたくないんだろ?」
「……はい……」
また頷くと「んじゃ大人しく座ってろ!」と髪をぐしゃぐしゃに混ぜられる。
「い、いいんですか……?」
それだと、切原先輩がほぼ一人で働くことになる。この時間帯、一人は大変だ。
しかし切原先輩は明朗に笑うと「俺がお前といたいってのもあるしな!」と言ってレジへと向かってしまった。
「……なんじゃそりゃ……」
「いらっしゃいませ!」と眩しい笑顔で働く彼の横顔を見ると、風邪独特の辛さによって荒んだ心が少しだけ満たされた。
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