オルタナティブ・ラヴ

“最近、五条先生がおかしい”。そうナナミンに言えば、「虎杖くん、五条さんがおかしいのは前からです」だなんてゴーグルの位置を直しながら当たり前のように言われた。五条先生が変わってるのはいつものことだし、突拍子もないことを言い始めるなんてしょっちゅうだということは生徒である自分もよくわかっている。いつだって五条先生という人は規格外で、それでいて最強なのだ。だけどそういうのじゃなくて、ここ最近はどこかうわの空のような気がする。相変わらず目隠しで視線がどこを向いてるのかは分からないけど。まぁ、なんていうか、その、

特級術師が花を愛でている。

高専の敷地内は広く、五条先生のような教師兼呪術師にもなると専用の個室が充てがわれているらしい。先生はいつも高そうな黒い皮張りの椅子をぎこぎこ揺らしながら「おつかれサマンサ〜」なんておどけて俺たちを迎え入れてくれる。しかし最近はどうだ。あの先生が部屋に誰かが入って来たことに気づいてないはずがないのに、あまり興味がないのか、それよりも大事なことでもあるのか。デスクの上に置かれている花瓶に挿した花をボーッと見つめているのだ。コレ、前からあったっけ?いや、無かった気がするな。しかも頻繁にその花の種類は変わるとくる。

「先生、その花どったの?」なんて訊いてみれば、「僕は花をも愛でるナイスガイだよ〜〜」だなんて、へらりと上手くかわされてしまった。先日の京都校との交流会で地面ごとごっそり抉って裏山ひとつ消し去ってしまった先生の術式を思い出す。東堂が間に入らなければ、今頃俺の身体もごっそり持っていかれて骨まで残っていなかったかもしれないと思うとゾッとする。花どころか森林伐採もいいところだ。

伏黒と釘崎に何か心当たりはないか、と訊いてみたが、二人も揃って首を横に振る。どうやら俺と同じように最近の五条先生のこの一連の行動を少し奇妙に感じていたようだった。そして、その奇妙な行動の謎を解く唯一の手掛かりは“あの花瓶の花”であるという考えは三人とも一致した。

「確かに、気持ち悪いわね」
「先生、甘いものが好きだったりさぁ、ちょっと乙女っぽいとこあるじゃん?とうとう花にでも目覚めたのかもな〜」
「あの人のことだ、ただの気まぐれだろ」
「いや、これは“恋”だわ!」

「「恋?!」」

思わず伏黒と声が重なった。釘崎の言葉を脳内で反復する。「男が物思いに耽るなんて恋愛に決まってんじゃない」と腰に両手をあてながら釘崎は何故か自慢げに胸を張った。そうなの?恋?あの五条先生が?さすがに盲点だった。やっぱり女子の方がそういうのには敏感らしい。なんだ、そうだったらめちゃくちゃ面白そうじゃん!

「そうと決まれば、するわよ、尾行!」
「応!」

「いや、待て」伏黒の声に俺と釘崎はぴたりと動きを止めた。

「どうせまた呪霊調査とかだろ。あの人あれでも特級なんだし。それに、俺はこの前みたいな二の舞は、もう懲り懲りだからな」

伏黒の言う“この前”は、秋葉原で五条先生のプライベートを暴こうとして二人であとを尾けていった時のことだろう。メイド喫茶に入っていった先生を追っていたはずが、いつの間にかメイドのお姉さんたちに言われるがままにコスプレをさせられて、一緒に写真まで撮ったっけ。よくわかんねーけど都会のノリ?ってやつを感じて楽しかったのを思い出す。そういえば、伏黒はずっと難しい顔をしていた。断れずに最後まで流されていたあたり、伏黒の人の良さを改めて感じた。
「何それ」と聞く釘崎に「何でもない」と伏黒は顔を背ける。コイツにとってアレは無かったことにしたい記憶らしい。まぁ、あの写真もどっかにいっちゃったしな。そんなことを考えていた俺の前で尚も二人は「さすがにプライベートまで突っ込むのは良くないだろ」「あ゛?女子生徒のスカートを盗んで勝手に穿くような変態にプライベートもクソもねぇよ」と静かに言い合っていた。

「伏黒、アンタ気にならないの?!あのバカの好きな人」

痺れを切らした釘崎に、伏黒はしばらく黙ったまま考える素振りを見せた後で「まぁ、気には、なる、」と、ついに観念しましたというふうにぽつりと言葉を吐いた。あまり詳しくは知らないけど、俺たちよりも五条先生との付き合いが長いのだという伏黒の本音はきっとこちらだろう。

「じゃあ決まりね、あとつけるわよアンタたち」

「応!」俺は再び釘崎にそう応えると、今度はニイッと自身の口元を吊り上げた。

まるでタイミングでも図られていたのかのように、白い頭の大きな人間が俺たちの視界の端に現れた。五条先生だ。白いタートルネックに黒のジャケットを身に纏い、いつもの目隠しではなく黒いサングラスを掛けている。そして、細身の黒のスキニーパンツが股下の長さを存分に強調していた。これは明らかにプライベートだろう。機嫌良さそうに鼻歌なんて歌いながらどこかへ向かうようだった。俺たちは顔を見合わせ言葉も交わさずに頷くと、数メートル後ろの物陰に隠れながら先生の後を追いかけることにした。

高専の門を抜け、長い脚を惜しみなく使いながらスタスタと歩いていく。その足先は高専から一番近い駅の方へと向かっているようだった。最寄駅というには遠すぎるその駅の高架下で先生は足を止めた。それに倣って俺たちも近くの電柱へと身を隠す。

「ちょっと!急に止まんな…!」

後方を歩いていた釘崎が俺の背中に頭をぶつけた。「ごめんごめん」と謝りつつも視線は前方から外さなかった。右手を挙げて目の前の誰かに何やら親しげに声を掛ける先生の大きな背中が映る。その視線の先にはエプロンを付けている女の人。手にはジョウロを持っており、店先の花たちに水を差している途中のように見える。顔を持ち上げて掲げられている看板を見上げると、そこには『フラワーショップ』の文字があった。“あの花瓶の花”の謎は半分解けたみたいだ。

「ほら、本当にオンナじゃない」
「マジか…」

あの綺麗な女の人は、五条先生の恋人なのだろうか。一定の距離があるので会話の内容こそ聞こえないけど、先生の声色がいつもより割増で優しい気がする。最強と言われる先生もやっぱり人の子なんだなと、どこか安心した。


▲▼▲



差し出された花束は供花というには余りに不釣り合いなほど鮮やかな青色をしていた。高専の最寄駅に最近出来たという自営業の小さな花屋。以前通った時には存在しなかったその店先には色とりどりの花が所狭しに並んでいる。傑のところに花でも持って行ってやるか、なんて思いついた僕は店の敷居を跨いだ。自分で手に掛けておきながら、手向けの花だなんて、と思わず笑ってしまいそうになる。店の中には僕と同じくらいの年の女がひとり。きっとひとりでこの店を経営しているのだろう。彼女に「死んだ友人に供える花束を適当に見繕ってよ」と声を掛け、完成したのは青い薔薇の花束だった。あり得ない、そう大きく溜息を吐いた。まぁ、僕が彼女に任せた責任も少しはあるかもしれないけど。

「ねぇ、死者に対しての冒涜?」

彼女はその大きな瞳をぱちりとさせた。薔薇は供花としては相応しくない。棘があるからだ。花の知識なんてものは、そもそも自分も多くは持っていない。まだ僕が幼かった頃、これも教養なのだと口煩い家の奴らが、やれ茶道や華道だと、その手の御家元の人間を僕の前に連れてきては次期当主とはなんたるかをべらべらと口にしていたことを思い出す。そんなもの無くたって、僕より強い奴なんてどうせいないんだから。当時そうして適当に聞き流していた僕でも、いくらなんでも知っている。死者へ薔薇を贈ることはあり得ない。

「お兄さんが会いに来たのがわかるように」

彼女の言葉に僕は思わず目を丸くした。

「綺麗な青色なんですね」

不思議なものでも見つけたかのように、彼女の黒くてまるい大きな目が僕の瞳の中を覗き込む。そう言われて自分がサングラスを外していたことを思い出した。うん百年ぶりに無下限の術式と六眼を併せ持って生まれてきた僕のことを、周りの人間は畏れては、いつだって僕の機嫌を損ねないようにと扱った。“触らぬ神に祟り無し”ということだ。相手の術式を目視で認識することが出来る六眼はその能力に相まって、青く光る瞳の色さえも気味が悪かったのだろう。誰もが好んでまで僕と目を合わせようとはしなかった。この青い瞳のことを綺麗だと言われたのは二度目だった。一度目のそれは僕自身で手に掛けて殺した、僕のたった一人の親友だった。

『悟の六眼は随分と綺麗な色をしているね』
『あ?アホか、何言ってんだよ。相手からすれば術式全部丸見えになんだから末恐ろしいだろうが。傑は恐くねェの?』
『その眼があるから悟は無下限呪術が使いこなせるんだろう?最強じゃないか』
『違ぇよ、俺たち二人で最強なんだろうが』
『あぁ、そうだったね』

瞳を閉じれば瞼の裏側に今でも鮮やかに蘇る学生時代の青い春。忘れることなんて出来るはずがない。きっとそれは、これからも。

「それに、青い薔薇には夢が叶うという花言葉があるんですよ」
「だから、なに」
「きっとお兄さんのお友達も、お兄さんにそんな悲しそうな顔をしてほしいんじゃないと思いますよ」
「僕、そんなに悲しそうな顔してる?」
「ええ、とっても」

どうやら初対面の人間に言われるくらい、よっぽど酷い顔をしていたらしい。冷たい何かが頬を伝っていることに気付き、いつの間にか自分が泣いていることを知る。誰かの前で涙を流したのはいつぶりだろうか。随分と昔のことだから、忘れてしまった。

「雨、酷くなってきたので、よかったら雨宿りしていってください」

そう言いながら、彼女は外へと視線を向けた。店のショーウィンドウには水滴が雫になって地面の方へと垂れている。彼女が指しているのはポツリポツリと降り始めた雨のことなのか、それとも僕の頬を流れる涙のことなのか、どちらなんだろうか。そもそも僕には無限があるから雨の中でも濡れることはない。だけど、僕に傘なんてものが必要無いということを彼女が知っているはずがなかった。

「はは、ほんとだ、そうさせてもらうよ」

僕は呪術師の五条悟としてではなくて、誰かに僕を僕として見てほしかったのかもしれない。そう、あの時だ。彼女のことを好きになった瞬間を、確かに今でも覚えている。弱っているところに優しく手を差し伸べられて好きになった。理由が簡単すぎて、我ながらチョロイとは思う。

それから僕は時間を見つけてはこの花屋に足繁く通っている。彼女に会うために。頻繁に顔を出しているからなのか、彼女からはよっぽどの暇人だと思われている。こう見えて特級呪術師をしている僕は実はそれなりに忙しい。いつもの倍のスピードで呪霊を祓っては、彼女のところへ行く為に無理矢理時間を作っていたりする。
最近は、面倒な高専関係の事務仕事をサボる度にも来るので、伊地知には僕がここに入り浸っているのがバレた。ある日、僕を探しにやって来た伊地知が「五条さんに振り回されて大変ですね」なんて初対面で言われて顔を気持ち悪いくらいに綻ばせていた。彼女にちょっと優しくされたくらいでニヤニヤして腹が立ったから、次の任務で最大出力の“赫”をわざと呪霊と一緒に高速道路にお見舞いして、伊地知の事務処理仕事を増やしてやった。翌日、机の上に積み上げられた書類の山を見て面白いくらいに青褪めた顔をしていた。ザマーミロ。僕がゆっくり外堀を埋めて着実に口説いている最中なのに、お前になんか渡さねーっつの。まぁ、他の誰にも渡すつもりもないけどさ。

「後ろから見えるのは五条さんの教え子ですか?」

そう言って、彼女が僕の背後へちらりと視線を移す。高専を出て、悠仁たちが僕の後ろを尾けていたのは最初から気付いていた。まだまだだねぇ、と小さく溜息を吐く。僕が悪質な呪詛師であれば既にボコボコにされて、今頃はその辺で伸びていているとこだったよ。だけど、三人は紛れもない僕の可愛い可愛い教え子だ。

「センセイ想いの生徒を持つなんて僕も罪深いなぁ」
「本当に教師だったんですね」
「だから言ってるでしょ?グレートティーチャー五条さんだってさ」
「だって五条さん、息を吐くように冗談を言うじゃないですか」
「えー、好きな女の子にそう思われてるなんて、心外だなぁ」
「またそうやって冗談を」
「僕はいつだって本気さ」

はいはいそうでしたね、なんてまたもや軽くあしらわれる。僕がこんなにもわかりやす〜く愛情表現をしているのに未だに本人には冗談なのだと思われているらしい。顔が良すぎるのが裏目に出ちゃうなんてさ、ほんと困っちゃうよねぇ。「ご注文は?」といつものように彼女が僕に訊ねた。

「赤い薔薇を12本もらえるかな」

いつの間にか僕のデスクにはここの店の花が置かれるようになった。呪術師最強だなんて言われている僕だけど、彼女の所為で随分と人間らしくなってしまったようだ、と小さく頬を緩める。まぁ、本当は花そのものよりも、彼女に選んで貰うというこの行為自体を僕は気に入っているのだけれど。いつも季節や気分によって、その時々に合った花たちを選ぶ彼女のセンスを信頼していたし、僕の為に選んでくれている姿を見ると優越感に浸れて気分が良かった。

「今日はお任せじゃないんですね」
「今日は特別」

お待たせいたしました、と彼女から真っ赤な薔薇の花束を受け取ると代わりに小さな手のひらにお金を乗せた。

「誰かにプロポーズでもするんですか」
「うん、君にね」

そう言って僕はサングラスをジャケットの胸ポケットへと収める。彼女が綺麗だと言ってくれた青い瞳を惜しみなくその眼前に晒した。知ってる?僕はね、結構執念深いんだよ。一度欲しいと思ったものはどんな手を使ってでも手に入れたいし、その為だったら多少時間が掛かったって構わない。

「お付き合いを前提に結婚しようか」

僕たちが初めて出逢ったあの時のように、彼女は大きな瞳をぱちりと瞬かせる。

「順番、逆じゃないです?」
「言ったでしょ、僕はいつだって本気なんだよ」

真っ赤な12本の薔薇に僕の愛情も希望も幸福も、永遠だって、ぜんぶ溢れるくらい一杯にして君にあげるから。だから君の未来を僕にちょうだい。

格好つけすぎだって?まぁ、僕の可愛い生徒と好きな子の前なんでね、


『オルタナティブ・ラヴ / 022023』

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