テレフォンコールにご注意

「五条くん、やっぱりコレは貰えません!」

数日前に教室で投げつけられたブランド物の紙袋を五条くんの胸板へと勢いよく突き付けた。こうやって私なんかが軽く押したくらいではビクリともしないので、普段から体幹が鍛えられているのだろう。傑も五条くんも、本当に私と同い年なのかと疑いたくなるくらい大人っぽい。硝子ちゃんだってそうだ。三人とも大学生だと言われても、私だったら簡単に信じてしまうだろう。

それは、夜蛾先生から頼まれたプリントを持って男子寮にある五条くんの部屋を訪ねた時だった。頼まれたといえば少し語弊がある。その日、授業が終わって教室に最後まで残っていれば、夜蛾先生に五条くんの居場所を訊ねられた。ちょうどさっき、傑と一緒に教室を出ていったのを見たことを伝えると、「そうか、困ったな、」と夜蛾先生が頭を抱えた素振りをする。どうしたのか、と訊ねれば、どうやら五条くんへ渡すはずだったものがあったらしい。けれど、本人は既に高専の校舎を出てしまっていたようだった。「寮まで持っていくか、」と諦めにも似た声を溢した先生に、藁にもすがる思いで飛び付いた。それはもう物凄いスピードで。そうして、半ば無理矢理プリントを奪い取って五条くんの元へと届ける役を買ったのである。自ら面倒な役回りを買って出た私に、先生はたいそう不思議そうな顔をしていたが、忙しい夜蛾先生の手を煩わせる訳にはいかないと、それらしい理由を付けて誤魔化した。

私が幼馴染の傑を好きだということをクラスメイトである五条くんに知られてしまい、口封じの代わりに何故かファーストキスを奪われた挙げ句、“またキスさせろ”と諭吉数枚分の値段がするブランド物の財布を渡された。どう考えたって恐すぎる。呪術師はみんなこうなんだろうか。あまりに突拍子もなさすぎる。きっと後から何かを要求されるに違いないだろう。こういうものは何か起こる前に返却するに限る。クラスメイトなので毎日教室で顔を合わせる機会はいくらでもあった。だが、万が一に知り合いにでも見られた時は、根掘り葉掘りと質問攻めに合うだろう。そう考えた私は、どうしても五条くんと二人だけになるタイミングを今か今かと探していたのだった。こうして“先生から頼まれた届け物をする”という正当な理由が出来た私は、五条くんの部屋の扉を叩いたのである。

遠慮がちにノックをすると、ガチャリと音を立て内側から扉が開いた。五条くんは部屋の前に立つ私を視界に入れると、大きな目を更に見開いて分かりやすいくらいに驚いた顔をした。いつものサングラス越しではなく、五条くんの碧色の銀河のような瞳が惜しげもなく光の下に晒されている。先生の代わりに届けに来たことを簡単に伝えると、預かっていたプリントを渡す。任務の連絡も携帯のメールで済ませるこのご時世でも、重要な書類というものはあるらしい。五条くんはソレを受け取って小さく礼を言うと「じゃ、」と扉を閉めようとした。今にも閉まりそうな扉のわずかな隙間に手を滑り込ませ、完全に閉ざされてしまいそうになるのを慌てて阻止する。

「ま、まって!」

必死だった。今、この瞬間を逃せば、次はいつになるか分からないと思うと、それは必死にもなる。

「込み入ったお話がありまして、」
「なに?」
「こ、ここでは話しづらいというか、廊下、誰か通るかもしれないし、」

五条くんの肩越しに見える部屋の中へわざとらしく目配せをする。誰にも聞かれたくないので部屋へ入れてくれ、という意味だと理解したらしい五条くんは「ハァーーーー」と、これでもかというくらい長い溜息を吐いた後、「オマエ、ホントに分かってんの?」と呆れたような目で私の顔を見る。そんなに私を自分の部屋の中へ入れるのが嫌らしい。こっちだって本当は用事を済ませてさっさと女子寮へ戻りたいのに。

黙り込んだままで一向に意思を曲げない私に、ついに痺れを切らしたのか、「入れよ」と大きな身体を横へとずらす。私が扉を潜り抜けるスペースを開けて、部屋へと招き入れてくれたようだった。

男の子の部屋へ入るのは初めてというわけではない。傑とは家同士で仲が良かったので、小さい頃からお互いの部屋を行き来しながら遊んでいた。その名残りで今も傑の部屋を訪れることがたまにある。男子寮へも何度か足を運んだことがあった。部屋には持ち主の性格が表れるとでもいうのだろうか。幼馴染の部屋はいつも綺麗に整頓されていて、あまり生活感が感じられない。だからゲームも、積み上げられた漫画も、脱ぎ捨てられた服も、適度に散らばっているこの部屋の光景が、どこか新鮮だった。すぐ隣に部屋の主が居ることも忘れてぐるりとあたりを見渡してしまう。汚いというわけではないけれど、程よく生活感のある部屋に、たぶんこれが一般的な男の子の部屋なんだなぁ、ということを素直に感じさせた。

「あんまりジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」
「ご、ごめんなさい、」

「適当に座れば?」と促されたところで、五条くんの部屋を訪ねることになった本来の目的を思い出し、後ろ手に隠していた紙袋の持ち手をギュッと握り締めた。

「五条くん、やっぱりコレは貰えません!」

そうして私は冒頭のように五条くんへと告げたのだった。紙袋を押し付ける、というより、もはや捻じ込んでいる私に「はぁ?」と五条くんの瞳が再び大きく見開いた。

「オマエ、欲しいんじゃなかったのかよ?」
「こんな高価なモノ、貰えないよ…」

頑なに受け取ろうとはしない五条くんは、長い脚を器用に折り曲げてその場へと屈むと、右手で後頭部をガシガシと掻きむしる仕草をする。「あ゛ぁー、くっそ〜」と言った後で、続けて五条くんが小さな声で何かを言っていたような気がするが、その言葉は上手く私の耳には届かなかった。

「別に使わねぇなら質屋にでも持っていけよ」

五条くんに受け取ってもらえずに、未だに私の手の中で行き場を失って彷徨うコレを、今度は質屋へ売りつけてお金へ換金しろ、ということだろうか?そんなこと出来るはずがないじゃないか。

「だったら、五条くんが使ったらいいじゃない、ですか、」
「そもそもソレ、女物だから男の俺が使うのはおかしいだろうが」
「か、彼女とかに」
「いねーよ」
「えっ、」

瞼を縁取るように生えている長くて真っ白な睫毛が持ち上がり、入れ替わるように現れた碧色の瞳と視線がぶつかる。頭ひとつ分くらい背の高い五条くんと話す時は常に見上げなければならないので、しゃがみこんで見上げられる側になった今、いつもと違う視線にドキリと心臓が跳ねた。

「だから、彼女なんていねーって言ってんの」

五条くん、彼女いないんだ。意外だった。もしかして、案外理想が高いのだろうか。自分の容姿が良すぎると、それに釣り合う女の子を探す方が五条くんにとっては難しいのかもしれない。私には永遠に訪れないような悩みだ。

「お前が貰ってくんねーと、困るの、俺が」

そう言って、先程まで重なっていた視線が、ふいっと横に逸らされる。

「ていうか、あれから何日経ってると思ってんだよ、今更だろ」
「だって、五条くんの連絡先、知らないし、」

五条くんは豆鉄砲でも食らったかのような顔をしてぱちりとみじかく瞬きをした後、「あー、そうだったわ、」と顔を伏せた。雪のように真っ白な髪の毛が顔を覆って上手く表情が見えない。両手で膝を支えながら立ち上がると、形勢逆転とでもいうのだろうか、五条くんの顔は見上げる位置に戻ってしまう。いつものように私は上から見下ろされる側になってしまった。

「携帯貸して」

私の手の中から携帯を取り上げると、勝手知ったる様子で器用に文字を打ち込んでいく五条くん。最後にボタンを押してパタンと折りたたむと、手のひらサイズに戻った携帯を私に向かって放り投げる。

「ちょ、」

綺麗な放物線を描いて宙に浮いたソレをなんとかキャッチする。途端に手の中で小さく振るえると、最近設定したばかりの好きなアーティストの曲のメロディーが流れ出し、着信を告げた。ディスプレイに映し出される見知らぬ番号に慌てて通話ボタンを押し、スピーカーを耳へと近づける。

「それ、俺の番号だから」

目の前の五条くんは自分の携帯に耳を当てながらそう言った。耳に当てたままの携帯から機械を通した五条くんの声が、少し遅れて同じように聞こえてくる。携帯の着信履歴には十一桁の見慣れない番号が表示されていた。

「電話したらワンコール以内に絶対出ろよ」
「待って、急すぎ、」
「出ないとコロス」
「は、はい、、」

有無を言わさないような大きな圧を掛けられて、またも私は言い返すことが出来なかった。いくらなんでもワンコールは無理がありすぎるんじゃないだろうか。あのジャイアンでも、もっとまともな事を言うだろう。

「てか、ナニ?その変なストラップ」

五条くんが指しているのは、私が携帯に付けている変な顔をした黒い猫のストラップだった。

「こ、これは傑に貰ったの、」

まだ高専に入学する前、傑に貰ったものだ。それ以来、携帯に付けて大事に持ち歩いている。お世辞にも可愛いとは言えないその顔も、ずっと見ていると不思議と愛着が湧いてくるものだ。

「フーン」

正直に答えたにも関わらず、何だか納得のいかないような表情の五条くん。またもや墓穴を掘ってしまったのだろうか、と小さく身構える。

「なぁ、」

そう言って五条くんが私の方へと近付いてきた。私もゆっくりと後ろの方へと後ずさる。けれども、タイツを履いている膝裏あたりに何かがぶつかる。ちょうど真後ろには五条くんのベッドが存在しており、逃げ場が無くなってしまったことがすぐにわかってしまった。五条くんは私の肩に両手を乗せるとベッドへと私を座らせるように両手に力を込めた。ギシリと音を立て、自分の身体の一部がベッドに沈んでシーツに皺を作る。

「キスしていい?」
「そうやって聞くのずるい、」
「別に、イヤって言ったら傑にお前が好きなことバラすし」

五条くんは悪戯っぽく笑うと、ポケットに両手を突っ込んだまま、屈むように背中を曲げて私の唇に顔を近づけた。二回目のキスも触れるだけだった。一回目と違ったのは私の心臓がバクバクと大きな音を立てていたことだ。もしかしたら五条くんにも聞こえていたかもしれない。


▲▼▲



「五条と何かあった?」

硝子ちゃんにそう言われて、飲んでいたココアを吹き出しそうになった。特にする事もなくて寮の談話室でソファに座りながら内容も知らないドラマをボーッと眺めていた。隣に座る硝子ちゃんと相手役の俳優の顔が好みだとか、展開がベタ過ぎるだとか、そんな他愛もないことを先程まで言い合っていたはずだったのに。

「な、なんで?」
「最近ふたり仲良さそうじゃん」

「そうかなぁ?!」なんて、適当に誤魔化しては動揺を悟られないよう、視線は目の前のテレビへ向けたままにする。テレビからは主人公のヒロインが『好きだからにきまってるでしょ!?』と叫びながら相手役の俳優に濃厚な口付けをかましていた。慌ててローテーブルに置いてあったリモコンを掴むと、目にも止まらぬ速さでチャンネルボタンを押した。切り替わった画面ではバラエティ番組が流れ、テレビの中の笑い声が響き渡る。

「………」

明らかに動揺してしまった私を見て、へぇ〜、と何やら楽しそうな顔をする硝子ちゃん。これは絶対に何があったのだと追及されるやつだ。額にうっすらと冷や汗が浮かんできたかもしれない。そんな私を救うかのように、タイミング良くガチャリと音を立てながら扉が開き、誰かが談話室へと入ってきた。「お、噂をすれば」と硝子ちゃんが呟いたように、その噂の張本人である五条くんと傑の同級生ふたりが帰宅したようだった。ひとまずこの状況から逃れることが出来た、と安堵して胸を撫で下ろす。とりあえず助かった!

「おかえり〜クズ共〜〜」

傑も五条くんも制服のままなので、授業が終わってそのまま何処かに出掛けていたのだろう。五条くんの右手には駅前のゲームセンターの名前が入ったビニール袋が下げられている。その袋からはよく知るお菓子のパッケージが顔を出していた。

「ゲーセン行ってきた」
「悟がどうしても太鼓の達人がしたいって聞かなくてね」
「部屋のプレステでやってたら夜蛾センセイにうるせぇって殴られたんだから仕方ねぇだろうがよ」
「コントローラーでやればいいじゃんか」
「んなもん、太鼓の達人の意味ねぇじゃん」

「わかってねぇな〜」なんて言いながら五条くんは私の目の前のソファへ腰を下ろした。傑も五条くんに倣うかのように、その隣へと腰を下ろす。

「悟が初っ端から曲の難易度を上げるものだから疲れたよ」
「はぁ?“紅”はオニに決まってんだろ」
「一曲目でノルマクリアしないと二曲目出来ないだろう」
「次はぜってぇフルコンボ決めてやる」
「悟はリズム感が無いんだ、次は“かんたん”から始めるのをオススメするよ」
「んだよ、マリカーなら負けねぇぞ」

こうやって言い合いながらも、なんだかんだでふたりは仲が良いのだ。喧嘩したかと思うと次の瞬間にはふたりで並んで歩いていたりする。男の子って不思議だなぁ、とぼんやりしていると、「名前」、と五条くんに名前を呼ばれた。顔を向けると、「ん」と大きな右手を私の方へと広げている。え、何だろう、お手?そう思って、五条くんが差し出した手に自分の右手をおそるおそる乗せた。

「ちっげーよ」

あ、違った。お手じゃなかったらしい。じゃあ何を要求されてるのか、やっぱりお金か?

「携帯、貸して」

言われるがままに制服のスカートのポケットから携帯を取り出して、目の前に差し出されたままの手のひらに乗せた。五条くんはそれを無言で受け取ると、本体の隅っこの方にある小さく空いたストラップの穴に器用に何かを通していく。そうして、私の手の中に戻ってきた携帯には、傑に貰った黒い猫のストラップと色違いの白い猫のストラップが新しく付けられていた。

「たまたま取れたから、やる」

携帯を顔の前に持ち上げて、傑に貰ったストラップと今さっき五条くんに貰ったストラップが並んでいるのを眺めた。ゆらゆらと揺れている変な顔した白い猫のストラップと目の前の五条くんを見比べる。なんだかちょっと五条くんに似てるなぁ、と本人に見つからないように隠れて小さく笑った。

「コレ取れるまで寮に帰らないって言ってたのは誰だったか」
「あ゛?うるせーーー」


『テレフォンコールにご注意 / 200301』

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