アレフ・ゼロを数えて

“五条悟の補助監督、誰にお願いしよう”、斜め前のデスクに座る補助監督の先輩が大きな溜息と共にひとりごとを吐いた。

「ハイッ!」

私は椅子から立ち上がり、ぴんと勢いよく手を挙げた。同じ部屋でパソコンに向かって事務作業をしていた別の補助監督たちのキーボードを叩く手が止まり、その視線は私へと注がれる。

「是非!私に任せてください!」

京都府立呪術高等専門学校、略して高専。日本に二つある呪術師教育の専門機関であり、教育だけでなく呪術師への任務の斡旋やサポートまで行う呪術界の要である。姉妹校である東京校では主に東日本を、そして、ここ京都校では主に西日本を管轄している。

この度、特級呪術師の五条悟が京都に派遣されることとなった。通常、呪霊討伐の任務は呪霊と同等階級の術師が任務に当たる仕組みになっている。しかし、今回は特級案件であり、本来であれば西日本を拠点に活躍している呪術師に任務が下るのであるが、タイミング悪く特級相当の同等階級の術師は別の任務で京都を離れていた。そのため、東京校に所属している、あの五条悟に白羽の矢が立ったのだという。

『名前さん!名前さん!コレ!生五条悟!ツーショット取っちゃいました!!』

姉妹校である東京校へ、楽巌寺学長の付き添いとして同行した二年の三輪ちゃんのスマホ画面には、彼女とカメラに向かってポーズを決める五条悟が収まっていた。

『わー!いいなぁ〜!三輪ちゃん!』

五条悟、現代の呪術界イチ最強の特級呪術師。呪術界で五条悟の名前を知らない者はまず居ない。京都校に所属している学生の、加茂くんと真依ちゃんのお家である、加茂家と禪院家に名前を並べる呪術師御三家のうちのひとつ、五条家の嫡男でもある。みんなが口を揃えて言う。その強さは“規格外”である、と。そんな有名人に会えるなんて、しかも補助監督として任務に付き添えるなんて、こんなチャンス二度とないだろう。

補助監督の先輩からは「名前ちゃん、本当かい?助かるよ…!」と何故か両手を握り締められながらお礼を言われた。周り席の同僚からも大きな拍手が起こる。え?なんで?むしろこちらがお礼を言いたいくらいである。私も三輪ちゃんみたいに一緒にツーショット撮ってもらおう、なんてニヤけそうになる頬っぺたを押さえながら、憧れの五条悟との対面に向けて、胸を躍らせた。


▲▼▲



正午十二時にJR京都駅の八条口。事前に指定された待ち合わせ場所に黒塗りのセダンを着け、五条悟の到着を待つ。左腕の腕時計を見れば、待ち人を乗せた新幹線はつい数十分前に京都駅へ到着しているようだった。家を出る前にいつもより入念に鏡でチェックしたが、変なところはないだろうかと再び身なりを整える。そうしてしばらくすると、全身黒ずくめの長身男性が改札口から姿を現した。ご、五条悟!あの五条悟がついにここ、京都の地に存在しているのだ。脚長ッ!顔ちっさ!憧れの人物の登場に、思わず我を忘れ魅入ってしまったが、カツカツと踵を鳴らしながらこちらへ向かってくるではないか。大きな歩幅は目の前でぴたりと止まり、その人は私を覗き込むように見下ろした。身に纏っている服とおんなじ色の真っ黒な目隠しで表情こそは伺えないものの、その口元は緩やかな弧を描いている。

「はい、コレお土産〜!」

手のひらに収まるくらいの大きさの四角い箱を手渡される。見れば、ご丁寧に綺麗なピンク色のリボンまでかけられていた。

「え、いいんですか…?」
「モチのロン!今日一日お世話になる補助監督だからねぇ〜!可愛い女の子で僕ビックリしちゃった〜!」

そう言って大きな手をヒラヒラさせながら柔らかに微笑む五条悟。ええええっ、なんて優しい人なんだろうか。私たち補助監督にまで手を差し伸べてくれる呪術師なんて数えるほどしかいないのが補助監督と呪術師の現状なのである。さすが五条悟〜〜!最強と呼ばれる所以をひとり噛み締めていると、「ねぇ、開けてみてよ」と急かされてしまった。「あっ、ハイ!」と頷いて、手早くリボンを解き蓋を開ける。

「うわっ、!??!?」

突然箱の中から何かが飛び出して、咄嗟に大きな声をあげてしまった。反射的に閉じてしまった瞼をおそるおそる持ち上げてよく見れば、舌を出して奇抜な色で顔をペイントしたピエロのような人形が箱から飛び出しているではないか。まさに絵に描いたような“びっくり箱”であり、こんな古典的なものをわざわざ見つけてくる方が骨が折れそうだ。

「あはははは!ホントに引っかかっちゃた!キミ面白〜い!!」

箱から飛び出した紙吹雪が未だに頭の上でひらひらと舞っている。コレを手渡してきた張本人は、尚も両手でお腹を抱えてケタケタと笑い続けていた。道行く通行人たちが「うわ〜〜可哀想…」と、ちらりと私に視線を向けながらヒソヒソ声で通り過ぎて行く。オイ、聞こえてんぞ?

「歌姫から聞いてたけど、騙されやすいんだってね、名前チャン?」
「なっ、」
「京都に面白い補助監督のオンナノコが居るって聞いて、一回会ってみたかったんだよね〜」

「あ、まだ付いてるー」と私の髪の毛に付いた残りの紙吹雪を指で摘んで器用に取り除いていく五条さん。京都校の先生をしている歌姫さんとはよく飲みに連れていってもらう仲である。歌姫さん、五条さんに何か私のこと話したのだろうか。嫌な予感しかしない。

「ねぇ、彼氏に二股されてたんだって?」
「〜〜!?!?」

なんで知ってるの!?この人!そう、私はついこの間までいた彼氏に、なんと二股されていたのだ。しかも「キミとの浮気がバレたから別れてほしい」なんて言われて、私が浮気サイドであったことが判明した時は三日寝込んだ。どうしても愚痴を誰かに聞いてほしくて、歌姫さんに言った気は、する。何故か五条さんにまで私のプライベートが筒抜けになっている事実に顔面蒼白だ。そして、脳内から消し去りたい記憶をわざわざ掘り起こしてくる目の前の成人男性に、先程まで自分が在らぬ幻想を抱いていたことを思い出し、途端に恥ずかしくなる。前言撤回!呪術師なんて変な人しかいないんだった!補助監督として連日のように術師と関わっているものだから、きっと感覚が麻痺してしまったのだ。とっとと早く終わらせて帰ろう。

「さっさと呪霊祓いにいきましょう」
「え〜!せっかく京都に来たんだから観光しないとダメじゃない」

いきなり京都観光をすると言い出した五条さん。この人ほんとうに何しに来たんだ。

「ホラホラ〜!せっかく“五条悟スイーツMAP in 京都”作ったんだからさぁ〜!」

そう言って五条さんは自作の冊子のようなものを取り出した。見ると表紙にはご丁寧に手書きの文字でタイトルのようなものが書かれている。

「京都といえばやっぱり都路里のパフェだよねぇ〜!」

それから言われるがままに腕を引かれ、私は何故か都路里本店の喫茶室でメニューを広げる五条悟と向かい合って座っている。

「あー、でも期間限定と迷うなぁ〜、ねぇ、どっちがいいと思う〜?」

そう言って五条さんは特選都路里パフェと期間限定モノの同じようなパフェの写真を見比べ、どちらにするべきか決めかねている。どっちでもいいと思う。だから早く決めてくれ。五条さんは「えー、どうしよ〜、二つも食べれないしなぁ〜」と未だに迷っていた。そのデカイ図体なんだから絶対食べれるでしょうが!女子高生のようなテンションに、こちらが気力を吸い取られそうになる。

「じゃあ、私が期間限定頼むので、」
「ええ〜!?いいの?」
「はい、だから早く任務に!」

そうして五条さんはテーブルに並べられた特選都路里パフェをペロリと平らげた後、私の目の前にあるパフェを“食べたい”と口には出さないものの、物欲しそうな目で見つめてきたので甘いものが得意ではない私は素直に五条さんへと献上した。結局、私が頼んだパフェは八割は五条さんの胃の中へと収まってしまった。さっき二つも食べられないなんて言ったのは誰だったのか、と大きく溜息を吐いた。

「あ!待って待って〜」

さぁ、いざ任務地へ!とお店を出て四条通りを歩いていると、前方に何かを見つけ歩き出す五条さん。いつまで経っても呪霊、祓いにいけないんですが。しばらくして戻ってくると、生八つ橋で有名なピンク色の紙袋が手にぶら下がっている。東京校の生徒たちにお土産を買ってあげるなんて、こんなのでも良い先生じゃないか、と感動する。

「東京校の生徒さんたちにお土産を買ってあげるなんて、優しい先生ですね」
「えー違うよー、帰りの新幹線で食べる僕用のお土産だよ」

まさかの自分用!?微塵でもこの人へ希望を持った私が馬鹿だった。その後も金箔ソフトクリームやら、みたらし団子やら、五条さんに腕を引っ張られながらあれよこれよと引き摺られまくったが、ようやく任務地に辿り着いた。「ねぇー、まだあそこのお店行ってないんだけど」なんて口を尖らせて言う五条さん。かわいこぶっても駄目に決まってる。先程までのやり取りでロクでもない人だということを知ってしまったので、もう可愛くない。諦めてほしい。

やっとの思いで辿り着いた呪霊の発生場所は、お参りすると悪縁を断ち切って良縁を結んでくれると京都でも有名の縁切り神社である。神社に訪れる人の呪いが溢れ出し、特級相当になり得る呪霊へとなったのだろう。ここ京都には古くからの神社仏閣が多い為、呪いが溜まりやすく、定期的に大きな呪いが発生することがしばしばあるのだ。

「あー、此処ね、こんなに人間の呪いで溢れてたら、そりゃ特級呪霊も発生するだろうね」

車から降りた五条さんは神社の鳥居を見上げると、禍々しい大きな呪力を感じ取ったのだろうか、顎に手を添えて納得したようにそう言った。

「こうやっている間にも被害が拡大するかもしれません、」
「ハイハイ、そんなの僕が二秒で祓ってあげる」

五条さんは語尾にハートマークでも付きそうな声色で答えると、後ろ手をヒラヒラさせながら鳥居を潜って境内の方へと消えていった。

『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』

印を結んで帳を下ろす。そうして帳の外で五条さんを待っていると鳥居の近くにある物陰からガサガサと音がした。不思議に思って覗き込んでみれば、小学生ぐらいの男の子が二人、酷く怯えたような表情をしながらこちらを見ていた。

私は怯えさせてしまわないようにゆっくり近付くと、膝を折り曲げてその男の子たちと目線を合わせた。

「ボク達どうしたの?ここは危ないから違う場所で遊んだほうがいいと思うよ」
「違うの、タクヤくんが中に入っちゃったの」
「タクヤくん?」
「友達、この神社、イヤなものがいるような気がして、こわくて、そしたらタクヤくんが、お前らいくじなしだ、って、それで一人で中に入っていっちゃった、」

その子達が指差すのは帳の中にある神社の境内の方向だった。きっと五条さんが祓いに行った目的の特級呪霊が中にいるはずだ。一般人の、それもまだ小さな子供が呪霊に出会ってしまったら、最悪の場合死んでしまうかもしれない。どうしよう。少しの間、判断を迷ってしまったが、自分が次にどうするべきなのかは、もう決まっていた。

「君たち、ここから絶対に動かないでね、お姉さんがタクヤくんを連れて帰ってくるから!」

ポンっとその子たちの頭に手を置くと、私は自分で下ろした帳の中へと足を進めた。運良く呪霊と出会わずに男の子が生きていたとしても、このままでは中に迷い込んでしまった子供ごと、五条さんが呪霊を祓ってしまうかもしれない。巻き込まれてしまう前に帳の外へ連れださないと。

しばらく進んでいくと、大きな御神木のような木の陰に身体を小さく丸めている子供を見つける。良かった、間に合ったみたいだ。タクヤくんと思われる男の子は膝を抱えながら、ガタガタと身体を震わせていた。助けに来たことを伝えると、タクヤくんの方へと歩み寄る。

「もう大丈夫だよ、さ、帰ろっか」

いつまでも身体の震えが止まらないタクヤくんに、どうしたのかと訊ねた。

「オ、オバケが…!」

タクヤくんは私の背後を指差してそう叫んだ。慌てて後ろを振り向くとニタリと何かが笑った。呪霊だ。しまった。咄嗟に目の前にある小さな身体を護るように胸の中に抱き抱えると、間もなく身体に襲いかかるであろう衝撃にギュッと目を瞑った。


▲▼▲



「あ、起きた?」

瞼を開くと視界に青い宝石のような輝きが広がっていた。余りの美しさに自分が死んでしまったのかと思ったが、白くてふさふさの睫毛が青の輝きを縁取っており、それが人間の瞳であることを知る。そうして私はもう一度、確かめるようにぱちりと瞬きをした。

「ど、どちら様ですか?!」
「ヤダなぁ、名前ちゃん、グッドルッキングガイ五条悟だよ〜」

「忘れちゃった?」なんて言う目の前の人間は、今まで見た人類の中でいちばん美しく整った顔をしていた。目隠しをしていないので全然分からなかったけれど、その人は自分のことを五条悟である、と言う。確かに口調も声も先程までの五条さんと一致しており、目隠しを外したらこんなに綺麗な顔をしていたなんて聞いていない。

頭の下に何やら柔らかな感覚がして、自分が五条さんの膝の上に頭を乗せていたということに気づく。

「す、すみません…!」
「まあまあ、暫く気を失ってたんだからさ、そのままでいなよ」

慌てて上半身を起こそうとしたが、肩を押し返されて起き上がることは叶わなかった。そうして私の頭は、再び五条さんの膝の上に沈められる。助けられた挙句、気を失って勝手にぶっ倒れて、こうして今もお世話になっているのだ。ものすごく、恥ずかしい。

「あ、帳の中に入っちゃった子は無事だったよ」という五条さんの言葉を聞いて、胸をホッと撫で下ろした。よかった。あそこで五条さんが助けてくれなかったら、私を殺したあと、あの子供も呪霊に殺されていただろう。

「名前ちゃん、キミ、東京においでよ」

五条さんは大きな手で私の髪を撫で付けると、突然そう言った。

「な、どうして、ですか、?」
「簡単なことさ、」

青い宝石のような輝きに捕まえられる。

「僕が名前ちゃんのことを気に入っちゃったからさ」

「名前ちゃんはさ、呪術師目指してたっぽいから呪霊には慣れているのかもしれない、だけどキミは補助監督なんだ。そうやって、自分の力も把握せずに何でもかんでも飛び込んでいったら、キミ、いつか死ぬよ」

そうだ、私は本当は呪術師になりたかったのだ。京都校の学生たちと同じように、私も呪術師を目指して高専に通っていた。でも、自分が弱いばかりに満足に呪霊を祓うことも出来ず、呪術師の道を諦めて、こうして補助監督として術師をサポートする側に回ることを決めた。だけど、補助監督として見送る側になった時にいつも思うのだ。私に、もし人を守れるくらいの呪力や術式があれば、と。

「私、呪術師になりたかったんです、」
「ふーん、」
「だけど、弱くて、」
「うん、名前ちゃんから全然呪力感じないもんね、」
「だから、五条さんが、羨ましい。私も強く生まれたら、五条さんみたいに、たくさん人を助けてあげられたのに、」

いつのまにか涙がじわりと目尻に浮かんできた。五条さんはそれを見ると、可笑しそうに、はははっと笑った。

「僕が近くで守ってあげる」

「それで、名前ちゃんが救えなかった分も、まぁ、仕方ないから僕が救ってやるよ」

五条さんの親指が瞼の端から溢れ落ちていった涙を掬うようにやさしく撫でる。

「だから、キミは僕に救われる準備だけしておけばいい」
「な、そんな、無茶苦茶じゃないですか、」

今日一日、突拍子もないことを散々言われてきたが、五条さんが今言ったことは、今日イチぶっ飛んでいる発言だった。だけど、いつの間にか流れていた涙は止まっていた。

「大丈夫、僕を誰だと思ってんの」

そう言って五条さんはニイッと楽しそうに笑った。後日、私の東京校への異動が宣告されたのは言うまでもない。


『アレフ・ゼロを数えて / 200312』

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