「ちなみに今日で最後だから」


 それはあまりにも唐突だった。
 思い返せば始まりも事故みたいなものだったが、臨也といえば人ひとりとの関係を清算しようというのに、まるで居酒屋の会計を頼むような口調で。


「えっ。何かリアクションないの?」

「……」

「嫌だとか、わかったとかさ。イエスノーもなし? つっまんないなぁ」


 まあ、シズちゃんは普通じゃないけどねぇ。そう言って名残惜しさの微塵もない手つきで服を身につけていく臨也は、自分だけすっきりした顔をしている。俺とは対称的に。いつも通りの古くさいラブホテルで、そういう行為のあとには不似合いな話をしているにも関わらず。


「怒るとか悲しむとか、理由を訊くとか…ああ、言い出しづらいことを切り出してくれてありがとうっていうパターンもあるか。そういうのってほら、隠せないものだろ?」

「…知るか」

「思ってもみないことを言われたら、普通もう少し驚くもんなんだけどなぁ。さすがだよ、シズちゃん。ね、もしかしてわかってたとか? …そんなわけないよねぇ」


 ベッドに背を預けているせいで追い詰められた俺の顔を覗き込み、にっこりと笑いながらつらつらと喋り立てる臨也は形容するならとても、楽しそうだった。
 だからこそこいつの思惑通りに振る舞うのが悔しくて、ふつふつと沸き上がってくるものを腹の奥底に押し込める。怒る、問いつめる、あり得ないが悲しむという選択肢も片っ端から封印してサイドテーブルにある箱を手に取ると、白くて細い指が音もなく重なった。


「……、んだよ」

「そういや…ニコチンに逃げるって手もあるね?」

「…てめぇ、わけわかんねぇことばっか言ってんじゃねぇ。退けろ」

「い、や」


 俺の指に自分のそれを交互に絡めてから、臨也は一度だけ力を込めた。ぎゅっと。あまりにも自然に一方的に終わりを告げた口唇が近づいてきて、そっと触れて離れるまでの間、俺は目を閉じることも忘れていた。
 閉じれば良かったと思っても後の祭りだ。はじめての優しいキスのあと、情まで凍らせるような冷たい目で俺を眺めた奴は、見慣れた皮肉なかたちに口唇を歪める。


「ねぇ…もしかして好きってアレ、信じてたの?」

「……」

「そんなわけ…ないよねぇ?」


 それこそまさか、だろ。冗談じゃねぇというかわりに鼻で笑って、俺は遮るもののなくなった箱に指を伸ばした。
 軽やかに鳴った100円ライター、ジリッと紙が燃える音。煙を吸い込んで吐き出す自分の呼吸もやけにうるさい。
 部屋を出るために立ち上がった奴が安っぽいベッドを軋ませたときも、ギシッという音が頭の奥まで響いた気がした。

 何より一番うるさいのは、自分の心臓の音。全力疾走でもしたみたいにドクドクと血を吐き出すもの。実際はどこからも血なんて流れていないのに、指先しか動かせないほどの倦怠感に襲われながら、無機質な音を意識の隅で聞く。
 扉が閉められたんだと、臨也がいなくなったんだと気づいたのは──溜め込んでいた煙を全部、吐き出したあとだった。




『好きだよ、俺。シズちゃんとするの』

『…そうかよ』

『うん。大好き。気持ちいいし』

『…臨也、』

『なに、…っん…もう一回?』


 しょうがないなぁ、と頭を撫でていった手のぬくもりを思い出して、咄嗟にかぶりを振る。指先の感触が鮮明に残っているからこその、とてつもない喪失感に目が眩んだ。解放されたと安堵しない自分にも。
 当たり前だった日常はたった数分間で、遠い遠い過去の話。


『好きだよ、シズちゃん』

『うぜぇ…』

『なーに? 照れてんの?』

『ばっ、…んなわけねーだろ』

『…あっはははは!』


 服を脱いでキスしたり喋ったり、セックスしたり。そんなもんが付け加えられたからって、何かが変わった気にでもなっていたんだろうか。臨也と俺が。世界一反りの合わないあいつとの関係が。
 あり得ねぇだろ、そんなこと。
 これも長い長い時間をかけた嫌がらせだろうと自分に言い聞かせて、半分ほど燃え尽きた煙草に口をつける。
 俺の腹にナイフを突き立てるだけじゃ気が済まないってことだ。それこそこんなふうに、中身を抉るような手の込んだ真似をしてみせるほどに。


 深く煙を吸い込めば、頭の奥がとろりと蕩けていく。喉奥が焼けそうなほど熱いのも、きっと短くなりすぎた煙草のせい。
 毒のように身体を巡るニコチンがこの痛みを紛らわせてくれるから、俺はあいつを追わずにいられた。
 臨也の言葉に傷ついたなんて──認めてたまるか、絶対に。





愛してほしかった
(嘘でも、一瞬でも、お前には)