カーテンコールはまだ聞こえない

by vegetable・bacon



 バスルームの扉を開けると、薄暗い廊下からひんやりとした空気が流れ込んでくる。
 だが、熱いシャワーで火照っていたターレスの肌にはちょうどいい刺激だ。
 扉を後ろ手に閉め、何気なく窓に目を向けると、黒いビロードにぶちまけられた宝石の欠片のようにたくさんの星が瞬いている。惑星ベジータの夜空がこれほど澄んで見えることは滅多にない。それは、おおよそロマンチシズムとは縁遠い、生粋のサイヤ人、ターレスの足さえ止めさせるに足るほど、見事なものだった。

「……門出の祝か?」
 誰もいない廊下でひとりごち、フッと唇を引き上げる。
 小さく漏れた吐息が白く変わるほど空気は冷えていたが、あまり寒いと感じないのは秘めた決意がそれ以外の感覚を鈍らせているからだろう。
 ターレスは少しの間、夜空を眺めていたが、視界の隅で捕らえた一筋の流れ星の行方を追うことなく、手にしていたアンダースーツを半裸の身体に着けて真っ直ぐ寝室に向かって歩き出した。

 薄いグレーの扉の脇にあるパネルに手をかざすと、ほとんど音を立てることなく扉がレールの上をスライドし、壁に吸い込まれる。
 反対側の壁にくっついたベッド以外には、サイドボードと小さなテーブルだけが置かれた簡素な部屋は、ターレスの寝室だ。フットライトしか点いていない部屋に入り、壁のスイッチを押すと、淡いオレンジ色の間接照明が柔らかい光を投げかける。
 存外ソフトなインテリアセンスは、ターレス一人で暮らしている時にはなかったものだ。

 もう寝たのか。

 ターレスは決して入浴時間が長い方ではない。それでも待ちきれなかったということは、昼間のトレーニングがよほど堪えたのだろう。日毎力をつけ、成長してきてはいても、ターレスより10も年下のカカロットの体力は成人したサイヤ人のそれには程遠い。
 扉をロックしてから、真っ直ぐベッドに近づき、視線を落とす。
 淡いブルーのブランケットを頭まで被ったカカロットは、気配を感じたのか、もぞもぞと身じろぎした。
「カカロット」
 低い声で名前を呼ぶと、カカロットは頭を動かして小動物のような動きでブランケットから顔を出した。だが、一連の動作はそれで終わり、瞼を微かに震わせたもののまだ目を覚ます気配はない。ターレスは一寸、そのまま踵を返しかけたが、思い直して身体を屈めた。

「んぅ……」
 乱れた黒髪を額からかき上げ、唇を落とす。
「起きろ」
 小さく声を漏らしたカカロットの耳元で静かに囁けば、重い瞼がようやく持ちあがった。
「ター、レス……?」
 数回瞬きし、こちらに目を向けているカカロットは、疑う余地なくまだ寝ぼけている。だが、ターレスにはカカロットが完全に目を覚ますまで待つ時間は残されていなかった。
「あたりまえだろう。ここはオレの家だぞ」
「あ、うん」
 瞼を擦りながら起き上がったカカロットと斜めに背中を合わせてベッドに腰を下ろす。
「今夜、星を出る」
「へ? 遠征?」
「いや。この星を捨てる」
 単刀直入に……というのは、本来なら相手の理解を得るためのショートカットになるべきものだが、一切事情を知らされていなければ文字通り寝耳に水だろう。
 ポカンと口を開け、ターレスを見ているカカロットの黒い目にはまだ何の感情も浮かんでいない。夢の続きだろうかと、目の前のターレスの姿さえ危ぶんでいるように見えた。
「何言ってんだ、ターレス?」
「言葉どおりさ。前に言っただろう。オレはこの星を出て、ベジータ王も、フリーザも……誰も手の届かない力を得て、宇宙を支配する」
「ターレス!?」
 ようやくことの重大さが分かったのか、カカロットは慌ててベッドに座り直し、ターレスの方へグッと身を乗り出した。
「じゃ、ほんとに出て行くんか??」
「ああ。おまえに挨拶する義理もないのかもしれないが……黙って出て行ったら、何をしでかすか分からないからな」
「あたりめぇだ!」
 珍しく怒りを露わにしたカカロットの怒声が狭い部屋の空気を震わせる。間接照明が浮かび上がらせたカカロットのシルエットは、怒りで尻尾が倍に膨れ上がっていた。

「大声を出すな」
 大げさに肩をすくめて立ち上がったターレスが、ベッドの足元に放り出してあった戦闘ジャケットに手を伸ばそうとすると、カカロットは勢いよく飛びついてそれをかすめ取った。
「何だ?」
「――行かせねぇからな」
「はぁ?」
 戦闘ジャケットを抱え込んで目を怒らせているカカロットを見下ろし、わざとバカにしたような声で問い質す。ターレスは腕組みしてカカロットを見下ろすと、唇を三日月形に引き上げた。
「なら、おまえも来るか?」
「は?」
 眉間の皺を深くしたカカロットの顎を片手ですくい、ターレスはからかうように鼻先を舌で舐めた。
「オレはおまえなら大歓迎だぞ、カカロット」
「な、なんで……っ、ならっ、どうしてっ、もっと早く言ってくれなかったんだ!? 心の準備もっ、ううん、それだけじゃねぇ。色んな準備だってあるだろ!」
 抱きかかえていたジャケットを脇に放り出し、カカロットは我慢できないとばかりにターレスの首に両腕を回し、激しく抱きついてきた。
「そういうしがらみを今すぐ捨てられる覚悟がなければ、今からオレがしようとしていることに付き合うのは無理だからだ」
「ターレス……」
 言いたいことが言葉にならなかったのか、カカロットはポツリとターレスの名を呟き、唇を引き結んだ。
「どうする?」
 ターレスはカカロットの隣に転がっている戦闘ジャケットを拾って、無表情に問いかけた。
「――ついて行くって答えると思ってんだろ?」
「……昨日までのオレならな」
 溜め息とも笑いともとれる息をフッと吐き、一度目を閉じてから静かに答える。ターレス自身、カカロットにどういう反応を期待しているのかは分かっていなかった。ただ、自分が出せなかった決断を相手に委ねただけに過ぎない。
 言葉を切って見つめ直したカカロットの顔は、これまでで一番自分に似て見えた。
「オレは……っ、行かねぇ。いや、行けねぇ」
 肩を一度大きく上下させて息を吐き、カカロットが何かを振り切るようにキッパリと答える。言い切るまでに数秒もかからないその答えには、言葉を超えた決意が見えた。
「理由は聞いてもいいのか?」
 手にしていた戦闘ジャケットを身に着け、真っ直ぐこちらを見ているカカロットの頬に手をあてて尋ねる。カカロットはさっきターレスがしたと同じように一度ゆっくり目を閉じてから口を開いた。
「今、ターレスについて行っても、オレはおめぇに守られるだけだ。オレは……」
「別に構わないぞ?」
 からかうように話しを遮ると、カカロットは頬にあてられたターレスの浅黒い手に自分の手を重ね、黙って聞けよと口を尖らせた。
「おめぇが真面目な話しから逃げたくなる性分のは分かってっけど」
「言ってくれるな」
 いつの間にこんなやり取りが出来るほど大人になっていたのか。
 常に傍にいると見過ごすことも多いのだろう。
 手の平と甲に伝わるカカロットの体温を感じていると、虚栄は捨てて、有無を言わせずさらいたい衝動に駆られる。一瞬、ピクリと指先が動いたことにカカロットは気づいただろうか。

「いつまでもやり込められてばっかりでいられっか。……でも、まだ、オレじゃ足手まといだ。それに、宇宙を支配するっちゅうんが本気なら、――少なくとも、一度は今まで持ってたもん全部捨てるくれぇの覚悟じゃねぇと無理だろ」
 カカロットの現実的な言葉は甘い誘惑に囚われかけたターレスを引き戻した。
「ああ。そうだな」
 淡々と相槌を打つターレスに頷いて見せ、カカロットは珍しく説得力のある言葉を続けた。
「だから、邪魔……しねぇ。でも、少なくとも今ここにいるおめぇと同等以上の戦闘力がついたら、たとえ世界の果てにいても探しに行って、その後はもう離れねぇよ、ターレス」
「野望を実現するための飴と鞭、か」
「へ?」
「……どれだけ長く独りになるとしても、おまえはオレにそれを乗り越えられるだけの希望も与えたからな」
「あのな! 言っとくけど、どっちも味わうのおめぇだけじゃねぇからな」

 残されるものも苦悩するのは同じこと。

 数年前ならこんな話をするだけで涙が浮かんでいたであろうカカロットの黒い瞳は、奥底まで痛みを沈みこませ、揺るがない強い意志を感じさせた。

「おまえの……」
「ターレ……」
 言葉を紡ぎながらカカロットに顔を近づけ、薄く唇を開く。
 キスの予告と気づいたカカロットがターレスの名前を口にし終える前に、頬にあてていた手で後頭部を支え、同性とは思えない柔らかな唇を自身の唇で塞ぎ、二度、三度とついばむ。唾液で湿った唇を優しく舌で押し広げ、口内で舌を絡め合わせれば、カカロットの喉の奥から押し殺した声が漏れ、熱い吐息が二人の鼻先で混ざりあった。
「おまえの心に少しでも痛みを残せるなら、――星を捨て去るのも容易い」
 歯列が触れる感触を味わい尽くすようにゆっくり舌を引き出し、跳ねた黒髪をクシャリと撫でる。カカロットはターレスの言葉に小さく頷いて、クタリとベッドに垂れ下がっていた尻尾を腰に巻きなおした。
「……再会すんのが、地獄じゃないといいな」
「ああ」
「ま、一緒にいられても、いつかはそこで会うんだろうけど」
「オレたちはサイヤ人だからな」
 ペチペチと音を立ててカカロットの頬を軽く叩き、ターレスは吹っ切れたように笑った。

「カカロット」
 それから、沈黙の中、身支度を終え、ベッドの横の窓を開けて満天の星空を見上げたターレスは、窓枠に足をかける前に表に目を向けたままカカロットを呼んだ。
「ん?」
「――おまえの気が変わっても恨みはしないから、今夜に縛られず好きに生きろよ」
「分かってる。ターレスこそ、気が変わって帰ってきても、バカにしたりしねぇから、そん時は……」
「そうだな。――オレが尻尾を巻いて帰るとしたら、この星じゃない。おまえのいるところだ」
 振り返ったのかも分からない程度に視線を動かしたターレスの口元には、確かに満足げな笑みが浮かんでいた。

 開け放った窓から冷たい夜風が吹き込み、ターレスのマントが第一幕の終わりを告げるように翻る。
 幼い頃からそれとは分からないようにカカロットを庇護してきた男は、別れの言葉を口にすることなく、真っ直ぐ夜空に飛び立った。

「……絶対追っかけっからな」

 堪えていたつもりもなかった涙が次々と頬を伝う。
 
 カカロットはベッドを降りて窓を閉めると、片腕でグイッと涙を拭い、最後に見たターレスの笑みを脳裏に焼きつけるように深呼吸した。

 

end

COMMENT
最後くらいもっとハッピーな話し書けって感じですかね(;´▽`A``最終日、み、皆様の話しが甘々やし、ええかなぁって(●´ω`●)ゞといっても、自分では別に悲恋のつもりはありません。これまではどちらかというと、タレが惑星ベジータを去る時には黙っていなくなるか、オレもいく! よーし、来い!みたいな話し(そうか?笑)ばかり書いてきたので、今回は出発前にきちっとタレカカに会話をさせたかったんですよねぇ。そうなると、カカさんは強引に連れ去られるのもいいけど、なんかこう未来を見据えて、ターレスに守られて後ろをついて行くんじゃなくて、隣に並んで引けを取らない男になってやる!みたいに思って欲しくなりました。いや、そう見えてたら嬉しいです(汗)

サイヤンたちの小説祭というオレ得企画に参加いただいた皆様、応援、ご訪問下さった皆様、本当にありがとうございました!二ヶ月という限られた期間でしたが、とても楽しくやらせていただけました。ありがとうございます♪これからもサイヤンたちが皆様に愛されますようにヽ(^◇^*)/



20140126 up!!





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