しっぽの話

by 三荷様



 基地内の多目的ルームにあるソファに背をもたれて――バーダックは、ただ座っていた。胸の前に腕を組み、無造作に両足を投げ出した体勢で、何をするでもなくただただ座っていた。
 暴れるか、飲み食いするか、眠るか。常に目的を持って行動する男が、こうしてじっとしている様は、大変にめずらしい光景だった。
 対面のテーブルの上には、スカウターや他のメカが工具と共に置いてある。クリーナーとコーティング剤までそろっている。
 機械など正常に動けばよし。見てくれはどうでもかまわない。常日頃のバーダックは、そう公言してはばからない人間だ。それがどうしたことか。きっちりとメンテナンスされたメカの数々は、どれもこれも完璧に磨き上げられている。
 これもまた、ちょっとした珍事だった。
 しかし、何よりも普段とかけ離れているのは、この男の表情だろう。いつもの覇気がない。どこを見るでもなく開けられた目は、物憂げな半眼だ。
 その目を、バーダックは真横にある窓の外へと向けた。
 遠く離れた発着場から、どこかのチームのポッドが打ち上げられるところだった。赤い空に白い軌跡を描いて、上へ上へと昇っていくポッドを、バーダックはぼんやりとながめた。
 そのうち、窓枠が視界をさえぎった。腕組みをしたまま首をかしげて、しつこく目で追う。上昇していくポッドに合わせて、身体をさらにかたむける。日の光に目を刺されても、しかめっ面でこらえて視線をはずさない。
 そうやって、ぎりぎりまで身を低くしてねばっていたが、ついには何も見えなくなった。
 ほとんどソファに寝転がったような体勢で、バーダックはポツリとつぶやいた。

「……戦いてぇ」

 下肢もソファにのせて仰向けになり、天井に目を移す。

「戦いてぇんだよ」

 切れ切れに、数度つぶやく。
 言葉に応える者はない。チームの仲間は全員出払っている。誰もいない。一人きりだ。口を閉じると、しんとした空気が耳を打った。
 その静けさが、バーダックを爆発させた。

「…………たた、かい、てぇって、いってんだよ! このっ、くそったれがああああああ――――っ!!!」

 最後の方は、もはや単なる絶叫であった。
 ガシガシと頭をかきむしり、ソファの上で身をよじる。
 午後の陽光が射しこむ明るい室内に、猛り狂った獣が一匹。尾をふくれ上がらせて悶絶していた。

 現在、バーダックは、戦闘への参加を禁じられている。仕事先の星で問題を起こしたせいで、謹慎中なのだ。
 行動範囲は基地内に制限され、実戦だけでなく模擬戦闘まですべて禁止。許可されているのは、制限時間内の筋力トレーニングのみだ。
 そんなわけで。

「ちくっ、しょお……っ」

 このような有様で、のた打ちまわっているのだ。
 一時我慢すればいいだけだと、バーダック自身も頭では理解している。それでも耐え難いのだ。本能が、もう限界だと告げていた。この欲求を今すぐにでも解消しなければ、どうにかなってしまいそうだった。
 ひまに飽かして整備していたメカが、目の端に映る。美しい光沢を放っている様が、無性に腹立たしくてしかたない。

「くそ……っ」

 バーダックは、肩をいからせて立ち上がり、テーブルめがけて拳を振り下ろそうとした。
 その時、部屋のドアが静かにスライドした。

「父ちゃん、ただいまー」

 張りつめていた空気を和やかにぶっ壊した闖入者は、スカウターをいじりながら、軽やかな足取りでバーダックに近づいてきた。

「さがしちまったぞ。連絡入れたのに、ぜんぜん通じねぇんだもん」
「…………カカ、ロット」
「おっす、久しぶりだな! はいこれ土産」

 バーダックは、拳をかかげた体勢で固まっていた。

「今回はな、とっておきの土産話もあるんだ。オラ、すげぇ発見しちまってさー。きっとビックリするぞ」
「……みやげ」
「うん、土産。これも」

 カカロットがにこやかに笑う。受け取られない土産の包みを差し出したまま、バーダックが反応するのを待っている。
 その腑抜けた表情をながめているうちに、硬く強張っていた拳は、ふっと解けた。
 バーダックは、宙に浮いていた手でカカロットの頭をガシっとつかむと、力強く左右になで始めた。

「お? え、な、なに?」

 疑問の声を上げる首を脇にかかえて、さらに動きを速める。
 なんだよ。どうしたのさ。と訴えてくるのを無視し、しばらくの間、自分とよく似た形の頭髪をなでまわし続けた。




「えーっと……。あらためて、ただいま父ちゃん」

 ぼさぼさにされた頭を直しながら、カカロットが言った。

「ずいぶんと久々のご帰還だな」
「出先の星で厄介ごとが続いちまって。何とか片はついたけどな」

 カカロットは、王直々の命令により特別任務についている。日々宇宙を飛びまわり、情報収集と修行にいそしんでいるのだ。
 現在の王に代替わりしてから、ベジータ星も色々と変わった。バーダックたちの仕事も、以前の地上げ業から、他星への軍事及び警備サービスの提供へと移行した。
 当然、その方針転換の際にはフリーザ軍と激しく対立したのだが、今は一応の休戦状態にある。

「で、今回の任務は終いか」
「いんや。一区切りついただけだからな。また行かなくちゃなんねぇんだ」
「だったら、わざわざ帰ってくる必要もなかったろうが。面倒くせぇ」
「時間ができたら、やっぱ会いてぇじゃん」
「誰に」
「父ちゃんに」

 あたりめぇだろ? と真顔で言う。
 ストレートすぎる物言いに、バーダックは内心でわずかにのけぞった。
 終始こんな調子だから、「口説かれた」と思いこむ輩が周囲に増えていくのだ。

「……で、なんだ、その、さっき言ってた、土産話ってのは」

 真っ直ぐに向けられた目から視線をはずしつつ、話題を変えてみる。
 カカロットは、「ああ」と声を上げてポンっと手を打った。

「それな! そうそう。すげーんだ」

 それから、意味ありげな笑みを浮かべ、自分の尻尾をつかんで差し出してきた。

「まず、ちょっとオラの尻尾さわってみ」
「あ?」

 眉をひそめるバーダックに対し、いいからいいから、とニヤニヤ笑う。どうも怪しい。
 だが、まさか尻尾に仕掛けをほどこしているわけもあるまいと、覚悟を決めて茶色い尻尾に手を触れる。

「さわったぞ」
「うん。さわったな。……で、どうだった?」
「何がだ」
「さわった感じ」
「…………感じも何も、普通、だったが」
「うんうん。だよなー」

 満足そうにカカロットがうなずく。
 わけがわからなかった。
 再びいらだちがわき起こるのを感じて、バーダックは眉間のしわをグッと深めた。

「あ、たんま、怒んねぇでくれ。こっからだから。な?」

 どうどう、となだめる仕草をしてから、カカロットは咳払いをした。スっと目を閉じ、息を吐く。
 次の瞬間、金色の光がバーダックの目の前で燃え上がった。再び開かれたカカロットの目は、淡い光を放つ緑色に変化していた。
 ――超化。かつてのフリーザ軍との戦いで、戦況をひっくり返した力がこれだ。
 面食らっているバーダックに、再び尻尾が差し出される。その色も、やはり金色だった。

「ほい。もういっぺん」

 バーダックは無言のまま手を伸ばし、

「……うお!?」

 叫んだ。
 予想外の感触に鳥肌が立つ。気色悪いのではない。その真逆。最高に心地いいのだ。
 密に生えた柔毛が、手のひらをくすぐる。その毛が、驚くほど手触りがいい。産毛のやわらかさと絹糸のつややかさに、しなやかなコシを加えたような……得も言われぬあんばいだ。
 表面は冷たく感じるほど滑らかだが、軽く握りこむと、その下にひかえるアンダーコートの微細な感触が伝わってくる。内にこもる体温が体毛をふくらませていて、力を抜くと優しく押し返してくる。

 ――なんだ、これは。一体なんなんだ。

「な? すげぇだろ」
 
 明るい声に、我に返った。
 期待通りの反応が嬉しくてたまらないといった様子で、カカロットが笑っている。
 バーダックは、己の両手が尻尾を抱えこんでいたことに気がついた。声をかけられなかったら、頬ずりをしていたかもしれない。

「…………ああ、すげぇな」

 そう応じてから、バーダックは手を引いた。無意識に指を伸ばさないよう、握った両拳を腰にあてる。

 ――本当にすげぇ。

 獣の尾を有する種族なためか、たいていのサイヤ人は、毛皮の質に関して少々うるさい。
 女の話題が出る際には、戦闘力や美醜その他諸々に並んで、尻尾の良し悪しが取りざたされる。男でも、尻尾がみすぼらしければお粗末だと指差される。
 尻尾は、大猿化に必要不可欠な特別器官。強さを象徴する重要な要素なのだ。
 だが、この感触にくらべたら、他のどんな尻尾も化繊ブラシ同然だ。腰に巻かれている己のものを意識しながら、バーダックは唸るように思った。

「……毛質まで、超化しやがるのか」
「ほんと、ビックリだよな」

 ちょうどよく調整すんのは難しいんだぜ、とカカロットは胸を張った。パワーを強めすぎると硬くなるし、おさえすぎるとコシがなくなる、のだそうだ。

「父ちゃんのチームのみんなにも、見せてやりてぇな、これ。挨拶がてらにまわってくるかな」
「連中は、仕事に行っちまって今はいねぇぞ」
「そうなんか。じゃあ、先に友だちんとこ行ってこよ」
「…………」

 『友だち』と言うのは、たぶんアレやアレやアレのことだろう。
 いや待て、と言って己の眉間をおさえる。
 今、脳裏に浮かんだ面々が、この尻尾をさわる。なでる。もみしだく。――そう考えたとたん、バーダックの頭の中に警戒のアラームが鳴り響いた。
 まずい。具体的にどうまずいのか説明はつかないが、とにかく何かがまずい気がした。

「カカロット」
「何?」

 言葉につまる。引き止めようにも、その理由が見つからない。
 
「その尻尾――」

 どう言えばいい。尻尾、尻尾を――、

「ああ、もうちっとさわってみる?」

 カカロットは、すこし得意げに腕を組み、波打たせるように尻尾をゆらした。金色の体毛が、ほわほわとうごめいた。

「…………」

 とりあえず時間かせぎにはなる。別にさわりたいわけではない。しかたなくだ。
 様々な言い訳を頭によぎらせたあと。バーダックは、重々しくゆっくりと、首を縦に一つ振ったのだった。




 テーブルに両手をつき、半ば四つんばいに近い格好で尻を突き出し、「ほい」と言って振り向いた息子の姿に、バーダックは確信していた。
 引きとめたのは正解だったと。
 子どもの時分ならともかく、それなりに育った図体でこれはきつい。見ているこっちが恥ずかしい。と言うより情けない。こいつこんなんでこの先大丈夫なのか、と心底心配になる。

「どうしたの?」

 ――どうしたの、じゃねぇよ。てめぇの姿を鏡に映して見てみやがれってんだ馬鹿野郎。

 いつもより沸点の低くなっている己を御しつつ、バーダックは、腰かけているソファの隣をあごで指し示し、カカロットを座らせた。
 鼻先に差し出された尻尾をつかみ、指の間でさすりながらじっくりとながめ、尾の先を己の鼻頭に触れさせてみる。それだけで、脳天がビンとしびれた。
 ふいに、上得意客の異星人領主が、「サイヤ人を手元に置きたい」とほざいていたのを思い出す。そいつの数々の言動にぶち切れてしまったために、今回バーダックは謹慎するはめになったのだが――、

 ――まあ、サイヤ人全員がこの尻尾だったら、手に入れたがる輩が出てきてもおかしくはねぇな。

 そう納得してしまうほど、とんでもないさわり心地だ。
 だが、無意識に逃げるような動きをするのが気にかかる。せっかくの感触に、いまいち没入できない。
 握った尻尾をにらみつけると、指の間からはみ出た先っちょが、別の生き物のようにピコピコと振れた。

「おい、むやみに動かすな。さわりにくいぞ」
「あー悪ぃ。動いてた?」

 カカロットは、力をこめて尻尾全体を真っ直ぐに伸ばした。ゆれは止まったが、今度はなでるたびに小刻みに痙攣する。これはこれで鬱陶しかった。
 たしかに、尻尾は敏感な部分ではある。しかし、ここまで反応する奴もめずらしい。
 すこしの間考えたバーダックは、根元の部分を強めに押さえ、先端までをグイっとしごき上げてみた。

「っ!――――ういやあああああっっ!?」

 けたたましい奇声が、部屋中に響きわたった。あまりの大音声に、全身がビリビリとしびれる。
 ソファの端っこまで逃げて、ぜっ、ぜっ、と息を切らしているカカロットに、バーダックは眉をつり上げた。

「……ば、馬鹿でかい声出しやがって……っ」
「だ、だ、だって……今の、無茶苦茶、す、すごかったぞ!?」
「なぁにがすごかっただ。大げさなんだよ。単に尻尾の鍛練が足りてねぇだけだろうが」
 
 バーダックの発言に、今度はカカロットが眉をつり上げる。
 
「んなことねぇ! そんなん言うなら父ちゃんの尻尾貸してみろよ。絶っ対がまんできねぇから」
「断る。俺ぁ、人に尻尾をまさぐられるなんざ御免だ」
「お、オラのはさわっといて。ずりぃぞ」
「知るか。断るったら断る」

 カカロットは、不満げにバーダックをにらんでいたが、ふと斜め上に視線を向けた。何かを考えついた時の顔だ。
 その表情に、不穏な空気を感じ取ったバーダックだったが、反応は間に合わなかった。
 素早く身をかがめたカカロットに、片足をとられて体勢をくずされる。

 ――しまった……っ!

 マウントを決められ、あれよあれよと言う間に腕と首を固められていく。
 抵抗しようとした直後、グラッと視界がかたむいた。共にソファから落下する寸前に、カカロットは巧みに体を入れ替え、バーダックの背中に組みついてきた。重なり合った二人の身体が、ソファとテーブルの間に横たわる。
 身じろぎをしたとたんに、下肢も両足でがっちりと固められ――バーダックは、仰向けの状態で完全に拘束されてしまった。
 頭の後ろでフゥと息をつく音がし、カカロットの胸が呼気に上下した。
 また一回り身体の厚みが増した。と、こんな状況だと言うのに、その成長具合に一瞬意識が行く。

「……んーと、どこだ。この辺かな」

 腰のあたりにもぞもぞした感触をおぼえ、バーダックは狼狽した。

「カカ、ロっ……、やめ、ろ……っ!」
「大丈夫大丈夫。痛ぇわけじゃねぇから。力もぬけねぇし。だけど、すげぇ変な感じすんだよ。あれ、絶対に鍛えてっかどうかなんて関係ねぇと思う。今やってみせっからな」

 あびせようとした罵声は、あごにまわっていた腕にはばまれる。もう一方の腕で、両手の動きは封じられている。そして、三本目の手――尻尾によって、バーダックの尾は腰から引きはがされようとしているのだ。

「よいこらしょっと」

 呑気な掛け声と共に、とうとう尻尾を確保される。

「まず、このあたりな」
「う、っ!?」
「な、な? これだけでもゾワっとくるだろ」

 バーダックは、己は尻尾が強い性質だと自負している。サイヤ人特有の弱点を克服して以来、どこをどういじられても顔色一つ変えたことはなかった。
 だが、これは。この力加減は。

「で、こうすっと」
「――――っ!!」

 声を上げずに済んだのは、奇跡だった。来るのがわかっていなかったら、耐えられなかっただろう。それくらい、すさまじい感覚だ。
 間違いない。

 ――こいつ、やたら勘がいい……!

 相手の弱点を見極めて正確に狙い打つ。戦闘時に見せるその能力が、ここでも遺憾なく発揮されているのだ。
 バーダックの背中に、嫌な汗がにじむ。

「……あれ? おっかしいな。変な感じしなかった?」
 
 呻き声すら上がらなかったことを疑問に思ってか、カカロットは、上半身を起こしてバーダックの顔をのぞきこんできた。
 じゃあ、もういっちょ、と、朗らかな声で恐ろしい宣告が下される。
 次は耐えられない。どうする。この窮地から逃れるには、どう動けばいい。
 カカロットの尻尾が、再び根元へと移動した。

 ――尻尾。

 瞬間、バーダックの目が鋭く光った。
 両手両足共に封じられた状態で、まともに動く箇所はただ一つ――!

「はひっ!?」

 バーダックの尾の先が、カカロットの尾の根元にからみついた。一瞬生まれた隙を狙って拘束をはずし、己の身体を横へと逃がす。その勢いにテーブルが倒れ、メカやメンテナンス道具が床に散乱する。
 金属のぶつかり合う甲高い騒音がおさまったころには、二人の形勢は逆転していた。
 
「……やるな、父ちゃん」

 バーダックを見上げて、カカロットが言う。

「なめた口きくじゃねぇか。クソガキが」

 バーダックは、目をすがめてカカロットを見下ろしてから、容赦なく首を固めにかかった。
 それを防ごうと、カカロットは身をよじり、両足をバーダックの腰にからめた。ひざはきつく曲げられ、尻は宙に浮いている。無防備になった尻尾に対し、バーダックは再び攻撃を仕掛けた。

「……っ! に、二度目は、卑怯……っ」
「うるせぇ。弱点狙って何が悪い」

 鼻で笑って、尾の先に力をこめる。
 カカロットも抵抗を試みて、バーダックの胴を足で締めつけようとするが――、

「っ! く、っそお……!」

 ――そのたびに、弱い部分を責められて動きが止まる。
 この攻防が続く最中、バーダックの顔には、非常に生き生きとした笑みが浮かんでいた。凶悪、と言ってもいい種類の笑みだ。
 単なるじゃれ合いの延長とは言え、久々の『戦い』である。どう攻めて仕留めるか。今、バーダックの頭の中は、そのことでいっぱいだった。
 カカロットの顔がどんどん赤くなろうが、悲鳴が上ずった調子に変化しようが、いつの間にか超化が解けていようが、もう止まらない。むしろ、興奮は増すばかりだ。
 ようやく首と腕を拘束することに成功し、のしかかって問いかけた。

「降参するか?」

 まいった、の意を示せる程度には、片手の指は動かせるはずだが、カカロットはじっと耐えている。
 意地っ張りが。
 バーダックは舌打ちし、さてどうしてやろうかと思案した。
 沈黙が落ち、二人分の息づかいだけがくり返される。
 そこに、――ドアのスライド音が重なった。

「…………」
「………………」

 開いたドアの向こうには、異星人の作業員が一人、立っていた。
 男は、弁当らしき包みを持っている。遅い昼飯、と言ったところだろうか。
 その口が、『あ』の形で固まっているのをバーダックは見た。ついでに、その頬がいっきに紅潮していく様も見てしまった。
 思わず尾に力がこもり、身体の両脇でカカロットの足がかすかにはね上がる。
 男は、さらに顔を赤くしたあと、ぎこちない動きで真後ろへソロソロと下がっていった。
 やがて、遮蔽音が鳴って、ドアが閉じた。
 バーダックの硬直が解けたのは、その直後だった。

「……ま、待て、父ちゃん! まだ勝負はついてねぇぞ!」

 ガバっと身を起こそうとしたバーダックに、カカロットがしがみつく。意識がはっきりしないのか、いまいちろれつが回っていない。

「カカロット、離れろ!」
「やだっ!」
「くそっ、この……、もどれ! もどってきやがれ馬鹿野郎――!!」

 バーダックの叫びが、閉じたドアを空しく震わせた。
 当然ながら、男はもどって来なかった。




「けっこう気にしいだよな、父ちゃんて」
「とことんお気楽でいいよな、てめぇは」
「だってさあ……、あ、おっちゃん。本日の肉料理っての一品追加な!」

 真っ直ぐに手を上げて、カカロットが声を張る。
 バーダックは、それを横目でにらみつつ、土産の菓子をつまんで口の中に放りこんだ。
 二人の会話が途絶えると、後ろの席にいる男たちの笑い声がドッと響いてきた。
 今日も基地内の酒場は混んでいる。酒も飲まず、ひたすら飯を喰らっているのはバーダックたちだけだ。
 カカロットは目線を落とし、金属製のクシで一つずつ惣菜を突き刺す。クシがおろされるたび、受け皿は、カチ、カチ、と鳴る。

「だって、あいつ一人に父ちゃんとオラが、」
「言うな。いちいち言わんでいい」
「……してたって思われたところでさ、何も困ることねぇじゃん」
「馬鹿。噂ってのはな、嫌でも広まるもんなんだよ」

 クシに刺さった色とりどりの惣菜を横からかすめ食い、カカロットは顔を上げた。

「オラは、別にいいよ」

 咀嚼しながら、もごもごと不鮮明に言う。
 別に『どうでも』いいのか。別に『それでも』いいのか。カカロットの言葉は、単純なようでいて案外わかり難い。
 明るい無表情から内面を読み取るのをあきらめ、バーダックは、菓子袋に手を突っこんで中をまさぐった。

 ――ま、たしかに、そう心配することもねぇか。

 あのあと、作業員の男をつかまえてはみたものの、相手は「何も見てません!」とわめくばかりで、まともに話もできなかった。
 いまだに誤解しているのは確実だが、この状況で誰かに話すのは、同時に自分が噂の出所だと喧伝するようなものだ。サイヤ人相手に、そんな無謀なことはしないだろう。
 そう結論づけて、菓子袋の奥に残っていた最後の一個を手に取る。

「その菓子うめぇだろ」
「ああ、旨い。これっぽっちじゃ足りやしねぇ」
「そう言うだろうと思ってな。でっけぇパックで送ってくれって頼んどいた。到着すんのは、べジータ星基準だと7日後かそこらだったかな。オラが出発したあとに来ると思う」
「おまえ、そんなに早く発つのか。あわただしい日程だな」
「だからさー、早くみんなに会って、話しちまいてぇんだよなー」

 これ、と笑って、カカロットは自分の尻尾を持ち上げた。
 バーダックは、そっちの問題も残っていたかと、いまいましげに顔をしかめた。
 険しい表情で、テーブルに置かれた水差しをつかんで直にあおる。喉を反らして飲み干し、息をついてから口を開く。

「……カカロット。それのことは誰にも話すな。黙ってろ」
「え、なんでだよ」
「ハゲるぞ」
「ハゲ……?」

 タンっ、と威勢のいい音を立てて、水差しをテーブルに置く。

「その尻尾のことが周囲に知れてみろ。我も我もと押し寄せて来て、さわりまくられるぞ。毛根まですり減って、終いにはツルッツルだ」
「……つ、ツルツル……」
「せめて毛の一本でもゆずってくれと、根こそぎ抜かれるかもしれねぇな」
「……っ!」
「しかも、おまえは尻尾が弱い。どうなっちまうかくらい、想像つくだろうが」

 カカロットは、尻尾を守るように抱いて顔を青くしている。
 誇張はしたが嘘はついていない。そう思いながら、バーダックは頬杖をついた。
 ハゲる云々はともかく、この尻尾に執着を抱く者は数多出てくるだろう。根元にくっついている本体を、取り外せないのが厄介だ。
 謹慎のきっかけを作った異星の領主も、「サイヤ人は尻尾がたまらない」と言っていた。
 思い出して、バーダックは肌を粟立てた。
 その領主は、最下級タイプがいたくお気に入りだったようで、バーダックに対しても、含みのある視線をしきりに送ってきた。任務中は堪えに堪えたが、帰り際の一言で、すべてが無駄になってしまった。

 子どもはいるのか? おまえに似ているなら一匹ほしい。金はいくらでも出す。

 そのような内容を冗談めかしに告げられた瞬間、まだ余裕があったはずの忍耐の糸が、いっぺんに切れたのだ。
 とは言え、酒をつがれていた器を反射的に握りつぶした程度で、相手にはかすり傷も負わせていない。
 問題は、破壊した器が、大変由緒のある貴重な古物であったことだ。

 ――そんなもんで人に酒を呑ますな。呑ますなら、割られる覚悟くらいしとけってんだ阿呆。

 おまけに、同行していた性質の悪い上役が、このことを盛りに盛って報告したせいで、話が余計にこじれた。
 おかげで苦渋を味わったが、これで、あの異星人がサイヤ人に色目を使うことはなくなっただろう。『粗暴なサル』に、泣くほど大事なコレクションを壊されるのは、もう御免だと思っているに違いないから。
 そもそも、あの程度の連中にいいようにされるサイヤ人など、本来は存在するわけもないのだが――、カカロットにかぎっては、そう断言できないのが困ったところだ。戦い以外のことに関して、隙が多すぎる。

「そうだよな。オラも、そう思ってた。このまんまじゃ、やべぇよな」

 突然、やけに真剣な声でつぶやきだしたカカロットを、バーダックはいぶかしげに見た。

「父ちゃんの言った通り、鍛練が足りてなかった」

 キッ、と向けられたまなざしは、やはり真剣そのものだった。

「頼む、父ちゃん。尻尾を鍛え直すのに手を貸してくれ。この弱点をなくしてぇんだ」
「弱点?」
「オラは尻尾が弱いって、父ちゃんも言ってたじゃねぇか」

 『弱い』の意味が違う。
 バーダックの身体が、テーブルにうつ伏せそうになる。

「あんな攻撃、実戦で受けたりしたらひとたまりもねぇからな。早いとこ何とかしねぇと」
「……言いたかねぇがな、おまえが戦闘用のパワー出しゃ、あんなもんどうにでもなるだろ。馬鹿なことほざいてねぇで……」
「こっちに居られるのは何日もねぇし。すぐにでも特訓に入んなくちゃ」
「おい」
「今からみっちりやれば、そこそこのとこまで行けるよな。よーし、がんばっぞー」
「……おい」
「と言うわけで、明日からよろしくな!」

 バーダックは、指先でテーブルをコツコツと叩いた。

「人の話を聞け。だいたい、何で俺が手ぇ貸す必要がある」
「ん? だって父ちゃん、さわり方がすっげぇ上手かったからさ」

 オラ、腰がくだけるかと思ったぞ。と、真面目な顔で言う。
 さらにうつ伏せそうになる身体を、バーダックは両腕で必死にささえた。

「…………てめぇ一人でやってろ、阿呆」
「いやいや、自分でやんのは無理だって。手加減しちまうもん」

 カカロットは口をとがらせて訴える。父ちゃんの力が必要なんだ。頼む、さわってくれ! 熱っぽい調子で身を乗り出してくる。
 その隣には、料理を運んできた店員が立ちつくしている。近くの席に座る客たちの視線も、徐々に集まってきた。カカロットの声は、異常なまでに良く通るのだ。
 バーダックは、ゆっくりと片手を伸ばし、目の前の顔をわしづかみにした。ふぐっと呻いて、しゃべりが止まる。

「わかった。わかったから、もう黙れ」

 指の間からのぞく目が、二度三度とまたたいてから、笑みの形に細められた。
 結局、「他の奴に頼め」と切り捨てられない時点で、すでに負けているのだ。
 しかたねぇな、とバーダックは観念した。
 それから、そっと手を離し、店員に向かって「何でもいいから酒」と告げた。


END



COMMENT
ひたすらじゃれ合いバダカカ。
IFでもカカロットは尻尾を腰に巻かない派であってほしいです。

THANX
三荷さん、アップが遅くなり、申し訳ありません<(_ _)>
このたびも素敵なバダカカをありがとうございました♪
これを読むと、もう天然は一番の罪つくりと思わざる得ないですねー////『別にいい』って本当に悩ましい言葉ですし、いい加減最強アイテムな尻尾がそんな触り心地よくて、触られてるカカさんだけでなく、触ってるバダまで離し難くなるほどの感触とか、バダ的にはもうおちおち遠征にも行かせられない!ですよね^^
アレやアレやアレな友達もすごく気になりますが(笑)、きっとカカさんは父ちゃん大好きだから、これ触っていいのはオレだけだ!って言っても文句はなさそうかな、なんて思います。新年なので愛でたく可愛くいちゃつく親子をアップさせていただきました☆本当にありがとうございました。

20140103 up!!

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