何故彼の地から光が及ぶ時、彼はいないのか

by ちりめんじゃこいわお様


 目が覚めた時、そこには満天の星空があった。
 人工的な光の無い土地で星々は力を持って輝き、どこまでも深い天幕に息を吹き込んで、世界の美しさの一端を告げていた。
 贅沢にも銀色の箔を散らしたようだ。ターレスは宙に浮いたままでそれらの息吹を捉え、澄んだ空気を取り込んだ。こんなに美味い空気を、いつ、最後、どこで吸っただろうか。遥か昔にあった己の故郷でさえ、こんなに懐かしい思いはさせなかったろう。
 細められた眼を徐々に開け放ち、この場にあるものを確認した。漆黒の宇宙。朗々たる星屑。真円から外れたきらめきの月。あらゆるものが無傷のままで歌っていた。流れ行く雲のかけらが頭上を通り、更なる目覚めをうながしていく。
 今度は大地へと視線を向けた。遠くからでも草いきれが感じられるようなこんもりとした森が広がって、鳥や虫のかすかな鳴き声が聞こえていた。今はわずかな風が首筋を抜けて、はっきりとは届かない。ただ全身で訪れた夏の恩恵を、時折降り出す雨の名残を、冷たく湿った心地のする沼地の気配を、無言のままで受け取っていた。
 ここは地球だ。ターレスは思った。戦闘服と白いマント、片目には赤いスカウターが取り付けられている。自分はこの星を滅ぼしに来たのだ。全てのものに災いをもたらしに来たのだ。なのに何故か今、こうして夜半の静寂を楽しんでいる。仲間はいない。宇宙船も無い。そして、自分が探しに来たはずのカカロットも、いない。
 いや、いるはずだ。何故ならここは地球だからだ。麗しく清澄な海水に恵まれた、カカロットが育まれてきた、不可思議な慈愛の星なのだ。ターレスはスカウターに手を伸ばし、近くの生命体を探った。彼は意外にも近くにいた。もしかすると待っていたのだろうか。ターレスは分厚いマントに強い風を孕みながら、真下の森林へ下りていった。
 雫が付いて濡れそぼった木陰の前に、カカロットは一人で立っていた。山吹色と青色の服装は夜に陰り、向けられた背中に見事な木漏れ日が、いや、豊かな月光が差していた。葉の形に削られた月明かりは異世界の文字を彩って、それがカカロットはサイヤ人ではないとささやくような、ターレスとは違う者だと示すような、静かな口渇を覚えさせる原因となっていた。
 ――俺はお前を、迎えに来たのだ。俺がお前だけを待っていた。
 ターレスはそう言いたかった。この男を宇宙へ連れ帰り、再び自分達の文明を取り戻すのだ。最強の民族。サイヤ人。残された純血の使命は、どれだけ偉大であるかを語ることだ。自分達は強い。何でも出来る。そうだろうカカロット? お前は平和など望んではいないはずだ。俺達は平和になど生きられないのだ。
 引き結んだ唇の奥で、言葉にしたい声達が次々に終わっていった。カカロットの腕の白さが目に入った。傷一つ無い男の肌。そこにも銀白が落ちていた。ターレスはその腕を掴もうと、そっと五指を伸ばしていった。
 その時、恐るべき速さで夜が明けた。現世は光に包まれた。溢れ返った。森は差し込んでくる陽光に歓声を上げ、空は大地を知る者に青く微笑み、様々な生物が活動を始めた。
 代わりに、カカロットの姿は消えていた。まるで最初からそこに何もいなかったかのように、大木は乾いて細かな緑をまとい、小さなアリを迎えていた。
 ターレスはその黒い生き物が上から下へ移動するのを食い入るように見詰め、自分のマントを握り締めていたことに気付いた。手の平が痛んでいる。丸めた指を開放し、今頃はそこに収まっているはずの、神の甘露を想像した。
 そうだ。この星に災いをもたらすのだ。生きとし生けるものの全てを、この世から廃絶するのだ。そんな思いが空しく浮かび、そしてその空しいというのが、己の強張った表情の感触で分かった。ターレスという男は、この星に危害を加えることを、良しとはしていないのだ。
 何故か。何故なのだ。カカロット。答えが欲しいと強く願った時、次には小さな家の前にいた。サイヤ人に似つかわしくない、ひどく民族的でささやかな家だった。聞いてもいないのにカカロットの家だと悟った。ターレスは沸き起こってもいない暴力的な衝動を無理矢理呼び起こし、扉を粉々に蹴破った。木製の扉はばらばらと床の上を滑り、後には不安を予期させるほどの痛い沈黙があった。
 中へと押し入っていく。その数十秒の間に、再び夜になっていた。優しい明かりが家中を照らし、料理の匂いが、恐らくは食事の後の残り香が漂っていた。
 カカロットはテーブルに掛けていた。簡素な木椅子にゆったりと座り、両腕をテーブルに乗せている。扉を壊されたというのに振り向かない。それどころか微動だにしない。しかし見えない横顔は思索に耽っているのだろう。穏やかな呼吸は腹や胸を通り、規則正しく続いている。
 彼の息子も、妻も、どこにもいない。カカロットがいるだけだ。ターレスはスクリーンを通したような肩を掴もうとした。感情や新たなる声を引き出そうとした。頑健なる戦士の体が指先に触れようとする。
 ――またしても朝となった。カカロットの姿はどこにも無い。テーブルには午後の日がくっきりと浮かび、茶を楽しんだ後の芳しい香気があった。
 ターレスの胸に言いようのない痛みが走り、それを消し去るようにテーブルを蹴り上げた。紙の如く舞い上がったそれは天井を半ば砕いて四散した。自分自身にも降ってきた残骸を片手で払いのけ、外へと出た。
 光が目に染みる。山々は茂った子供達に守られている。カカロットはなんという場所に住んでいるのだ。こんなに暖かく、こんなに優美で力強い星で、彼の精神は育てられてきたのだ。――サイヤ人とは遠く隔たって。
 ターレスは己に疑問を抱いた。自分は、何故そのことを知っているのだ。何故彼がサイヤ人を否定したことを知っているのだ。自分は、『生きている』ではないか。『あの時』『殺された』はずの自分が、『今』はこうして――。
 頭が軋んできた。全身を焼かれる熱が微量ながらも蘇ってきた。ターレスはそれをかき消す為に空へと舞い上がった。時刻は既に夕刻。真っ赤な果実が地平線へ落ちていく。次には紫色の移り変わりを経て、群青の新夜を生み、夜更けへと繋がっていく。淡い虹色の暈を持った、白銀の月光をもたらす時間へと。
 ターレスは月を目指して飛んでいった。空気が薄くなっていく。それでも構わない。すがめた両眼に多過ぎる光量を受け、まっすぐに飛行した。
 その視界の中に、一点の黒が現れる。そこを次なる目標とした。点は数秒の内に近くなり、独特の形を取り、やがては見慣れたもの、人の影となった。
 三度目の邂逅。変わらずに背中を見せている彼の縁取りに、特に黒髪の周囲に、艶やかな光芒が浮かんでいる。丹念になぞり上げて愛撫をほどこしている。純粋な血統は彼が誰であるかを雄弁に物語った。
「――カカロット」
 ターレスはやっと声帯を使った。ようやく声に出来た。けれど無様にかすれた、うめきにも似た、悲しげな調子だった。
 宙に静止したカカロットは今度こそ反応した。ほんの少しだけうつむかせていた顔を持ち上げて、音も無く振り向いた。ただ一つの光源である月を背にして、表情は分からない。いや、分からないようになっているのか。そんな世界なのか。ターレスはカカロットの両肩を掴んだ。勢いのままに触れた。遂にぬくもりを得られた。長い時間夜に晒された肌の熱。どれだけこれを求めていただろう。
「カカロット」
 次は上手く言えた。強い意志を持った、はっきりとした声で。
「カカロット。俺と一緒に、宇宙に来い」
 彼はなんとも答えなかった。だから続けた。
「俺はお前だけを待っていた。お前を迎えに来た。でなければ、誰がこんな辺境まで来るものか……。考えたことがあるか? 俺は孤独なのだ。今だから言おう。俺は孤独だ。お前を得られれば、こんな思いからは解放されると信じていた……」
 右手を差し上げ、カカロットの頬を撫でる。さらりとした健康な肌。そこを包み込む。
「カカロット。俺と一緒に、宇宙に来てくれ」
 彼は少し考えていたようだった。ターレスの人生を? 肯定の仕方を? ターレスは待った。だがやがて得られたのは、首を横に振る仕草だった。
「何故だ? サイヤ人であることを、否定出来はしない!」
「ターレス」
 初めてカカロットが喋った。同じ声色で、しかし違う人格で。彼は左手を持ち上げ、頬を包んでいるターレスの手首を取った。外さずに掴んで、力を込めず、そのままでいた。
 躊躇の動き。何を迷っているのだ。ターレスは親指でカカロットの唇をなぞった。そこから、次の言葉が生まれてくる。聞きたくはなかった言葉が。
「ターレス、もう地球には来るな」
 哀切を含んだ語調で、彼は断言した。
「オラはもう――おめえを殺したくねえ」
 ――殺したくない。
 そうだ。ターレスは幾度も死んできた。幾度もこの星でカカロットに殺されてきた。孫悟空と名乗った同胞の手によって、覇者としての人生を断たれてきた。
 それでもターレスは諦めなかった。何度も、何度でも、カカロットを迎えに来た。それ以外の選択肢など存在しない。何故彼に会わずに生きられよう? 何故この孤独を抱えたままで生きていけと言うのだ。ターレスはカカロットを欲していた。欲してきた。今ではただ同じ血を持つ者だからという理由ではなく、カカロットだから、強く気高い男であるから、何よりも欲しいと願うのだ。この若くしなやかな男なら、長年の孤独も癒せよう。生きていくことが出来るだろう。
 ターレスは、『生きたい』と願った。きっと誰かの口を借りれば『幸福になりたい』という意味になるだろう。しかしターレスはそんな言葉を使わなかった。そんな言葉を知らないのだ。意味も、使い方も。欲しければ奪う。得られなければ破壊する。全てをひざまずかせて生きてきた。どこまでもサイヤ人だ。それ以外など知らないのだ。
 ターレスは神精樹と共に滅んだ己の命運を呪った。あれだけ焦がれていたものが目の前にあったのに、決して得られなかった。拒まれてしまった。だからもう一度やり直したいと望んだ。だから幾度も死んできた。他のやり方など、知らなかったから。
 今ターレスは全てを思い出して、カカロットの頬を両手で探った。押し倒すように体を寄せた。月明かりに仰向いた面持ちは悲しげで、それでいて年若く、優しかった。
「いいか、ターレス。もう地球には来るな。もしかすると、おめえとは別の方法で出会えたかもしれねえ。だがおめえはやり方を変えなかった。だから未来は変わらないんだ」
「変えてみせる」
 話を切った唇にささやいた。
「変えてみせる。絶対にお前を連れていく。カカロット、お前は俺と共にいるべきなのだ」
 カカロットはもう一度首を振った。振ってみせたというのだろう。緩やかに、緩やかに示していく。
「未来は変わらねえ。おめえが変わらない限り」
「これ以外知らないんだ!」
 ほとんど叫ぶように言い返した。中身は怒りだった。恐怖だった。未来は変わらない。ならば自分はあと何回、彼に殺されると言うのだろう。未来永劫だろうか? そんなことは嫌だ。何故求め続けたカカロットに、このカカロットに、ターレスが殺されなければならないのだ。そんな運命は嫌だ。絶対に。
 なのに、この星でも生きられない。いつの間にかこの星に神精樹を植えたいとは思わなくなった。自ら滅びの道を行く中で、いつかここで暮らせたらいいと、彼のようになりたいと、そう願う時もあった。結果は全て失敗に終わった。サイヤ人として生き過ぎたターレスは、破壊の無い生活には耐えられなかったのだ。
 だから、やはり、奪うしかない。ターレスは唇を寄せた。カカロットのそれに重ねた。その行為の意味など、どこから起こる感情かなど、何一つ知るものは無い。ただきっと、誰かの口を借りたとすれば、『愛している』という意味になっただろう。しかしターレスはそんな言葉を使わなかった。知らない。今まで奪ってきたものだから。
 目を閉じる。きつく閉じて震えを拒む。何百年もの時を繰り返してきたこの場所で、いつの間にか教えられた、恐らくはカカロットが伝えてくれた『愛』というものに、ひどく怯えていた。サイヤ人は平和になど生きられない。愛など覚えない。今まで殺してきた者達に見付けてきた、あんな甘やかなものなどは――。
 不意に、カカロットはターレスの頭を撫でた。ただ一回、右手で横から反対側へ撫で、はっきりと微笑んだ。
 その眼差しの、なんと清廉なこと。
「大丈夫だ。おめえは変われるさ。きっと……」
 彼はターレスの腕を抜けて空へ向かった。上昇を続け、月の中へと消えていく。ターレスもその後を追った。次第に月の暈は消え、朝が近付いてきた。真っ白にやわらかい空気が地平線を縫い、森の陰りは別種のものとなり、太陽が昇ってきた。既にカカロットの姿は無い。
 爽やかな風がマントをなびかせ、髪の間を抜けていった。ターレスは振り向いた。
「あっ――」
 時の――時の『螺旋』は徐々に形態を変え、解きほぐされていく。
 水の星。白と緑と青に塗られた星が、黒い宇宙に浮いていた。自分はそれを宇宙船から眺めている。始まりの場所の風景はまったく同じ、何もかもが同じだった。ここで自分は思い違いをした。善なる象徴にも気付かずに。浄化の炎を舐めたのも気付かずに。静穏の全てを屠ろうと降り立った。
 集まっていた部下達の一人が、こんなことを言った。
「ターレス様、地球に生命反応があります」
「まさか……地球は……」
 そこまでを言い掛けて、ぐっと続きを飲み込んだ。
 あの微笑が、胸の内の全てを焼き払った。自分はそれに応えるべきではないのか。受け入れるべきではないのか? 受け入れなくとも、試すぐらいの価値は――ある。
 今なら言える。今なら言えるだろう。今ターレスはターレスとして、告げるべきことがある。
「そうか……なら地球に用は無いな」
「ターレス様?」
 ダイーズが振り向いた。全員がターレスを見た。ターレスは努めて鷹揚に、何でもないかのように振舞った。
「今分かった、カカロットは死んでいる。地球に用は無い……別の星を探せ」
「しかしターレス様、地球は非常に豊かな星です。神精樹もきっと……」
「いや……あそこを、カカロットの墓標にしてやりたい」
 流石に誰も反論出来なくなったようだ。ターレスは後を任せ、自室へと引き取った。そのまま何をするでもなく、窓辺へと歩み寄る。
 宇宙船は地球から離れ始めた。ターレスは月輪のように光っている青い星の丸みを感じ、カカロットについて考えた。
 何故太陽が昇る時、彼はいなくなるのか。ようやく答えが分かった。カカロットがいなくなったのではない。自分が去ったのだ。あのまばゆい光の中で自分の命は潰えた。あの光が自分の魂に焼き付いた。以来ずっと、こんなことを繰り返している。
 何故彼の地から光が及ぶ時、彼はいないのか。彼の地とは地獄のことだ。地獄の光の中に、彼の姿は似合わない――。
 ターレスは遠く離れていく星をじっと見詰めながら、こんなことを思った。
 カカロット。『今』のお前は俺のことなど知りもしないだろう。だが俺はお前を知っている。俺は何百年もの間、お前を想って生きてきた。お前を想って死んできた。そして未来永劫、お前との生活を思い描いて、地獄に落ちることになるのだろう。
「さらばだ、カカロット」
 カカロットに殺されるのは地獄だ。しかしカカロットがいない場所もまた、一種の地獄なのだ。きっとこれがターレスという男の末路、与えられた償いの道に違いない。
 もう一歩、窓へと歩み寄る。万感の思いを込めて注視した。水の惑星に別れを告げた。願わくばあの星が、本当にカカロットの墓標となるように。願わくばあの星で、自分の骨を埋めることにならないように。
 そうだ。サイヤ人は平和など望んでいない。共存など出来ない。だからターレスは自らの想いに残酷な嘘をつき通して、遥かな宇宙へと去っていくのだ。再びの孤独に、どんなにさいなまれたとしても。
「さらばだ――カカロット」
 カカロット。俺はいくら憎まれたとしても、さげすまれたとしても、お前だけを想っている――。
 遠く、遠く。名残の陽光はターレスにも微笑んだ。その果てに、愛しい者の姿を見た。流してはいけないはずのものが、熱い涙のひとしずくが、握り締めたマントに散った。それはカカロットを照らしたまばゆい月光のように白い天空を滑って、硬く冷たい、無機質な大地へ滴った。


end



COMMENT

あんなに孤独だったターレスがよりによって悟空に…となんとかあの最期を回避させたいと思ったらこうなりました。ループする世界の間の話です。ターレスは自分をどこまでもサイヤ人だと思っていて、それに囚われているようなイメージがあります。でもいつか変われて皆で暮らしていけたら…とも思います。話も妄想も自分の夢しか詰まっていません。タレカカ美味しいです。ここまでご覧くださってありがとうございます!

THANX
いわおさん、お祭に参加いただきましてありがとうございました!!^^
ドキドキしつつお誘いしたのですが、こんなに素敵なタレカカをご提供いただけるなんて、幸せすぎて苦しいです(*´∇`*)
ターレスから漂う身勝手な孤独の匂いが大好きなのですが、まさにそういう空気感が行間から伝わってくるお話で(感涙)。タレが変わらないままでは、孫悟空であるカカロットとはきっと幸せになれないんでしょうね( ´Д⊂でも、何度も繰り返した世界の中で、漸く悟空が望んだ言葉に従ったタレは、確かに悟空のいない世界の地獄を味わいながらもやっぱり幸せなんじゃないかという気はします。きっとこのまま死んで地獄に行けば、いつか天寿を全うした悟空が会いに来てくれると信じる私はどこまでもタレカカ脳です(笑)
素敵なお話を本当にありがとうございました♪

20131230 up!!


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