Sleepwalker
by 三荷様
岸壁を荒く掘っただけの洞穴同然の住まいに、ノックが可能なドアや呼び鈴はない。だから、いつものように大きな声を上げて父を呼んだのだ。
――応えは返ってこなかった。待ってみても、出てくる気配はない。
中に入ると、壁に背をあずけて眠る父の姿があった。
首をかしげてしゃがみこんだ瞬間、手首を強くつかまれた。声を上げるひまもなく、思いきり引き寄せられる。
ごく間近に迫った顔には、表情がなかった。
「カカロット」
そう呼ばれることには、もう慣れている。いまだに自分の本当の名前という気はしないが、決して嫌ではない。
しかし、今、父の口からこぼれ出た響きには、なぜか異様な違和感をおぼえた。
胸がざわつく。腕の力が強まる。光の失せたまなざしは、どこを見ているのかわからない。
「カカロット」
「と……」
父ちゃん。
さらに近づいてきた顔に、思わず声をひっくり返した。
とたん、父は動きを止め、ギクっと身体をこわばらせて目を見開いた。その様子は、まるで今しがた眠りから覚めたかのようだ。
「カカロット?」
三度めにつぶやかれた名は、いつもと変わらぬ響きを取りもどしていた。
「寝てりゃあ、そのうち治る。いいからもう行けよ」
「だけどさあ……」
「今日は雨が降る。どしゃぶりの長雨だ。どうせ他の用事もあるんだろ。とっとと行った方がいい」
「…………いや。外、めっちゃめちゃ良い天気だぞ?」
床の上に横たわる父親に、悟空は口をとがらせた。
バーダックの未来を視る力は、あの世に来てからはほとんど発揮されていない。時々、悟空に対して予知めいた言葉を口にするものの、たいがいは厄介払いのための単なる空言だ。
たしかに、ただ突っ立っていられても目障りだろうが、臥せっている父を置いて出ていく気にもなれなかった。
しばし考えた後、悟空はひざをつき、バーダックのかたわらににじり寄った。
まぶたを閉じた顔をのぞきこみ、その額に手を触れる。うっすらと汗が浮き、時々苦しげに頬が引きつれる。死人の身で病気にかかるかはわからないが、具合が悪いのはたしかだ。
悟空は、部屋――と表現していいのか迷う様相の洞穴の中を見まわした。
基本的に地獄は殺風景なものとは言え、この住いの粗末さには、たいていの者が驚くだろう。床には獣の皮に似たものが敷かれ、壁をうがって作られた棚には、油を用いた灯りが置かれている。あとは、数少ない日用品が無造作に積まれているだけだ。ここを訪れるようになってからずいぶん経つのに、家具は一つも増えていない。
汗くらいぬぐってやりたいと思っても、清潔な布など見つかりそうになかった。
悟空は、よし、と身を乗り出してバーダックの目のあたりに手を置き、意識を集中した。
「きつかったら言ってくれ。加減すっから」
「……何してやがる」
「気を当ててる。オラが小せぇころ、腹痛くしたときに爺ちゃんがやってくれたんだけど……どうだ?」
バーダックは、しばらくのあいだ無言だった。数度まばたきをする気配があり、まつ毛の感触が手のひらをくすぐった。
「悪くは、ねぇな」
「そっか」
父の『悪くない』が最上に近い表現だということは、すでに理解している。
悟空はほっと息をつき、ひざをくずしてあぐらをかいた。
(やっぱ、ちょっと気が乱れてるな)
本来のバーダックの『気』は、とても強い。もっと大きな力を持つ者はいくらでもいるが、気の質はとびきり上等だと悟空は思っている。がっちりと揺るぎなく、しぶとい印象がある。一塊の岩を思わせる剛毅な気だ。
しかし、あまりにも硬すぎて、自らの硬さで身をけずりそうな危うさもあった。今の乱れは、それに近い状態だ。
バーダックは、以前にも同じような状態になったことがあるが、今回の方がより辛そうに見えた。
「オラじゃ、こんくらいしかできねぇけど……界王様に聞けば、治し方がわかると思う」
「いらねぇよ。余計な世話だ」
「でも」
「いらねぇ、と言ってるんだ」
低く唸られて、悟空は口をつぐんだ。むにゃむにゃと言葉を飲みこむ。
片手で頭をかきながら、出入り口の方へと顔を向け、屋外の明るい光をながめる。
(いい天気だなあ、地獄なのに)
ぼんやり考えつつも、慎重に丁寧に、わずかでも苦痛がやわらぐように気を送り続ける。
やがて、手の下でまぶたが動いた。
「……すこしばかり、引きずられちまっただけだ。大したことじゃねえ」
「前に起きたのと同じやつか?」
「ああ」
「また、何か思い出しちまったんだな」
「…………」
――未来は一つきりじゃない。
いつだったか、自身の力について説明した時に、バーダックはそう語っていた。
悟空にも、病に倒れて命を終える別の未来があったように、選ばれなかった『可能性』というのは、いくつも存在している。
未来を視る力は、それらの枝分かれした『可能性』すべてを同時に視る能力なのだ。一つの未来へと続く道を選択したとたん、他の『可能性』を視た記憶は消えてしまう。
だが、ごくまれに、消えたはずの記憶が突然よみがえってくることがある。
よみがえってきた記憶は、通常の不鮮明なビジョンと違って、とてもはっきりしている。時には、その場に居て実際に体験したかのように、音や匂い、感触まで思い出せる。
だから、下手をすると引きずられるのだ。目覚めた後も夢の名残が尾を引くように、記憶と現実の境があいまいになり、しばらくは余韻が消えない。
前に『引きずられた』際は、バーダックは悟空に向かって、「ジジイはどこへ行った?」と真顔で尋ねてきた。
それは、山の中で悟空や”ジジイ”と一緒に暮らす、嫌になるほど退屈でどこまでも穏やかな――『可能性』の記憶が引き起こした混乱だった。
(オラ、あの『可能性』の話は好きだったな)
ふと思い返して、悟空はつい吹き出しそうになった。
ジジイ、というのは悟空の祖父・悟飯翁のことだ。バーダックに言わせれば「好々爺ぶったなりした、結構な女好きのとんでもねぇジジイ」。
自分の知る祖父とは別なのだとわかっていても、父の口から祖父の名が出るのは新鮮で、妙に嬉しくて、悟空は話の続きをせがんだ。
バーダックは、多少渋りながらもぽつぽつと語って聞かせてくれた。
べジータ星消滅後、気がつくとなぜか竹林の中に倒れていて、通りかかった悟飯翁に拾われたこと。
割り振られた仕事は、食料調達、巻き割り、水汲みに風呂焚き、その他もろもろ。
戦闘力に差はあっても、悟飯翁の持つ地球独特の知識と技には、学ぶところが多かったこと。
飲みくらべでは毎回敗北を喫していたこと。
例のマクラをいつまで許すか? という議題で家族会議になったこと。
たまに町に出て酒と菓子を買ってきてやると、悟飯翁と悟空はそろって喜びの声を上げたこと――。
山での生活のエピソードは尽きなかった。
特に印象的だったのは、悟空の誕生日が訪れるたびに、空に向かってエネルギー弾を一発打ち上げる決まりになっていたという話だ。記念の花火のようなものだろう。
悟飯翁の「もっとキレイな方がいい」という要求のせいで、バーダックのエネルギー弾は、年々きらびやかになっていったのだそうだ。
――終いには、クマだのネコだの、不気味な獣の図がキラキラ瞬く仕様になってな……ちなみに発案は全部ジジイだ。俺の趣味じゃねぇぞ。
――いや、か、かわいくて、いいんじゃ、ねぇの?
――ひさびさに敵との戦闘になったときも癖が抜けねぇで、うっかり打ったら相手の奴らが大爆笑よ。ぶっ倒してやる直前まで、ゲラゲラ笑ってやがった。
――そ、そう。
――てめぇまで笑うな。
バーダックは、この『可能性』の話を「ただの夢みてぇなもんだ」と言っていたが、数々の出来事を語っていた時の声には、自身の頭の中にしか存在しない思い出を懐かしむ響きがあった。
本当に経験したかのように残っている記憶を、ただの夢と切り捨ててしまうのは、そうできることではないのだろう。
――今度のは、どんな記憶だったんかな。
先ほどの様子は、尋常ではなかった。
カカロット、と名を呼ぶ声の響きと、焦点の合わないまなざしを思い出す。あの時のバーダックは、目の前にあるものを見てはいなかった。――どこか遠い場所にいる、別の誰かを見ていた。
悟空は押し黙ったまま、額の方へと手をずらした。
呼吸は落ち着き、汗も引いてきている。きつく寄せられていた眉からも、険しさが失せた。とりあえず落ち着いたことを確認し、集中を解く。
すぐには手を離さず、眼前に横たわる男の姿を見つめる。
手当てが終わったことを告げたら、すぐにまた「出て行け」と言われるだろう。修行だとか、相談事だとか、みやげだとか。バーダックのそばに居るためには、いつでも何らかの理由がいるのだ。
(本当に、雨が降ってくれりゃいいのに)
雨音の響きが多少人恋しくさせるのか。雨が降っている時だけは、往生際悪く居座っていても文句を言われたことがない。以前に、記憶の話を聞かせてくれたのも雨の日だった。しかし、今日の天気はあまりに良すぎる。
しかたない、帰ろう。そう決心して立ち上がろうとしたせつな、「カカロット」と名を呼ばれた。
「知りてぇか?」
突然の問いかけに、悟空は首をかしげた。浮きかけた腰を下ろし、ひざに両手を置いて問い返す。
「何を」
「俺が、さっき何を視ていたのか」
バーダックは、目を閉じて横たわり寝言のようにつぶやく。
ささやきに近い小さな声に、鎮まっていた違和感が再びわき上がってくる。
「――知りてぇか」
うん、聞かして。
いや、別にいいよ。
どちらかの応答で済むところを、悟空は言葉をつまらせてしまった。それはすでに、何か察していることを示す一つのジェスチャーだ。
「父ちゃん、――」
「もうすぐ雨になる」
外はさんさんと明るいままだ。
「ここの空模様は、現世とは勝手が違う。降り出すと厄介だ。他の用事があるなら……早く出た方がいい」
帰れなくなる、と。ほとんどくちびるを動かさずに言う。悟空なら一瞬で雲の上へと帰れることを、知らぬはずもないのに。
「…………用事なんて、ねぇよ」
つむられていたまぶたが開いた。
はっきりとこちらを見すえてくる目に、悟空はかすかに安堵した。
明確な意思のこもった目。夢の中にいるのでも幻を懐かしむのでもない。今、ここにいる『悟空』を、たしかに見つめている目だ。
「今日は、父ちゃんに会いに来ただけだ」
自然と鼓動が速くなる。脈動は体中に駆けめぐり、言葉をつむごうと努力する舌を無様にもつれさせる。
悟空は、すこしやけくそな気分で息を吸いこみ、応えを返すために口を開いた。
「だから、教えてくれ。――時間はあるから」
薄暗い洞穴の中に声が響き、バーダックは静かに「そうか」と応えた。
全身の力をぬいた悟空の耳に、遠くで鳴る雷の音が聞こえた。
久しぶりになされた未来予知が、外れることはなさそうだ。
END
COMMENT
バダ→←カカからバダカカになる話。未来を視る力を好き放題拡大解釈しています。
THANX
三荷さん、素敵なバダカカをありがとうございます!
地獄で再会してからは、きっとなんだかんだで悟空さの方が懐いて会いに行ってんじゃないかなーとか勝手に思っていたので、イメージにぴったりな二人の描写にニヤニヤ止まりませんでした/////
バダは何となく放っておけないタイプな気がしますし。
目覚めて直ぐ、夢と目の前の悟空が重なった時のバダを想像してきっとセクシーだろうな、と妙な斜めの解釈もしてしまったり(笑)
そして、悟飯じいちゃんと三人の楽しい生活は現実には出会えなかったバダカカ親子を思うとグッときました><花火みたいな気弾撃つバダとか、すごく好きです★
語り始めるときりがないくらい素敵なお話をありがとうございました!
20131214 up!!