予備校の講義が全て終わり、私が急いで帰り支度を整えて外へ出ると、予備校の建物の前の歩道のガードレールに寄りかかり、こちらにヒラヒラ手を振る水戸くんが出迎えてくれた。


「ごめんなさい、遅くなっちゃって…」
「いやいや。俺もさっき来たばかりだから」


そう言いながら、水戸くんが私の方へ歩み寄る。


「お勉強お疲れ様です」


カラっとした笑顔で水戸くんが言った。


「あ、…えっと、水戸くんも、バイト、お疲れ様です」
「ハハ、ありがとう」


お返し、とばかりに慰労の言葉を返すと、水戸くんはニコニコ言葉を返してくれた。


「あ、そうだ。これあげる」


そう言って水戸くんは、右手にぶら下げていたビニール袋の中からオレンジの蓋の小さなペットボトルを取り出した。ホットココアだった。


「勉強頑張ったすみれちゃんにご褒美」


『まだ夜は冷えるから温かい飲み物の方が良いでしょ?』なんて、言葉を続けながら水戸くんはそのペットボトルを私に差し出した。差し出されたそれを受け取ると、私は頭を下げてお礼を言った。


「ありがとうございます。わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「うん?バイト終わってから帰るついでにね」


徐に水戸くんは目の前の道路を渡った向こう側にあるコンビニを指差しながら言った。


「あのコンビニでバイトしてんの」
「え、そうなんですか」
「うん。近いでしょ?」


水戸くんの言うとおり、私の通う予備校と、水戸くんのバイト先のコンビニは目と鼻の先にあった。水戸くん、コンビニでバイトしてるんだ。どんな感じなんだろう。想像してみたけど、いまいちしっくりこない。コンビニと水戸くんとを交互に見ながらそんなことを考えていると、


「じゃ、帰ろっか?」


水戸くんがそう言った。私がハッと我に返ってそれに頷くと、水戸くんはゆっくりと歩き出した。


+++


「…水戸くん、バイトって毎日あるんですか?」


さっきは全然自分から話題を出すことができなかったので、今度はちょっと頑張って自分から話題を切り出したくて、つい先ほど水戸くんのバイト先について話をしたばかりだったから、それについて尋ねてみることにした。


「いや、週3、4日くらいだな」
「そう、ですか…」
「…」
「…」


せっかく水戸くんが私の質問に答えてくれたのに、そこからさらに話を広げることができなくて、あっさり会話終了。そして沈黙。…どうしよう。


「…ね、すみれちゃん」


気まずく感じる沈黙の中、私が視線を辺りに彷徨わせながら話題になりそうなものを探していると、水戸くんが窺うように言った。その声は、なんだか少し困った風にも感じられた。不思議に思って彷徨わせていた視線を隣を歩く水戸くんへ向けると、やっぱりその表情は、なんだか困ったように苦笑いしていた。


「気になってたんだけどさ、なんで敬語なの?」
「え?」


唐突に言った水戸くんに私がきょとんとしていると、水戸くんは『あー…』と少し言いづらそうに唸りながら、質問を変える。


「俺、こわい?」
「いいえ」
「そっか。じゃあさ、なんで俺と話す時敬語なの?」


『俺先輩とかじゃないし、同級生でしょ?』と言葉を続けた水戸くんに、私はそこでようやく水戸くんの言葉の意味が分かった。確かに、水戸くんの言うとおり、私は彼と話す時無意識に敬語になることが多かったと思う。でも、それは決して水戸くんがこわいとか、そういうことじゃない。言うなれば、癖、だろうか。


「えっと、それは、…つい。癖っていうか、私あんまり男の子と話したりしないから慣れてなくて、だから…」


小学校の頃からあまり異性と話をすることが無く、よく話をする男の人といえばお父さんや弟といった家族や、学校や予備校の先生くらいで、だから、こんなに私が会話できる男の子は水戸くんが初めてだった。だから、もしこの私の態度で、水戸くんが嫌な想いをしたのだとしたら、それはすごく嫌で、耐えられない。


「だから、全然、水戸くんのことこわいとか思ってないです」


私がそう言うと、水戸くんは安心したように表情が柔らかくなった。


「そっか。それなら良かった」


そう言った水戸くんの声は明るくて、誤解は解けたようで私はほっとした。水戸くんの柔らかい笑顔につられるように私も思わず頬が緩む。


「でも、できたら敬語じゃなくて普通に話して欲しいな。急にとは言わないし、少しずつでいいからさ」


そう、窺うように水戸くんが言う。私はそれに頷いた。


「うん。気をつけます」
「…」
「…あ」


自信満々に言ってから、早速気をつけられていないことに気がついた。やっぱり癖というものは急に直せるものじゃないみたいだ。


「…少しずつでいいから」


しまった、と顔に出てしまっているであろう私を見ながら水戸くんはカラカラ笑ってそう言った。
そうこうしているうちに私たちは住宅街に入っていて、さらに私の家のすぐ近くまで来ていた。


「あ、私、家この先なんで…」
「え、どれ?」
「えっと、手前から2番目の、」
「ああ、あの家」


そう言いながら水戸くんは私を家の前まで送ってくれた。私の家を何やら不思議そうに見上げている水戸くんに、私は送ってくれたことに対するお礼を告げた。


「わざわざありがとう。えっと、水戸くんのお家は、ここから近い、の?」


癖を意識してなんとか普通に話してみたものの、なんだかちょっとだけ恥ずかしかった。水戸くんは視線を家から私に戻して答えた。


「うん。でももうちょっと先。歩いて10分ちょっと…いやもっとかな?」
「そう、なんだ」


意外にご近所さんなのかもしれない。そう思うとなんだか少し嬉しかった。もしかしたら、またこんな風に一緒に帰ったりできるかもしれない。すると、水戸くんは徐に鞄を持ち直して言った。


「じゃ、また明日学校で」
「あ、うん、また…」


軽く手を振って背を向ける水戸くん。私も小さく手を振り返して、その背中を見送りながら、早く水戸くんともっとちゃんと普通にお話できるようになりたいな、と思った。角を曲がって、その姿が見えなくなるまで、私は家の門の前で立っていた。



06 私の癖


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