『あれ?今すみれちゃん、俺の事名前で呼んだ?』
『もう一回呼んでみて?』
『でも、呼んでよ。これからは名前で』


”洋平くん”って、呼んだ時の彼の満足そうな、だけど少し照れくさそうな、あのはにかみ笑顔を思い出すと、胸がドキドキ落ち着かなくって、落ち着かないんだけど、苦ではない、そんな気分になる。
”洋平くん”って、呼び方をひとつ変えただけで、彼にまた一歩近づけたような気がした。


+++


ぱち。
幸せな気分で目が覚めた。洋平くんが出てくる夢だった。私が初めて”洋平くん”って呼んだあの日の夢。私はベッドの上に寝転がったまま、その夢の余韻に浸るように寝返りをうって枕に頬をこすりつけた。
夢なのに(夢の内容は実際に起きた出来事だったけど)、まだ胸がドキドキしてる。もう一回、見たいな、もう一回眠れば見られるかな、なんて甘えた事を考えながらベッドの横の棚の上の時計を見ると、時刻は午前7時を大幅に過ぎていて、私は慌てて飛び起きた。


わたわたとリビングに下りた私は、母親が用意してくれていた朝食をかきこむと、顔を洗って、歯を磨いて、髪を整えて、制服に着替える為に自分の部屋へ戻る。またもわたわたと制服に着替えると、登校鞄を肩にかけ、洗濯かご行きのパジャマを抱えて部屋を出ようとした時ふと、姿見に映った自分の姿が目にとまった。


「…」


いつもとなんら変わりの無い制服なのに何故か気になってしまったのは、膝丈のスカート。多くの女子生徒はウエストの部分を折り返したり、裾を短く縫い直していたりするのに、私はというと制服をおろした時のままの丈で、みんなと比べると少し長めだ。
(もしかして、この丈ってダサい…?)
そんなことを思ってしまうと、なんだかもう、そうとしか思えなくなってしまう。スカートの丈なんて、そんなこと今まで気になったりしたことなかったのに。
スカートのウエストの部分をひとつだけ折り返してみる。すると、さっきまではスカートの裾に隠れていた膝小僧がひょっこりと姿を現した。視線を姿見に戻し、何度か左右に身を捩ってスカートの裾をひらめかせてみる。
(…よし)
自分のことをこんな風に思うのはなんだかナルシストみたいで恥ずかしいけど、なんだか普段の自分と比べると少しだけ可愛くなれたような気がした。


制服の着こなしに納得できた私は部屋を出ると、脱衣所にある洗濯かごにパジャマを入れて、そのまま玄関へ向かった。玄関には、ちょうど家を出ようと靴を履いていた中学生の弟のタケシが居た。


「あれ?なんかすみれ姉ちゃんいつもと違わね?」
「え?」


タケシは結び直していたスニーカーの紐をそのままに、タケシが靴を履き終えるのを待っている私を、まるで間違い探しでもしているかのようにじっと見つめて、それからすぐにあっ!と声を発すると私のスカートを指差す。その行動に思わずギクリとしてしまう。


「わかった!スカートが短いんだ!」
「…、み、短くちゃいけない?」
「いけなくはないけどさあ…。何?どうしたの急に色気づいちゃって」
「う、うるさい!」


弟に”色気づいて”なんてからかわれたことが恥ずかしくて、それを誤魔化すように(あと、これ以上からかわれないように)、『早く靴履いてよ!』なんて急かすと、タケシは『はいはい』なんてうるさそうに返事をしながら靴ひもを結んで立ち上がると、キッチンにいるであろう母に向かって『行ってきまーす』と声を張ると出かけて行った。それを見送った私はローファーを履くと、からかわれて赤くなった頬に右手の甲を押し当てながら家を出た。


+++


校門をくぐると、少し先に、今ではすっかり見慣れた後ろ姿を見つけた。朝からツイてるなあ、なんて、家を出る時弟にからかわれたことなんてすっかり忘れて良い気分になった私は、少し先を歩くその見慣れた後ろ姿にかけよる。


「よ、洋平くん、おはよう!」


少しの距離だったけど走ったせいなのか、それとも朝から洋平くんに会えたことに気分が浮かれているせいなのか、少し上擦って弾んでしまった声であいさつをすると、洋平くんはこちらに振り向いて笑った。


「おはようすみれちゃん」


笑ってそう挨拶を返してもらえたことが嬉しくて、自然とふにゃりを表情が緩む。


「走って来たの?」
「え?」
「声、弾んでたから」
「!えっと、うん…すこしだけ、だけど」


まさか、『洋平くんの後ろ姿が見えたから走って来た』なんて恥ずかしくて言えない私は、”なんで走って来たのか”という理由を言わなくて済むように言葉を曖昧にしながら、少しの距離とはいえ走って乱れたかもしれない髪を整えるように撫でつけた。


「反対」
「?」


すると、そんな私の様子を見ていた洋平くんは一言そう言うと、すっと腕を伸ばして、私が撫でつけていた方とは反対側の髪を一度払った。男の子に髪を触られるという事に慣れていない私は、当然、突然の洋平くんのその行動にドキドキせずにはいられなかった。…ああ、反対って、そういう意味。
朝、弟にからかわれたことで赤くなった頬がなんとか元に戻っていたというのに、これでまた赤くなってしまう。朝よりも酷い。恥ずかしくて、洋平くんをまっすぐ見られない。そんな私を見て、洋平くんはクスクス笑った。多分洋平くんは、私が”髪が乱れるくらい走って来た”ということに恥ずかしがっていると思っているんだろうな。まあ、それもあるんだけど。


その後、一頻り笑って満足した洋平くんと並んで学校の中へ入ると、昨日やっていたテレビの話とか、桜木くんの部活の様子とか、そんな内容の会話をしながら教室へ向かう。
私のクラスの教室の前までくると、洋平くんは一度足を止め、じっと私を見た。え、何?と、ビックリした後、あ、もしかして、と浮かんできた期待。朝、弟が気づいたのと同じように、もしかしたら、洋平くんも、気付いてくれたのかも知れない。そう思ったら、まるでアピールするかのように、ついつい空いている左手で普段より丈の短くなったスカートの裾をぎゅっと握ってしまう。
だけど。


「…今日は、確か予備校無い日だったよな?」
「え?あ、うん」


じっと見るから、もしかして気づいてくれたのかと思ったのに、洋平くんの口から出たのは今日の放課後の予定だった。なんだか、少し、がっかり。勿論、洋平くんは悪くないんだけど。


「俺は高宮達と放課後花道見に行くけど、すみれちゃんも来る?」
「あ、えっと…今日は友達と帰る約束してるから…」
「そうなんだ」


せっかく誘ってくれたのにごめんね、と私が謝ると、洋平くんは『謝る事じゃないでしょ』と気にしていない風に笑って、『じゃ、また』と手を振りながら自分のクラスの教室へ入って行った。
右手を振ってそれを応えた私は、洋平くんが教室の中へ入るのを確認すると、力無く右手を下ろした。ぎゅっとスカートの裾を握りっぱなしだった左手を放した。普段よりも少し短いスカートは握っていたその部分だけかしわくちゃになってしまっていた。




13 乙女心のスカート


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