彼についてあたしが知っていることはそう多くない。彼は謎めいた人物だった。謎に包まれた人。謎を身に纏った人。
彼は、あたしが彼について多くを知ることを望んでいない、拒んでいるように思えた。勿論、あたしだって、知り合って間もない人に自分のことをあれこれ知られ、詮索されるのは良く思わないけれど。そんな程度ではないような複雑さがあった。
彼には踏み込めない領域がある。踏み込むことを許さない、そんなような思いが。







Story

謎めいて








気づけば週の半分くらいをメロさんとマットさんと一緒に夕食をとるようになっていた。彼に、彼らについてあたしが知っていることはそう多くはないけれど、確実にあたしと彼らの距離は近くなってきている。あたしにはそう思えた。


「ななちゃん、あがってー。」
「はーい。」


夕方。やっぱりお客さんもほとんど居なくなった頃、先輩に言われてあたしは帰り支度を始める。外はとても寒いから、外へ出る前にマフラーをぐるぐる巻いていると、何故かわざわざ先輩が近くまでやって来た。どうしたんだろう。先輩はなんかニコニコしているように見える。ニコニコ、否、ニヤニヤ?
そんな先輩はまるで内緒話をするみたいにあたしの耳元で言った。


「外にお迎えが来てるよ。」
「…お迎え?」


わけがわからなくて聞き返すと、先輩は意味深に笑って『お疲れ様。』とヒラヒラ手を振った。そう言われてしまうと素直に帰るしかない。腑に落ちないところもあったけれど、”お迎え”というのも気になるし。お疲れ様です、と挨拶を残し、あたしはお店の外へ出た。


「お疲れ。」


外へ出るなり、聞き覚えのある声が耳に届く。慌てて声のした方に振り向くとそこには、


「メロさんっ!?」


フードを深く被り、壁にもたれて立つ彼がいた。


「どうして…」
「今日は夕食食わせてもらう日だから、迎えに。」
「わざわざ来て下さったんですか?」


確かに今日は一緒にご飯を食べる日、だけれどそれだけのためにわざわざ迎えに来てくれるなんて。
ピュウ、と冷たい風が頬に触れる。そうとう寒い。彼はこんな寒い中、外であたしが出てくるのを待ってくれていたのだと思うと、あたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「…ありがとうございます。でも、お店の中で待っていてくれたらよかったのに…。」
「いや、何も注文しないのに店の中で待つのは悪いだろ。」
「でも…」


寒かったでしょう?なんて、聞かなくてもわかる。寒くないわけが、ない。なのに、なんでもないことのように、彼はそう言う。


「こんな所に突っ立っているのもなんだし、行くぞ。」
「あ、はい。」


歩き出した彼に少し遅れてあたしも歩き出す。寒い思いをさせてしまったのだから、今日の夕食は何か温かい物にしよう。そう思ってあたしは彼の隣に並んだ。


夕食のメニューはシチューに決定。そのために足りない材料を揃えようと近くのマーケットに寄って、買い物を済ませた。ついつい買い過ぎてしまったため、些か荷物が重くなってしまった。今後は気をつけなきゃ、と心の中で反省してビニール袋を持ち上げると、彼の大きな手があたしの手から袋を攫った。


「俺が持つ。」
「え、でも重いし…」
「だからだろ。」


『それに、俺からすれば大した重さじゃない。』とそう続けるメロさん。確かに軽々持っている、様な気がするけど、わざわざ迎えに来てもらった上に荷物まで持ってもらうなんて悪い。そう思ってあたしが彼の手にあるビニール袋へ手を伸ばすと、彼はそれをあたしから遠ざけるかのように、反対の手に持ち替えた。
顔を上げて視線を袋から彼へ移す。


「気にするな。」


目が合って、あたしにそう言った彼は、フ、と微かに笑んだ。その微笑はとてもとても温かい。彼は、こんなに温かな瞳をしていて、こんなに優しく笑うんだ。
そんな彼の新たな一面は、あたしの心をぽうっと照らし、そしてまた、激しく揺さぶりもした。
ドキドキドキドキ脈打つ心臓。顔に体中の血液が集まったのではないか、というくらい顔が熱く火照るのを感じた。
恐らく赤くなっているだろう顔を見られまいと俯いた。火照った顔に手の甲を押し当てる。あたしの一歩前を歩く彼を追いかけながら、何か話題はないものか、と思考をめぐらせた。


「そういえば、メロさんがお店に来てくれる時、マットさんは一緒じゃないですよね。」


そう言ってあたしが再び彼の隣に並ぶ。メロさんは毎日のようにお店に来てくれるのに、マットさんは一度もお店に来たことはなかったことを思い出して尋ねると、彼はチラリ、あたしに視線を移す。


「あいつは外出するのが嫌いなんだ。」
「え、そうなんですか?」
「ああ。だから必要以外に外へは出ない。」


意外だった。だって毎日じゃないとはいえ、文句一つ言わずにあたしの家までご飯を食べにきてくれていたから、そんなこと考えもしなかった。


「…それじゃ、今日もあたしの家まで来てもらうのって迷惑なんじゃ…。
 あたしが作りに行きましょうか?」


あたしがそう言うと、彼の表情が少し、ほんの少しだけだけれど、強張った気がした。それから彼はフイ、とあたしから視線を逸らして正面を向く。そして、


「いや、それはいい。」


そう言った。それは、迷惑だということなのだろうか。あたしがそこまでする必要がないということ?それとも、これ以上踏み込むなということ?
それから訪れた沈黙が痛くて、何か、何か無いか、とさっきより必死に言葉を探した。


「…メロさんとマットさんって、どんな関係なんですか?」


努めて明るく尋ねる。一緒に住んでいるということはマットさんから聞いたけれど、そういえばどんな関係なのかということはよく知らない。やっぱり、知らないことが多すぎる。


「…今は、仕事仲間といったところだな。」


『今は』。それじゃあ前までは、どんな関係だったのだろう。知れば知るほど、尋ねれば尋ねるほどにわからないことが増えていく。ひとつを知ればまたひとつ疑問が生まれるのだ。
ひとつを知ることも、勝手に知ったと思っているだけで、実際、何ひとつとして知れたことはもしかしたらないのかもしれない。


「仕事って、どんなことをされてるんですか?」


そんな疑問を口にする。すると、彼の足がピタリと止まって、あたしも自然と立ち止まる。不思議に思って彼を見上げて、そこにあった彼の瞳にまばたきをすることすら忘れた。


「それには、どうしても答えなければいけないか?」


また、だ。あの時感じたことと同じ。あたしがこれ以上彼を、彼らを知ることを拒んでいる、そんな気がした。
さっきは、あんなに温かな優しい瞳で笑ったのに、今の彼は冷たくて淋しい瞳をしている。これ以上踏み込むことを許さない、そんな様子で。
あたしは何も言えずに、ただただ首を振ることしか出来なかった。


尋ねれば尋ねるほど、知れば知るほど、わからないことが増えていく。知られることを拒んでいる。踏み込めない領域がある。あたしが彼の事を、想えば、想うほど、謎めいて。




090108
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