『俺は、人を殺している』


雪の夜彼は言った。あたしは聞き間違いだと思いたかった。だけどそれは間違いなんかではなく、さらに彼は言葉を続けた。彼自身の過去を告げた。彼がどこから来て、今までどんなことをしてきて、どうして今ここにいるのか。あたしは何も言えなかった。







Story

願い





日本へ来る前にアメリカにいて、ある目的の為に一時マフィアに身を置いていた。その時に人を殺した。こう言うと少し語弊がある。何故なら直接自分が手を下したわけではない。殺人教唆に近いだろう。けれど、人を殺したことに関わったことに違いはない。目的を果たすためには必要だった。
そして今、日本にいるのも、その目的の為であり、そのためにはやはり手段を選んではいられない。つまり、犯罪者なのだ。
だから、俺は、お前が思っているような人間じゃない。そう、彼は言った。


あたしは何も言えなかった。なんて言って良いのかもわからなかった。あたしは彼の言うとおり、彼のことを知らなかった。何もかもを知らなかったわけではないけれど、彼の、ある種大切な部分を知らなかった。その知らなかった部分を知らされて、その後都合良くふさわしい言葉なんて当然浮かぶはずがなく、遠ざかる彼の背中を呼びとめることも、追いかけることもできなかった。いつだって、そう。


いつも、メロさんが座っていたソファに座り、抱えた膝に顔を埋める。暖房をつけたばかりの室内は雪の降っている外と同じように寒かった。
目を閉じると、彼の姿が頭の中に浮かんだ。怖いくらい真剣な横顔や、ずっと気になっていた悲しそうな笑顔。遠い何処かを、何かを、誰かを偲ぶ瞳。温かい優しい瞳。少しだけ幼く見えた寝顔。その時呟いた小さな言葉。クリスマスの夜の震えた声。そして、遠ざかる広い背中。
涙が堪え切れずに溢れた。いつだってそう。あたしは泣くことしかできない。
どうして彼は悲しそうに笑うのか。あの瞳は何を偲んでいたのか。眠っている時無意識に呟いた言葉の意味も、クリスマスの夜の言葉の意味も、やっとわかったのに。


あたしはなんて酷い人間なのだろう。
彼の支えになりたいなんて、そんなことを言っておいて何もできない。そんなことを言っておいて、あたしは彼を否定していたのだ。
『どんな理由があっても人殺しは許されない』
その考えを今更撤回するつもりはない。今だってその考えは変わってはいない。だけど、きっとあたしはもっと許されない。『人殺しは許されない』とメロさんを否定していながら、彼の力になりたい、支えになりたいなんて言って、あたしはどれだけ彼のことを傷つけただろう。


「あたし、最低だ…」


そう言ってあたしはその言葉をかみしめるように自分の服の袖を握りしめた。
最低。最低。彼のこと、何も考えずに自分のためだけにあたしは離れていこうとする彼を追いかけて、そのたびに傷つけていた。何度も。何度も。
それなのに、どうして。彼を想うと辛い。胸が苦しい。切なくて、たまらない。笑ってほしい。あんな悲しそうな笑い方じゃなくて、優しく笑ってほしい。できることなら、心から思い切り楽しそうに、幸せそうに笑ってほしい。偲んだ先に居ていいの。幸せでいてほしい。そして、その幸せなあなたの隣にあたしを置いてほしい、なんて未だそんなことを図々しくも考えてしまうあたしは、汚い。



あの雪の夜から一週間。完全にメロさんとあたしのつながりは途切れてしまった。彼はあたしの仕事場であるカフェには来なくなったし、家にだってもちろん来ない。マットさんも同様。相変わらず連絡先を知らないあたしには、どうしようもなかった。


「最近彼来ないね?」


帰るお客さんを見送ってから先輩が思いだしたように言った。何かあった?と続けた先輩に、あたしは、


「もう、来ないと思います」


そう言った。今度こそは彼はもう二度とここへは来ない。あたしの前に姿を現しはしないだろう。怪訝な顔をする先輩にこれ以上詮索される前に、お客さんが少ないことをいいことに、あたしは奥へ引っ込んだ。けれど、先輩もあたしの後を追って来て、あたしの肩を掴んでとめた。


「…大丈夫?何か、あったの?」


そう言ってあたしの顔を覗きこむ先輩の表情は心配そうで、あたしのことを想ってくれていることがすぐにわかった。だからあたしは努めて明るく笑って、


「大丈夫です」


それだけ言った。それでもやっぱり先輩は納得いかないようで、顔をしかめる。でも、と食い下がる先輩の次に出るだろう言葉をさえぎるように、あたしは『裏口掃除してきます』とそう言って掃除用具を持って逃げた。先輩は先程のように追ってはこなかった。


裏口のドアから外へ出ると、冷たい空気に肌が痛くなった。手に持っていた掃除用具を一度置いて、ほうきだけを手に取ると、それで地面を掃く。それほどごみや落ち葉が散らばっているわけでもないので、あまり必要のある動作とは思えなかった。
そういえば、メロさんが最後にここへ来た時も、あたしは掃除をしていたな、なんてそんなことを思い出した。そして同時に気がつけばいつも彼のことを考えていることに気づく。ばかだなあ、あたしは。懲りずに涙が出てくる。その涙を袖で強引に拭った。
彼の事になると、あたしは泣いてばかりだ。それしかできない。自業自得なのに。それなのに、もう一度会いたいなんて思ってしまう。会って、謝りたいなんて思ってしまう。
きっと何度も傷つけた。あたしは彼らに、彼に、たくさんのことをしてもらったのに。気遣ってもらった、話してもらった、一緒に過ごしてもらったのに、あたしはそれを正しい形で返せていない。
伝えたいことがある。だからもう一度会いたい。


にじんだ涙に鼻の奥がツンと痛かった。




あたしの様子を心配した先輩が気を使って、店が暇だから、と定時よりも3時間も早くあたしを帰らせてくれた。正直、仕事とか、何かに打ち込んでいる時の方が、彼の事を考えなくてすむような気もしたけれど、先輩のその好意に甘えることにする。あたしを見送る先輩は何か言いたげだったけれど、結局何も言わなかった。余計な心配をかけてしまった、と反省した。


定時よりも3時間も早いから、空気は冷たいものの、陽がまだ高くにあって、明るい。あたしの住むマンションの近くの並木道は人通りが少なくて、暗くなってから一人で歩くのは少し怖いけれど、今は平気だった。怖くはなかったけれど、淋しかった。夕食の材料を持って、彼とこの道を歩いたことを思い出して、淋しかった。泣きそうになるのを我慢しながら、俯いて歩いていると、前方から人が歩いてくる気配がして、条件反射で顔を上げると、思わずあたしは足をとめた。メロさんだった。
彼は突然立ち止まったあたしに気づいて、一度視線をこちらに向け、それから逸らした。そして何事もなかったかのようにこちらに歩いて来て、あたしの横を通り過ぎていった。何も言わなかった。まるで、そこにあたしがいなかったみたいに。あたしは通り過ぎていった彼の方に振り返り、


「待って下さい!」


遠ざかっていく彼の背中に声をかけた。すると、彼はこちらに背を向けたまま立ち止まった。あたしはその場に立ち止まったまま言葉を続けた。


「…ごめんなさい、あたし、あなたを傷つけた」


あの雪の夜、メロさんから真実を知らされてから、ずっと思ってた。謝りたかった。あたしの言った考え方が、彼の過去を、生き方を、否定していながら、同じ口であなたの支えになりたい、なんて言ったあたしはどれだけ彼を傷つけただろうと、そう思うと、たまらなかった。


「ごめんなさい…っ」


きっと、どれだけ言っても足りない。けれど、メロさんはこちらに振り向いて、あの悲しそうな笑顔で言った。


「お前が、そんなに自分を責める必要はない」


だから、気にするな。そう続けたメロさんは再びあたしに背を向けると歩き出そうとした。立ち止まったままだったあたしは咄嗟に彼に走り寄って、彼の腕を掴んだ。『最後』と言われたあの夜のように、また、手を振りほどかれてしまうかもしれないと思うと怖いけれど、今、彼を引きとめなければ本当にもう二度と、一生会えないんじゃないかと、その方が怖かった。


「もうやめて下さい」


あたしのその言葉に彼はピクリと反応した。顔は見えないから、どんな表情をしているのかはわからないけれど、あたしは続けた。


「これ以上、自分を傷つけないで下さい」


あたしに真実を話してくれた時、とても苦しそうに見えた。辛そうに見えた。だから、あたしは思ったの。
本当は、辛いんじゃないんですか?苦しいんじゃないんですか?その目的の為に選んだ手段は、あなたが本当に望んだものではないのでしょう。


「あなたを想うと辛いんです。胸が、苦しくなるんです。…都合の良いことを言ってるって、思うかもしれないけど、人は罪を犯しても償うことができるんです。やり直すことができるんです」


後悔をしているんじゃないんですか?だからあの時『かえりたい』と言ったのでしょう。


「あなたは本当は優しい人です。だから、あなたが帰りたかった場所へ、帰ってもいいんです。帰って来て下さい…っ」


どうしたらあなたに伝わるんだろう。
笑ってほしい。あんな悲しそうな笑い方じゃなくて、優しく笑ってほしい。できることなら、心から思い切り楽しそうに、幸せそうに笑ってほしい。帰りたいと望んだ場所へ帰って来て。幸せでいてほしい。


けれど、やっぱり彼は悲しそうに微笑して、あたしの手を優しく解いた。




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