家の近くの公園のベンチに座りながら、寒いな、と思ってマフラーに埋めていた顔を上げ空を見上げると雪が降っていた。かじかむ手をこすり合わせて息を吐きかけながら、手袋をしてくればよかったな、なんて思うけど、そんなことどうだってよかった。寒さなんかより、不安な気持ちが強かった。 来てくれないかもしれない。だって彼はあの日が最後だと言ったのだから。だけど、あたしは最後になんてさせたくない。 Story 真実 何故、今、あたしがこんな状況にいるのかというと、それは、メロさんに最後と言われたあの夜に遡る。 「ななちゃん?」 しばらく家の外でしゃがみこんだまま泣いていたあたしを聞き覚えのある声が呼んだ。顔を上げると、そこにはマットさんがいた。あたしが泣いているとわかったマットさんは慌てた様子で、あたしと目線を合わせるように片膝をついてしゃがむと、あたしの頬に手を伸ばして服の袖で涙を拭う。 「何、どうしたの?なんで泣いてんの?」 矢継ぎ早にそう尋ねるマットさんに、あたしも、どうして彼が今ここにいるのか、という疑問が浮かんで、答えられなかった。とりあえずこの状況をのみこむために数回まばたきを繰り返す。マットさんも黙ってあたしのその様子を見守りながら、あたしの言葉を待っていた。 「…どうして、マットさん、」 「うん?」 「こんなところに…?」 「え、ああ、それ?」 あたしがまず自分の疑問を口にすると、マットさんはどうやら自分の待っていた類の言葉ではなかったようで、少しだけ拍子抜けした様に答えた。 「ライター失くしちゃってね。昨日、ななちゃんの家に置いてったかな、と思って聞きに来た」 「ライター…?」 「うん。でもそれより、どうした?」 ライターなんてあったかな、なんてあたしが思考をめぐらせかけたところでマットさんが再びそう尋ねた。その言葉で一度はビックリで引っこんだ涙がまた出てくる。泣いている理由を、原因を、認めたくなくて、言葉が出てこない。そんなあたしを見ていたマットさんは少し言いづらそうに、 「そういえばさっき、あっちの方でメロを見たんだけど…もしかしてあいつに何か言われた?」 それは尋ねるような口調だったけど、確信のある声音だった。あたしはそれを肯定するわけでもなく、否定もできるわけなく、押し黙る。 認めたくない。だけど、メロさんはあたしに最後だと言った。認めてしまったら本当に最後になってしまう。そんなの嫌。だけどもうメロさんの中ではすでに終わってしまっている。あたしの気持ちはどうすればいい?頭の中がごちゃごちゃになってどうしたらいいのかわからない。 「…とりあえず、家の中入ろう?」 マットさんはそんなあたしの両肩をつかんであたしを立たせると、優しくそう言った。 家の中に入ると、マットさんはあたしをソファに座らせ、あたしの正面に膝をつくと、あたしの両手を包んであたしを下からのぞきこむようにして、まるで小さい子供にするように尋ねた。 「何かあった?」 もう何度目だろう。マットさんはきっとあたしの為を想ってこうして根気強く聞いてくれている。あの時も、そうだった。そう思いながら、あたしはとうとう先程の出来事を口にした。 「今日で最後だって、言われたんです…会うの…もう、会わないって…」 最後だなんて思いたくない。だけど、言葉にしてしまうと、声に出してしまうと、認めてしまうような気がして、苦しい。切ない。これも、あの時とまるで同じだ。 「そんなの、嫌なんです、あたし…だけど、だけど…」 嫌だという気持ちも、好きという想いも、彼は聞いてくれなかった。 「…もう、…どうしたらいいのか、わからない…っ」 また、涙がボロボロこぼれてきた。みっともないけれど、止まらない。そんなあたしをしばらくじっと見ていたマットさんはポツリと呟くように言った。 「…あいつなりの、けじめ、なのかもしれないな」 マットさんのその言葉の意味がわからなくて、俯いていた顔を上げると、マットさんは困ったような表情をして続けた。 「メロはさ、目的のためなら、基本的に、手段を選ばない。そして、今あいつには、やらなきゃならない大切なことがある。俺も、今はそれに協力してる。…まあ、何もかも細かいとこまで知ってるってわけじゃないけど、あいつの今までのこととかこれから何をしようとしているのかとか大体の事は知ってる。その上での俺の考えだけど…」 突然、マットさんは何を言い出すのだろう。目的?手段?あたしはマットさんの話すことを聞くので精いっぱいで、相槌すらうてなかった。 「あいつは、これからしようとしていることにななちゃんを巻き込みたくないんだよ」 「そんなの…っ」 けれど、マットさんが次に言ったその言葉には思わず声をあげた。 「だからって、そんなの…あたし、納得できません」 それから消え入りそうな声でそうあたしが続けると、マットさんはそっとあたしの頭を撫でて、 「うん、そうだよな」 そう頷いた。それから視線を床に落として、彼は黙りこんだ。 いつも、マットさんはあたしに助言をくれる。あたしを助けてくれる。だけど、今はそれ以上何も言ってはくれない。 沈黙を破ったのはあたしだった。 「…マットさん、お願いがあります」 マットさんに頼ってばかりじゃいけない。甘えてばかりじゃいけない。わかってる。 最後なのは嫌なの。もう、会えないのは嫌なの。だけど、どうしたらいいのかわからない。だから。 『明日、夕方6時に公園に来てください』 あたしのそのお願いを、マットさんはメロさんに伝えてくれただろうか。”必ず伝える”と言ってくれたから、大丈夫だと思う。けれど、メロさんが来てくれる保証はない。現に、もう約束の時間を2時間過ぎている。だけど、あたしは帰るつもりなんてなかった。何時間だって待つ。そう決めた。昨日で最後になんてしたくないから。諦めたくなかった。 つま先の部分に雪がしみ込んで、だんだん感覚がなくなってきた。寒くて、降ってくる雪がキレイとかそんなこと思う余裕はない。かじかむ手に息を吐きかける。もう2時間過ぎ。もうすぐ3時間が経ってしまう。 来てくれないかもしれない。だって、あたしが一方的にお願いしたことだから。 寒くて、寒くて、不安だった。 その時。誰かの足音が近づいてくることに気付いた。はっとして顔を上げ、近づいて来るその人物を見るなり、あたしは思わず立ち上がった。 「…メロ、さん…」 来たのはメロさんだった。本当に来てくれた。一方的なお願いだったのに、来てくれた。最後だと言っていたのに会いに来てくれた。それが嬉しくて、嬉しくて、だけど目の前までやって来た彼は、最後と言ったあの時と同じ、冷たい淋しい瞳をして、 「迷惑だ」 ただ一言そう言った。その言葉は痛くて、あたしは何も言えなかった。そんなあたしにメロさんは続けた。 「昨日、最後だと言ったはずだ。俺の事はもう忘れろ」 それだけ言うと、メロさんはあたしに背を向けて来た道を戻っていこうとする。 「嫌です」 あたしがそう言うと、メロさんはその場に立ち止まった。けれど、こっちを向いてはくれない。構わず、あたしは言葉を続ける。 「迷惑って言われたって、やめない…っ、だって、あたし最後なんて嫌です。忘れるなんて、できません。どうして、どうしてメロさんは、そんなこと、言うんですか?」 どうしたら伝わるんだろう。どうしたらわかってくれるんだろう。ねえ、何か、言って。 「お前は、」 背を向けたまま、メロさんは言った。あたしは黙って彼の次の言葉を待った。 「お前は、俺知らない」 「…え?」 「だから、そんなことが言えるんだ」 おかしなことを言っていると思った。だってメロさんはメロさんでしょう?少し前から、あたしの仕事場であるカフェに来てくれていた、ブロンドの髪に、顔の左半分を痛々しいケロイドで覆っていて、一見少しだけ怖い感じがするけれど、実際は全然そんなことない。 心配してくれる。気遣ってくれる。今は、冷たい淋しい瞳をしているけれど、優しくて温かい瞳をしている彼を、あたしは確かに知っている。 「…何、言ってるんですか?あたし、ちゃんと知ってます、」 「違う、そうじゃない」 あたしの言葉をさえぎるようにメロさんはそう言った。それじゃあ一体どういう意味なのか。尋ねようと口を開くとメロさんは言った。 「俺は、お前が思っているような人間じゃない」 その言葉を聞いてあたしはクリスマスの夜の事を思い出した。抱きしめられた、あの時も、彼はそう言った。 「…どういう、意味、ですか?」 おずおずとそう尋ねる。彼の言ったその言葉はクリスマスの時も、ずっとずっと不思議だった。どういう意味なのか、どうしてそんなことを言ったのかわからなくて、でも聞けなかった。それを、あたしは今、尋ねた。するとメロさんは少し黙ってそれから言った。 「いつだったか、お前、言ったよな。どんな理由があっても人殺しはだめだって」 確かに、いつだったかあたしはそんなことを言った。覚えがあるし、今だってそう思う。だけど、彼のその言葉は何の脈絡もないように思えた。そのことと、あたしがメロさんを知らないということにどんな関係があるというのだろう。さっきよりも長い沈黙。沈黙はあたしを不安にさせた。胸騒ぎがする。嫌な予感。どうして。 背を向けたままの彼。長い長い沈黙の後、彼は言った。 「俺は、人を殺している」 100303 back |