夢を見ていた。クリスマスの夜の夢。抱きしめられた、あの時のことを夢に見た。
あたしを抱きしめた彼は、あたしに何かを囁くけれど、あたしにはその声が聞こえない。もう一度言ってもらうために聞き返そうとすると目の前にいたはずの彼はいなくなっていて、代わりに夢の中なのに微かに彼の匂いがして、あたしの体が浮いているような気がした。







Story

最後の






目が覚めると、あたしはベッドの上にいた。いつの間に眠ってしまっていたのだろう。それにおかしいな、あたしソファにいたはずなのに。カーテンを開けると、日が射しこんできた。夜が明けてしまった。結局メロさんたち、来なかったなぁ、なんて。そう思いながら、ふとテーブルの上を見ると三人分あったはずの夕食が二人分なくなっていた。


「…!」


もしかして、と思って慌てて台所へ向かうと、流しに二人の分の夕食に使っていた食器が洗って置いてあった。そしてその横に小さなメモ。


『ごちそうさま。
 鍵は郵便受けの中。
 おやすみ。
     マット・メロ』


そのメモに導かれるように今度は玄関へ向かい、ドアにくっついた郵便受けの中を探ると、あたしの家の鍵が入っていた。きっと、外側からこの鍵でドアに鍵をかけて、郵便受けに入れたのだろう。あたしはメモと鍵を両手で握りしめて、頬を綻ばせた。
来てくれた。来てくれたんだ。メロさんも、マットさんも。それじゃ、もしかしたら、ソファで寝ちゃっていたあたしを二人がベッドまで運んでくれたのかもしれない。起こしてくれて良かったのに。あたしどうして眠ってしまったのだろう。
そんなことを考えながらのんびりとリビングに戻り、時計を見ると、あたしは思わず固まった。仕事に出る時間の20分前だった。慌ててあたしはテーブルの上に残った夕食にラップをかけて冷蔵庫へ突っ込むと大急ぎで支度を始めた。



朝食を諦めて身支度に徹し必死に走ったおかげで仕事場のカフェについたのはいつもより3分とちょっとだけ早かった。お腹がグーグー鳴っている。昨日の夜も寝てしまって食べ損ねてしまったわけだし、胃は本当に空っぽなのだろう。自業自得なのだけれど。せめて何かつまんでくれば良かったなぁ、なんて思っていると、


「ななちゃん、お店の外掃いてきてくれない?」


先輩がほうきと塵取りを持ってやって来た。『今日風強いから、落ち葉とかすごいの』と続けながら先輩はあたしにほうきと塵取りを渡した。あたしはそれを受け取って、情けなくグーグー鳴り続けるお腹を押さえて外へ出た。
外へ出ると肌を刺すような冷たい風に思わずぎゅっと目を瞑った。寒い。先輩の言うとおりすごい風だった。とりあえずほうきで落ち葉を掃いてはみるものの、掃いても掃いても風で戻ってくる。きりがないな、と溜息を吐いたちょうどその時だった。


「おい」


聞きなれた低いその声。慌てて顔を上げると、そこにはメロさんが立っていた。


「メロさん!」


突然の彼の登場に驚いて、でも会えたことが嬉しくて声が弾んだ。掃除をする手を止めて、彼に向き直る。


「おはようございます!…あ、お店開店まであともう少し時間があるんですけど、準備もう終わるんで良かったら中に―…」


嬉しさで気分が高ぶって少し早口になったあたしの言葉をさえぎるようにメロさんは片手で軽く遠慮するような仕草をみせた。


「…いや、少し話があっただけだから、いい」
「?そう、ですか…?」


メロさんの様子をあたしは不思議に思いながら、一応彼の言葉に頷いた。何か用事でもあるのだろうか。けれど、どうしてだろう、今、目の前の彼の纏うオーラというか、なんというか、いつものメロさんとはどうも様子が違う。


「…メロさん?」


『話があっただけ』と言ったのはメロさんの方なのに、黙ったまま一向に何も言おうとしない彼に不安になって、あたしが呼びかけると、彼は言いづらそうに表情をほんの少しだけ歪めて、それから口を開いた。


「…今日は、何時に仕事が終わる?」


メロさんの口から出て来たその言葉にあたしは少々拍子抜けした。


「多分いつも通り、夕方5時くらいだと思いますけど…」


あたしがそう答えると、彼は『そうか』と納得したように頷いて、それから『それじゃ、その時間にまた来る』と言葉を続ける。あんな言いづらそうだった話の内容がまさかこれだけとは思えなかったあたしはおずおずと尋ねた。


「あの、お話って…」
「…その時、話す」


メロさんの言う”その時”というのはおそらくあたしの仕事が終わった時のことを言っているのだろうと思った。
でも、『話がある』って来たのに、肝心のその”話”を先延ばしにするっていうことは、そんなに言いづらい内容なのだろうか。不思議に思うあたしを知ってか知らずかメロさんは『それじゃあ』と踵を返して行ってしまった。



約束の時間。あたしが予定通りに仕事を終え、帰り支度を済ませて外へ出ると、お店の外にはすでにメロさんが来ていた。


「すみません、おまたせしちゃって」
「いや…」


慌てて彼のもとまで駆け寄って、あたしがそう謝ると、メロさんは”気にしていない”といった風に軽く笑う。あたしはその笑顔に少し違和感を覚えた。それに、さっきメロさんが帰ってしまってから気がついたのだけれど、今日は夕食を一緒にする日じゃない。だから、メロさんが迎えに来てくれる理由はないのに。
なんだか、今日のメロさんは様子がおかしかった。


「…あの?」


その場にただ立ったままのメロさんに声をかける。もしかして今朝先延ばしにした話を、今ここでするのかもしれない、とも思ったけれど、どうやらそういうわけでもないらしく、メロさんは黙ったまま歩き出してしまったから、あたしはついて行くしかなかった。


クリスマスの夜、ケーキを買いに出た時のように、あたしとメロさんはただ黙々と歩いていた。あの時と違うのは、あたしが彼に呼びかけても振り向いてはくれない、立ち止まってもくれないということだった。
ただ黙々と歩いて、気がついたらもうあたしの家の前だった。そこまで来てようやくメロさんの足が止まったかと思うと彼はこちらに振り向いた。あたしはいつもと違う彼に『どうしたんですか?』と聞きかけて、だけど、振り向いた彼の表情に思わずその言葉をのみこんだ。
いつかのような冷たくて、寂しい瞳をしていた。


「今までいろいろ世話になった」


彼のその言葉にあたしは一瞬頭が真っ白になった。
その一瞬はもう何時間くらいに長くも感じられたし、一秒とか二秒とかそれくらいのほんのわずかな時間にも感じられた。とにかく、一瞬にして真っ白になった頭の中は霧が晴れていくように次第にはっきりしていって、あたしは彼の言葉の意味を理解する。けれど、その言葉の理由は見当もつかない。


「会うのは今日で最後だ。もう、会わない」
「…どうしてですか?どうして、急に、突然…っ」


続け様にそう言ったメロさんに、あたしは動揺を隠せずに少し震える声で尋ねる。
するとメロさんは何も言わずに、その冷たい淋しい瞳をそらして、あたしの横をすり抜けていこうとした。もちろんあたしは、そうはさせずに彼の腕を両手で掴んだ。


「待ってください!」


困惑した頭で必死に考える。『今まで世話になった』、『もう、会わない』。今、目の前にいる彼は、あたしの目の前から姿を消そうとしている。そのことは理解できた。でも、でも理由がわからない。だから、納得なんてできない。理由があったって、そんなことできない。


「今日で最後なんて嫌です、もう会わないなんて嫌です」


だって、あたしは。


「あなたが好きなんです」


だから、最後なんて言わないで。もう会わないなんて言わないで。
情けなくも、今にも泣き出してしまいそうになりながら、彼の腕を掴むあたしの両手はカタカタと震えていた。
けれど次の瞬間。
彼は、あたしの手を振りほどいた。
どうして『今日で最後』なのか、『もう会わない』なのか、その理由も、あたしの言葉に対する返事も、何も。何も言わずにメロさんは行ってしまった。まるで、『関係ない』と言われたあの時のように、あたしは彼をそれ以上引き留めることができなかった。
振りほどかれた手とか、『もう会わない』という彼の言葉の重みとか、全部全部が辛くて、涙が溢れて、その場にしゃがみこむ。
どうして最後なの。どうしてそんなこと言うの。どうしてその理由も教えてくれないの。


『…俺は、お前が思っているような人間じゃない…』


クリスマスのあの夜、あなたがあたしに言ったあの言葉は、一体どういう意味だったの。
好き。
好き。
ねえ、好きなの。
あたしは、あなたが。



100227
back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -