ピピピ、と体温計が鳴って、見てみるとそこには37.8℃と表示されていた。なんてことだ。確かに朝起きた時いつもよりだるかったけど、微妙に関節痛いような気もしてたけど。まさか熱が出るなんて思わなかった。 もしかして、もしかしなくても、昨日の雨のせいだ。…帰ってきてすぐお風呂入ったんだけどなぁ。 いつもならこれくらい気力でなんとでもできるのに、今回ばかりはその気力すらなかった。 恋した背中 うそつき 体調悪いな、って思ってる時って具体的な病名とか体温とか知っちゃうと余計に体調が悪くなるものだと思う。つまり、今のあたしのような状態だ。熱、測らなきゃよかったな。そうすればただダルイな、関節痛いな、ってそれだけで済んだのに。 なんだかそれは、今のあたしの恋にも同じことが言えるような気がした。神くんに彼女がいるって知らなければ、きっと今までどおり楽しかったのに。 でも、知ってしまったのだからもう遅い。熱も、恋も。 「ママ、薬ある?熱下げるやつ」 体温計をケースにしまって、あたしはテーブルに突っ伏したまま顔だけを台所に立つママに向けて尋ねた。するとママはあたしに背を向けたまま答えた。 「あるけど、薬飲むなら何か食べなきゃダメだからね」 「うん、じゃあ何か食べる」 …とは言ったものの、正直食欲がない。普通の炊いたご飯とか、多分ノド通らないし、お粥とかないかな。ないよね。もう作る時間もないし。熱のダルさからかいつもより起きた時間が遅くて多分今日は遅刻ギリギリだ。遅刻しないためにも急がなくちゃいけなかったから、テーブルの上にあったバナナを一本むしって食べた。バナナなら大丈夫だと思う。腹持ち的な問題で。 それから薬を飲んで、学校へ行く準備をしてたらママがビックリした様子で言った。 「何、あんた学校行くの?」 「行くよ。目指せ皆勤賞」 「…無理すんじゃないよ?途中で帰って来ても平気だからね。ママ、今日パート休みだから」 「うん、ありがとママ。いってきます」 「はい、いってらっしゃい」 ママに見送られて外へ出ると昨日とは打って変わって快晴。本当は学校休んでもよかったんだけど、まぁ、言ったとおりできれば皆勤賞(だと貰える図書カード2000円分)欲しいし、基本的に平熱高めだから、通常36.8℃とかだから大丈夫かな、とか思っていたりする。 それより何より、昨日神くんに借りた傘を返さなくちゃいけない。だからあたしは今日、学校を休むわけにはいかないのだ。 学校に着いてから廊下を猛ダッシュしたおかげでなんとか遅刻を免れた。けれど、確実に体調不良は悪化したと思う。証拠に、あたしは机に突っ伏したまま体を起こすことができなかった。授業どうしよう。 「なな大丈夫?真っ青だよ」 サワがあたしの席の近くまで来てそう言った。 「…大丈夫」 「には見えないなー…」 「…一限、何だっけ?」 「体育」 …ツイてない、と思った。体調悪いときに限って体育のある日とか泣きたくなる。 「…体育かー…いそがなくちゃ、移動だね」 「え、嘘。やるの?」 「やるー…」 「やめときなよ、体調悪いんでしょ?」 「サワ、起こして」 「起きれないくせにやるのかよ!」 何だかんだ言いつつもサワはあたしの腕を掴んで立たせてくれて、更衣室まで手を引いて連れていってくれた。そして朝のママみたいに『無理しちゃだめだよ?キツかったら休むんだよ?』ってあたしに言った。サワはちょっとママ系だと思う。…ってママ系ってなんだ? それより今日の体育は何をやるんだろうか。 +++ 「20秒―!!」 グラウンドに響く先生のカウント。走る生徒。まさかまさかのインターバル。風はないし、天気は好いし、インターバル日和だな、嫌だけど。体調悪いし、なんか男子も体育外でやってるし、いろいろ最悪だ。 走ってたらなんかますます体調悪くなってきたような気がする。寒気もする気がした。こんな天気好いのに。足重たい。目が回る、気持ち悪い、と思った次の瞬間グラっと体が傾いてそこから意識がなくなった。 +++ 目が覚めると、あたしは保健室のベッドの上にいた。どうやら体育の途中で倒れたらしかった。休み時間にお見舞いに来てくれたサワが言うには、それはそれは見事にバターンとキレイに倒れたらしい。 恥ずかしい。 「吉村さん、どうする?お迎え来てもらう?」 シャッ、とカーテンが開いて、顔を覗かせた保健室の先生が訊ねてきた。カーテン開ける前に何か一言ないものかな。と、ちょっと不満に思いながら、そういえばママ、今日パート休みって言ってたなぁ、と思い出す。でも休みの日はママにとって大掃除の日だから、たぶん早くても午前中いっぱいはかかるはず。掃除中断してお迎え来てもらうのは忍びないし、それにそうするとママが掃除してる中あたしは部屋で寝てなきゃなんないわけだし…。だったらもうちょっと保健室で寝させてもらおう。 「…たぶん今ママ家にいないと思う」 「あら大変!」 「お昼頃にはいると思うから、そしたら帰る」 「そう?じゃ、それくらいになったらお家に連絡しとくから、それまでここで寝てていいよ」 「ありがとうございまーす…」 そう言ってあたしは布団を顔が隠れるまで上に引き上げた。ちょっと嘘を言ったから罪悪感。ごめんなさい、先生。 「吉村さん、先生ね、ちょっとやることがあるから職員室行ってくるけど、平気?」 「へいき」 「ちゃんと寝ててね?」 「はーい…」 あたしが返事をすると先生はバタバタと騒がしく保健室を出ていった。先生、ここ保健室です。そしてあたしは病人です。あまりの騒がしさに本当にあの人は保健室の先生なのか疑問に思いながら布団からちょっとだけ顔を出すと、開きっぱなしのカーテンが目についた。…閉めていってよ。 ベッドに寝転がったままギリギリまで手を伸ばしてカーテンを閉めようとしたけど届かない。何回やっても届かない。もういいや。 カーテンを閉めることを諦めたあたしは肩まで布団をかけて目をつぶった。 なかなか眠れなくて何度も寝がえりをうっていると、ガラガラとドアが開く音がした。先生かな?とも思ったけどどうやら違うようだ。誰だろう。 そう思って、よっこいしょ、と上体を起こすと、 「あ」 そこにいたのは神くんだった。え、何で?ビックリして思わず声を出してしまって、するとそれに気づいたらしい神くんはこっちを見た。バチッと目が合った。反射的に目をそらすと、神くんがこっちまでやってきた。 「具合どう?」 神くんは、あたしの寝てるベッドのとなりのベッドに浅く腰かけてそう言った。 「いきなり倒れたからビックリしたよ」 『朝から調子悪そうだったもんね』と神くんは続けた。ってことは神くんにも倒れた瞬間見られてたんだ!それを知ってあたしは恥ずかしさでどうにかなっちゃいそうだと思った。その上、昨日のことがあったから、どんな風に接したらいいのかわからない。 『神くんが優しくするから、あたし、期待しちゃうじゃん…っ』 こらえきれずに出てきてしまった言葉。あれを神くんはどう思っただろう。 「やっぱり昨日、ちゃんと俺が送っていけばよかった」 唐突に神くんが言った。顔をあげると、神くんは申し訳なさそうな表情をしていて、それを見たらなんだか切なくなってしまった。 「…神くんのせいじゃ、ないよ」 なんて言っていいのかわからなくて、とりあえずそう言ってしまったけど、多分神くんには聞こえていても、聞こえていないんだろうな、と思った。 しばらく沈黙があって、それからまた神くんが口を開く。 「俺、何かしちゃったかな?」 「へ?」 予想もしないその一言。あたしはいまいち意味がわからなくて、間抜けた声を出してしまった。神くんは続ける。 「最近、吉村さん俺のこと避けてない?」 「そんなこと…っ」 『ないよ』って言いたかったけど、そう言えば嘘になる。神くんの言う通り、確かにあたしは神くんを避けてた。ノブくんに神くんのことを聞いたあの日から、どうすればいいのかわからなくて、話しかけないようにしていたから、『そんなことないよ』なんて言えない。 「昨日も俺が泣かせちゃったんだよね?」 その言葉にドキっとした。何か悪いことをしてしまったようで、どうして昨日あたしは我慢が出来なかったんだろう、って。 「俺、吉村さんと毎日話したり、メールしたりするのが楽しかったから、今の状態は嫌なんだ。でも、そうなった原因が俺にあるなら謝る。ごめんね」 神くんがそう謝ったのとまるでタイミングを合わせたみたいに予鈴が鳴った。すると神くんは『お大事に』って笑って、立ち上がるとそのまま保健室を出ていく。 神くんに『ごめんね』って言われた時、胸がズキ、ってした。別に、あたしは神くんに謝ってほしかったわけじゃない。まして、何であたしが神くんを避けているのか、理由もわかっていないのに『ごめんね』なんてそんなの違う。おかしいよ、なんで?どうして?なんで神くんはそんな簡単に『ごめんね』なんて言っちゃうの?どうして神くんがあんな寂しそうな表情するの? 神くんに言いたいことがたくさんあって、我慢なんてできなくて、あたしはベッドから抜け出すと神くんを追って保健室を飛び出した。 神くんはちょうど階段を上っていて、予鈴が鳴った後だからか他に誰もいなかった。 「うそつき」 静かな空間にそう言ったあたしの声が響いた。神くんは止まってこっちに振り向いた。あたしはその神くんの目をそらさずにじっと見つめたまま言葉を続ける。 「神くんのアド知ってるのあたしだけって言ってたくせに、あたしには、彼女いないって言ったくせに」 ああもうだめだ。昨日と一緒。言葉も涙も我慢できない。 「あたしは、」 涙がボロボロ出てくる。神くんが困惑した表情であたしを見ていた。ずるい、ずるい。神くんがそんな表情するのは、ずるい。 「あたしは、謝ってほしかったんじゃないの」 泣いているから、声が震えてしまっているのがわかった。嗚咽も混ざって上手く言葉にもなっていないのもわかった。でも、涙も、言葉も止まらなくて。 「神くんのうそつき!」 そう言うとあたしはグイ、と制服の袖で涙を拭いて、一度深呼吸した。すると今度は、ずっと黙ってた神くんが何か言おうと口を開いた、けど、 「こら、お前らもう本令鳴るぞ。教室行け」 職員室から出てきた先生に遮られた。 あたしはそのまま保健室に逃げ帰った。ドアを勢いよく閉めて、ベッドまで足早に向かいカーテンを閉める。そしたらまた涙が出てきて、あたしはグスグスしゃくりあげながらベッドに入って布団を頭までかぶるとわんわん泣いた。 言いたい放題言って、そのくせ一番言わなくちゃいけない『好き』って気持ちを言わずに逃げたあたしはずるい。 神くんはうそつきで、理由もわかんないのに『ごめんね』とか言って、あんな寂しそうな表情してずるい。 けどあたしはもっとうそつきで、ずるい。 090408 back |