二人のお家(洋平)
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※社会人設定




「…もうこんな時間!」

壁にかかった時計を見て、少し慌てたように名前が言った。その言葉に導かれるようにして俺も時計を見ると、時刻はもうすぐ午後10時を回ろうとしているところだった。


「あ、いいよ、そこ置いといて。帰ってきてから俺がやるから」
「え、でも…」
「いいから、ほら、荷物持って」


俺は、先程まで使っていた、テーブルに並んだ二つのグラスを片付けようと持った名前の手からそのグラス達を取り上げると、名前に帰り支度を整えるよう言った。名前が返事をしたのを背中に聞きながら、ひとまずグラス達をシンクに並べておく。洗い物は帰ってきてからだ。
名前の元に戻ると、彼女はテーブルの上に置いていた携帯を鞄の中へしまいながら立ち上がり、


「準備オッケー」
「忘れ物ない?」
「無いよ」
「ま、あってもどうせ明日も来るだろ?」
「どうせって、え、来ちゃだめ?」
「だめって言ったらどうすんの?」
「どうしよう…」


だめ、なんて冗談なのに、本気で困ったように眉をハの字に寄せて『ほんとに遊びに来たらだめ?』なんて尋ねてくる名前は、可愛いと思う。なんでもすぐ信じてしまうから、からかい甲斐があって、彼女は面白い。そしてその素直さは純粋に可愛い。


「冗談だよ」


そう言って名前の頭をぐしゃぐしゃ撫でてやると、名前はからかわれたことに気づいて拗ねたように口を尖らせたけど、それからすぐに照れたように笑った。そんな彼女の頭をもう一度軽く撫でると、玄関に備え付けられた靴箱の上に放ってあったバイクのキーをズボンのポケットに突っ込んで部屋を出た。


+++


名前の住んでいるアパートと、俺が今住んでいるアパートはそれほど遠く離れているわけではないが、歩いて帰るとなると、なかなか距離がある。
だから帰りはいつもこうして送っていく。
ちなみに俺も、名前も一人暮らしだ。俺は大学生の頃から。名前は社会人になってから。互いに一人暮らしなのだから、最初から名前の家で会えば、こうやって送ったりすることもなく効率が良いように思えるが、名前の勤めている会社からだと名前の家より俺の家の方が近いため、どうも会うのは俺の家の方が多くなる。
お互い社会人で一人暮らし。名前とは真剣に先のことを考えているから、いっそのこと同棲でもしてしまえばいいとも思ったが、それは名前に却下された。なんでも、結婚をする前に同棲をしてしまうと、ズルズル同棲期間ばかりが長引いて結婚に話が進まなくなるから絶対にだめ!なんだそうだ。まあ、その説については分からなくもない。
別に、こうして送り届けることはぜんぜん苦じゃない。寧ろ、夜遅くに一人で帰らせる方がありえない。だけど、こうやって毎日のように頻繁に家に来て、送り届けるっていう関係をそろそろ終わらせたい、と思っていた。終わらせたい、というのは勿論前向きな良い意味合いの方で。終わらせたい、というより、もう一歩進みたい、と言った方が良いか。


「今日も家まで送ってくれてありがとう」


名前の部屋な前まで来ると、玄関をあける前に名前が言った。大切な彼女なのだから、男として家まで無事に送り届けるのは当然だと思うが、名前はそれを当然のこととはせずに必ず礼を言う。そんな律儀なところも彼女の良いところだ。それから名前は鞄の中から家の鍵を取り出すと、ドアにかかった鍵を開ける。そんな彼女の背中に声をかけた。


「あの、さ」
「?なあに?」


名前が鍵穴に差し込んだ鍵を回すと、ガチャンと音をたててドアの鍵が開く。


「誤解、しないで聞いてほしいんだけど」
「?」
「別に、こうやって名前を送り届けること嫌なわけじゃないんだ。ぜんぜん、苦じゃないし、寧ろ一人で帰らせる方が心配だろ?だから、送り届けることはぜんぜん構わないんだけど、」


振り返った名前は唐突に話し出した俺を不思議そうに見つめながら俺の話を聞いている。


「こうして送り届けて、『それじゃまた、おやすみ』って別れるのはあんまり好きじゃない」
「…」
「家に帰ってから、例えば今日だと、使ってたグラスとかが洗わないで残ってて、そういうの見るとちょっと寂しいんだよな。さっきまで一緒に居たのにな、ってさ」
「…それは、」


俺の言葉を聞いた名前が少し困ったように、寂しそうに口を開く。


「それは、私だって同じだよ」
「うん」
「私だって、…寂しいよ」


そう言って俯いてしまった名前。そんな彼女の頭をさっきのように、ぐしゃぐしゃ撫でると、俺は覚悟を決めて口を開いた。


「だからさ、もう、やめよう」
「え?」


俯いていた顔を上げた名前の目は、どういう意味だ、と戸惑った様子で俺を見つめている。


「名前が居る家に帰りたい」
「…私の居る、家?」


きょとんと俺を見つめている名前に、俺は一度頷いて言葉を続ける。


「俺が『ただいま』って言ったら、名前が『おかえり』って言ってくれる家に帰りたい」
「それって…」


ようやく俺の言葉の意味を理解したらしい名前の顔がみるみる内に赤く染まっていく。そんな素直な反応を見せてくれる名前を愛しく想いながら、俺は決定的な言葉を口にした。


「結婚しよう」


140824


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