愛が芽吹いた日(遊星)
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外では夕方から降り始めた雨が今でもシトシトと降り続いていた。窓越しに微かに聞こえるその雨音と、持ち帰った仕事に勤しむ自分がキーボードを叩く音。そして、少し離れたベッドの方から規則正しく控えめに聞こえてくる寝息。そんな三つの小さな音だけが集まった静かな部屋の中に、カチリ、と、これもまた小さな四つ目の音が響いた。時計の針の音だ。
パソコン画面に向けていた視線を部屋の壁の時計に向けると、ちょうど日付が変わったところだった。普段ならそれほど気にならない筈の規則正しくカチコチ秒針を鳴らす時計の音が、日付の変わるその瞬間だけ一際大きく響いた気がしたのは、きっと今日が特別な日だからだろう。
俺は視線を時計からパソコンの隣に置かれた卓上カレンダーに移した。今日の日付がピンクのマーカーで描かれたハートマークに囲まれている。シンプルなそのカレンダーには不釣り合いにも見えるそのハートマークは、勿論俺が描いたものではない。これを描いたのは、ちょうど今ベッドで規則正しい寝息をたてている名前だ。
椅子から立ち上がり、あまり足音を立てないよう注意しながらベッドの近くへ歩み寄る。気持ちよさそうに眠っている名前を起こさないよう、静かな動作でベッドに腰掛けると、その寝顔を見つめた。普段自分が使っているベッドに名前がいるこの光景はなんだか不思議だった。
俺と名前は恋人関係ではあるものの、今日のようにこんな遅い時間まで一緒に過ごすことはほとんど無い。あるとすれば、そう、まさに今日のように特別な日だけ。


『明日は私と遊星が初めて出会った大切な記念日だから、明日になる瞬間を一緒に居たいの』


普段なら午後9時前には自分の家へ帰る名前が、少し照れくさそうにそう言っていたことを思い出しながら、ベッドの上に無防備に投げ出された彼女の左手を取る。触り慣れた、その小さな手。細い指。ゆるく握られた手を優しく開いて、薬指をなぞって確かめる。今日まで、何度も、何度も、触れて来たその指に、細い赤のリボンを結んだ。


「…ん、」


すると、気持ちよさそうに眠っていた名前が身じろいで、それからゆるゆると瞼を開く。意識が覚醒していないぼんやりとした瞳がなんだか小さな子供のようで自然と笑みが零れた。


「すまない。起こしてしまったか」
「…ううん、へいき。…それより、今、なんじ?」


そう尋ねながら、ぼんやりとした名前の視線が壁の時計に向けられた、が、時刻を確認した途端にぼんやりとしたその瞳がカッと覚醒する。


「嘘!もう明日になっちゃったの!?」


ガバっと勢い良く起き上がり、『遊星、どうして起こしてくれなかったの?』なんて、半泣きになりながら訴える名前に、俺は思わず苦笑いした。


「名前が気持ちよさそうに眠っていたものだから、つい」
「そんなぁ…」


余程ショックだったのか、眉をハの字に曲げる名前。それから名前は、ギュウとシーツを握りしめる両手を口元へ持って行くと、目に映った自分の指に結ばれた赤いリボンにきょとんと目を丸くさせた。不思議そうに2、3回目を瞬かせると、ゆっくり視線を俺に向ける。


「遊星、これ…」


薬指に結ばれた赤いリボンの意味を求める名前の、不思議そうでいて、段々と期待に染められていくその瞳を見つめたまま、その左手をとる。


「名前」
「な、なに?」
「今日は、どんな、特別な日だったか覚えているか?」
「どんな、って、私と遊星が初めて出会った、日…」


唐突なその質問に、おずおずと応える名前のその言葉に頷くと、手に取った名前の左手をそっと握って告げた。


「今日という日を、俺達にとって、もっと特別な日にしないか?」


140706


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