吉良吉影は今日も今日とて疲れきった顔で帰宅した。
特別仕事が疲れたからだとか何か失敗を仕出かして引き摺っている、なんて訳ではない。むしろ、仕事は滞りなく終わらせてきたし、好調そのものだった。
問題は帰宅してから。吉良は、一つ屋根の下で寝食を共にする穀潰しのクソカス共に辟易しきっていたのだ。帰ればまた相手をせねばならない。その事を考えるだけで、知らず知らずの内に疲労が顔に出てしまうのだ。仕方のないことだった。
しかし、何も嫌なことばかりではない。帰宅すれば、唯一の癒しであるナマエにも会えるのだ。そうだ、あの子(の手)に癒してもらおう。
少しだけ鬱々とした気分が晴れた吉良は、ドアノブを回し玄関の扉を開けた。
「ただい……何してる」
そのあまりにも異様な光景に吉良は己の目を疑った。同居人全員が、何かを囲むようにして突っ立っている。
…何だ?何かの儀式か?
不思議に思いながらも、中心が見えるように移動した。むさ苦しい男達が取り囲んでいたのは、なんと一人の赤ん坊だった。
これには流石の吉良もギョッとして飛び退いた。どういうことだ、どうして此処に赤ん坊が居る!?
「なっ…なんだこれは!!?」
珍しく大声を張り上げた吉良の声にいち早く反応したのは、畳の上に寝かされた赤ん坊だった。吉良に負けず劣らずの声量で泣き出してしまったのだ。
「吉良のせいだぞ。折角機嫌良くしていたというのに…」
「赤ん坊の前で大声を出すな、馬鹿者」
DIOとカーズから責められ、吉良の頭はこんがらがるばかりだ。いやだからその赤ん坊は何なのだ。まさか拾ってきたのか。それとも何処ぞから誘拐でもしてきたのか。何の為に。やっぱり儀式の為か。それより何だよ儀式って。
いくら考えても答えは出そうにない。部屋の隅に置かれたベビー用品の山が現実だと物語っていた。
「はいはい、もう大丈夫だからな」
「怖かったね」
赤ん坊をあやしているディエゴとプッチに向かって、吉良はもう一度問い掛けた。「何だその赤ん坊は」と。
そうして二人から返ってきたのは、驚くべき答えだった。
「この子はナマエだ」
吉良は卒倒しそうになった。
***
「…整理させてくれ。その子はナマエで、カーズのせいでこうなった…とそういう訳だね?」
「ああ、そうだ」
「で、戻す方法も分からなければ、何時元に戻るかも分からない」
「如何にも」
「(胸を張って言うような内容では無いんだが)」
要約すると、カーズが作った妙な薬のせいでナマエは赤ん坊に退化したという話らしい。本当はここまで遡らず、幼児期辺りで止めるつもりだったらしいが、ナマエは薬に影響を受けやすい体質だったらしく、気付けば赤ん坊になっていたそうだ。カーズが気紛れに作った薬であるが故に、元に戻す薬の精製方法も分からなければ、何時元に戻るのかも分からない。曰く数日程度の持続力だろう、との事。だが、それも憶測でしかなく、もしかすると数十日、いや数週間、最悪数年なんて事も十分に有り得る話だった。
「肝心の子育てだが、経験は有るのか。子持ち共」
何時戻るのか分からなければ、赤ん坊のままのナマエを育てていかなくてはならない。
吉良の言葉にDIOとディアボロはサッと目を逸らした。
有る訳がない。片や作るだけ作って丸投げだった男と、片や最近になって漸く認知した男だ。子育て経験も無ければ、赤ん坊と接した事だって有りやしなかった。
二人が何も言わずとも空気で察した吉良は、彼らに希望を抱くのを止めにした。
「この二人は使えないとなると…カーズ、君は?ワムウだか言うのと、サンタナ?だか言うのを育てたんじゃあなかったか」
「そんな昔の事などもう覚えていない。エシディシにほぼ押し付けていたしな。それに、赤ん坊なんぞ放っておいても育つ。現にワムウを見てみろ。あれはまだ若いが立派なものよ」
それを聞いた吉良は、呆れ返って閉口してしまった。こうなったら育児書やネットの知識に頼るしかないようだ。
その時、またもやナマエが泣き出してしまった。
ディエゴが抱き上げて何とかあやそうとするも、上手くいかない。泣き声はどんどん酷くなる一方だ。
「お、おい、どうすれば良いんだこういう場合!」
「もしかして、腹が減っているんじゃあないか?」
狼狽えるディエゴに、ヴァレンタインが助言した。それを聞いていた吉良は暫し考えた後にカーズに問い掛ける。
「という事はミルクか…。カーズ、まさか君、ミルクは出せないよな?」
「出せるには出せるが、男の乳から母乳が出るところをお前は見たいのか?」
「いや……」
言ってから後悔した。想像するだけでも気持ちが悪い。況してやそれをナマエに飲ませるなど、教育上宜しくない。
普通に作ろう…。吉良はミルクを作りに携帯片手に台所に立つのだった。
***
勢いよくミルクを飲むナマエにディエゴは笑みを浮かべた。なにこれ、楽しい。
「ナマエ…なんてカワイイんだ…」
「本当だな。頬っぺたもプニプニだし…」
傍らに控えたヴァレンタインとディアボロもうっとりとした表情を浮かべてナマエを見ている。完全にナマエにノックアウトされたようだ。
吉良はネットから得た知識を早速活用すべく、ディエゴに次の指示を出す。
「飲ませ終わったらゲップをさせるのを忘れずにな」
「ゲップ?なんて下品なんだ…」
「仕方がないだろう。赤ん坊なんだから。そのままにしておくと、吐く原因にもなるらしい」
「ふうん。逆さにすれば良いのか?」
「君は馬鹿か?もう一度言うぞ。君は馬鹿か?」
子育て経験が無いにしてもあまりにも酷すぎるディエゴの知識に吉良は突っ込まずにはいられなかった。
「私の言う通りにするんだ。良いね?」
「わかった」
まずはナマエを肩に担ぎ上げさせてから背中を軽く叩いたり、擦ったりしてゲップを促す。たったこれだけの行為なのに、全てが初体験のディエゴにとっては、レースで一位を取る事よりも遥かに難しいものと感じた。
やっさもっさしながらも、何とかナマエにゲップを出させ一安心。
ナマエも機嫌良く喃語を発し周囲を和ませている。
「あー、あー」
「『あー』では分からん」
「DIO、相手は赤ん坊だから…」
プッチが苦笑してDIOに言った。
それから暫くの間は機嫌良くしていたナマエだったが、ふとした拍子に再びぐずり始めてしまう。
「今度は何なのだ…」
カーズが不機嫌そうに呟いた。
「ミルクも飲んだし、もしかしてウンチが出たんじゃあないか」とプッチ。
ディエゴが信じられないものを見るかのような目でナマエを見た。
「ウン…って、あの…?」
「そのウン以外に何が有るんだい」
「信じられない」。今度は口に出した。
「オムツを換えないといけないな」
「"誰"が?」
「…………」
ディアボロのその素朴な問いに答えられる者は誰一人として居なかった。
赤ん坊の物とは言え、排泄物の世話など率先してやりたいものでもない。けれど、このままだと衛生上良くないことも分かっていたし、何よりナマエが泣き止まない。最終的に誰かがしなくてはならないのだ。
同居人全員が吉良を見ている。言外にお前なら出来る、いやむしろお前しか出来ない、と言われている気がして吉良は奥歯をギリギリと噛み締めた。都合が悪くなれば全て丸投げか!
ついにはナマエが大声を上げ始めた。逃げられないと悟った吉良は、仕方なく人生初のオムツ替えに挑むことに。
プッチが着けたらしい不格好なオムツを外し、そして思わず顔を顰める。
「うっ…」
臭いがキツイ。
粘り気のある便がオムツに付着していた。これが良いのか悪いのか、子育てを経験した事のない吉良には分からなかったが、ナマエの様子を見る限り具合が悪そうでも無いし、大丈夫なのだろう…と、思い込む。
それから吉良は、まるでこの世の終わりを迎えたような気持ちになりながら、ナマエの尻を拭いてやろうとした。…のだが、赤ん坊がそのままじっとしていられる訳もなく。
体を捩り足をバタバタと動かされたせいで、便が飛び散りナマエの足に付くわ、吉良の衣服に飛び跳ねるわ、と凄惨な事件が発生した。瞬間、吉良以外の住人は一斉に吉良から距離を取る。自分達まで吉良と同じ目に遭うのは御免だとばかりに。
なんとまあ素晴らしいお仲間意識に吉良の苛つきは最高潮に達した。
吉良の背後にスタンド像が見え始めた頃、ナマエが今度は尿を飛ばし、吉良は怒り泣きのような不思議な表情を浮かべた。
***
あれから一週間と数日が経った。ナマエはまだ元に戻らない。
特に大きな進展が有った訳ではなかったが、変わったことが一つだけあった。
住人全員の育児に対する姿勢だ。ナマエの身の回りの物何から何まで気を使い、天然素材以外の物は与えないし、触れさせないという徹底ぶり。初めはあやすのさえ儘ならなかった男達だったが、この一週間の間に子育てが遥かに上達していた。
しかし、最初の数日間は失敗の連続だった。
ディアボロが一歳にも満たないナマエに蜂蜜を与えようとして吉良が爆破するなんて事もあったし(「食中毒になったらどうするんだ!君はナマエを殺す気か!?」)、またある時は果汁を与えようとしたDIOがプッチに全力で止められるなんて事もあった(「食物アレルギーになるかもしれないからまだ早いよ!」)。風呂に入れればナマエを溺れさせそうになり、彼女を連れて出掛ければ、出先で忘れそうになる。
あまりにも保護者としての自覚が足りない最低最悪の育児だったが、けれども、今は違う。
まずは、初日にはゲップの促し方も知らなかったディエゴ。
「ン、飲んだな。よし、ナマエ。ゲップしような」
ゲップを出させるのもこなれたもので、もう肩に担ぎ上げる方法ではなく、自身の腿に乗せて上半身を起こした姿勢での方法を用いる迄に成長していた。
カーズは、最初こそ育児に積極的ではなかったが、今や進んでベビーマッサージを施す等の働きを見せていた。近所の教室にも通い始め、そこではイクメンのカーズとして名を轟かせている。ママ友からランチのお誘いを受けるのなんてしょっちゅうだ。
「ナマエが座れるようになったらベビーヨガもするのだ」が、最近の口癖である。
昼夜逆転生活をしているDIOは、専らナマエが夜泣きをした時の対応担当だった。初めは泣き止ませ方などてんで分からず、思わず手が出そうにもなったが、今ではあやす事に賭けては彼の右に出るものは居ない。
ナマエがぐずりだしたら取り敢えずDIOに抱かせれば良いとまで言わしめた。
吉良はオムツを換えるのが一段と手際よくなっていた。たった一週間とちょっとしか経っていないのに、すっかりコツを掴み、まるで熟練の母親かの如くオムツを換えるのだ。それは最早芸術の域だと言えた。始めの内は布団を濡らすのは当たり前、畳も駄目にしかけた程であったが、今やそんな失敗は絶対にしない。
あとは、初日からミルクを作るのも吉良の仕事だった。吉良が作ったミルクでないと、何故かナマエが口をつけないのだ。
ディアボロは日中、ナマエの相手をしてやっていた。
「あー、うー」
「ン?これが気になるのか?これはパソコンだ」
「あー」
「そうだ、パソコン」
ナマエが喋れば、ディアボロが返事をしてやる。意味の無い言葉だと分かっていても、率先して相槌を打ってやっていた。コミュニケーションを取ることも育児には必要なのだ。
プッチは専らナマエを風呂に入れる役目を担っていた。正確な年齢は分からないが、ナマエくらいにもなればベビーバスではなく、大人と一緒に風呂に入れるのだ。他の者でも嫌がりはしなかったが、プッチと入る時が一番楽しそうにしているので、暗黙の了解で風呂の担当はプッチになっていた。それに、他の者よりも丁寧に体を洗って拭いてやるから、という理由も有ったりする。
ヴァレンタインは家を空けることが多く、あまりナマエの面倒を見てやることが出来なかったが、その代わりにベビー用品等必需品を送り届けていた。それは大いに助かっていたのだが、何しろ送ってくる量が尋常ではないので、押し入れに入りきれなくなりつつあった。現に高価な玩具は置き場が無く、部屋の片隅に積まれている。
過ごした時は短くとも全員が赤ん坊のナマエに絆され、彼女の虜になっていた。
しかし、すっかり育児も板に付き、これからも一致団結してナマエを育てていこうとしていた矢先のこと(自分好みに育てようというほぼ私欲にまみれた子育てではあったが)。
「あれ?どうしたんですか?皆変な顔しちゃって」
ナマエが元に戻ってしまった。
昨夜赤ん坊を寝かし付けた場所、そこには赤ん坊のナマエではなく、誰がどう見ても女子高生にしか見えないナマエの姿があった。
昨夜までは間違いなくナマエは赤ん坊であった筈なのだ。なのに、何故一晩明けたら元に戻っているのだ。納得がいかない。
カーズはナマエに駆け寄り、その細い肩を掴んだ。
「ナマエ…お前一体どういうつもりなのだ」
「え?どうって…何がですか?」
「何故元に戻る!」
「は、はあ?」
訳が分からない、とナマエは首をかしげた。
当然と言えば当然なのだろうが、ナマエには赤ん坊になっていた頃の記憶は残っていなかった。まるでいつも通りの朝を迎えたような感覚で今日も目覚めたのだ。まさか自分が赤ん坊になって、身の回りの世話をされていたとは努々思うまい。
「…吉良さん、カーズさん一体どうしちゃったんですか?何だか気味が悪いんですけど…」
「世の中には知らなくて良いことが沢山ある。これがそうだ。君は気にしなくて良い」
「ええぇ……」
意味ありげな吉良の言葉を受け、ますます訳が分からなくなるナマエ。カーズだけではなく、同居人全てがおかしくなっているようだ。でないと、皆が残念そうにナマエを見詰める理由が見当たらない。
一体、自分が眠っている間に何があったのか。ナマエには検討もつかなかった。
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頂いたネタで書かせて頂きました。いとさん、ネタ提供有難う御座いました!
子育てを経験した事がないものですから、詳しく書いて頂けたお陰で凄く書きやすかったです。あまりいかしきれていないのが無念ですが…。
ほぼネットから知識を得てそれを文字にしただけなので、子育て方法は間違っているかもしれませんがご了承を…。
夢主は生後3〜5ヵ月くらいを意識して書いたつもりです。本当はボス達が子煩悩を発揮するまで細かく書いてみたかったのですが、余計に読みにくくなってしまうので諦めました。これでも私的には満足です。
カーズ様が何だかんだで一番楽しんでると思います。
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ベイビー・パニック