Memo

::NL小話

【耳まで真っ赤なの、知ってる?】

名を呼ばれる。
何度も何度も、それこそいつからかも覚えてないくらい昔から、彼の口が紡ぐ自分の名前を聴いてきたけれど。
ゆっくりと、深く、落ち着いた響きを持って紡がれたそれは、まるで何かの呪文のように、彼女を捉える。
いつの間にそんな魔法を手に入れたのよ。
全然使えないはずだったのに。

「いつになったら慣れるんだよ」

耳元でほのかに笑いを含んだ声が響いた。
それにさえ、身を強張らせる。
反論の代わりに背中に回す腕の力を強めてみたが、ここ数年でさらに体格の良くなった彼には全く効果は無い。
声を押し殺して笑っているのが腕越しに伝わってきた。
諦めて、彼の大きな胸に頭を埋めた。
さっきから心臓が煩いし、身体が嫌に熱い。
真っ赤であろう顔を見られないようにするのが、僅かな抵抗であった。

「……あんたはいつも余裕で良いわね」

くぐもった声でぽつりと放ったその一言に、今まで静かに笑っていた彼の動きが止まった。
どうしたのか、と思った瞬間。
強く抱きしめられ、身動きが取れなくなる。

「……そう見えるわけ?」

視界を遮られた彼女の耳に、そんな苦笑混じりの彼の声と、激しく高鳴る鼓動が響いた。


【そっと小指を絡ませて】

怖い夢を見た。
自分が幼い頃の夢だ。
人々の視線から、聞こえてくる声から、必死になって逃げ惑っていた日々。

「…っ…はっ……はぁ…」

荒く息を付き、高鳴る心臓を抑える。
もうあの時とは違い、逃げる心配も怖がる必要もない。
しかし心底に刻まれたトラウマとは中々拭えないもので、あれから何年も経った今でも、時々どうしようもなく不安に駆られる時がある。
俺から離れないで、俺を突き放さないで。
夢の中で幾度も発していた、幼い自分の情けない叫び声が脳内でこだましていた。

「……っ」

隣にある自分とは違う温もりに顔を向けた。
聞こえてくるのは規則正しい寝息だけ。
そっと、彼女の小指を自分のそれで絡めとる。
指先から伝わってくる彼女の温もりに、安心感に包まれるのを感じた。
彼女はちゃんとここにいる。
ずっと自分の側にいてくれる。
彼女の手の平に自分の手を重ねる。
指と指の間を広げ、ギュッと自分の指で絡めとった。
温かい。
本当は衝動に任せその身を抱き込んでしまいたかったが、それでも充分だった。
いつだって彼女の手は自分に向けられ、自分を助けてくれる。
次はもうあの夢でうなされることは無いだろう。
心地好い温もりの中、まどろみに落ちていった。

2014/08/12 04:20 Back