Memo

::セリオルSS

――どうして、自分は生きている?

最初に感じた事はそれだった。



視界が赤い。
強い熱を帯びた煙が、喉を鼻を、容赦無く襲う。
それでも彼はそれを思い切り吸い、叫ばずにはいられなかった。
お父さん、お母さん、隣のおじさん、八百屋のおばさん。
でも、いくら名前を呼んでも答えは返ってこなかった。
彼は賢い子供だった。
頭の片隅のどこかで、もう手遅れなのだと理解はしていた。
でも、闇雲に走り回り叫び声を上げる自分の身体は止められなかった。
やがて声が出せなくなった。
それでも走った。
ただただ、走って、走って。

突然視界が切り替わった。
灰色の煙から飛び出したのだと解った。
目の前に写ったのは、街の人の首を玩ぶ、大きな鎌を持った2匹の魔族だった。
言い知れようのない怒りを感じた。
そう思った時には身体が動いていた。
2匹の内こちらに背を向けていた魔族に思い切りぶつかって、街の側の切り立った崖に突き落とした。
勝利の余韻も命を奪った事への罪悪感も感じる暇もなかった。
その後すぐに、腹部に激痛が走った。
残った1匹の魔族にやられたのだと解るまでそう時間は掛からなかった。
死を覚悟した。
思いの他、怖くなかった。
しかしそれは訪れることはなかった。
自分の命を絶とうと鎌を振りかざした魔族が、何かに撃ち抜かれて消えていく姿を霞む視界に捕らえながら、彼は痛みに耐え切れず意識を手放した。


次に目を覚ました時、そこは見知った故郷の街では無かった。
最初に視界に写ったのはぼんやりと青く光る石の壁だった。
ひんやりとした空気が、熱気に晒されていた身体には気持ち良かった。
それが自分が生きている、という何よりの証拠になった。
斬られた腹部に触れた。
痛みは無かった。
不思議なことに傷は既に塞がっていた。
どうして自分は生きている?
家族が友達が故郷のみんなが死んで、どうして自分だけが生きている?
やりきれなくて下唇を噛んだ。
口に錆びた鉄の味が広がった。

ばさり、と何かが風を切る音が聞こえた。
続いて訪れる、ゆったりとして深い、地響き。
それは何か、大きい物がこちらに迫ってきている音だった。

「…まだ起きては駄目です」

慌てて身を起こしかけた彼を、優しい声が制した。
まるで万物を包み込むような、落ち着いていて神秘的な声。
母のようだ、と彼は思った。

「目が覚めたのですね。よかった」

目の前に現れた彼女の顔を見て、彼は驚く。
彼女は竜だった。
深緑の鱗を持つ、大地と一体化したような大きな竜だった。
瞬間、彼は身を強張らせた。
いくら声が優しいとはいえ、雰囲気が母のようであれ、竜は魔族。
自分の故郷を消し去った憎むべき奴らと、彼女は同族なのだ。
身構える彼の様子を感じ取った彼女は、悲しそうに目を伏せた。

「魔族が憎いですか?私が憎いですか?」

彼女の悲痛な表情にチクリと、胸が痛んだ。
何か言おうとして、気付いた。
声が出なかった。

「…声が出ないのですね。困りました、貴方の名前が分かりません」

彼の容態を悟った彼女は軽く首を傾げた。
その顔に先程までの表情は無く、どこかでホッとしていた。

「これを飲めますか?」

彼女はそういって、何か液体が入った器を差し出してきた。
つやつやと光沢を帯びた不思議な黄金の液体だった。

「妖精族から譲り受けました。万病に効く薬です。これを飲めば、明日には喉も治るでしょう」

なぜだか、彼女は信用しても大丈夫だと思った。
彼は器を持ち上げ、ゆっくりと中の液体を飲む。
薬は甘く、まるで蜂蜜のような味がした。

「…紹介が遅れましたね。私は深緑の龍妃エレルティス。貴方の街の近くに洞穴を穿ち、暮らす者です」

エレルティスはそう、穏やかな笑みを向けた。
故郷の近くに彼女が住んでいたなんて、もう6年になるが知らなかった。
そんな彼の様子に彼女は一層笑みを深めた。

「私は人の目を忍んで暮らすのが好き…仲間の龍族に変わり者だと笑われました」

穏やかに笑う彼女を見つめていたら、ホッとしたのか急に眠気が押し寄せてきた。
彼女は奥から人間サイズの毛布を取り出し、彼に掛けてやる。
彼はすぐに深い眠りに落ちていった。




「あ…」

次に目を覚ました時、声が出るようになっていた。
薬の効果は本物だった。
まだ引っ掛かる違和感が残るが、それも少しすれば無くなるだろう。

「起きましたか」

エレルティスは変わらず洞窟の中に座り、穏やかに微笑んでいた。
彼女の足元には、苦労して用意したのだろう、彼女には小さ過ぎる朝食があった。

「申し訳ありませんね、人間用の食事など作ったことがなくて…」

彼はふるふると首を振って、用意された食事を掻き込んだ。
一口食べたら止まらなかった。
とても腹が空いていた。
その様子を彼女は嬉しそうに見つめていた。食べ終えた食器を傍らに片し、彼はエレルティスに向き直る。
そして深々と頭を下げた

「……ごめんなさい」

彼女からの反応は無かった。
恐る恐る顔を上げてみる。
彼女はポカンと口を開き、唖然としていた。
ややあって、彼女は深い笑みを見せる。

「そこはごめんなさいではなく、ありがとうですよ」

「…ありがとう、ございます」

「よろしい」

そう言って彼女はまた笑った。
その笑顔に母の――もう二度会えない優しかった母の面影を感じ、彼は俯いた。
視界が滲んだ。

「俺だけ…」

自分だけが生き残った。
そう改めて実感し、言いようの無い憤りを感じた。
それは非力な自分に対して、故郷を襲った魔族に対して、そして――
自分を助けてくれた彼女にまで、憤りを感じている自分に気づき、彼は自己嫌悪に拳を地面に打ち付けた。
慌てたエレルティスが彼を止めに入らなければ、彼は右手が血で真っ赤になるまで、拳を打ち付けていただろう。
感情を身体で現せられなくなった彼は、大声を上げて泣いた。
しばらくして落ち着いた彼はエレルティスに深々と頭を下げる。

「本当にありがとうございました。俺、もう行きます」

「行くって…どこに行くのですか?」

そう聞かれ返答に詰まる。
故郷――帰る場所は無くなってしまった。
これからどうすればいいのか、何を目指し生きればいいのか、そんな目的もよくわからない。
復讐も考えた。
が、相手の情報を自分は一切知らない。
困ったように首を傾げる彼にエレルティスは優しく微笑みかける。

「ここにいなさい」

「えっ?」

「…私の息子になりませんか?」

その言葉に彼は言葉を失い、驚いた顔で彼女を見つめ返した。

「ちょうど独り身で寂しかったのです。ね?」

彼女は初めて、彼に甘えるような顔を見せた。
思わず彼は頷いていた。
彼女を哀しませるようなことはしたくなかった。
はっ、としたのもつかの間、彼は彼女のその大きな翼で包まれていた。
人間でいう、抱きしめるという仕種だろうと思った。

「そうだ、名前。貴方、名前は何というのですか?」

彼女が弾むような声で尋ねる。
その声の様子に、自分がここに残るということが彼女にとってどれほど嬉しいことなのかが伝わってきて、思わず笑みがこぼれた。

「……セリオル。…セリオル・シルダ」

「セリオル」

エレルティスは確かめるよう彼の名を呟き、そしてまた翼で抱え込む。
彼女の暖かさを感じながら彼は居場所を手に入れた安心感を噛み締めた。

2014/03/14 02:04 Back