Memo

::魔娘SS

トントントントン、

だんだんと机を叩く指のリズムが早くなっていく。
その音を聞きながら、ナエリアは自分の仕える姫君のムスッとした顔を伏し目がちに見つめていた。
ナエリアは時計の針をちらりと見る。
午後1時ちょっと過ぎ。
そろそろだ。

急に、指先のリズムが途絶える。
顔をあげれば、不機嫌姫君と目が合った。
姫君は静かに、ゆっくりと呟く。

「…ナエリア、セリオルを知りません?」

予想通り、お決まりのフレーズが飛んできた。

「今日は用事があるとかで…」

そしてそれに返す自分の返答もまた、もはや習慣のようになっているのである。
ふーん、と彼女は声を漏らし、視線を自分の指先へ向ける。
そこで会話は途絶えた。
沈黙が辺りを包む。


自分達魔族が仕える魔界の姫、フェーリン・テル・クルーナ。
その専属騎士兼、彼女のお世話係であるセリオル・シルダは、ここのところいつも魔王城を留守にしていた。
夜中には帰ってくるのだが、また次の日の朝には軽く言伝をし、どこかへと出かけていく。
だがセリオルが傍にいないこと、それだけがフェーリンの機嫌の悪さの原因ではなかった。
彼が、フェーリンに、一切何も言わず出かけていく、それが問題なのである。

――トントン

指先で机を叩く音ではない。
部屋の扉を遠慮がちに叩く音が聞こえ、フェーリンは視線を扉へと移す。
立ち上がり、来客に応えようとしたナエリアを目で制し、フェーリンは駆け足で扉の取っ手に手をかけた。

「…フェーリン……!」

来客はフェーリンとナエリアが部屋にいたことに驚いたようで、彼女の名を呟き、目を丸くする。
なぜならここは魔王に仕える騎士に用意された詰め所。
姫であるフェーリンと、騎士ではないナエリアがこの場所にいることは普通ではありえないことだ。
そう、姫君がわがままでも言わないかぎり。

目の前で微を膨らませる姫を見ながら、セリオルは自分がいない間に起こったのであろう出来事を悟り苦笑を浮かべた。
だがその小さな笑みはすぐに消え、セリオルは自分にしがみつくフェーリンを引きはがすとナエリアに受け渡す。

「…セリオル!」

「…すまない、疲れてるんだ。」

そう言うと、セリオルはフェーリンに顔すら向けず、騎士に用意された個室の中へと消えていく。
パタンとセリオルの部屋の扉が閉まり、再び静寂が訪れた。

「フェーリン様…」

ナエリアは静かにフェーリンの名を呟く。
セリオルはあからさまにフェーリンを避けていた。
第三者である自分でもわかるほど。

「ナエリア…先に帰っててくださいます?」

いつもより格段か細いフェーリンの声。
だが、いくら心配で傍にいてあげたくても、姫の命令は絶対だ。

「はい」

ナエリアは小さく会釈をすると詰め所から出ていく。
後に残されたフェーリンは扉の前に腰を下ろした。




「…よし」

フェーリンは小さくガッツポーズをする。
しおらしい女の子演出は完璧だ。
ナエリアをこの場から引き離すことに成功した。
だって、ナエリアがいたら、今自分が考えていることなど絶対止められるだろうから。

フェーリンは立ち上がり扉の取っ手に手をかける。

「こうなったら、意地でもセリオルがわたくしに何を隠しているのか、ハッキリさせてやりますわ!」

そっと、音を立てないようにして、取っ手を引く。
ランプは消されているのか、まだ昼だというのに部屋の中は薄暗かった。
フェーリンは忍び脚で部屋に入る。
セリオルは本当に疲れていたようで、既にベッドの中に潜り込み寝息を立てていた。

「何か手がかりになるものはありませんかしら…」

物音を立てないよう気をつけながら部屋を物色していく。
そうしているうちに、気付いた。
そういえばセリオルの部屋に来るのは初めてだ。

改めて部屋の中を見回してみる。
ベッドが一つ、ランプが一つ、事務作業用の小さな机と、それとセットになっている椅子が一つ、兵法書や世界事典などが並ぶ本棚。
生活に必要最低限なものを揃えただけの、あまりにも殺風景な部屋だった。

「セリオルはいつもここで過ごしていますの…?」

一人で。
なんだか、寂しかった。


ふと、ベッドの近くの小さな棚の上に走り書きのメモを見つけた。

「…"ろーどれいあ"、"えれるてぃす"…?」

誰かの名前だろうか、そこにはセリオルの字でそう書かれていた。

「……う……うぅ…」

突如、声が聞こえ、フェーリンはびくりと肩を震わせる。
セリオルが起きてしまったのか、そう按じベッドの方を見遣るが、どうやら目を覚ました訳ではないようだ。
だが、

「うなされて…ますの…?」

セリオルは苦しそうに眉をひそめ、右手は何かをすがるかのように毛布を強く握り締めていた。
そんなセリオルの表情なんて、今まで見たことがなかった。

「…セリオルッ!」

気づいた時にはそう叫んでいた。
フェーリンの声を聞いたセリオルは目を開ける。
目の端にはうっすらと涙の跡があった。

「…フェ……リン…?」

「よかった…」

再びセリオルが自分の名前を呼んでくれたことに、何故だか安堵し、フェーリンは力が抜けたかのようにベッドの脇に座り込む。
そんなフェーリンの様子に驚いたのか、セリオルは慌てて身を起こした。
何か言いかけたセリオルだったが、その前にあることに気づき怪訝な顔を見せ呟く。

「…お前、なんでここにいるんだ?」

しばらくの間の後、フェーリンは『あ』と声を漏らす。
ここで初めて理解した。
自分の今、置かれている状況を。

「あー…き、騎士の睡眠管理も姫君の大切な仕事ですわ!セリオルはどうやらぐっすりと眠っていたようですわね。……あ、もう次の部屋に回らないと!」

そう早口でまくし立てるとフェーリンはそそくさと部屋を出ていってしまう。
後に残されたセリオルは一つ、ため息を漏らした。

「今、昼間なんだけどな…」

名前を呼んで自分を起こしている時点からして、睡眠管理なんてなってないことに彼女は気づいているのだろうか。

眠気など当にさめてしまったが、セリオルは再びベッドに横になる。

「…久しぶりだったな」

――あの、夢を見たのは。

セリオルの呟きは、誰にも聞かれることなく部屋に寂しく響いた。


2014/03/07 02:35 Back