大体、呼び出したのがヒーロー協会の役員を名乗るおっさんだった時点でまたロクでもない頼みごとをされるとは踏んでいた。
 ファミレスでおっさんの向かいにケツを置いたサイタマの胸中、いやな予感はすでに立派な確信へ進化していた。

「キミにしか頼めん大事な仕事だ」

 ほれみろ。

「俺こないだそれと同じセリフの後で猫探しさせられたんだけど」
「真実キミ以外にはできない仕事だよ」

 どうだか。
 周りの客がびびってフォークを落っことすほどの轟音をたててピンクレモネードを吸い上げた。おっさんは案外動じない。コーヒーに口をつけて、置いて、

「人々はキミの勇姿に頼もしさ輝かしさを感じ、幸福を噛みしめることは間違いない」
「お」
「誰もがキミを見上げ指をさすだろう。子供は足を止めて笑顔になる」
「おお」
「特別報酬は時間当たり千円」そしてだめ押し。「ついでに仕事終わりにはケーキとフライドチキンもつける」
「何時にどこ?」

 有線放送もクリスマス一色だった。



 かような会話があった翌日、帰宅ラッシュの国営鉄道Z市駅前南口、まん丸く作られたバスロータリーのど真ん中にサイタマは屹立する。
 なるほど道行く人々はサイタマを見ようと顔を上へと向ける。すばらしい満面の笑み。五人連れの高校生が通りすがりのおっちゃんに頼んでサイタマを背景に記念撮影だ。輝かしいピースにカメラもはりきってフラッシュをたく。寒さで真っ赤に鼻を染めたカップルがこっちを見て何か話して微笑み合った。
 例え一般人の目には豆の粒にしか見えずとも、サイタマはちゃんと全部見ている。
 およそ五十メートル上から。
 ヒマラヤスギのてっぺんで、ラメモールに白い綿にプラスチックの天使に赤白だんだらカラーのステッキキャンディーに外面ばかりよくて中身はからっぽのプレゼントラッピングの正方形にクマにサンタにトナカイ、どいつを裏っ返してもヒーロー協会のロゴがうるさく主張するオーナメントの大群に取り囲まれて。
 ダンボールをくり抜いて金色の紙貼っただけ、コスト削減のかがみといえるどでかい厚紙をシャンプーハットよろしく装着させられて。
 バスから降りてきて子どもはおふくろに腕をひっぱられ、何が気に食わないのかべそをかいている。
 が、サイタマを見上げてすぐさま機嫌を直した。

「でっかいお星様!」

 ちげーよ。



 ちがわない。

「うん。クリスマスイブとクリスマスにね、ツリーの星をやって欲しい」
「猫以下じゃねーか!」
「ヒーロー協会主催のツリーなんだがね。どうしたんだか飾りのてっぺんの星が見つからなかったらしい」
「どこが俺にしかできない仕事だよ……」

 ヒーローの仕事じゃない。
 つーか人間の仕事じゃない。
 やるかたない憤懣にストローがガビガビになるほどかじりついた。

「キミ赤鼻のトナカイ知らないの? ぴかぴかのお前のあれがな」
「はははぶっ飛ばすぞおっさん」
「それにほら、」

 スピーカーが歌う。カップルは幸せなので彼氏がデートに遅れてきたけど今日はクリスマスだからキスで許して上げるわうるさいだまれ。

「ヒマだろ、キミ」

 ツリーのてっぺんにものすごいバランス感覚を持ってして立ち、台風レベルの風圧をモノともしない。マントをはためかせて、思う。
 ニュアンス、違ったよなあ……。
 トラ子の時の「ヒマだろ、キミ」、とは。
 絶対に圧倒的に意味合いが異なった。
 強風にも勝るでっかいため息。

「サーイターマさ――――ん」

 着飾った枝の間から呼ばれた。下を向いても緑まみれで何も見えない。
 聞き間違いかと思った。
 あだっ、とオーナメントにぶつかりがっちゃんと音を立てて、枝に乗り上げるごとにうんせっ、だのよっこらせっだのかけ声をかけて、

「……名前!?」

 あ、はいそうですと毒気の抜ける返事ももらった。
 鼻もほっぺたも真っ赤になった顔が、てっぺん枝にずばっと突き出された。
 マジで名前だった。
 普段着じゃない。
 かっちり黒ワンピースに乳袋のヒーロー協会オペレーター制服でもない。
 防寒一点張りのニット帽にネックウォーマーにフリースにナイロンダウンを重ね着している。頭の悪い大型犬のしっぽのごとく腕を振ると、手のひら側の滑り止めがよく見えた。

「さしいれ」

 でっかいバックパックをしょいこんでいた。
 サイタマが伸ばした手に素直にすがっててっぺん枝の一本下に尻をおろした。雨にも負けず風にも負けない命綱を幹にぎっちり巻き付けてアンカーを腰にがっちり仕込む。

「おっま、なんで来たんだここまで」
「手足で登って」
「いやそうじゃねえよ! 見てりゃ分かるわヘリで来たとかチャリで来たとか思ってねえよ。理由だ理由、来た理由」
「サイタマさんがいればなんのそのです」
「……」
「つまらないものですが。つーか下のコンビニで調達したカップラーメンですが」
「なんだよお前サンタだな」
「サイタマさんは赤頭ですねあははははは」

 ぐっと握ったぐーに真っ白な息を吐きかけるサイタマに、名前は諸手を肩の位置に上げた降参のポーズ。ごめんなさい冗談が過ぎました。

「おいまさかお湯」
「あっ、あーその目信用してない私のこと。持ってきましたよもー当たり前です。ついでにあっつあつコーヒー」
「やるな」
「でもどっちのポッドに入れたかわからない……」
「バカか!」

 贅沢な色使いで飾り付けられたツリーの上で、きれいな服に着飾った人々が行き交い手をつなぎ路チューをするその頭上、オールインワンのヒーロー衣装に真っ白なマントにでっかい星形頭にかぶったハゲとどうあがいても聖夜じゃ場違いななんちゃって登山服の女が、揃って割り箸口にくわえてカップラーメンの蓋をべろりとめくる。



「うまいな」
「うん」

 景色が蜃気楼じみているのはみそとしょうゆの揺らぐ湯気越しに見るせいなのか。あるいは全く別か。
 クリスマスどこ吹く風ですすり上げたみその縮れ麺の太さが頼もしい。いつものノリで悠長に箸で麺を持ち上げて食ったりすれば強風にあおられてすぐさま冷める。かくして、階段座りの二人は真っ白などんぶりカップに顔面つっこんで水面ぎりぎりに口を持って行く。見る者によっては眉をひそめるような、片足を腿まで犬食いにつっこませたマナーそっちのけの夜食だ。
 しかし。

「めちゃめちゃうまいな」

 頬を思いっきり袋にしてなにも言えず、ただ名前はうんと首を動かす。手袋を外した手のひら、汁の熱さに指の先がじんじんする。
 港を離れるフェリーが見える。これでもかと電飾巻き付かせて真っ白く所々青く中央をベル型に黄色く光らせていておもちゃ以上におもちゃじみて見える。公園は並木道ライトをたっぷり巻きつかせて迷路のように道をくねらせ、すぐそばの新設ファッションモールでは中央の特設ステージで天使の格好をした聖歌隊が大げさなほど口を開いて歌う。意味は分からないが厳かな気持ちになる。
 なにか複雑なシステムに操られているような、流れる光の点の行列は車のヘッドライト。
 西洋風張りぼての前でサンタのパフォーマーがトナカイとジャグリング。
 観覧車のイルミネーションも毎晩のことながら大張り切り。それなりの速さでワゴンを回す。
 そこいら中で呼び込みベルが振られる。カランカラン、ケーキ半額です。カランカラン、チキンも半額です。サイタマがなにか物すごく引っかかりを残した納得顔で「そういうことか」と呟いた。
 目下、一秒たりとも止まってはいない人の流れにホタルの光を見る。点いては消えてまたじんわりと点灯して、動き回る。
 死ぬほど冷たい風にあおられながら、舌にやけどを負わせる熱い汁から人目を気にせず大量にすすりこんだ麺が冷えたほっぺたを内側から溶かした。
 ぐいーっと汁を煽るサイタマにつられて名前もぐーっといった。二人で喉首を月の光に晒けだす。腹に流し込む汁の熱さに、胸の中央を通る食道の太い管をはっきりと感じる。
 一緒にぱはっと息を吐いて、出汁くさい二酸化炭素の白が並んで夜空に溶けたのを見送った。

「そういやお前仕事は?」
「あー私、アレ」
「どれ?」
「逃亡中?」
「なにしたのお前」

 名前のしょうゆノンフライ麺極細がぞるるるとしっぽを踊らせた。ねぎも跳ねるし汁も跳ねる。

「ヒーローにはそれは、クリスマスも正月もへったくれでしょう。それなら協会オペレーターも同様にへったくれです」

 そうだなと摘めないコーンを追い回してすごい形相のサイタマがうなづいた。

「バレンタインも七夕シーズンのお祭りも、最近じゃハロウィンも忙しいですよねえ」
「悪い奴は祭り好きだな」

 その言い方はあまり正確ではなくて、デパート商戦や製菓会社の謀略に踊らされたいたいけなカップルや家族連れやきゃぴきゃぴ学生が群がる和気藹々とした空気に、「俺が楽しくないのにお前たちが楽しいなんて許せない」とばかりにとちくるったバカやアホやマヌケが招かれざる怪人となり闖入していくのだ。
 奴らは祭りが嫌いっちゃあ嫌いだ。
 まあ、分不相応の憧れで自滅しているので、ある意味誰より祭りが好きかもしれない。

「大衆行事に逐一心砕く怪人なんて大体、」言いよどみ「あーなんていうか」これ以上ないほど的を射た言葉を見つけた。「ピラミッドの底辺じゃないですか」
「ひどいなお前」
「C級でも十分ボコにできちゃいますもん。本当に強い悪い怪人なんて絶対こういうとき活動しませんよ。自由業だから」
「自由業なー」
「サイタマさんだって、ここで大人しくお星様になっていらっしゃるってこたあ要するにそういうことでしょう?」

 またカップを煽って今度は今度は汁一滴残さない。麺の残骸ごと飲み干して、底にへばりついたコーン粒を箸でかき込んで、濃厚なミソ息を一発吐き出して、

「まあな」
「そんなんオペレーションのしようもないし、でもシフトは鬼のように組まれているし」
「へえ」

 ふいに名前が黙った。
 右下の枝で足をぶらつかせる名前に目を向ける。腹痛でも耐えているような、ボディーブローでも食らったような、今にも膝抱え込みそうな顔をしている。深刻な色の目を醤油汁の薄茶に落としている。

「ひ、」
「ひ?」
「ヒマだろ名前君って言われたのが……」

 すさまじい共感。
 サイタマは名前の肩に手を置いた。気持ちはよくわかった。
 その甲。赤い手袋に白い虫がとまった。
 あ、違う。

「雪だ」
「えっ」

 うなだれていた名前が顔を上げた。イルミネーションを映してぼやかしたような星は今はもう見る影もない。音もなく立ちこめた重ったるい雲から降り出した雪は、出し渋り一つせず降雪量をぐんぐん伸ばしている。

「異常だな」
「怪人ですかね」
「だな」
「いいんですか?」
「んー」

 下であがった悲鳴はあくまで黄色い。予報外のホワイトクリスマスを純粋になんも考えずにただ喜んでいるのだろう。

「いいんじゃね」
「そうですか」

 予備動作なくりんこが枝をぶち抜きそうなくしゃみを一発かます。
 鼻をぐずぐず言わせてバックパックを腹へ回して、

「こんなこともあろうかとアルミシートを」

 サイタマの頭のお星様もぶっとびそうなものすごく思い切りの良いくしゃみをもう一発。
 ぶっとんだのは枝でも星でもない。取り出したばかりのシートだ。
 ひっかかる枝などいくらでもあろうに、わき目もふらず非情にも自由に一直線で、叫べるならば「自由だー!!」とほえかねない狂喜乱舞に全身翻してビルの谷間を抜けていく。
 もう見えやしない。

「……あー。なあ」

 見てらんね。
 なにが起きたのか皆目見当がつきませんとばかりに手元を凍り付かせて、いつまでもビル明かりに顔を向けている名前の哀れさといったらもう。ひどい。

「しかたねえな」

 てっぺん枝から一本下に降りた。

「ほら」
「わ」

 今の今まで暴風をまとわせるばかりだったマントを広げた。背中から名前を抱え込む。
 有袋類の親子フォーメーション。

「サイタマさんって」
「おう」
「ヒーロー度マジぱねえですね」
「お世辞はよせよ」
「マジで」
「……おう」

 マントの合わせ目から名前が腕を伸ばした。すぐさま手のひらに雪が滑り込んで、一秒持たずに水になる。

「シロップあればよかったですね」
「カップメン食い尽くしてただろ」
「デザート」
「雪って汚いんじゃねえの」
「これだけ上なら問題ない気がしません?」
「そういう問題か!? つーか、お前寒いんだろう」
「いえ、サイタマさん暖かいです」
「……あのさ」
「はい」
「お前俺の事好きなの」
「はい、まあ」
「……」

 ツリーのてっぺんはすでにサイタマの尻の温もりを忘れて一足早く白に覆い被さられた。一本下、マントでカンガルーしている二人とてすでに前進白まみれに濡れている。
 地上はまだしもこちとら地上のその上おおよそ五十メートル。荒れる風でホワイトクリスマスと言うよりも遭難の様相だ。
 しかし、

「あ、メリークリスマス」
「おう」

 幸せなので、よろしいと思われる。



[ ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -