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雉島さんの動揺っぷりといったらそれはもう、渚の目にも明らかだった。他三名の中学生共だって即座に気づいた。そりゃ、スマホのバイブ一発で四方見回されれば誰にでもわかる。
そんなに震源地ばればれにするから、
「あっ」
「へー烏間先生じゃん」
「コラ!」
大して素早くもなくにゅうとい伸びてきたカルマの腕に、ブツをかっさらわれたりするのだ。
しげしげ画面をのぞき込むカルマを止めようと体ごと手を伸ばしはするものの、実は烏間が店内にいて会話丸聞こえになってたとかいうオチだったらどうしようとも思えば気が散って仕方がないようだ。雉島さんは結局なにもできていない。顔をぐるぐるまわしながらうわごとのように「ねえ烏間君どっか居んの? ねえいるの? おいこら」「いないよ」こともなげに返しつつカルマは雉島さんのスマホをスワイプして、写真を見せびらかしていたときに覚えたらしいパスワードでいともたやすくプライバシーを侵害する。
『会いたい』
今時めずらしいデフォルトのままのアイコンがそうつぶやく。
他ならぬ烏間先生のアカウントだった。
一応。
いや、渚のスマホにも映っているタイピストのコスプレをした律の仕業なのだというのはわかっているけれども。
そうとは知らない雉島さんはひとまず烏間先生を探すのはやめて、今はただ単純におろおろしている。
これは。
茅野とも顔を見合わせて、渚は思った。
烏間先生。まだ、脈、あるんじゃない?
「どーすんの?」
スマホは斜めに机を滑って返された。雉島さんは無抵抗に、開かれっぱなしのトーク画面を見ている。なんとも言えないような感情がマーブル模様に渦巻く表情だった。
が、静かに伸びた指先は、思いの外よどみなく動く。
たったの二文字。
四対の目は、揃って目をまん丸くした。
「えっ」
「だ」
「ダメダメだめだめーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
送信。
「え、だから『ダメ』って送ったじゃん」
「送っちゃダメなのー! なんでー!?」
もー! と泣き怒る陽菜乃は勿論のこと、他三名もなかなかに予想外の事態だった。律だって小首を傾げている。
「どーどー。会わない方が良いんだよこういうときは」
「でも、だって、いいの!? 烏間先生の事まだスキだって、さっき言ってたのに!」
「それとこれとは別の話」
「でも烏間先生だって会いたがってるんだよ!」
陽菜乃の頭からは律ののっとりなどすっぽり抜け落ちているのは明らかだ。しかしそこをさっぴいても烏間先生が雉島さんへ未練があるのは、それもまた明らかなので、会いたがっているというのはあながち間違いではないと思うのだけれど。
「烏間君にも寂しいときがあるさ」
ん?
渚は茅野と顔を見合わせる。ちょうど目と目が合ったのは、たぶん互いに同じ感想を抱いたからだ。
「誰かに頼りたくなる日だってあるのさ」
んんん?
違和感。
なに言ってんだこの人。
あの烏間先生に。
「人間だもの。みつを」
全然全く飲み込めない。
寂しい烏間先生だの誰かを頼りたい烏間先生だの、まだつちのこの目撃情報の方が信憑性があると思う。あの烏間先生に。
「でもだめ。人選ミス」
雉島さんの顔はどこかさっぱりしていたけれど、中坊共の顔には、揃いも揃って全然納得できないと書いてある。
あの烏間先生に。
得心がいかない。
烏間は立ち尽くす。生徒達が帰った裏山で、スマホ片手に身動きが取れない。
ついさっきまで、あんなガラにもなくわくわくうきうきしていたくせに。
生徒達を帰らせて、大急ぎでスマホを取り出した。もしかしたらまだTV電話がつながっているかもしれないという淡い期待をぶち抜く衝撃をお与えたのは他ならぬ雉島のメッセージアイコンの表示だった。つまり新着メッセージが、ある。
ほとんど真っ白な頭でトーク画面を開いたのに。
『ダメ』
全く意味が分からない。
不穏な二文字に、しかし誤送信かもしれないというささやかな希望をぶち落としたのはダメの真上にある全く見に覚えのないメッセージ送信履歴だ。
『会いたい』とある。
『会いたい』の後に『ダメ』が返されると、いうことは、つまり。
『会いたい』
『ダメ』
『会いたい』
『ダメ』
『会いたい』
『ダメ』
何度読み返したところでダメが別の言葉に変わることなど当然のことなく、会いたいと送ったのが誰なのかなどわかっちゃいるのにしかりに行く気にもなれやしない。
じきにとっぷり日も暮れるのに。
もう肌寒くなり始めているのに。
さっき好きだと言ってくれていたのに。
会いたいのに。
『ダメ』は、キツい。
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