▼ 26

「雉島、またなんだが、すまない」
「ん。行く前にコーヒー淹れる?」
「……頼む」
「はい喜んでー」


 キッチンから「烏間タイチョは大変だ」と妙な節回しで歌うのが聞こえる。罪悪感を背負いながら、一人きりにしてもらったリビングでPCを開いた。
 すまない雉島……。

 もちろんのこと、いかに恋人とはいえ烏間が守秘義務を破るはずがない。雉島織子は椚ヶ丘中学校は知っていても3年E組の表向き担任が烏間であることもその実体が暗殺教室であることも知らず、未だに烏間のことを自衛官だと思っているし烏間もそれで通している。
 そうなると色々隠し通さねばならないものが出てくるわけだ。
 特に報告書など雉島に見せたりするわけにはいかない。なにせ「超破壊生物」だの「生徒が狙撃」だの「対象の殺害に失敗」だのといった実にダーティーな文章が目白押しだ。読んだら卒倒するかもしれない。いや、「烏間君が小説……意外だけど、面白いよこれ。自費出版してうちの館に置こうか」などと言われる可能性もある。よけい見られるわけにはいかない。

 が、雉島はやはり雉島だった。
 報告書作りをする間別室に引っ込んでいて欲しいという中々アレな烏間の要求をいともたやすく飲み込んで、訳知り顔でこう言った。


「『見るなのタブー』か」
「なんだそれは」
「鶴の恩返しとか青髭とかもっと古いとイザナミとか。よくある昔話の形でね。見るなって言われた物を見ると得た幸せを失うことになるぞって。なんか一理あるよねー。そういうわけで覗かない。機織りがんばれ」
「……俺は鶴か」
「鶴でも烏でも飛んでかれちゃったら困るからさ。一生モンの後悔だなー、死ぬまで凹むわ。だからさ、絶対に見ないから安心してくれ烏間君」


 めちゃくちゃ力強く主張された。


「一時の好奇心より烏間君のが大事だよ」


 だからなんでそういうことを。






「烏間君、台所のポットね」
「ああ」
「ほどほどに。じゃあお先に」
「ああ、お休み」
「……」
「どうした」
「烏間君のお休みって言葉好きだ。すごいいたわられてる感じがする」
「……いいから、寝ろ」
「うっす。お休み」


 寝室の扉が閉まる音がした。
 リビングと寝室、風呂トイレは別。そこにちっぽけなベランダをくっつければ烏間と雉島が住むマンションの間取りが完成する。
 そういうわけで寝室を分けていない。まあ、一応同棲しているカップルなので問題はない、のだ、が。
 目下最大の問題である接触で起きる雉島のバグは未だ修正されていない。よって夜どうこうするには至っていない。
 その一方、一歩間違えれば大喧嘩に発展しそうな話し合いを経たあげく烏間の私物であるやたらとでかいベッドに二人で寝ていたりする。
 再度言う。
 夜、どうこうするには至っていない。
 ……。
 多くは語るまい。
 烏間は大変健康で健全な成人男性だ。しかし同時に、強靱な理性と社会性で自が矮小な欲求を退けることができる立派な漢でもある。頑張れ烏間、負けるな烏間。
 立ち上がりざまにでかいため息。


 台所では淹れたばかりのコーヒーがいい匂いをさせていた。
 コーヒーと言えばインスタント、それも放置されすぎてしけてかちかちになった真っ黒い物体をスプーンでごりごり削ってお湯で無理矢理薄めたカフェイン飲料を指していた。烏間の台所は大きく変化した。ハンドルを回して豆をひくコーヒーミルや、密封容器に入った数種類のコーヒーが棚に並んでいる。豆は烏間がいない間に挽いているのを知っている。結構音がしてうるさいからと、気を使っているらしい。
 さらにはポットの横に、夜食らしいおにぎりが一個ずつラップに包んで置いてある。

 ……いたわってくれているのはそっちだろう。





 ベッドランプをつけっぱなしで寝落ちしたのかと思ったら、違った。
 うつ伏せに寝っ転がった雉島が、マーカーでラインを引きながら大判資料本に目を通しているところだった。
 自分で言うのもなんだが深夜だ。明日も平日だ。なんて時間まで仕事をしているのか。


「まだ起きてたのか!?」
「あ、お疲れ烏間君。や、ね。ちょっとだけ読もうと思って」


 確かに烏間は鈍いがその鈍さは恋愛方面に限った話で、雉島が仕事の延長で書物をめくっていたことはさすがにわかる。あちらにも持ち帰りの仕事があってでも烏間の仕事を優先させるべく寝室で細々と作業を進めていたことなどバレバレだった。


「……すまない」
「もう寝るとこだよ。そっちは大丈夫なの?」
「おかげで」
「ん。夜食食べちゃった分はまあ、運動すれば大丈夫だ」


 言われなくても明日も体育だ。
 雉島も本当に寝るつもりのようで、サイドテーブルに付箋が一杯貼られた本を置く。


「……でも失敗したな」
「なにがだ?」
「烏間君が来る前に寝るつもりだったのに……寝つけんのかな」
「おい、床に落ちるぞ」
「大丈夫」
「どこがだ」


 せっかく広いベッドだというのに、雉島はことさら端に身を寄せる。わかっている、うっかり体に触れないようにしているのだろう。


「……なら俺が下りる」


 土の上でも床の上でも寝れるし、なんなら烏間は寝なくても二三日保つから大丈夫だ。
 が、雉島は大いに慌てた。


「だっ、だめに決まってるじゃん! わかった、寄る」


 一人で寝るには広いベッドだって、二人で寝るにはそこそこ狭い。
 というわけで、どうしたって互いの距離は限りなく近い。密着二歩手前といったところか。多少の物音はたやすく耳に届く。


「あのさあ、もしかして、あーその、」
「心臓すごいな」
「、聞かないで……っ」
「諦めろ」


 聞こえる物はしょうがないだろう。
 だからこっちのも聞けばいい。

prev / next

[ サレ臣 ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -