サリカー上陸(G釣りさんお誕生日ズミガン)


ズミは苛ついていた、日頃から苛ついているのでは?と言う質問は受け付けない方向だが取り敢えず苛ついていた。その原因は恐らく、いや確実にあれだ解っていると誰がいるでもないのに繰り返した。

原因は同僚だ、ポケモンリーグで共に四天王として働く同僚の一人がズミには耐え難い程の苛立ちの原因を作ってくれるのだ。同性で年上で、性別以外に似通っている点を探すのが困難ではないかと言うくらい何もかもが違う男でしかしその生き方は尊敬に値する人だ。
彼は自分よりも先にその道を極めた人だ、料理の道を究めるべく走り続けている自分にはその姿は憧れと羨望に満ちたものだった。
だが、どうにも上手くやっていけそうにないとも同時に思った。道を極めし先達としては尊敬できても性分と思考が正反対なのだ。

まず彼はポケモン勝負は芸術ではないと言った。

次に料理の事はからっきしだと言った。

外を歩けばいちいち自然と戯れ私以外の同僚にも自然の素晴らしさなどをうたう。

打てば響く相手では決してない寧ろ万事が万事鈍く、こちらの意図を汲まない発言ばかり繰り返す。

寧ろ人の話をあまり聞いていない――等々、枚挙に暇はない。
ズミの予想を超えた動きをするガンピは神経質とまで言われるズミの心をいちいち逆撫でていく。しかしどうしてガンピの所作一つ一つに苛立つのか、それも今のズミには解っていた。

ズミはガンピに同僚としてはならない感情を抱いてしまっていた、自分でもなかなか受け入れ難い事実であったが受け入れざるを得なかった。そもそも他人の事に構いつけない性質のズミがいちいち発言を気にして苛立ちやヒステリーを隠せない相手と言うのが特殊だと言う事になかなか自分で気付けなかったのだが、自覚してしまえば底なし沼の様にずぶずぶとズミの関心はガンピへと注がれていく。ガンピの挙動言動の一つ一つに無意識に注意を払い視線を這わせ的を得ないややずれた発言に苛立ちを募らせ爆発させる、それが最近のズミの感情サイクルだった。
そもそもズミが料理と結婚した男、生涯の伴侶は料理の世界、養子はガメノデス等と世間から言われていても異性との付き合いが無かった訳ではない。世間にさらされない程度に期間が短かっただけだしズミだって人間である、愛が欲しいし恋だってしたい。友がいれば嬉しいし胸を熱く焦がすポケモンバトルを渇望する。だが世間が唱えるズミの姿とほぼ変わらないズミの精神構造に着いていける相手等この世にはなかなか存在しないしズミは料理とポケモン以外の事はからきしな男だったから恋人の望みを叶える事がズミにはどうにも苦手だった。女性の複雑な心をズミは全くと言っていい程理解が出来なかったのだ。
その内ズミは料理に没頭し恋愛も友情も、それこそ料理とポケモン以外は全て煩わしいと言わんばかりに放りだして生きていく時間が増えていった。幼い頃から料理の世界で生きていく様に学んだズミにとっては当たり前の世界の構造に、それこそしっくり馴染む様に組み込まれたズミの技術力と才覚は係ってはいられないと放り出した物事や時間を代償に益々進化していったがそれと同時に問題も起こった。
今も昔もズミの志は高い、否高すぎる。誰もそれに着いて来れない程の堆い志ゆえズミが部下や見習いに求める要求は高い水準ではあったが料理に没頭した時期はそれが更に高まりズミの周りの料理人はまるで木枠に粉を入れた時の様に急激に篩い落とされていき、残った少ない人数で厨房を回す為にズミは更にヒステリックに怒鳴り散らす事さえした。ズミの作り出す料理の素晴らしさと反比例する様にズミの職場に入れば命は無いと迄シェフの間で噂される様になった頃、ズミはカロスリーグ四天王就任への打診を受けた。
未だに自分でも理解出来ない勢いでズミはあっと言う間に今迄勤めていたホテルや関わっていた仕事をきっぱり全て辞め一線を退いてしまったのだ。それから一人で料理の研究や四天王としてポケモンバトルをする日々の中ズミに変化が訪れた。

ある機会を経てズミは一人の友人を得た。友人はある街のジムリーダーでありその友人伝いに一人また一人と紹介を受けズミの交友関係は広がり、休日に家に籠り料理の研究をする以外の予定を入れる事も増えた。人付き合いが得意ではないとは言え友人との付き合いは楽しく心を開ける知己知遇を得てからズミのヒステリックは若干形を潜め、ズミの世界はゆっくりと広がり始め彩り鮮やかになっていった。
人間とは欲深な生き物で諦めていたものが満たされると次へと期待が湧く。内心欲しくてならなかった友人を手に入れたズミの心にある感情が甦りつつあった。

言祝ぎあえる人が欲しい
手を携え共に歩める人が欲しい

出来る事なら以前の様な失敗をせず長く大切にしていきたい、だが前の恋人達は口を揃えて同じ事を言って去って行った。

『貴方は料理の事ばかり。私と料理どちらが大切なの?!』

言いたい事は最近になって漸く解った、しかし料理は自分の人生そのもの。これが手から零れ落ちてしまえば自分には何も残らない、どうしたらいいのだろう?人と料理を天秤に掛けることなんて出来ないしどちらかを取る事なんて不可能だ。ああだが――
そう考えて毎日の様に見つめて目蓋の裏に焼き付けた人物の事を考える。もしあの人と縁を持ったなら、あの人は私に彼女達と同じ事を言うだろうか?その時自分はどう答えられるのだろうか?
答えの出ない中疑問は深まっていく。どうしてあの人をその様に見てしまったのだろう。切っ掛けはあった筈なのだが思い出せない、気が付いたらこの状態だったのだ。勿論ズミは手を拱いていた訳ではない。思いつく限りの事はしてみたが相手はガンピ、流石と言うかなかなかに鈍感な彼の脳に心にズミの誠心誠意の本音は届かない。
自分の言い方が悪いのかと考え露骨に伝えた事もあったが、やや驚き目を丸くして貴殿も冗談を言うのだな、ご婦人にその様な言葉遣いをしてはならぬぞ?気分が優れぬのか?今日は早く帰った方がよいのではないか――相変わらず的を得ない勝手な解釈で自分の話を聞かない、追いかけて訂正してもまた自分勝手な理論で己の言葉の真意は一向に伝わらない。
だからズミの苛立ちは止まないのだ。落ち着いたと思ったヒステリーで動悸の様に胸が激しく苦しく引き絞られるのを感じ、深呼吸をして胸を何度も撫で下ろしながら頭の中で言い聞かせる。落ち着け落ち着け、大丈夫大丈夫だ、まだ時間はある焦るな。そもそも自分から告白しようなんて今迄一度もした事無かった、勝手も何も解らない手探り状態でズミが恋焦がれた人を捕まえようと言うのだ。どうにもならず相談したザクロとマーシュだって椅子からひっくり返らんばかりに驚いていたしズミにはなかなかハードルが高いかもしれないですね等とザクロに考え込まれ、デートのコーディネートしよか?とマーシュに提案される始末。その二人の協力を得てもガンピはズミの真意に気付かず親睦を深める為のお出かけと勘違いしていたのだから始末に負えない。
ズミはザクロ達と頭を抱え途方に暮れて暫く様子を見ましょう、なんや虫でもつきそ思うたら追い払っといたらええんとちがう?と言い始めた二人に首を振るしか出来ないまま時間は無常にも過ぎ去っていった……

どれくらいの月日が経っただろうか?何の進展も無いままズミはガンピに焦がれ続けている。自分がこんなにも焦がれていると言うのに目の前にいる人は呑気に新聞を読みながらふむふむと唸っている。ああ、苛々するっ
「ふむ、珍しいな。カロスに台風が向かってきておるらしい」
うるせえ、台風なんかどうだっていいんだよ。自分の心の中の方が台風の真っただ中だ、誰の所為だよあんただよあんた。何で連日伝えてるのに気付かないんだ、古典的にいった方が良いのでは?と言うザクロの提案でラブレターも出してみたが唯口下手で面と向かって言えないから手紙を出してきたみたいに捉えられてズミのヒステリーは一段上の段階に上り始める。次に挑戦してくるトレーナーのよっては八つ当たりと言われても可笑しくない激情をぶつけかねない……そんな事ばかり考えるようになってきている。いけないとは思うが遅々として進まない現実に前向きな考えがどんどん無くなっていくのが自分でも手に取る様に解る。
愛と憎しみは紙一重、そろそろ裏面の憎しみに支配されても可笑しくないズミの心を支える様な便りが舞い込んだのはその日の夕方の事だった。ホロキャスターに連絡が来ているなと思い画面を覗けばザクロとマーシュからで調度手も空いてる事だしとズミは通話機能をオンにした。なんて事無い日常会話から話は移り変わりザクロが切り出した。

『そろそろズミの誕生日でしたよね』
『ええ、そうですが』
『ほんまに〜?ほしたらなんかお祝いしよか?』
『いえ、ザクロもマーシュも忙しいでしょう、気持ちだけで十分ですよ』
『遠慮せんでええよズミはん、うちらしてあげたいんよ、』
『そうですよズミ。簡単にでも何かしましょう』
『そんな、大した事ではありませんよ誕生日なんて』
『何言ってるんですか、生まれてきてくれなければこの様に話をする事も友達になることも無かったんですよ?』
『そうやんか、ズミはん。生まれてきてくれてありがとう、うちもザクロはんもほんまに嬉しいんよ?』
『……そう、ですか?』
なんだか恥ずかしいですね、口の中で零したその言葉を二人は通話の向こうで拾ったのだろう、笑いながら今後の予定いついて話し合った。こんな何気ないやりとりも子供の頃から殆どした事がなくズミには楽しく心躍るひと時でありこの時ばかりは日頃のストレスや憂鬱を忘れもした。

しかし、いい事があれば悪い事も人生には起こる訳で―…
電話をした次の日からズミはある種の不運に見舞われた。

店に訪れる客とのトラブルが相次ぎ、数人しかいないスタッフは勢いと気分でストライキを起こし材料を買い付けている農家は作物を盗まれ材料が入らない。気ままにやっている店だからスタッフは言い分を聞いて他店への紹介状を書いて抜けてもらい、調度予約も入っていなかったから店はしばらく閉める事にすれば問題はなかった。
だが帰る途中スリに遭い難なく取り押さえた後何時間も警察に説明をしなければならず無駄な一日を過ごし帰宅後、気分を入れ替える為に何か作ろうと冷蔵庫に手をかけたら冷蔵庫が倒れてきて中身が全滅。もう寝ようとバスルームに入ってシャワーを捻ったら何故か水が出ない、ここら辺でズミのストレスはマックスになるが夜中の為管理会社も修理屋も何処も開いておらず電話も繋がらず、ズミはやり場のない怒りを溜め込んだ儘朝を迎えた。
朝になると怒りの感情はピークを過ぎ淡々と連絡をする事ができたがカロス中で水道の不備が起きているらしくやや郊外から離れたズミの家は後回しになる事を言われズミのストレスの波がまた高くなりそうだったが何とか堪え了承し、水道管修理の済んだミアレのホテルにしばらく住まう事になった。此処まででまだ二日しか経っていない、次の日も次の日も手を変え品を変えズミを不幸の連鎖が襲うがそれもまだなんとか我慢できた。
だが極め付けの事態は今起こった。

挑戦者を打ち負かし日頃なら壁にあるスイッチを押せば放水が止まり排水と共に床の装置が降りてくるのだが何度押しても作動しない。漸く動いたと思ったら逆流しはじめまるで排水装置がいかれた様に水が増してく。これはまずいと背後の壁にある非常口を開けようと滝の様に水が流れているのを忘れ突っ込み、その水の勢いでポケットから取り出しかけていた鍵が手から零れていく。まずい!と鍵に手を伸ばそうとした時自分の長いプロンが脚に絡まり、ズミはプロスケーターもびっくりな美しいダブルアクセルを決めながら……高い水飛沫をあげ落ちた。そして鍵も見失った。
やや経ってから起き上ったズミの脳裏に最悪の二文字が浮かんでは消えを繰り返し、八つ当たりする事も出来ずふうふつと怒りに似た苛立ちが膨らみ訳の解らない思考に火がつく。何でこうなる、なんで!私の持ち場が水浸しで何が悪い、此処は水門の間だぞ水タイプ使いなめてんのか何考えてるんだ、他の持ち場は?自分だけなのか?それとも皆それぞれの持ち場の仕掛けに悪戦苦闘しているのか?そうだとしても自分程の目には遭っていないだろう。何故……自分ばかりが毎日、こんな目にっっっ
苛々する、イライラする、

イライライライライライライライライライライライラっっっっっっ

「こんの、痴れ者がああああああああ!!!!!!」
お決まりの絶叫の瞬間、遠雷共に部屋中が真っ暗になった。普通ならここでパニックに陥っても誰も咎めない、だが逆にズミの頭は停電になった事でどんどん冷え冷静さを取り戻していく。
停電になったと言う事は部屋のシステムも停止する筈で、非常電源では放水システムはおろか排水システムも働かない。なら自分でどうにか水嵩を減らし鍵を探して非常口を開ければ出られる、なら、やる事は決まっている。
非常灯が点いた事を確認したズミはエプロンの裏からモンスターボールを取り出すとガメノデス頼みますよ!とボールを高く放り投げガメノデスを出した。ガメノデスはボールから飛び出し着地すると何時もより高く跳ね上がる水息吹に驚き、更に部屋がとても薄暗い事に動揺してズミの元に水を掻き分け寄ってくる。ズミはガメノデスの頭を撫で大丈夫だと言いながら
「リーグの電気が消えてしまって部屋から出られません、ガメノデス、入り口側の排水溝の蓋を壊して下さい」
と頼めばズミの言葉に頷いたガメノデスが日頃は閉ざされた排水溝を爪で切り裂き、蓋が開いた瞬間勢いよく水が四隅に吸い込まれていく中、ズミは手で水を排水溝の方へ掻き寄せ早く水嵩を減らそうと地道に動く。それからどれくらいの時間が経ったろうか、漸く普段の量になるまで水を掻き出したズミが眼の端に光るものを見つけ顔を上げるとガメノデスが鍵を見つけこちらに向かってきていた。ガメノデスから鍵を受け取り礼を言いながらボールに戻すと、ズミは非常口の鍵を開け持ち場からの脱出に成功した。

やっとの思いで出てきたポケモンリーグは薄暗く人気もなく、まるで一人残された厨房の様に静まり返りズミの胸に久しく感じなかった心細さが忍び寄る。他の四天王は帰ってしまったのだろうか?そもそも自分以外今日はいなかったのだろうか?いやそんな事はない筈だが……自分の記憶に自信が無い。
自分の足音だけが床を叩き、耳に響くのは遠い雨音と自分の靴音だけのリーグの中をぐるっと回っても誰もおらず外に出れば轟く雷と激しい雨と吹き荒れる風で生き物の気配もなく、ポケモンセンターも明かりが消えドアも閉まっている。これは本格的に置いて行かれたかと怒りやストレスよりも焦り、途方に暮れそうな切なさを覚えたズミは取り敢えず風邪をひく前に着替えでもしなければと踵を返しリーグの更衣室へと足を進めた。
全身ずぶ濡れで重い足取りで更衣室を目指すズミの視界に入ったそこには微かな明かりが漏れていた。誰かいるのか、それとも消し忘れか?万が一の事を考えモンスターボールを握りながらドアノブを握り静かにドアを押し中に入ると更衣室の奥に設えられた古びたベンチに、まるで疲れ切った様に俯き腰掛ける件の同僚の姿があった。
息はしてるが大分疲れているようだし何か普段と違う、そう考え声をかけるのを戸惑っていたズミにガンピは顔も上げず疲れから掠れた低い声でズミ殿ご無事であったか、と呟いた。顔も上げずドアの前に立つ自分の事が解るって……この人はエスパーかなにかかと思いながら近づくと違和感の正体がズミの目に飛び込んできた。いつもかっちり身に纏いカロスリーグの騒音問題と言われている甲冑や時折甲冑の下からちらりと見える黒い服すらも無い、ぐっしょり濡れた薄手のシャツとスラックスと言う出で立ちときっちりセットされた髪が面影もなく解けていると言う珍しさと日頃の快活さと健剛さの失われているガンピの隣にボールをしまい腰を下ろすとズミは気になっている事を二三質問し始めた。
「……鎧は?」
「……あの格好ではこのような事態に差し支える、停電の後すぐに着替えポケモンと共にドラセナ殿に預け先に下山していただいた」
我の手持ちは雷を寄せてしまいがちなのだと言いながらガンピは続ける。
「カルネ殿はまだいらしてなかったから良かったのだが、ドラセナ殿とパキラ殿の部屋とチャンピオンロードが大変な事になってな」
「貴方は大丈夫だったんですか?」
「挑戦者が来ていなかったのだ、我の部屋の仕掛けは何も動いてはおらなんだ。だがチャンピオンロードは落盤し土砂が流れ、調度挑戦者を迎え討っていたパキラ殿の部屋が一番危ない状態でな……貴殿の持ち場も屹度大変であっただろう?」
手伝いにゆけず済まなかった。そう疲労から弱弱しく口にするガンピの服はよく見ればところどころが焦げ、水のにおいに混じって土のにおいがした。それからこの人が必死に駆けずり回った事をたやすく察したズミは大した事はなかったですと答えガンピを労おう、何か言葉を……と頭の中で失礼のない言葉を考えている内に先にガンピの口から信じられない言葉が飛び出した。
「貴殿が御無事で何よりであった」
「……貴方の方が大変でしたでしょうに」
いや、ガンピの事を考えれば当たり前に仲間の安否は気遣うだろうと想定は出来る。でも、我が身がこんな状態でも他人を気遣おうとする精神がズミには些か信じられない事だった。
「我は唯駆けずり回りお節介をしただけである」
「謙遜なさらないで下さい。貴方のした事は褒められて然るべき事なのに……何故最後まで残っているのですか?」
救助活動や避難誘導が終わっているのに何故この人はここにいる?室内の音を食い潰す様に建物に叩きつけられる雨音や雷鳴から今麓まで下りるのは不可能だと解る程に天候は悪化している。だが、最後のスタッフと一緒に下りていれば今頃無事に帰宅出来たやも知れないのに?何故残っていたのだろう?
その問いに、なんだそんな事と顔を上げ疲れくたびれた顔をしながらもガンピはやんわりと笑みながらさも当然と言わんばかりにズミに答えた。

「そなたを一人置いては行かれぬだろう?」

その言葉に想いは伝わっていないがもう我慢出来なかった。ズミはガンピの肩に額を押し付ける様に寄り掛かった、自分とは違う理由でびしょ濡れになったガンピの衣服はひんやりとズミの額を濡らしたがそんな事は些事でありズミの心は何時もより近くに敬愛を超えた愛を抱く人を感じられる事に高鳴りを覚えている。
「ズミ殿?」
疲れたのか?雷が怖いのであるか?なんて場違いな答えに日頃なら爆発しても可笑しくないがズミはそれすら愛おしい気持ちになった。それどころか今までの全てがガンピの美徳として脳裏に浮かび上がってきたのだ。


ポケモン勝負を芸術ではないと言っても、彼は人生だと言った。

料理の事はよく解らないが、私の作る料理はとても良いものだ褒めてくれた。そして彼はワインにとても詳しかった。

彼は道行く花々を愛で頬に触れる風に柔く笑み、木漏れ日に目を細めゆっくり歩んでいる。それは理解できないが幸福そうな人生だと思えた。

騎士道を重んじ、友を周囲を愛し助け自己犠牲と献身を人生と誇りと思い行動する、

私の理解出来ないものに触れ愛し誇りを抱き、真っ直ぐに顔を上げ生きてきた、そんな人なのだ。

重なる場所は少ない、掬いあげる程もなく、掌から零れ落ちた残りの滴程しかない。それでもその滴を美しいと思ったのなら、その気持ちをもう見過ごす事が出来ない。滴が美しいのなら、水源はもっと美しいものなのだ。そう、自分の名を呼ぶだけのこの声すらも……
「ズミ殿」
「台風は、そんなに酷いのでしょうか?」
ズミのずれた問いかけにガンピは僅かに詰まったが静かに答えた、洪水警報が出ておる。外の音の通り雨も雷も鳴り止まぬし風が強い。小さなポケモンや子供達なら吹き飛んでしまいそうだ、と。
その言葉にならば電車は止まってしまいましたね、そう答えながらズミは語り続ける。
「今日、私は誕生日だったんです」
「?」
「友人が簡単にお祝いをしようと言ってくれました。物心ついてから誰かに誕生日を祝って貰えた事がなかったので、照れくささよりも嬉しさが勝って……年甲斐もなく楽しみにしていました」
でも……
「その気持ちと反比例する様に此処のところ全くなにもかもが上手くいかなくて……」
貴方への想いも……と付け加えたかったがそれは口からは出て行かず髪や頬から滴る雫と一緒に落ちていく。
「自分でも抑えなければならない気持だと解っているんです、でも……なにをどうしても治まらなくて」
自分の感情に振り回され生きていくのが愚かでつらいのは解っている。だがこの激情を抑える術を学ばずに今まで来てしまったのは事実、今更手綱を取るのは生半可な事ではない。その結果がこの様でありあの体たらくである、未熟過ぎる心に振り回され人の心が解らず本当に想いを捧げたい人に言葉を想いを捧げられない……それでも友が欲しい、愛が欲しい、勝利が欲しく大多数の誰かの賛辞よりも親密な誰かからのささやかな言祝ぎが欲しい。胸に秘め押し込んでいた欲望に火が付きズミの腹の底で暴れ狂い口から飛び出してしまわんとしているのを、ズミは必死に抑えていたが食いしばった歯から僅かに漏れた息とともに欠片が逃げていく。

「……彼等の安否の次に、今日が、我儘だと解っているのに残念でならないのです……だから」

図々しくもガンピに言祝いでくれるかとは聞けず、口を閉ざし目を閉じ気持ち悪く頭皮を伝っていた滴の流れを感じながらズミは自分の懺悔の様な胸の内を吐露すると深く溜息を吐く。その息は雨音響く部屋に吸い込まれ掻き消されたがガンピの耳にはしかと届いていた。
「何も可笑しい事ではない、祝われたいと思うのは当然である。それが親しき友からのだとすれば尚更である」
我は貴殿の親しき友ではないし言祝ぐ位しか出来ぬが、前置きの後柔らかな言葉がズミの耳にするりと落ちていく。

「誕生日おめでとうズミ殿、貴殿がこの世に生まれてきてくれた事を喜ばしく思う」

「そんな……独力で生まれ出でた訳ではありません」
偶々、偶然父と母のもとに生まれ育ちここにいるだけだ。決して自分の功ではない。
「貴殿がこの世に来ようと思って生まれて来てくれなければ、会う事も叶わぬのだ」
大袈裟ですよと口で言いながらも深く沈み枯れ、荒れた大地の様に窪んでいたズミの心は与えられた恵みの雨の様な言葉に解され潤い淡い芽吹きを感じ和らいでいく。
そんなズミの心等露知らず、ガンピはもう少し雨が落ち着いたら下りよう、無事下りたら大した持て成しは出来ぬが我が家に泊まっていけばよい。と同僚としての優しをズミに差し出す。
「……お邪魔しても宜しいですか?」
「この天気では電車で通うと言う貴殿は帰れぬであろうし、縦しんばポケモンの技で晴れさせても何分も保てぬ」
なれば比較的近い我が家で休まれるのが道理、多分明日も休みであるから明日ゆっくり帰られるとよい。一晩もすれば嵐も過ぎよう。
まるで子供の頭を撫で慰める父親の様にズミの頭に軽く触れてくるガンピの優しさにズミは落胆や諦観とは違う納得を胸に抱いた。ああ、相変わらずだ、貴方は私の言葉を全く理解していなかった。
何も解っていない解ろうとしない貴方はこのままでは屹度、ずっと私に何も囀ってくれない。ならば、貴方が気付く迄私が愛を恋を囀り続ければいい。
不思議と今は心の余裕があり絶望が形を潜め、僅かに前向きな言葉が腹の底から萌えいでいる。なんなら今からでも貴方の耳元で囁き囀ってもよいですか?

私が冗談でも戯言でもなく真剣に真摯に貴方をどれだけ思っているか、友人ではなく同僚でもなく人生の道連れとして貴方と手を取り歩み、言祝ぎあいたいのだと再び貴方に告げたなら、貴方はその余裕しか浮かべずまるで理想の父親の様に私に接してきた態度を相貌を崩してくれるのだろうか?
一晩あれば嵐は過ぎ去るのでしょう?ならば巣に籠る間に私の心に晴れ間を齎す事が出来ても可笑しくはないでしょう?もし嵐過ぎ去る間に晴れ間が見れなくても貴方が言ったのだ、貴方が貴方の全てを以て私を期待させるのだ。
その言葉を態度を期待を糧に、私は心を育て貴方の愛のこもる囀りを手に入れたい。だから今、

私は貴方に何を囀ろうかとても真剣に、幸福に考えている。

雨風に閉じ込められながらそんな事を考えるズミの心は荒れ狂う天候に日頃の心に相反し、今までにないくらい穏やかだった。







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