小説 | ナノ





ヒースとコゴミの話(ヒース←コゴミ)






・少年少女

あたしは男の子に生まれたかった、なんて思いながら大きくなった女の子だった。

いくつの頃かは覚えていないけれど、女の子では決して男の子に勝てなくなる時が来る。それを痛感する前からあたしはずっと思ってた、男の子で生まれたかったって。

男の子は女の子みたいにおしとやかにしなさい、とかはしたない、女の子らしくしなさいなんて言われないし、強くなりたいって沢山体を鍛えても文句を言われないと思っていたから。それに女の子はどんなに鍛えても男の人みたいにムキムキになれない、強くなれないんだって知ってから、あたしは益々男の子で生まれたかったな〜と思うようになった。

何度思っても夢に見ても、私は男の子になれない。
それもずっと前から気付いていた。でも、だからと言って同じ街に住んでいる女の子達みたいに唯可愛い服を着て可愛いポケモンと一緒にショッピングをしたり遊んだりするのは嫌だった。だってあたしはおままごとより木登りやちゃんばら、かけっこや鬼ごっこに川遊び、それにポケモンバトルが好きなんだもの。ポケモンと一緒に強くなりたいってずっと思ってた、私は心も体も強い人に、ポケモントレーナーになりたかった。

そう思い描いてからどれだけの年月が経っただろう、私は運良くバトルフロンティアと言う強いポケモントレーナーが集う施設の一つを任される事になった。それはとても光栄な事だし、わたしの夢がある種の形になったと言ってもいいようなものだった。
此処には男だから強い女だから弱い何て言う人は誰一人いないし、私が女性だからと言って手加減してくるトレーナーもいない。正に理想の場所だった。
施設のメンバーは個性派揃いだとオーナーのエニシダさんに言われ、紹介されたけれどあっと言う間にいい距離で馴染む事が出来た。確かに私も含めて皆変わってるように見えるけれど良い人たちばかりだ。そして私は…
私の目標とすべき肉体を持つ人と廻り合せたのだ―!!

本当に嬉しかった、夢じゃないかと思って顔を一発力いっぱい殴ってみたら確かに痛い。夢じゃなかった、だから正直に、素直に言っただけだったのに。なんでそんな残念そうな顔をするの?

「…」
「だってヒースの腕も肩もお腹も背中も脚も、とってもいい鍛え方されてるんだもの」
「コゴミやめなさい、」
「あたしなんかほら、腕だって脚だってまだまだなの、見て見て」
「止めて…腕も脚もしまって……お嫁に行く前の娘さんが風邪を引くような真似をしないの…誰かに見られたらどうするのコゴミ?」
「え?だってお腹出てる訳じゃないし誰もあたしを女の子って思ってる人何かいないでしょ?」
「…兎に角、世の中にはどんな人間がいるか解らないから…その様に隙を見せるのは関心しません………」
そう言って何でかヒースは床に座り込んでしまった。そんなにあたしは変な事をしてしまったのだろうか?あまりにもヒースが真剣で必死だから、あたしも逆らえず何か言う気にもならず、静かにインナーを元に戻すとヒースの隣にしゃがんでどうしたの?お腹痛いの?なんて的外れなんだろう事を聞きながら俯いて何かに耐えているヒースの頭を抱えていい子いい子してみた。
ヒースの髪は良い匂いがするなあ、ああ、綺麗な肩の筋肉だなあ
そうやって撫でている内に益々ヒースが小さくなってしまって、どうにもならなくなったあたしは誰か呼ぼうとその場を後にした。背後から聞こえるなんとも力のないヒースの声は無視した。






・泣いたことさえ嘘にした

胸がはち切れそうな程走って走って、息継ぎをするのも忘れ呼吸すら放棄して、喉は肺は酸素を欲っし体が悲鳴を上げていた。
それでもあたしは走るのを止められなかった。速く速く、誰も居ないところに行きたい。じゃないと溢れてしまう、零れてしまう。
今もう既に零れてしまい頬を伝うこの熱い水に喚起される感情が、嗚咽が。

何時から?センチメンタルすぎる原因によって引き起こされたこの止め処ない情動に振り回されるようになったのは?
何で?解ってる、解ってるじゃない。そう言う間柄じゃない、唯あたしが胸の奥に隠し持っているだけだった、ひた隠しにし続けていたものだったのに。
抱いているだけで良いと、納得して大切にしていたのに…

なのに、なんで?なんで?

なんでヒースが女の人と手を繋いでいるのを見ただけで、あたしの大切にしていたこの気持ちは弾けてしまったの?

到頭体が耐えられなかったのか、額から滴り落ちる汗がコゴミの視界を奪ったのか刺激の強い目薬を注した時の様にコゴミは一瞬視界を奪われ叢の中に転げた。
幸い周りには人気も無いしこの炎天下に出回るポケモンも殆んどいない。だが、最早そんなのどうでもよかった。
まるでマグマの様にコゴミの胸の奥から湧き上がるそれはコゴミの体を心を容赦なく痛めつける。慟哭を上げる以外何も出来ずコゴミはまるで獣の様に唸り子供の様に喉を啜り喚いた。

汗が目に入ったの、転んで足を捻ったの、膝を擦り剥いたの。草で腕を切ったの、手に石が当たって痛かったの。
初めて買ったお洒落なサンダルの踵が取れちゃったの、とっておきのワンピースが汚れたの。アザミが塗ってくれた爪の綺麗なピンク色がはげちゃったの。

だから悲しいの、そう、悲しいから遣る瀬無くて泣いてるの。そうだよコゴミ、

ヒースの所為じゃないよ?ヒースは悪くないよ、あたしが悪いの。
だってヒースには教えてなかったから。ヒースに今日言おうって勝手にあたしが決めて、勝手に準備して手伝ってもらって、ヒースに会いに行ったの。
考えていなかったのが悪い、ヒースに親しい人がいないなんて誰が決めたの?コゴミ、落ち着いて?

貴方は泣いてなんかいない、ちょっと頑張って走りすぎただけ無茶しただけ。だから落ち着いて、大丈夫。

明日には何時ものアリーナキャプテンに戻れるから。今は目に入った汗が痛いから、走りすぎて疲れたから、気持ちが落ちつく迄此処にいようね?大丈夫、一人で立てるよ。だから、ねえ

そんな必死な声であたしを呼ばないで?




・荒野の香り

バトルフロンティアの裏手にぽつりとある水飲み場でコゴミは蛇口を捻ると頭から水を被った。
気温の高いホウエンは少し動くだけで汗ばむ事が多いが、コゴミの様に激しいトレーニングを行えばすぐ汗だくになる。フロンティアにはブレーン達の為にシャワールームも設営されているのだがコゴミは自分の持ち場、バトルアリーナから一番近いと言う理由でこの水飲み場で水をかぶってタオルで拭って休憩、と言うスタイルをとっている。どうせすぐ汗だくになる、態々途中でシャワーを浴びに行く気にはなれない。そうコゴミは常に考えていて実行していた。軽く汗を流すだけなら、水道で事足りるのだ。

「またこんなところにいたのか、コゴミ」
背後から聞こえる聞き馴染んだ声を発する同僚の姿を脳裏に描きながら、振り返ったコゴミの目に映るのは………知らない男だった。
「誰?」
「君は僕をからかってるのか?」
「え?ヒース!?あの触覚は?」
「…シャワーの時くらい外すよ、それよりコゴミちゃんと頭洗ったのか?」
汗臭いぞ、なんて、ヒースデリカシーないよ本当に…
「どうせまた直ぐ動くもん、頭や体は最後に洗うよ」
「〜〜〜〜〜こっちおいで、」
コゴミの返事に眉間に皺を刻みつつ、おいでと言いながらヒースはコゴミの手を取って歩きだした。行き先は解ってる、シャワー室だ。前に頭を思いっきり洗われたから予想はつくしそりゃあたしだって気にしてない訳じゃない、でも何度も洗うのは面倒だしあたしに面と向かって汗臭いだなんて言うのはヒースだけだから放っといてもいいかなんて思っちゃうのも事実だけれど口に出したらヒースになんて言われるか解らないから黙ってる。でも、この前みたいにいきなり服のままシャワー室に連れ込まれてカーテン全開のまま着のみ着のまま頭を洗われる訳には行かないので抵抗を試みる。
「いいよ〜アリーナしめたら洗うから」
「後何時間後の話だよ君」
「それでもちゃんと洗うからほっといてよ〜」
「だめだめ、折角女性なんだから、ちゃんとしなきゃ勿体無いだろ?」
踏ん張ろうが駄々をこねようがヒースは構いつけずあたしを引っ張っていく。ならば、最後の手段と思い口にしたらなんだか奇妙に情けない声が出てきてなんだか変な気分になる。
「行くから、洗うのは自分でやるよぅ」
「コゴミは雑だから駄目だ」
僕がちゃんと洗ってあげる。なんて、あたしはヒースのポケモンじゃないっての!全く意に介していないヒースにコゴミは諦めざるを得ず黙ってヒースに手を引かれ虫の鳴き声の中歩いて行く。
その思いの外広い背中を見上げながら、コゴミは自分の頭の中に浮かんでいく言葉を並べて整理していく。なんとなく、ではない。今、しなければならないと思ったのだ。

あたしは知ってる、この腕も手も私より何倍も力がある事を。
知ってる、本当は私よりもポケモントレーナーとしてもバトルのセンスもうんと高い事を。
知ってる、ブレーンである事を誇りにし、みんなを大切にしている事を。
知ってる、私の事を…なんとも思っていない事もちゃんと…知ってる。

そもそもヒースってちょっとナルシストはいってるし、女の子や女の人を好きになる事はないのかもしれない。でももしかしたらお付き合いしてる人がいるのかもしれないしヒースはこう見えて一途な人だから屹度その人を大切にする為にナルシスとのふりを――…いや、ヒースのナルシストは元々だ誰かの為なんかじゃない。うーん、男女の中とか色恋沙汰とか苦手だからよく解んないよー。でも、ヒースがモテない訳がないのはよく解るし…
ヒースはどれだけの女の子を勘違いさせているんだろう?あのキラキラ輝き照らすスポットライトの下でみんなを酔わせ熱狂させるスーパースター

ねえヒース、聞いてもいい?

ねえヒース、あたしが今あたしの気持ちをありのまま告げたら本当の事言ったら、ヒースはなんて答える?

ねえヒース、その柔らかな香りのする紫の髪にしなやかな広い背中に触れたら、何時も通りどうしたんだって振り返って聞いてくれる?それとも困ったように眉を落として笑う?

ねえ、あたし、ヒースが好きだよ。もう苦しくて泣き喚いて眠れなくてどうにもならなくらい悩んで考えたよ、言おうか言わないか。…でも、やっぱりあたしの口からはヒースが好き、だなんて言葉はどうやっても生まれない。臆病風吹かして逃げちゃうあたしを軽蔑する?前に進もうとする事を諦めてしまったあたしを嫌いになる?
でもヒース、あたし決めたから。

ヒース、言わないよもう思わないよ、態度に出さないようにするのは少し時間かかるだろうけれどちゃんと出来るようになるからね。
ちゃんと前の仕事仲間に戻るからね、あたし、頑張るから。

だから今だけはもう少しだけ手を繋がせて?シャワールームに辿り着く僅かな間で十分だから。

そうコゴミが胸の内で決めたとはつゆ知らず、汗でするりと手から抜け落ちそうになったコゴミの手を無意識にかどうか知らないがヒースは掴み直し、痛みを与えないようにでもしっかりと繋いで前を行く。まるで妹の手を引く兄のようだなとコゴミは変わらない大きさの背を風に戦ぐ髪を見上げながら口元だけで笑むと、胸の奥に押し込みしまいこんだ恋情が暴れる痛みを無視するように頭を緩く振る。鼻に届いた汗のにおいと風の匂いが僅かにせつない気持ちを追いやりコゴミを夏に引き戻した。







15/5/11