小説 | ナノ





恋の手習い(マチス→キョウ)






「これ、読んでクダサイ」

セキエイ高原に現れた元同僚は腰をきっちり90度曲げ、顔は勿論背中もきっちり床と平行―つまり立派過ぎるお辞儀、を出会い頭に見事に決めてくれた。全く意味と訳が解らん。

床と平行に腕を己の方へ伸ばし、突き出した掌には何やら白い長方形の薄いものが乗っていた。しげしげと見つめるまでも無く見遣った其れは
「……手紙、か?」
その問いに頭を上げる事無く「Yes、Yes」と肯定の台詞を呟きながら再び「読んでクダサイ」と元同僚は宣いまた何言かをほざく。
「イッショウケンメイ、書いてきマシタ」
「…は?」
てっきり何か仕事の書類かと思ったんだが、普通郵送だろうしカントーの一ジムリーダーが持ってくるとは思えないしそもそもジムの引き継ぎやらなにやらはとうに済んでいる。己はもうカントーのジムリーダーではない、随分前の事の様に思えたが、それ程でも無いかもしれない。どちらだろうか…話が反れている、
つまりこれは此奴、マチスの私的な文書である。それを態々、カントーからジョウトのポケモンリーグの最高峰に届けにきたのだ、悪巫山戯の好きな男ではあるがその為に己の職務を放り投げる輩ではない。だが……微妙に受け取りたくない。己の勘が訴えている、受け取れば厄介だ、と。
「…何が書いてあるんだ?」
「それはナイショよ、secret.」
怪しい、悪戯混じりの声音で言われるなら「巫山戯るな」と一蹴するがこの真剣な、バトルでも極まった時にしか出さない声で告げられれば益々怪しい。何かと理由をつけて逃げてやろうか、否、此奴の性格はある程度把握している。じり、と半歩摺り足でもして後退りしようものなら拙者の自尊心に火を付けようと煽りながらも迫ってくる。そしてこの封書を是が非にも押し付けてくるだろう。
元軍人と言う経歴は伊達ではない様で、一度本気で決めた事は何が何でもやり遂げる執念を持っているのだ、故に逃げを打つ事は許されぬし、何度も同じ手を食う等と言う事こそ、拙者の自尊心に賭けても出来ぬ事だ。此処は受け取らぬ、構わぬ、と言う姿勢を貫くのが一番と、余計な口を開かずに何時もは見上げる為見た事の無いこの男の頭の天頂を物珍しく見つめていた。この男、旋毛が左巻きか…特に意味は無いが

………………

「……受け取る迄その格好してる気か貴様は」
今迄まら先に此奴が焦れて何か行動を起こすものなのだが、今回は粘る。呆れを滲ませた声音で問うと、また真剣な声音が答える。
「だって渡す為に来たんダヨ、受け取ってもらうまでミー動かないヨ」
その言葉の通り、読んで下さいと言ってから微動だにせず、マチスは手紙を拙者に突き出した儘だ。かれこれ15分は経ってるだろう、鍛えてるだけある、ぴくりとも揺れぬ…また話がずれた。意識を逸らした間にこいつの手持ちのライチュウ迄が真似をして、立派なお辞儀を披露してくれはじめた。ご丁寧に前足の上にオレンの実を乗せて差し出している。

まるで『これをオマケにつけますから、どうか主人の手紙を受け取って下さい』と言われている気がして、寧ろポケモンにまで請われている気がして受け取らぬ、構わぬ、と拒絶を決め込んでいた思考が揺らぎ始める。ポケモントレーナーは基本的にポケモンには甘いのだ、だが、その甘さが命取り!拙者は心を鬼にしてぐ、と堪える。

…だが、時が経つ毎にライチュウの尻尾が元気をなくし「げなーん」と言わんばかりに床に垂れ下がり這いずる様を目の端に捉えるとその我慢と意地が決壊していく音が聞こえている気がする。再び言おう、ポケモントレーナーは興味の無いタイプのポケモンだろうが俄然、ポケモンと言う存在には甘いのだ。寧ろ同種の人間に対して厳しい反面ポケモンに注ぐ愛が増すのだ。
「………もう直ぐ昼休憩が終わる。諦めて帰るがよい、マチス」
「じゃあ、帰りの時間迄待ってるヨ。受け取ってもらえる迄、ここでfreeze、don't moveしてる」
「ラァ〜〜イ…」
片やライチュウは慣れない姿勢なのか、最早前足が震えてプルプルしている。嗚呼、今直ぐその前足をにぎにぎして頭を撫でてやりたい。傍から見れば憮然とした表情で冷酷な行動の拙者をひそひそとした話し声が噂し始めていた。「あれ何?」「キョウさんのおっかけ?」「警察呼ぼうか?」「やだ、変態?サングラスかけてて恐い…」…何だか大事の予感。どの道嫌な予感は的中してしまった、この男が仕出かした時点でどの道厄介だったのだ。何たる失態か!
今更気付いてももう遅い、妙なひそひそ話と奇異の眼差し、何やら浮き足立つ空気が場に浸透し始めていた。挙句カリンやシバ、イツキにワタルと言った現在の同僚の面々迄が興味津々に扉の影から此方を窺っているではないか、隠れきれておらぬ、バレバレよ御主等…ショップや他のトレーナーの視線もどんどん突き刺さり始め、到頭拙者は根負けし細く長い溜息を吐きながらマチスの両掌から封書を受け取った。
傍らのライチュウのオレンの実も受け取り、代わりにオボンの実を前足に乗せてやる。

かさり、と紙の擦れる音と、増した質量にマチスとライチュウは顔を上げ、片方は無くなった手紙に、片方は大きくなったおやつに喜びの声を上げた。
「っキョウ!!」
「ラァーイ!」
サングラスの大男の喜ぶ様は可愛くない、だが、ライチュウの喜び様は可愛い。
「返事は期待するな…お主に絆されて受け取った訳では……」
「キョウが手紙受け取ってくれた!Thank you!thank you!!アリガト、アリガット!ライチュウ!mircleダヨ!!やったよ、クチバ迄ダッシュで帰るヨ!」
「ラァァアーーーイ!」
ボルテッカーを放たんが勢いで、土煙を立てながら目の前から走り去った1人と一匹に場は一瞬の静寂に包まれたがキョウの何に対してか解らない溜息と共に場の空気は動き出し
「……………さて、見世物ではないぞ。散りやれ」
の静かな一言と共に、チャンピオン達までもが駆け足で持ち場に帰っていく。やれやれ、今日は厄日よの
そう思いながら今日は懐に手紙を押し込むと時計を確認しながら己の持ち場へと足を進めた。休憩時間は今調度終わったところだった。

*

一日の業務を終え、四天王になるに際し宛がわれた自室にてキョウは漸く一息つく。今日は何時もと状況が違った為か些か疲れた気がする、ああ、その元凶が懐に入っていたのだった。そう思い出したキョウが懐に手を差し入れると指先に当たる確かな感触。夢ではなかったか、と僅か残念に思いながら手紙と称されたそれを検めようと座椅子に腰を下ろした。

エアメール用、と言った封筒の表書きは己宛て。……まず特筆すべきは―

「…字ぃ汚な!」

思わず言葉遣いが荒ぶってしまったが普段の彼奴の文字とは似ても似つかぬ程の汚さ―と言うか、たどたどしいのだ。まるで文字を習いたての子供の様な…なんだこれは、利き手でも怪我していたのか?否、あやつの腕は左右諸共健常そのものだったしそも、あの男あのガタイの良さとがさつな素養の割りに字の書き方は綺麗だったのだ。あの男がペンを持てばそのペンは踊る様に流暢にアルファベットを紙に書き出し……
「?これは…」
字の汚さに一番大事な事が目に入っていなかったが、そもそも表書きの「キョウ様へ」で気付くべきだったのだがこの手紙、日本語で書かれていた。
普段のマチスは書類を母国語の英語で書いて寄越す。簡単な文面なら付き合いで覚えたし、そもそも彼奴のジムのトレーナーが日本語に直して寄越すから不便は一切無かった、片言混じりながらも日本語はそれなりに扱えたし、私的なやりとりも殆んど無かったから不便を感じた事は無かった。それなのに、
「態々日本語で書いてきたのか?これまた珍妙な」
あまりに珍しい出来事が続き、最早驚く気も失せ始めたがそれでも中も検めなければと気を引き締めつつ封筒を開け、中に収められた数枚の便箋を開けば中も全て日本語で書かれていた。
が、それは散々な、まさしく惨状であった。
大きさの揃わぬ文字、読めそうで読めない平仮名と片仮名、象形文字の様に崩れた漢字。最早暗号である、本棚に差していた辞典を引っ張り無用に時間を掛け漸っと解読したその内容に先程から刻まれ続けている眉間の皺は益々深くなるばかりで。何とか口に出そうとして絞り出した言葉は感想と言うより罵りに近い心情で、キョウの疲弊具合を思わせる言葉でもあった。

「阿呆だ、あやつは本当の阿呆であった………」


*


マチスのジョウトリーグ闖入?から一〜二週間経った頃、マチスはクチバシティのジムで書類整理に追われていた。書類を溜めるのは好きではないが挑戦者が続けざまに訪れるとどうしても事務的な業務が押していく。ポケモンのトレーニングをしたり街の人の相談に乗ったり郷里の家族に電話したり、家族や友人の誕生日プレゼントやカードを手配したり―そう言う雑事を挟みながら何時もよりは溜まってしまった書類を粗方片付けた頃を見図られたのか偶然か、ジムトレーナーの一人が「マチスさん、お客さんですよ」と声をかけてきた。
「ン、O.Kー通してクダサイ」
誰かと約束してただろうか?そう頭を巡らすも答えに辿り着く前にマチスの目の前に現れたのは想定外の人物、ジョウトリーグ四天王の一人、キョウだった。
「キ、キョウ??」
クチバのジムに突然現れた珍客に、マチスは腰を抜かさんばかりの勢いで驚いた。寧ろ、抜けそうな腰が椅子に乗っかっている上体で、開いた口が塞がらずぱくぱくと金魚や鮒の様に口を数度開け閉めすると言った体たらく。そんなマチスにキョウの相変わらず鋭い舌鋒が飛んで行く。
「コイキングか貴様は」
「……キョウ、イキナリどしたの?仕事は」
「四天王とて休みはある」
素っ気無いキョウの言葉にそうだね、ウン。ホリデー、だよね?と何かを自分で確認するように呟くと机に手を突いて立ち上がり
「そのホリデーにドウシタノ?アンズちゃんに会いに来たノ?」
等と当たり障りの無い事を尋ねると、キョウにしては珍しく答えを言い切らずに先を促してきた。
「それもあるが」
「?」
「あの手紙の事で貴様に聞きたい事があってな、」
その促された先の言葉が、自分が今もっとも気にしている事だったものだからマチスは何度も瞬きをした後、まるで親に伺いを立てるような子供みたいに恐る恐る
「な…なんか変な所アッタ?」
等とキョウに窺いたててきた。思い当たる事がありすぎる、と言わんばかりの窺いぶりに、どれだけこの男があの手紙を気にしていたかが解った。とキョウは胸の中で呟きながら口では別の事を紡いでいく。がそれは半端に遮られる。
「変な所と言うより」
「やっぱり読めなかっタ?」
「話を聞け」
「ジュンイチに教えてもらったんケド…間違えたかな?うーん、日本語ムズカシイヨ…」
あからさまにしゅん、と沈んだ目の前の男に懐から取り出した物を見せながら再度問う。そう、この男が書いて寄越した文、寧ろ内容の話だ。是が非にもその内容への真意を問わねばならぬ。

「…何故、此れを書こうと思ったんだ?」
胸の内で是が非にもと意気込む割に、口から滑り出した声は平坦で平静を保ったもので自分でも内心驚いたがそれを特別顔には出さず、キョウは見下ろす先の男の反応を待っているとマチスは特に言い澱みもせずあっさりと口を割り始めた。
「んー?キョウはジョウトの四天王だから、なかなか会えないデショ?電話にだって殆んど出てくれないし、ミーの話もあんまり聞いてくれないし。mailも当然読まないし…ラブレターなら、読んでくれるカナって思ったんだヨ」
ああ、矢張りその類のつもりだったか、胸に収めるつもりだった言葉がついうっかり口から滑り落ちる。
「…やはり恋文だったか」
「やはりって伝わってナカッタ?!oh〜〜〜!my god!!」
ジーザス!もう、あんなにミー頑張ったのに!とオーバーなリアクションで机に突っ伏したマチスに
「…確認で聞いてみたんだが、」
とキョウはらしくも無くフォローを入れたがそれもマチスの耳には届いていないのか聞きもしない事をべらべら言いはじめる。

「だって、キョウの国の言葉で言いたかったんダヨ!キョウが一番わかりやすい言葉で、ミーの気持ち伝えたかったヨ!!喋ると最後まで聞いて貰えないから、手紙にしたんダヨ!!」
「……」
「アイシテマスって、文字で伝えれば少しは伝わるかなって思ったんだ…なんか、全然伝わってなかったみたいだケドネ」
一息に捲くし立てた後、爪先で鼻の頭を掻きながら拗ねた様…否、照れているのだろう。伏せ目がちに白状しはじめた男の青い瞳を見られていると気付いたのか、するりとサングラスで隠したその仕種は確実に照れ隠しだ、拙者がセキチクジムのジムリーダーであった頃は幾度も尋ねてきて歯の浮きそうな台詞や直接的な愛の言葉を囁いたと言うのに―この男、思いの外純情であったらしい。
いい歳した大の男が、年頃の娘がいる一回りは確実に年上の男に必死こいて恋文を認めるなんて、純情と以外なんと例えよう?

「………」
「…黙ってないでナニカ言ってヨ。キョウ、黙ってられるとミーさびしいよ」
机の上に手紙を差し出したまま微動だにしないキョウを窺いながらマチスが少し巫座戯たように語調を上げると、キョウは静かに言葉少なに
「貴様の真意は理解した」
とナニカに当たる言葉を口にした。ちゃんと返事してくれるキョウの真面目なところ、やっぱり好きだな。と何度目か解らない確認をしながら不毛な話を終わらせようとマチスは口を開いた。
「ん…ヨカッタ、でも解らなかったって言うんならミーまた書」
「取り敢えず、直すべき所は山程ある」
「What's?ドシタノ急に??」
取り敢えずって何?何をここで始める気なの?!と慌ててキョウの方に向かってこようとするマチスを制止するとキョウは何時もの調子で
「添削だ、ぬけ作め」
座っていろ、と有無を言わせぬ視線でマチスを席に着かせると先ず封筒を指差しながら本当に添削し始めた。マチスは有り得ない展開に全くついていけず、ただただ首を傾げている。

「先ず、宛名の書き方がなっとらん、名前だけ書くのなら真ん中に、住所と共に書くなら住所の下に住所よりやや大きめの文字で真っ直ぐに書く」
「Oh!O.K!!」
「平仮名も片仮名も大分間違えておる、書き順が滅茶苦茶だったのだろう?字がガタガタで読めたものではなかった。漢字も形の意味が解っていないのだろ、図形を写したようで此方は最早読めん。文法も滅茶苦茶だ、文章の書き方もなっとらん、手紙の形式としては最低のものだ」
「う、相変わらずキョウてきびしいよ……」
初めて書いたのに…とまた机に突っ伏しそうになるマチスに、キョウは更なる追い打ちをかける。淡々とした、しかし全く正反対の追い打ちを。

「だが…貴様の言いたい事は、伝わったぞ?」
あの拙い、まるで幼稚園児の書いた文字で綴られた文は、確かに拙者の心に響いた。四苦八苦しながらも読み終えた手紙が恋文だと気付いた時、拙者は柄にもなく嬉しくなってしまった。年頃の小娘じゃあるまいに、あの男に贈られたこの数枚の文に心を動かされていたのだ。
「貴様の気持ちは、知り得た」
相当苦労したのだろう、日本語なんてさわり程しか書けぬと、読むのもいっぱいいっぱいだと言っていた男が、一回りも年上の男に恋文を贈りたい一心で辞典を紐解き母国語と摺り合わせ意味を理解し、山の様にある言い回しのある程度を頭に詰め込み慣れぬ三つの字体を駆使し時間を掛けて仕上げたのだろう。あの手紙からは並々ならぬ努力と拙者が疾の昔に置いて来てしまった若さと勢いと直向きさが読み取れ、尚且つ其れは好意的に映った。
それを向けられた事が気恥ずかしくもあり胸の奥がむず痒くもあったが、悪い気はしなかった。今迄何度も囁き嘯かれていた時は耳を通り抜けるだけだった愛を訴える言葉は、拙い文字になって漸く拙者の胸を打ったとはまた皮肉だな。等と一人自嘲していれば俯いていたマチスがいきなり勢いよく頭をあげ
「それって、キョウ」
何か期待したような声音で、今日何度目か知れない問いかけを口にする。
「ミーのアイ、ちょっとでも伝わった?」
「…返事が欲しいか?」
何に、とは言わなかったがこの男もカントーに来てそれなりになる、言外に含まれた意味に気付いたのかコクコク、と高速で上下に振られる頭と、それについていけぬサングラスの間の外れた動きが妙に可笑しい。くつくつ、と喉を鳴らし、その次に紡ごうとしている言葉に己がかなり上機嫌だと言う事に気付く。
「…だが、足らん」
「はい?」
「あれだけしか、お前は拙者に恋文をくれぬのか?その程度ならその程度の返事しかくれてやらんぞ?」
直接的に強請ってやればずれたサングラスの隙間から見えた間抜け面は落胆より、喜色を滲ませ声を弾ませ
「もっと書く!キョウへの想いはあんなんじゃ書ききれないよ!また持っていくよ、何度でも何度でも。ラブレター、キョウに渡す!」
と弾ける様に椅子から飛び上がりキョウの手を両手で包み込むように握る、その手の何と汗ばんでいる事か、何と熱の籠っている事か。此れが愉快と言わず何を愉快と例えよう?
「そうか…なら」
拙者は貴様に
「文字を教えてやらねばな、マチス」
この歳で恋の手習いとは、なんとも似合わぬ。だが、それ以上に、この男が手習いの後如何様な恋文を贈って来るのかが楽しみで仕方が無いと胸の内が騒いでいると、握られ汗ばんだ手を素っ気無く解きながらキョウは気付きなんだ己も存外凡庸であったなと、今更知りえた事実に僅かにだけ驚いた。






マチキョウ…だと


14/11/24