小説 | ナノ





アイドルギアにはなれないけれど (ネジクロ)






溜息を吐き、黒の手袋の上から左手を撫で、それを見下ろしながらまた溜息を吐く。
と言う一定の法則に則った行動を、ここ二週間ほどタワータイクーンは暇さえあれば繰り返している。
別に面白くもないし、データを取るほど興味深い訳でもない。にも拘らずボクがタイクーン事クロツグさんをこうして観察している理由は推して知る迄もない、察してもらえれば解る事だ。
この一定の行動パターンの訳だってボクには解っている、解っている…

「なにしてるんですか、ナルシストですか?」
「うわっネジキか?!脅かすなよー」
「うわーネジキかーおどかすなよーって、なんてテンプレですか?聞き飽きてますよ」
聞き飽きるほど言われた事無いけれど、聞き飽きる程クロツグさんの声を聞いてみたいとは思うけれど。
なんて本人の前でおくびに出すボクではない、ボクはファクトリーヘッドのネジキだ。ガチ理系の人間が顔で感情を把握されるなんて恥だ、なんて無意味に考えているしこの常に眠そうなんて揶揄される顔から感情を割り出されたことは今迄殆んど無い。
…この目の前であきらかに落ち込んでいる男と、両親以外には。
「どうしたんですか?最近溜息ばかりのようですか」
「そ、そんな事はないぞ?しいて言うなら自分が強すぎて挑戦者のバトルがつまらない事かな?!」
「おちゃらけたフリは要りません」
ぴしゃり、と突慳貪なようにクロツグの話を遮るネジキにクロツグは悪戯がばれた子供の様に大袈裟に肩を竦めた。ネジキは真面目だな〜と更に追い打ちを掛けようとしたクロツグは
「何か問題か心配事でも?」
と自分を心配する素振りも見せたネジキにその言葉を飲み込んだ。データデータと、大凡若者らしくない効率性と理法に傾倒するネジキの時偶見せる思いやりに嬉しくも思いまた、私事で煩わせるのは申し訳ないとも感じ
「ん…まあ、気にするな」
とクロツグは濁して、ネジキの頭を軽くぽんぽん、と叩くとその場を後にした。
コートのポケットに突っ込んだ左手を無意識に擦りながら立ち去るクロツグを見送りながら、ネジキは解ってる。と頭の中で繰り返した。

あの人が落ち込んでいる訳も元気のない理由も何故しきりに左手の薬指を擦っているのかも解ってる。でも、解ってるだけだ。

ボクにはそれを解決してあげる術も、その気持ちを分かち合うと言う事も出来ない。
ボクは唯ただ、部外者であり傍観者で居る事しか出来ない―あまりにも、ボクは無力で小さな存在だ……

吐き出しどころのない思いを胸に秘めたまま、ネジキも唯その場を後にするしか出来る事がなく持ち場へ戻ろう、と何とか目的を見出し足を進めた。

*

「最近クロツグどうしちゃったの?ぼーっとしちゃって」
「また家に帰れなくて、奥さんに叱られて子供に嫌いって言われたんだっテ」
「あらら、いっつもほったらかしにして割りに随分じゃない、」
「面と向かって言われたのが、傷付いたらしいヨ」
ファイトエリア内の食堂で、ぼんやりと虚空を見上げるクロツグを溜息混じりに眺めるダリアとケイトは世間話をしながら昼食を席に運んでいる。その三人を遠目に眺めていたネジキは食事をするかどうかすらもまず悩んでいた。
そんな自分勝手な三人に観察されているとは露知らず、クロツグはようやっとと言った具合にテーブルを見下ろして好い加減冷めてしまった昼食を食べるか、と手袋を外した。
その時、何時もより手が湿っていて手袋が締まっていたのか皮手袋が引っ掛かったのかどうか解らないが日頃外れる事のないクロツグの指輪が、クロツグの指からすっぽ抜けあさっての方向に飛び出していった。
「う、そだろ?ちょ、ま、待って、待ってくれ!!」
すぐさまそれに気付いたクロツグは椅子から転げ落ちるようになりながらも指輪を追う。高いところから落としたコインの様に跳ね回る指輪を追いかけながら食堂を横断するクロツグの邪魔にならないよう、ケイトや職員達は部屋の角に寄ったがその間も指輪は跳ね転がり、止ろうとしない。
「指輪、待て、待って!行くな、止まれ、あ!だ!」
捕まえようとすると掠めるだけで手に収まらず、指が掠る度に軌道が複雑になるのか、全く予期しない方向に転がっていく指輪は到頭厨房の方に転がり込み、運悪く排水口の溝から排水路に、ぽちゃ、と軽い音を立てて落ちていった…最悪な事に転げながらも手を伸ばしたクロツグの目の前で、だ。

「あーーーーー!!!!!」

何て間抜けな声を出している上司を余所に、何故かネジキが弾き出された弾丸の様に食堂を飛び出していった。
ケイトが呼び止めるのも聞かず、あんなに早く動けたんだとダリアに関心される程の機敏な動きに二人と他の職員は棒立ちの儘見送り、クロツグは排水溝の前で悲鳴を上げている。
正に阿鼻叫喚のファイトエリアの昼休憩、打ちひしがれるタワータイクーンを誰も何と慰めていいか解らない。ただただ沈痛な空気が食堂に流れ続けた。



*



それから小1時間は経っただろう、事件の起こった食堂は葬式も裸足で逃げ出す重苦しい空気が流れ、魂の抜けた様に脱力しきったクロツグが椅子に腰を下ろしていた。リーダーがこの調子ではまったく仕事にならないので来訪者がいない事を確認してファイトエリアを臨時休業にするかと、ダリアとケイトが話をしていたところにネジキが戻ってきた。
その姿はまさに悲惨の一言に尽きた。

髪はびしょ濡れ、腕は擦り傷や切り傷だらけ、捲り上げられたシャツもしっかりと着ているベストもネクタイも泥やヘドロや汚水で汚れ、足回りも同じく泥だらけで靴と靴下は脱いできたのか裸足だった。足だけは洗ってきたのかやけに青白く、そして用水路に入っていったのがありありと解る程に―…ネジキは臭っていた。
ぺたぺた、と濡れた足音を立てながらネジキはすっかりしょ気、萎れたクロツグに近付いていく。そのネジキ気配にのろのろ顔を上げたクロツグは、突然飛び出していった理由を問おうと口を開き全く力のない声を出す。
「ネジキ、どうし…」
だが、全てを言う事は叶わなかった。

沈痛な空気が流れる食堂に、大きく息を吸う音の後にとんでもない程大きな声が響いたのだ。

「こんのっっっっボケおやじ!!!」
暴言を放ちながらネジキは突如腰につけたバックから自作の機械を取り出し、勢いよく素晴らしいフォームでクロツグの顔に叩き付けた。機械が顔で壊れる程の衝撃でクロツグは椅子ごと床に倒れこみ、痛みを訴えるとか悲鳴を上げるとか、怒るとかそれらの行動のどれかを起こそうとするも追い討ちの様に叩き付けられた言葉にただ混乱するしか出来ない。

「何でそんな大切な物を落としたりするんですか貴方は!」
「れ…、れ、れりき?」
痛みに呂律が回らないながらも、ネジキに問いかけるクロツグにネジキは容赦ない言葉を浴びせた。
「そんなしょぼくれて、いい大人のくせに泣きっ面して床に這い蹲って!しっかり管理しないのが悪いだろうが!!」
「え?ね、ネジ?」
泣きっ面で這い蹲ってるのはお前の所為だ、とケイトとダリアがツッコミたかったが余計な口は挟むまいと両手で口を塞いで堪えた。二人の配慮など全く気にせず、ネジキは続けていく。

「僕は、貴方と貴方の奥さんと息子さん程仲のよい家庭で育っていないから、貴方方親子の事も事情も解らないっ」
「っ…」
「けれど!あの指輪が唯の結婚の、伴侶であると言う証じゃないくらい知っています」
指輪の内側に刻まれた文字、一般的には結婚記念日や愛の言葉、伴侶の名前を刻むものだが、クロツグのは少し違っていた。
クロツグの指輪の内側に刻まれているのは妻の名前と、息子の名前と誕生日。自分はこんな性分だから、滅多に家には帰らないけれど息子の誕生日くらいはちゃんと帰るんだぞ?ほら、ちゃんと指輪に書いてあるからな!と暇さえあればクロツグは自分に自慢してきては指輪を外して内側の刻印を見せびらかしてきた。
だから覚えていた、知っていた。あの指輪が唯の結婚指輪と言う意味よりも、大きな意味を持つものだと。

「あの指輪は貴方達家族の絆だ、ボクは…そんな大切な物を持ってる貴方が羨ましい」
そしてその大切な者から、想い想われている事実が…泣きたくなる程眩しくて、切ない。

其処まで言って押し黙ったネジキを見上げながらクロツグは垂れる鼻血を啜りながら、弱々しく心中を吐露していく。
「……うん、そうだそうだよネジキ。あれは俺にとって取り替えようのない程に大事なものなんだなのに…俺は自分で無くしてしまった。本当に、俺は駄目な大人だ……」
自分を把握するのは良い事です、と冷静さを取り戻したような言葉を口にしたネジキは、溜息を吐きながら
「今度は無くさないで下さい」
と一言付け足した。
「ああ本当に………………え?」
今度って?え?何が?どう言う事??混乱冷めやらぬクロツグの前に屈みながら
「はい、クロツグさん」
ネジキはクロツグに拳を突きつけ、それを翻し解れかけた花びらの様にひらり、と指を花開かせた。

自分のと比べれば明らかに小さく柔い掌に、傷だらけになった掌に現れたそれは

「貴方の宝物ですよ」

間違いなく、自分の指輪だった。

それと同時に汚れた全身と傷だらけの手の意味を知ったクロツグは、治まっていた嗚咽を再開させ、
「……すまん、有り難う」
有り難う、と詰まりながらも壊れたレコーダーの様に唯唯有り難うを繰り返した。
「泣かないで下さい、みっともない」
「だって…もう、戻ってこないかと……良かった、有り難う、良かったぁあ」
おいおいと涙を零し差し出した手を両手で握り締めるクロツグにそっぽ向きながらネジキは指、と小さい声で言った。
「は?」
「指出して、嵌めます」
自分でやるよと言うクロツグを無視してネジキは指輪とクロツグの手を取り上げるとクロツグの指に強引に、ぐりぐりと指輪を押し込んでいく。
痛い痛い、と鼻声で言いながらも嬉しそうに笑うクロツグは
「下手っぴだなあネジキ」
と正直な感想を述べる。
「こんな作業初めてしましたよ、しかも上司でおっさん相手です。夢も希望もあったもんじゃない」
「ひっど!ネジキ酷!!自分で志願したくせに!?」
「元はと言えば貴方がしっかりしていないのが悪いんですよ!」
と自分の父親並みに年上の男を叱り付けるネジキは着替えしてきますと腰を上げる。「ネジキ、本当に有り難う!」とまだ言い募るクロツグに、自分の想い人にそれでもネジキは釘を刺すことを忘れなかった。

「…次落としたら接着します」
「え」
「指と指輪を溶接しますのでそのつもりで」
ええー、マジで?と後ろで屹度顔に青筋立てながら言っているだろう上司を一瞥しつつ、冗談は嫌いです。と真面目ぶって投げかけたネジキはやばいやばいと何かに怯える彼をその儘に、目蓋の裏に焼きついたクロツグの笑顔と有り難うをリフレーンさせながら食堂を後にした。
足取りは疲労で重たく感じながらも、胸の内は食堂を飛び出す前よりも数段晴れやかで気持ちのいいものだった。






オマケ〜

兎に角急がなければと頭より体が動いていた。

ファイトエリアの排水路の経路は頭の中に入っている、それを辿って外に向かい、待ち受けるしかない。
上手く配管の縁に引っ掛かればいいとも考えたが指輪なんて小さなものが引っ掛かる確率を弾き出すより、すり抜けて外に押し出される確率の方が大きいに決まっている。

眼前に広がる用水路に僅か躊躇ったがそれでも勢いよく飛び込むと底が滑ってバランスを崩しそうになった、でも踏ん張りを利かせ、急げ急げと自分を急かす。脛まで埋まる汚水、跳ね上げる汚泥とヘドロにゴミが衣服を汚すがそんなの気にしていられない、時間は迫ってきている。
途中用水路に住み着いたベトベター達が何事かと僕の動きを眺め、面白がって着いてきたがそれに声もかけず兎に角目的の配水管の位置まで急いだ。

「此処だ…間に合うといいんだけれど」
土管程はある排水口の前で指輪と排水を待ち受けるネジキだったが、普段の冷静さを若干欠いていた彼は忘れていた。この排水口から排出される汚水の勢いは、複数の排水を纏めたものだからかなり強いものだと言う事を…
そして案の定、排水の勢いを考慮していなかったネジキは濁流の様な排水を頭から被り用水路に高い水飛沫を上げながら倒れこんだ…一瞬目の端に映りこんだ輝きに手を伸ばしながらも、だ。
ややあってから、ネジキは無言のまま用水路から立ち上がると普段の3倍増し程の虚脱した顔付きで己の失態を呪った。

「……ワーオ、ボクのまっぬけー」
このどぶの中に落とす?どんなに鈍いの?しかもなんで勢いに負けて転んでるの?メカもずぶ濡れじゃん…等、ぶつぶつと自分を罵っていたがはっとして滴る汚水を振り飛ばすと指輪指輪、と指輪を探し始めた。
目視で見つける事はほぼ不可能、腕をまくって手を突っ込み注意深く探し回るがゴミや泥が上がるばかりで肝心の指輪は全く見つからない。茂る草の葉で腕が切れゴミや砂利で指が切れた。それにもめげずに掻き回していくが一向に見つかる気配がない。
徐々に募る疲弊感に悲しい気分にも似た落ち込みを感じ始めるが、考えないようにして必死に探し続ける。しかし、探せども探せども指輪は見つからない。
「……潜り込むか」
もう一回潜ったから一度も二度も一緒だよね…と疲労感からやけくその様に呟いた時、ネジキの足下から低い独特の鳴き声がした。
「?」
見下ろすと、一匹のベトベターがネジキを見上げていた。ネジキと目が合うと、そのベトベターはネジキに手を伸ばし掌を開いた。
その掌の中には、ネジキが捜し求めていたクロツグの指輪があった。そんな…と何度も瞬きをして現実である事を確認すると
「ボクに、くれるの?」
とネジキはベトベターに尋ねてみた。ベトベターは瞬きをすると更に腕をネジキに差し出し、指輪を取るように促すみたいな動作をする。
ヘドロを引っかぶった所為か鼻が麻痺してるのか、ベトベターの頭痛を催すクラスの臭気は感じられない。しかし、ポケモンをいたしめる事はしないがベトベターに優しくした試しも……?

「もしかして…あの時のベトベター?」
そう言えば以前この用水路の付近で子供達に苛められていたベトベターを助けた事があった。弱っていたようだから傷薬を吹きかけてやったけれど、随分怯えていてすぐに逃げてしまったから人を嫌いになってしまったかと思っていたのに…
ボクを覚えていたのか?恩返し?そんな旨い話ある訳ない、でも、もしそうならこの指輪をボクに差し出してくれるのは、この指輪をボクが探していると解っていて僕にくれるというのならそれは……

「…一緒に捜してくれたの?」
そう尋ねると、ベトベターは笑った気がした。今ボクは疲れてて、自分の都合のいいように解釈しているのかもしれない。でも、もしそうなら、ボクは嬉しい、泣き出したいくらいに嬉しい。一人じゃなかったと思えて、嬉しいとネジキの心は震える。
「…有り難う、」
ひよひよと弱い声でお礼を言いながらベトベターから指輪を受け取って、それを呆然と見下ろす。こんな小さい輪っかなんて…と僅少の間考えたがぶるぶる!と勢いよく頭を振りその考えを払拭する。そんな一時の欲望に感け、屈している時間は僕には無い。と本日何度目か解らない負の感情を否定する。
計算も確率を出した事もないが、屹度、多分なんて可能性に縋る様で嫌だけれど、この指輪をあの人に無事届けた方が、僕は救われる気がする。

自覚なんてとうの前にしている、そしてその時から絶望も同じくらいしている。
この感情が報われる可能性なんて万に一つも無い、口に出して色よい返事をもらえるなんてどう計算しても有り得ない、あの人とあの人の大切な者を橋渡しする役もその大切なものの代替品になる事もボクには屹度出来ない。

それでも、それでもボクは

あの人のあんな泣きそうな顔なんてもう見たくない、

こんなヘドロ塗れの僕の手の中で鈍く輝くこの指輪があの人の顔に笑顔を取り戻せるのなら…自分の感情を腹の奥底に押し込んでおくなんて、容易い事じゃあないか。
そんなの数字を弾き出すまでもない、簡単な比較だ。なら、ここで立ち止まってはいられない…

ベトベターに別れを告げると、ネジキは用水路を漕ぎながらファイトエリアに戻っていった。大切な思い人に笑顔を灯す為に―


*


後日、

「あれ、ネジキ君ベトベターなんて捕まえてたの?意外ー」
「…外で会って、懐かれました」
「ネジキ、臭うヨ!そのこ凄く臭う!」
「進化したら臭わなくなりますので暫くお待ちくださーい」





絶賛片想い中で、全くといっていいほど報われてないネジキ君だけれど僅かな希望と言うあまりにも小さな確率に夢を見てもいいのでは?と言う願いから書きはじめたのに出来上がったら意味解らないになった…

14/10/20