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安心根付 (ゲントウ+ヒョウタ)






それはミオシティにあるトウガンさんの家で見たのが初めてだった。

「トウガンさん、嵌めないんですか?」
「ん?」
「この指輪、嵌めないんですか?」
棚の上の、家族の写真の前に、素っ気無くと言った風に置かれた指輪をゲンは指差しながら尋ねた。
「ああ、前までは嵌めてたんだけどな…」
「?」
「ミオに来てから外したんだ、鋼鉄島でなくしても困るからな」
その時は大切なものだからそう言う考えもあるんだと納得したが、トウガンさんの感情に奇妙な翳りが見えたので本位ではないんだと言うのは解っていた。
しかし、プライベートな事をずけずけと聞く関係でもないとも思いなおし、それ以上は突っ込まず、以来指輪の話は聞く事無く過ごしてきた。

それから暫く経った頃、鋼鉄島にヒョウタがやって来た時なんとない話の一つとして何故かゲンは件の指輪の話をした。それを聞いたヒョウタは思い当たる節があったのかその指輪の事をゲンに尋ねてきた、何色だったか、どんな形だったか?と。
しげしげと眺めた訳ではなかったし、若干おぼろげな所もあったが特徴を伝えると
「ああ、それ結婚指輪だ」
とヒョウタは言った。結婚指輪?とゲンが繰り返すと母さんとのだよとヒョウタは続け、
「母さんが死んじゃってから暫くは嵌めてたけど、そうか…今はつけてなかったんだ父さん」
としんみりとした後口を閉ざした。
「………ねえ、ヒョウタ君相談があるだけど」
「?」

*

ジムの仕事が終わり、誰も居ない筈の家に帰ると家には明かりが灯っていてそうか、今日はゲンとヒョウタが来る日だったかと無意識に腹の底がざわめき、気分が柔らかなものにすり替わっていく。
「ただいまー」
日頃は唯習慣で口にする言葉も、家に人がいると思えば妙に色めき立つ。それに言葉を返す者が居るとなれば尚更だ。
「父さんお帰り、ご飯もう少しだから待っててよ」
台所から顔を覗かせたヒョウタの姿にああ、と相槌のような返事をしつつ「焦がすなよ」とからかえば「父さんに言われたくないな〜」と減らず口を聞きながら台所に戻っていく息子の姿に胸の内を温かくしつつ靴を脱いで手を洗い口を濯いで居間に進めばヒョウタとは全く違う落ち着いた声音に声を掛けられる。
「トウガンさん、おかえりなさい」
「ただいま、ゲン」
「今日はヒョウタ君が張り切ってますので楽しみに待っててくださいね」
と台所で忙しなく動いているヒョウタの事を言いながら、ゲンは何か本を読んでいた。今は穏やかな表情ばかり見せる青年だが、出会った頃とは雲泥の差だなと年寄り臭い事を頭に描きつつ、これまた習慣になった写真立ての前に足を数歩移動し、妻に帰宅の挨拶をしようとして―――己の目を疑った。

指輪が、無くなっている。

今朝は確かにここに有った。戸締りは確認した、用心でポケモンを置いていった。異変が無かったのだろう、留守番を任せたポケモンはゲンの隣で寝息を立ててすっかり夢の中だ。写真立ての裏や棚の影等を確認しても見つからない。何処に?指輪は??俄かに焦りの滲む声で本を読んでいる筈のゲンに
「おいゲン、ここに置いてあった指輪―」
知らないか、まで言えなかった。ソファーに腰を下ろしていると思っていたゲンは振り返ると直ぐ傍に立っていて
「トウガンさん、はいどうぞ」
と自分の鼻先に何かを突きつけてきた。それは紐の先についた…なにか、布の包みの様な…おい、近すぎて何も見えんぞゲン
「なんだそれ?」
「根付?の様な何かの様な?」
「はっきりしろ、それより私の指輪知ら」
「この中です」
中あ?と鼻先に突きつけられたままの物体から少し顔を離せば、それは小豆色の紐の先に布で出来た5cmにも満たない巾着袋の様なものだった。
「ヒョウタ君と一緒に用意しました」
「ヒョウタと?」
ヒョウタ、どう言う事だー!と台所に声をかけてもそれどころではないらしい息子はラムパルドに火炎放射されたぁあーーーー!と奇妙な絶叫を上げている。ああ、肉が焦げたな…漂う匂いにヒョウタに説明を求めるのを諦め、目の前の男に話を聞くことに専念した。
「だからなゲン、いくらそのようなものを用意されても持ち運んでいて無くしたら」
「その作業着のポケットの中のファスナーついたポケットにしまえばいいじゃないですか」
そう言いながらゲンは勝手にトウガンのズボンのポケットに手を突っ込み、中についているファスナーを開けると其処に小袋を押し込んでファスナーを閉じる。澱みなく動く手付きに、こいつ本当に何者なんだとトウガンは数えるのも億劫になる程考えた事のある疑問を胸の中でだけ零す。
「此処なら縦しんば無くすと言う事は無いですよね?」
「…あ、ああそうだろうな」
「よかった、是非このまま持っていて下さい。お守りですから」
お守り?
「安全祈願ですよ」
袋の内側に縫い付けました、とよく見れば何箇所も針で突いた痕生々しい指先に、慣れない作業をしたんだろうと言う事が読み取れそれ以上の追求をするのは止めた。屹度台所にいる息子の指もこうなっているのだろうと解ったから。
それでも、もう一つ尋ねなければならない事がある。とトウガンは目の前で柔く微笑む青年に
「……いいのか?ゲン」
と注意深く尋ねた。だがそれに返ってきた言葉はたったの三文字
「何が?」
だった。これにはトウガンも脱力してしまう。
「…何がって、お前、私が此れを持っているのはいいのかと聞いているんだ」
「持たずして、嵌めずしてどうされるつもりなんですか?指輪は嵌める為にあるのでしょう?」
それに、とゲンは続けた。
「これはトウガンさんの大切なものでしょう?」
「……」
「嵌めるのを躊躇うのなら、せめて持っていて下さい。僕にはこんな事しかしてあげられません、でも大切なら身に付けていた方が安心できるでしょう?」
其処まで言われてはもう何も言えず、トウガンはお守りをを受け取る事にしすまない、と侘びを零せば何故謝るんです?とゲンに問われる。
「お前に気を遣わせたしその…気を遣ってたつもりもあったんだが」
「僕に何を気遣うんですか?可笑しな人だ」
ふふ、と微かに笑むゲンに、お前なぁと唸るようにトウガンは声を潜め言い募ろうとする。
「お前と私がどんな関係だと」
「おや、どんな関係なのか、やっと意識してくれるんですか?」
ここで漸く茶化されていると気付いたトウガンが、ゲン!お前と言う奴は!と真っ赤になって怒鳴りつけると夕食の危機!!とゲンが台所へ逃げていき、またしてもトウガンの胸中は中途半端な儘にされた。
ああ、今日はなんでこうも振り回されるのか…悔しいやら情けないやら、恥ずかしいやら嬉しいやら。
何もかもがトウガンの中で綯い交ぜになっているがそれは不思議と悪い気のしないものでもあると、知っているし気付いているから性質が悪い。ああもう、しか言えないじゃないか。
頭を抱えたいし、でも何か言ってやりたい気もする衝動に駆られながら、漂う食欲と空腹を呼び覚ます匂いに頭は無意識に食事の事へと切り替わりはじめる。こうなったら食事の最中に文句を言ってやろうと台所へ足を向けたトウガンは太腿に微かに感じる感触に一度、棚へ視線を向け写真を眺めつつも何時もよりは暖かな気持ちで視線を切り足を進めた。

*

「別に嵌めてて下さっても、僕は全く構いませんよ?」
早々にヒョウタを酔い潰し、心地好い酔いが頭の先の方迄回り始めた頃、ゲンは日頃と全く同じ口調で言った。付き合いは長くなってきたが、ゲンが酒に酔ったところを一度も見た事がない。強いのかと聞けばそうでもないと返された気がしたがどの口でそれをほざくのか、と思った気しかなかった筈だ。
「は?」
と若干酔いの気配を漂わせる声音で疑問を口にすると、指輪、と単語で返される。その答えに無意識に太腿のポケットの奥にあるソレに触れるがなんとも返答が出来ない。まだ色々整理のできていない感情で、彼の行為に胡坐を掻く訳には行かないと考えていたが酔いの所為か日頃のまともな思考は解れ気味だ。
「…お前は気にならんのか?」
あれだ、もう伴侶も居ないのに指輪つけてるなんて女々しいとか、忘れてないのかとか、相手に悪いとか色々あるだろ?と口に出すつもりだったがその前に
「そんなの差し障りでも何でも無いのですから」
なんてゲンに言われ、嫌味かコラ、と若干の怒気を籠らせれば可愛いですね、と頓珍漢な事を言われ整然としていない意識では上手く返す事も儘ならない。
「だって、トウガンさんはトウガンさんですから。装飾品一つで貴方が変化する訳じゃないでしょう?」
こいつは…たらしなのだろうか?なんて日頃思いもしない事を思い描き、そうかそうかと適当な相槌を打ちながら頬が赤く染まり始めたのを酒の所為にする為一息にビールを煽った。


オマケ〜

「ゲンさん、どうして父さんに其処迄持たせてくれようとしてくれるの?」
指に絆創膏を貼りつつ、ヒョウタは疑問を口にする。ゲンからトウガンが指輪を嵌めないのなら、せめて持たせて上げられないかと相談された時ヒョウタは真っ先にお守りの様なものなら持つんじゃないかと思いつきゲンに思ったまま返した。
だがお互い男だし、凝ったものは作れないのでナタネに裁縫の手順を聞きながらの作業だったがボタン付けや裾上げ、解れ直しと違ってかなり難航した。
何とか形になり、お守りを縫いつけようと躍起になっているゲンに、疑問に思っていた事を口にすると深々と針を指に突きたてながら
「何で?若しかして余計だったかな?」
と逆に尋ねてきた。タイミングが悪かった…ゲンさん、もう痛いとも言わなくなってしまったけど止めて、見てるだけで痛いから。
「い、いやそうじゃないよ。僕は嬉しいよ?でも、ゲンさんには余計な事じゃないのかなって」
「何で余計なの?」
「いや…だって」
ゲンさんは父さんが好きなんでしょ?と口に出そうとしたが何故か喉から出て行かない、首を傾げているゲンさんが父さんに少し、否かなり特別な思いを抱いているのは火を見るより明らか?否其処まででもないけれど兎に角見てれば解る。そんな人が、好きな相手が何時までも結婚指輪をつけていて良い思いをする筈がないと思ったのに。何でゲンさんは此処迄してくれようとしているんだろう?
あう、だのうぐだのと言葉にならない何かを伝えようとしているヒョウタにゲンは針を針山に刺して手を止め滅多に言わない自分の身の上を話し始めた。

「ヒョウタ君、僕は親子って言うものがどんな関係なのか良く知らない」
「…え?」
「だから、夫婦の関係とかあり方とか、世間一般のそういった習いも知らない」
だけど、
「この指輪を見るトウガンさんの顔はとても愛おしいものを眺めるように穏やかだった」
父さんが?と零すとゲンは頷きながら
「思い出すと苦しくて悲しい気持ちもあるのかもしれない。でも、この指輪はトウガンさんと君のお母さんの大切な思い出であり君にとっても大事なものなんでしょう?」
と再度ヒョウタに尋ねてきた。それに返せずゲンの顔を眺めていると、ゲンは穏やかに微笑みながら
「そんな素晴らしいものが余計だ何て、僕は考えたりしないよ?」
と言い切り、ね、ルカリオ?とゲンやヒョウタなんかよりも余程上手く針を操るルカリオに声をかけた。ルカリオは一声、ゲンの言葉を肯定するように鳴く。何時の間にかルカリオが続きを縫い初めでかしてしまっていた。このルカリオ何者なの?
そして…ゲンさんも何者なの?嫉妬無いの?え?ゲンさん聖人?
取り留めのない言葉に脳内が支配され始めたヒョウタは知らずに零していた。

「ゲンさん、何で鋼鉄島から出てこないの?絶対もてるのに…」
「俗世に興味ないからね、ここで修行が出来て、時折強いトレーナーと戦えて、君とトウガンさんと一緒に居れたら他は何もいらないよ」
何でこんな人がこの世にいるんだよ…もう頭上がんない。と糸切り鋏で指まで挟んでいるゲンさんを見ながら慌てて悲鳴を上げるまでのコンマ数秒間、ヒョウタは兄の様に思い慕う男と父親の行き先を案じていた。




ゲンさんもヒョウタ君も、二人とも不器用じゃないけれどゲンさんは人外くらいの気分で書くからこうなる。私の頭の中のゲンさんしてはかなりまともなゲンさんです。
普段は下ネタとスケベしようやしか言わないだろうからな…


14/10/19