小説 | ナノ





お題2-2






▼バイバイ、僕のユートピア

神様なんていないとは思ってる、でも、地獄や天国、若しくはあの世なんて世界くらいはあって良いんじゃないかとも考えていた。
だから、次目が覚めたのなら、屹度地獄かあの世なんだろうと、負傷した時漠然と思っていた。
だから、拍子抜けした。目が覚めた時、目の前にあったのは古ぼけた天井、視界を巡らせ、広げ確認した部屋は家具が最低限しか無いようなまるでモデルルーム+経過年数+センス最低限と言った、もの寂しい部屋だった。

「…あの世って、殺風景だな」
思いの儘感想を述べると、考えもしなかった返事が返ってきた。
「悪かったな、殺風景で」
え?誰かいるのか…え?
「なんでレンブがいるの?」
何時もの顰めっ面でベッドの横に腰を下ろしていたレンブは、俺の額に徐に手を伸ばすと、熱は下がったな。とか何とか言いながら水が入っているらしい洗面器とタオルを持って、部屋を後にするとまた戻ってきて今度は片手に椅子を持ってきていて、ベッドの脇にその椅子を置いて腰掛けた。と思ったら唐突に
「此処は俺の家だ」
とか言い出した。全く理解が追いつかない。
「…は?」
「お前の家なんかしらん」
「あの、え?」
だからなんで私が君の家にいるの?こう聞かなきゃいけないのに何故か喉が妙に渇き、上顎と下顎が張り付いて言葉が出ない。
「なんだ、入院したかったのか?」
「入院―っつ〜〜!?」
その言葉を聞いて漸く気を失う前の事の次第を思い出し、体が反射的に逃げ様としたが腹部の異様な痛みに体はベッドに落ちこむ。
「麻酔切れたか?寝てろ」
麻酔?何のことだ?あれ…何か胸元が何時もと違う感触…寧ろ服着てないよねと言うかこれ包帯か?
全く理解の追いついていない俺に、レンブが順を追って説明してくれた。

「あの後お前を病院に連れて行って、治療してもらって事情を話したら自宅療養が良いって言われたからお前を引き取って帰った」
病院ね…ああ、そういう事か、そういう………

「…言った?」
もしかして、痴話喧嘩で刺されて、刺した相手が仲間使って自分を捜しているとコイツは言ったのか?浮気されて、其れを指摘したら刺されたって言う事を医者や看護婦に言ったのかお前?!
「包み隠さず言ったぞ?」
言ってるよこのムキムキー!
俺が睨んでいる事を解っていないのか、否解っていないレンブは俺を見下ろしながらふと、思い出したと言った風な顔をして

ああ、そうだ
「さっき病院から電話があって、相手方は全員捕まったから大丈夫だそうだ」
と宣った、はい?主語をつけろよ、意味が解らないって。
「は?捕まったって…」
「そうだ、主語が無いな。病院でお前の治療を待ってる間に序でに警察にも言ったからな、連絡は病院を通してもらう事にしてたから病院から連絡が」
「警察にまで言ったの君!?あがっ、つ、ぃい゛」
レンブの手回しのよさに性懲りも無くベッドから飛びあがろうとして、痛みにのたうつ。あんまりだ、あんまりじゃないか、警察にも言うなんて!

「君…有り難いけれど警察はちょっと……」
「人を刺すのは犯罪だ」
それはそうだけど、痛くない腹ならどれだけ探られても痛くも痒くもないけれど、残念ながら俺の腹は真っ黒で痛い腹だ。今は物理的に痛いけれど公的権力にちょこっと素性を調べられただけで、大分焦ってしまう様な事をした覚えだってあるのに。なるべく避けて生きてきたのに…不味いなぁ、どうしよ。
「そうだけど!っつぅ〜〜〜、私にもプライドがあるよ…」
「プライドと命を天秤にかけるのはお前の勝手だが、それでは俺の寝覚めが悪い」
「寝覚めって……人生初だよ、痴話喧嘩で通報されるなんて…」
「良かったな、滅多に無い経験だ」
しかも警察も、お前は悪くないって言ってくれたぞ、良かったな…何か世迷い事が聞こえるよ?
「…君、どんな説明してくれたの?」
それなりに私が悪いと思うんだけれど、否半分くらい…それ以上はあっちの所為だろうけれど、俺が真っ白と言えるか?と聞かれると俺自身がイエスとは言えない、

「有りの儘に話しただけだ、そしたら妙に納得してくれた」
それは屹度人徳だよレンブ、君の人徳と君のフィルターで私が真っ白な被害者になったんだよ―兎に角溜息しか出ない
「嗚呼もう、暫く仕事に行けないよ」
「それは当然だ、全治二週間だからな」
「そうじゃなくて、俺の面子が丸潰れだよ、女に浮気されて刺されて、リンチされかけたなんて」
「四天王の仕事に本腰入れられていい事だ、悪くないんじゃないのか?」
「……まぁ、一生分の恥を前倒しにしたと思えば、安いもんかな?」
そう思おう、彼に悪気が悪意があった訳じゃない筈だ。それどころかデカイ借りが出来た訳だし。

「…勝手に色々したのは、悪かった。でも、うん」
何にせよ

「お前が…生きてて良かった」
そう言って肩の力を抜いたレンブは、微かに微笑んだ。初めてだ、笑うんだなぁレンブって。
「…うん、取り敢えず、有り難う」
暫くの間、彼と奇妙な共同生活を送る事になるとはこの時思いもしなかったけれど、借りたものはきちっと返さなきゃな、なんて思いながら目を瞑った。

ようこそ、私の新しい世界

オマケ〜
警察への説明の顛末〜

レンブ→「職場の同僚が以前付き合っていた女性に刺された。女性は刺しただけでは飽き足らず何人かの男を使って同僚を探し回り拉致しようとしていた。此の儘では同僚の命が危ないと思い、彼を保護し病院に連れて行ったら自分も襲われそうになった。ついては彼を助けたいので、彼の治療が終わり安全を確保出来る迄何とか彼奴等を引き止めてもらえないだろうか?若しくはその間自分が囮になって彼等の注意を引き付けるので、彼等を確保してもらえないだろうか?」
警察→「貴方自分の事は!?」
レンブ→「少し殴る蹴る、刺された位じゃ死なないので自分は平気だ。しかし友人は場所が悪い、万が一も有り得るのでなるべく時間を稼ぎたいし出来る限り助けたい」
警察→「その同僚の方は何か恨まれる様な事をしたんじゃないんですか?」
レンブ→「確かに異性との交友関係は広いが、彼は他人に対してとても誠実な対応をする男なのでそれは無いと思う。あっても逆恨みだ、今回だって相手の不義理を指摘したら刺されたと言っていたし…もう病院の外へ出なければならないので電話を切る」
警察→「待って、まだ切らないで!今から警官を向かわせますので早まらないで!!警察は貴方の通報と証言を全面的に信じるわ、だから待って!」

レンブ「と言った流れで俺の証言を元に犯人達が捕まった」
ギーマ「君一体どんな善人なの!?」


▼桃色の空に投げかけた

早朝の空は今薄暗さから鮮やかな朝焼けに切り替わろうとした狭間で、鼻から吸った空気は思いの外冷たく鼻の付け根がきぃん、と冷え気管を肺を満たし抜けると漫然とした眠気が少し遠退く。吐き出す息は白く煙るなんて事は無いが生温いそれが妙に気持ち悪くて、意識的にまた大きく息を吸い吐こうとして―口から出たのは大きな欠伸だった。

「…くぁ〜」
「朝帰りか、ギーマ」
滲む目尻を擦っていると背後から耳馴染んだ声が聞こえ振り向けば、ランニング中なのかその帰りなのか、こちらに向かって歩幅と速度を緩め隣に並ぶ頃にはすっかり私の歩く歩調に合わせる速度になっていた。
「お早うレンブ、早いね」
「質問の答えになっていないが…お早う」
「ついさっきまで追っかけられていたから一晩寝てないんだ」
「今度は何をしたんだお前…」
「何も、私は、何も」
強調する気はなかったが、眠気と気怠さで単調になりがちな思考は単純に単語を繰り返していた。勘違いされるだろうか、深読みされるだろうか、思考してもいいが今それはやや面倒なので彼の思う儘しておこうと放置する事を選ぶと、彼は深読みに走ったらしい。心配そうにまた何かされたのか?と尋ねてきて適当な相槌をしていると、更に核心的な提案をしてきた。

「……好い加減稼業から足を洗ってみたらどうだ」
「それは可愛い君のお願いでも無理だね、ごめん。別のおねだりにして?」
「からかうな!ったく」
「からかってないのに」
「だからっ…まぁいい、怪我はしてないのか?」
「うん、平気だよ」
何時ぞやの一件から、どうも私は警察の覚えがいいらしくパトロール中に何かと声をかけてくれたり相談に乗ってくれようとする。有り難迷惑と言うか、都合のいい時には非常に頼りにさせてもらっているがお陰で稼業からは奇妙に浮き気味だ。
「私の事をよく知らない新参者に絡まれただけ、あんまりにしつこいから警察にお持ち帰りいただいて、警察と少し話しをして今ってところだよ」
「お前の仕事もよく解らんが大変だな、」
「周囲に咎められてそれが気に食わなかったみたいだ。全く、年長者の言葉は聞くべきだよね。」
「そもそもお前が舐められるって…どれだけ大物なんだそいつ等」
「いや、私が自分より若く見えたみたい。それなのに周りからの対応がいいものだから生意気だと思ったんじゃない?私常連だし昨日はツイてたから。最初はポケモン勝負でと言った流れだったけれど本当に私の事を知らなかったみたいで、軽く捻ってやったらまぁ!あれよあれよと暴れられて私は連中を引き連れてカジノから出る羽目になった訳だ」
いい迷惑だ、と肩を竦めるギーマにそりゃいい迷惑だと同調するレンブは思いついたように
「…家に来るか?」
と誘ってきた。以前の看病したりされたりの件から何となく互いの家を行き来する程に仲良くなった私達は、世間様で言う友人関係になっているんだろう。屹度。あまり他人と親密な関係を築いた事がないので、此れが友人関係というものなのかがよく解っていない。
「あれ?今日仕事は」
「……休みだぞ?」
「え?そうだっけ?」
「余程疲れてるのかヌケてるのか…やっぱり家に来い、少し寝ていけ」
「ん〜、じゃあお言葉に甘えて」
「朝飯は?冷蔵庫が今心許無いから簡単なものしか用意出来ないが…」
私の食事の用意の心配をしている彼の顔を眺めながら、傍目から見れば眠たげな顔をしているだろう私の顔と、全く逆の顔をして私は頭の中で彼に語りかける。

ねぇ、君気付いてる?

私、実は今センチメンタルなんだ。朝早くから君に会えてさ、凄く胸が高鳴ってるの。
久し振りに見たと自覚した朝焼けは綺麗な桃色と藤色のグラデーションで、そんな淡くて甘やかな光と薄らと冷たい空気の中で出会った君に眠気なんか飛んじゃってさ、何を荒唐無稽なと言われそうな言葉の羅列を組み立てては崩し壊し、また組み直してるんだ。

今日も可愛いね、その瞳が綺麗だ、その鼻筋が堪らない、君の声が凄く好きなんだ、もっとお話しようよ?

その真っ直ぐな目線と心にとても惹かれ憧れてるんだ、君と居るとても安らげる、素直になれて心が晴れやかだ

その隣を何時迄も歩いていきたいとかさ、他にも色々言いたい言葉は頭の中をくるくる回ってる、口から飛び出そうと滑り出そうと準備をして張り切る陳腐な口説き文句・女性なら悲鳴を上げて喜びそうな殺し文句・腰を砕けさせるような甘美な響きの、夢のような戯言

でも、そのどれもが虚しい。解ってる、こんな飾り立てた言葉じゃ君を捉えられない、君の心に響く訳が無い。
友人で居た方が楽だったんだろうな、なんて逃げを打ちたくなる事も多々あるけれど、その前に究極の自覚をしたという事実が私を逃がさない。流石現実主義者の私だ、恋愛感情でも夢に逃がそうとしないなんて一回爆発してよ私の思考回路。
取り留めの無い言葉と思考と、煮詰まる恋情。朝明やが目に滲みる気がしたけど気の所為だ、気の所為だから口に出してしまいたい。敵わない、叶わない勝負と解っていても外へ逃がしてしまいたい。君へ投げかけたい、


どうしたら、君が俺と同じ恋情に囚われる?

▼優しい誤解の後


「いて、」
休みだし、家の掃除でもするかと床にモップをかけていた時、不意に刺す様な痛みが一瞬腹部を駆け巡り、頭の芯が痺れたような余韻に僅かに俯くと
「どうした」
と目敏い彼の言葉がかかる。流石と言うか細かいと言うか…何故彼、レンブが家にいるかといえば無茶苦茶な修行を一晩中敢行しようとした彼を上手い事言い包め私の家に連れ帰ったからに他ならない。これ以上欠損寸前やら内臓破裂未遂全身の骨、骨折コンプリート達成なんてさせて堪るか。怪我するのが趣味なんじゃない?って言うか君屹度ドMだよね?そう言ってやりたかったけれど、どうにもこうにも腹が痛い、背中に妙な汗が浮かんでいるけれど顔には努めて出さず
「ん〜、ちょっと傷痕が痛いかな?」
程度で済ませておいた。ちょっとでも大袈裟に喚けば思いこみの激しいレンブの事だ、病院に行こう。とか何とか言いかねない。
「それ、大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫でしょう。ちょっとキリキリするだけだし、時々ある事だしね」
「…ギーマ」
「何?」
「病院に行こう」
そう言った途端、レンブは私の手を取るとくるりと踵を返し玄関へ私を引き摺っていく。平均的な人間よりは鍛えている部類の私でも残念ながら筋肉ムキムキのレンブの力には全く敵わず、あっと言う間に玄関に連れて行かれてしまい私は慌てて捲くし立てる。
「大丈夫!大丈夫だから大事にしないでよ、ね?」
本当に病院はいいのか?と再三尋ねてくる彼をいいからいいからと宥めながら
「ちょっと横になってればいけると思う、ちゃんと完治してるんだし、それは君も知ってるじゃないか」
と嘯いた。実際痛いのは事実だし、想定の範囲内の事でもあったがそれを有言実行してしまわれると非常にめんどくさい。病院って高いじゃないか、たかが古傷の痛みの一つや二つで行ってられないよ。
心の内でそうぼやいていると、レンブは暫し逡巡した後に
「じゃあ休め、」
と今度はリビング迄私を引き摺り、ソファーに座らせると掃除道具を片付け自分は帰宅準備を始めだした。おいおい、思いついたら即行動は悪い事じゃ一切無いけれど、それでも素っ気なさすぎるんじゃないの君?まだ君に告白してないけど私君の事恋愛的な好きなんですけど?

「昨日は泊めてくれて有り難う、じゃあ、ゆっくり休めよギーマ」「ねぇ、少し、一緒に居てくれない?」
「は?」
うん、そりゃ「は?」だよね?そりゃ気持ち悪いとか思うよね?でもね、レンブ、危機迫る瞬間はある種チャンスなんだよ。いや、全く危機も危険も迫ってないけれどね。今なら付け込め―ごほん、兎に角私はタイミングは見誤らない主義だから。
「いや、少し淋しいと言うかやっぱりちょっと痛いしそうなると一人は心細いと言うか…」
「………」
これ見よがしの遠回しのようでいて全く遠くないもう少し滞在して欲しいなーと言う要望。さて、彼は釣れてくれるだろうか?このあからさま過ぎる餌に
少しの沈黙、基い思考時間の後レンブが寄越してきた言葉にギーマは、レンブが思い通りに餌に掛かってくれた事を確信し追い込みをかけ始めた。
「俺でいいのか?」
「うん、君がいいな」
「冗談を言うな」
冗談じゃないのに、と何時も使う軽口と化した言葉をまた口にするとレンブは私の横にさっと腰を下ろし
「よっかかれ、その方が楽だろ?」
なんて言ってくれる。これはいい方向に勘違いしてもらえたと、彼の好意に思いっきり乗っかる事にしてそれじゃあお言葉に甘えて、と一応一言かけて寄りかかる。
温かい、人の体温だから生き物だから、と言うよりレンブの存在自体に温かみを感じている、なんて考える私は相当彼に入れ込んでいるようだ。いいじゃないか、なかなか告白出来ない男が下心を微塵にも見せずに好きな相手にこうやって触れられる機会なんて早々無いんだぞ?今の内に具合の悪さにかこつけてお触りもしておこうかな?等など不埒な事をギーマが考えていると
「今パートナーの女性は居ないのか?」
と出し抜けにレンブは尋ねてきた。暗にその架空の女性に世話してもらえと言っているようだが残念、今寄りかかってる人がパートナー(希望)なんだよレンブ。つまり君だ!なので君に世話を焼いてもらっている状況が一番美味しいんだよ!解るかいレンブ、今が男のロマン真っ只中な訳だよ!!と胸の内で熱く語りながらも口は平静そのもの、しれっと事実を端的に伝えている。
「いないよ」
その言葉が意外だったのか、少し驚いた素振りを見せながら
「居ると思ってた」
等とレンブは言ってのけた、そうだよね、私のイメージって異性との付き合いが切れずに続いてる男らしいからね。
「あの件で懲りてさー、そう言う関係はすごく神経質なんだ」「そうか…無神経な事を聞いたな」
いやいや、君も結構神経細やかだから。最初はこいつ雑だなとか考えてたけれど、付き合いが長くなれば彼の意外な細やかさも解って来ると言うもので。
「ううん、でも今好きな人いるから。その人は凄く善い人でね、私の境遇にも理解を示してくれるしちゃんと話も聞いてくれるよ」
そう言えば、少し上から見下ろすレンブはそれは良かったなと日頃の彼から見れば随分と柔らかな感じで私の恋情を喜んでくれた。うんうん、その調子でこの先も喜んで返事してくれるといいんだけれどな〜とかなんとか、時々思い出した様に疼き響く痛みの中漫然とした意識の中、彼が放つであろう言葉を私は待った。
「その人に面倒を看て貰えないのか?」
「うん、してもらってるよ?」
「は?」
君だよ、と口がひらめく筈だったのに何故かその前にレンブが「家に呼んでいるんなら早く言え、遠慮するのに」なんて斜め上の思考を展開してくれたので、私は腹の痛みを差し置いてでも早急にこの勘違いを正すべきか、それとも痛がる振りをして彼の隙をついて既成事実を作るべきか。を割と本気で考え始める、お互いの生活サイクルの中では随分とのんびりした日和だった。


▼無常な闇から掬って


珍しく昔の夢を見た、確か師匠に会う前、随分子供の頃の自分を傍目から見ている、そんな夢だ。だから夢だと解ったし同時に己がその頃の自分を未だに受け容れ切れていないとも…思い知らされた。

思い上がったその心根を、強さとは武力なのだと思い込み、言い聞かせ、毎夜の様に諳んじ思い付く時にそう唱え、自分に刷り込み続けた日々。
師匠に出会う迄そうだと思い込んでいた。力だ全てだと、強さを追い求めるのは人としての本能で悪ではないと力がなければ正義を振り翳す事が出来ないと、弱さは…罪だと毎日毎日、毎夜毎夜夢でまで己に刷り込み続け鍛錬を、練磨を続けたあの日々が無価値とは思いたくないがあの思想を振り翳し続けた日々を思うと、頭から穴に入ってしまいたいくらいの羞恥心に身悶えそうだ。
そしてなにより、そんな未熟だった自分への嫌悪感にも似た……あの頃の劣等感を嫌悪感を思い出し胸がざわめき、腹の底は冷え、何か嫌なものに炙られた背筋が気持ち悪く、居心地の悪い状態で過去の自分を眺め続け声をかけようとした瞬間―………

夢は覚めた。

差し出した手は所在無く宙を掻き、タオルケットの掛かった腹の上に落ちる。夢だ、解ってる、アレは夢だった。解ってるのになんと後味の悪い気分だろう。
今の自分があの頃の自分に声をかけてやれたら…なんて詮無い事を考えている時点で情けないのに、そんな事出来る訳が無いのに。俺は何様だ、誰も過去へ戻れはしない後悔しても恥じても過去を変える事なんて出来やしない。なのに、何を話したかったと言うのだ?過去の頑なな自分に…あー、途轍もなく


気分が悪い


…………

「レーンブ」

鬱々とした気分の儘、職場へと出勤したはいいものの気が晴れる事無く唯徒に時間だけが過ぎていく。今日はまだ一人も挑戦者が現れていない、そつなくこなしたつもりの会議や同僚、上司とのやり取りは果たして上手くいっていたのだろうか?それを気にかける余裕すら、湧いてくる気がしない。唯唯気分は悪く、下降線を辿り地面を潜っていく程に沈み込んでいる。たかが夢から始まったほんの些細な気分の落ち込みにかれこれ半日以上振り回されている。なんて不甲斐無い…
とまたしても憂鬱になりそうな意識の悪循環に、何ともタイミングの悪い風にこれまた人の気をささくれ立たせる物言いをしてくる人間を、俺は未だ嘗て見た事が無い。否、無かった。今正にジャストタイミングで目の前に現れた。
なんだ?お前何がしたい、と不機嫌丸出しの声で気圧してやろうと思ったが相手が悪いのか全く懲りても気圧されても居ない。ソレが俺の気持ちを益々逆撫でた。
「……なんだギーマ」
「あら、ご機嫌斜めだね」
何を態とらしくお前は!と怒鳴りつけようかとも思ったがその言葉をしっかり紡げるかも怪しいくらいに気分は最悪だし、頭の何処かがぐらぐらと沸き上がる寸前だったから、どうにかしてそれだけは止めなくてはとなくなりかけの冷静さとなけなしの理性的な精神を掻き集め、深呼吸をした。

一度、二度三度…落ち着いた気がして、今の内に用件を聞こうとギーマに視線をやろうとしたその時
「はい」
と、何故か諸手を広げ俺の直ぐ目の前にもうギーマは居て。訳が解らずつい「は?」等と零すとにやにやしながらも更に一言。こいつは言ってのけた。

「おいで、」

とか言いながらお前が来るな!思わず後退りすると背中に冷たく硬いものが触れた。恐らく壁だ、追いつめられると冗談でも後々厄介だと考え壁際から離れようとした瞬間、がくん!と膝が落ちてその隙にギーマに頭を抱え込まれた。そのままずるずる、と背が壁を擦るようにギーマと二人床にしゃがみ込んでいく。
「っちょ、コラギーマ!?」
「は〜い、ハグハグ、ギュー」
「ふざけるな!」
「ふざけてないよー、知らない?ハグすると落ち着くんだよ」
「お前がか!」
「いやされる側が?」
「疑問符かよ!しかもお前何かしただろ!何もしてないのに俺の膝が落ちた!」
「隙だらけの君の足下と、素敵な脚線美を想像させる踵と風を孕んで悩ましい裾に、うっかり足を入れて更にうっかりと後ろに引いてしまっただけだよ」
全くうっかりじゃなくこいつ、態と足かけやがったな!この野郎!!

「兎に角放せこの―」
「大丈夫だよ、今の君が一番輝かしい」
「?!」

「間違えてなんか無い、君の人生は無駄じゃない」

突然言われた言葉に、今の心境も相まってか虚を突かれ頭の中は軽くパニックに陥ったがそれでも何か言わなければと絞り出した声はとても弱々しく小さかった。
「何の…つもり……」
「なんとなく?君を見かけて、してあげようと思ってさ」と僅かに上から聞こえる声が何でもないふうに告げ、更に言祝いでいく。

「大丈夫、だいじょうぶ、不安にならないで。後ろを振り返ったって誰も君を嘲ったり、笑い者にしたり責めたりしないよ?」
そう言いながら優しい手つきで細い指のついた手で頭を何度か往復させ、ぽん、ぽん、と子供を宥める親や大人みたいに背中を叩いてくる。

お前に何が解る!と叫ぶ程に元々利己的でも我が儘でも無いが、何か攻撃的な事を言ってやろうと思う程もうそんなに気持ちは尖っていなかった。
ギーマの腕から抜ける事も早々に諦め、首に込めていた力を抜いてその儘ギーマの肩口に額を押しつける。香水の匂いだろうか、微かに鼻を掠める涼しげなそれとどちらかの鼓動のリズムと背中に与えられる柔らかな振動が、俺の気持ちを更に解していった。

「君はとても真面目で頑張り屋なのに、何をまだ責める気だったの?もういいじゃないか、過去は変えられないし時折振り返るのも恥ずかしく、見たくない程の羞恥と醜悪さを此方に見せつけてくるものだ。でもね」

「時間を掛けてでもそれを受け容れた方が、後の人生には基本的にプラスだし、気分が良いってもんだよ?」
何より最期の時の気分が爽快だ。なんて言い張るギーマは何回最期を迎えた事があるんだ?こいつなら有り得そうだ、年齢の割りに無駄に修羅場潜ってそうだし…そんなお前が言うのだから、あの浅ましい己を受け容れる事が出来たなら、俺は更なる高みを目指せるのだろう。

あの頃の弱っく、片意地を張って一人ぼっちだった自分に手を伸べてやれる気が、ほんの少しだけしてきているなんて、都合よ過ぎだろうか?
だからギーマ、もう少しもう少しだけ、
「…ギーマ」
「んー?」

その穏やかな鼓動を聞いていたいと言ったら、我が儘だろうか?

「もう少し…いいか?」
なんて俺の考えを杞憂と思わせんばかりに、ギーマは穏やかに柔らかく即答した。
「いくらでも、気の済む迄此処においで」
「………、」
ん、ともうん、とも付かない返事をするレンブの頭を肩を抱えなおし、少しばかり周りに気を遣ってみるが残念な事に誰の気配も無い。ああ、残念だ、見せ付けてやれないだなんて。

今私の腕の中に、私のお姫様が居るって、見せびらかしてやりたい気分なのに。等と不謹慎に思いながらギーマは酷く浮かない顔をしていたレンブの表情が僅かなりにも穏やかになった事に内心安堵していた。




▼少なくともお前のせい

今俺は、第三者から若し見る事が出来たなら大変気持ち悪い事になっている。

まず、俺は筋骨隆々・筋肉むくつけきと言う文字通りの外見を持った大柄で強面の、30に差し掛かる男だ。何処を如何勘違いしてもしなくても、可愛いとか愛らしいだのと言った女子供、ポケモンに形容される言葉が似合う存在では断じてない。

そんな俺をからかっているのか、俺に「可愛い」だの「素敵だ」だの「my sweet」だのだの、よく冗談を言う同僚がいる。
そいつの名はギーマ、俺より少し年上の細身で、同僚として贔屓目で見なくても同性からしてもかなりの美形の男だ。だが人間は見た目では測りきれないとはよく言ったもので、ギーマ程食えない男を俺は見た事がない。
何枚舌があるのやら、簡単すら覚える知識量や呼吸の様に嘯き嘘を吐く舌、他人に付け入られる様なマイナスの感情をおくびに出さず常に不敵にと言うかにやにやと笑う顔、堂々とした隙のない態度と動作。
そもそも言動にすら隙がない、俺みたいなあまり口の上手くない奴や頭の回転が緩やかな奴ではあっと言う間に手玉に取られ丸め込まれてしまうだろう。
生業柄その様な挙動を身につけ、そんな性格になったと言われたらうっかり納得してしまいそうな仕事についているし使うポケモンもバトルスタイルも博打の様な正にトリッキーそのものだ。

そんなギーマが言うのだから何処までが本気で何処までが嘘か、疑わしいにも程があると言うものだ。

だが、なんだかんだ言いつつも俺とギーマはかなり仲の良い友人であり、冗談を言ったり言われたりする仲でもあるのだ。だからギーマの冗談を真に受けるなんて事はないし、これからもない。
そう俺は断言すらしていた。

なのに、

この前から俺は可笑しくなってしまった。

先週あたり、どうにも夢見の悪かった俺は鬱々とした感情に支配され上手く感情コントロールが出来ない儘職場に来て鬱屈しそうになっていた時、ギーマに慰められギーマにその…甘えるような形で慰められた。いい年下大人が何を恥ずかしいと思うが、あの時の俺は全く冷静じゃなかったがギーマは至極真面目な態度で俺の悩みを紐解き、汲み上げ、俺を慰めてくれた。それはいい、その行いは間違いじゃないし同僚としても有り得ない関係ではない。
だが、その後の俺の感情変化が可笑しい方向に行ってしまったのだ。
可笑しいと言うのはその…奇妙に意識してしまう、と言うかその…、ギーマの顔を見るとどうにも緊張するのか動悸が激しくなり胸がそわそわしすぎて、彼奴との会話の一言一言にかなりの注意を払わなければ何かとんでもない事を口走りそうで…
そのとんでもない事と言うのが………

ギーマに、好意を抱いていると言う事を匂わせる台詞ばかり頭の中で浮かび上がってくるのだ。

ヤバイだろ?寧ろマズイだろ?前出の条件の通り俺はトウヤやトウコ、ベルの言葉を借りればゴリマッチョのポケモン並みの人間卒業間近の男なのだ。そんな男が同僚で親しい友人にそんな事を口に出してみろ、心寒い以上に怖気走る、ジェイソンも裸足で逃げる恐怖映画さながらの光景じゃないか!
とてもじゃないが正気の沙汰じゃない。

だからあまり視界に入らないよう、接触を避けるように行動しているのにギーマ、お前は何だ?態々俺を探し出して迄俺の傍にいるとはどう言う事だ?どうしてお前のほど頭の回転のよくない俺でだって解るような態度を取るんだ?冗談にも程があるだろ?

やめろ、俺が本気に取ったらお前は如何するつもりだ。困るだろ?いくら余裕綽々、世界の裏側で、真っ暗な世界で息をしてきたようなお前だって反応に困るし対応したくないだろ?自分である俺だってそうなんだ、面倒ごとを嫌うお前なら殊更嫌だろ?
だから昨日遂に言ってやったんだ、冗談でもそんな事を他人に言うな。本気に取られたら如何する?俺はお前のような破廉恥ではないが俺にだってその様な衝動はある、それが縦しんば自分に向いたら如何するんだ?と。
此処まで言えばさしものギーマも考えを改めると思ったのに!
そしたらギーマは、今迄見た事の無い程の、面白さを覚えたての子供の様な笑顔で笑い声を零しながら言ってのけたのだ。

「それこそ好都合、私は何時でも用意が出来てるよ?」

冗談じゃない!言って言い冗談と悪い冗談があるだろうが馬鹿!!と言う俺の絶叫は何処吹く風、ギーマはなんだ、遠慮しなくてもよかったのかだの思ったより早く進めそうだ、だのとこの世の終わりが神速で駆け寄る程おぞましい事を口にしはじめた。
終いには俺の肩や腕に触れながらまるで女性を口説くような素振りと口振りを取り始めたではないか!?阿呆!俺は女じゃない!と言えばそれはそうだ、とギーマは俺の腕を掴みながら

「君は同性で、レンブで、このギーマがこの世界の男で唯一恋焦がれ愛して止まぬ人だ」

熱を多量に、溢れ出さんばかりに瞳に声に灯しながらそう歌うように宣った。

なんて恐ろしいなんておぞましい、ギーマ!どうしてくれる!!


この思いを肯定してしまいそうじゃないか!






少なくとも、全てお前の所為だ、ギーマ






title:メランコリア【恋というのも随分と久しい】