その手の形なら知ってた。
覚醒しきらない意識の中、痛みが遠のいて。
代わりに全身を包み込む、心地よい感覚。
ゆるゆると重たい瞼を開けば、白い手のひら。
徐々に合っていく焦点の先に、井上の顔。
なんでか安心した。
どんな状況でも。
その理由に気づいたのは、情けないことに最近なんだけど、な。
「あれ?どうしたの、黒崎くん。こんな時間まで?」
毛糸の入った紙袋を抱えて、教室に入って来た井上。
・・・察しの悪いやつ。
「井上、待ってた。一緒に帰ろうと思って」
ストレートに言わないと伝わらなさそうなんで、ここは直球で。
「ええ?こ、こんな時間までお待たせしちゃって!ご、ごめんね?部活があって」
「べつに。勝手に待ってただけだし」
「でも!申し訳ないっす!ちょっと待っててね、今すぐっ」
急いで机の上に出して積み上げた教科書やノートが、一気に雪崩落ちる。
「ああ、あたしってば」
慌てて教科書を拾うから、いつもより更に危なっかしくて見ていられない。
「いいんだって、ほら」
しゃがんで一緒に拾ってやりつつ、机の角を片手でガード。
間髪いれず、予想通りぶつかってくる頭。
察しの良さに、我ながら少し感心。
「・・・部活もちって知ってて付き合ってんだし?」
床に着いた井上の膝を軽く払ってやりながら、顔を覗き込めば。
硬直、アンド、紅潮。
先に恋を自覚したのはオマエだろうに。
なんでそんなにも、初々しいのか。
なーんて。
余裕かまして油断してると
ストレートにくらう不意打ち。
「あ、ありがとう、黒崎くん!・・・ま、待っててくれて、すっごく嬉しい、です」
赤らめた頬を両手で押さえながら、それでも真っすぐに俺を見つめる、井上の微笑みに。
跳ねる心臓。
実は俺だって、おんなじく。
こういう場面では、てんで初心者、なワケだけど。
なんとか帰り支度を終えて校門から出ると、日はすっかり落ちていた。
「やっぱり外は寒いねえ」
はあ、と白い息を吐いて、井上が笑う。
「風、冷てえな。早く帰ろうぜ」
「うん!」
毛糸の入った袋と、学生鞄。持ち直す井上の両手の白さに、ふと目が留まる。
「井上、寒くねえの?手。」
いつもしてる手袋がねえけど?
「あ!実はね、手袋なくしちゃったみたいなの。学校とか、おうちとか探したんだけど、見つからなくてね?だから・・・今、新しいのを製作中なのです!」
毛糸の袋を掲げてみせて、えへへと笑う。
「・・・制作期間中は、どうすんだよ」
指先、赤くなってるじゃねえか。
「え、鋭意製作中ですので近日中には・・・なんとか、なるんじゃ、ない、かと・・・」
「なんで小声になってくんだよ」
「じ、実はね?」
「おう」
「編図見ながら編むのがどうも苦手でして・・・」
小さくなった声に思わず耳を寄せれば。
ぶつかる肩と肩。
そこでビックリして肩を縮めてんじゃねえよ。
・・・逆に。意識、しちまうだろ。俺の方が。
「・・・オマエは色々アレンジしすぎなんだよ」
照れ隠しにちょっと意地悪く言っちまうのは。
オツキアイ歴一週間の新米カレシ、としては致し方ねえんじゃね?と思いマス。
「そっ、そんなこと、ないと思うけどなあ、えへへ」
頬をかく仕草・・・なんで、そこで照れる?
まあ、そんな照れ笑いですらも。
正直。
可愛いかったり、
するんですけど。
「自覚ねえの?そんなこと、ありまくりだろ?オマエ、今日の弁当だって、味噌の代わりに餡子とか普通ねえだろ?」
「豆製品同士だから代用効くかなあって」
「効かねえよ。ざっくりしすぎにも程があるだろ」
「意外とイケたんだけどなあ?」
「オマエの舌がどっかイッてるよ」
「ええ?ち、違うよ、ホントだよ?黒崎くんも試してみればわかるよ?」
「ね?」なんていいながら、ひょいっと覗きこんでくる、ハの字眉の困り顔。
わかんねえだろ?
わかってねえだろ?
今、この一瞬にだって俺の全神経フル稼働中。
長い睫、とか。
唇の形、とか。
瞳の色、とか。
赤い頬、とか。
オマエの気になるところ、ますます増えていく、この感じ。
そんな俺の内心なんて知りもしないで、無邪気に井上が呟く、一撃。
「あ!黒崎くん、耳、真っ赤だよ?」
餡子の乗った鰆。
失くした手袋。
前の俺なら気に留めなかった、些細な事柄の数々。
教室で井上を待つ俺。
さりげなく抑える、机の角。
膝でさえ汚したくない、
真っ赤な指先が気になってしょうがない、
この感情。
うまく言葉に出来ない、日々増えていくむずがゆいこの気持ち。
なあ、オマエもずっとこんな風に。
俺のこと、見ててくれた、のか?
「オマエの指こそ、真っ赤」
気を取り直して、井上の左手にはめる、俺の手袋。
「わあ、あったかい。ありがとう、黒崎くん」
ふにゃんと笑った時も、八の字眉なのな。
毛糸の入った袋を持たせて、左手開放。
「大きくて、指先余っちゃうよう」
嬉しそうに笑う顔に、思わずつられ笑い、の締りのない俺。
井上から鞄を取って、俺の鞄と重ねて右手で肩に。
左手で引き寄せる、井上の右手。
「うっわ、冷てえ」
体温奪われそうに冷てえけど。
「ご、ごめんね」
慌てて離れる井上の指に、逃すまいと強引に絡める俺の指。
「あ、あったかいなあ、黒崎くんの手」
「井上の手が冷えてんだろ?」
「・・・ありがとう、ございます」
「・・・どういたしまして」
指先だけじゃなく、
耳だけじゃなく、
顔中真っ赤な井上と、歩き出す、帰り道。
オツキアイ歴、一週間。その前からだって、ずっと知ってた、井上の手。
だけど。
初めて触れた柔らかな手のひら、だったり。
絡めた指から井上に移っていく俺の体温、だったり。
現実は、想像以上の甘い甘い、冷たさをともなって
俺に実感させる。
となりにいる、
俺の、カノジョ。
製作中の手袋が、編図通りになりませんようにと、ヨコシマな願いを込めつつ、
ぎゅっと力を込める。
ああ、もう、胸の奥が熱くなっちまうくらいに
ホントにさ、
繋いだ手は小さかった
▼あまた様/あまいちご
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