悪魔の誘拐

悪魔の誘拐





雨が降っていた。
公園の遊具の下で、まだ五つも満たぬ幼女がひっそりと身を縮こませていた。
長い間、ずっとその場に動かずにいたので、雨によって体温を冷やす。
ぶるりと寒気がするも、幼女は決して立とうとはしなかった。
幼女には帰る家がある。義父と、血をわけた双子の弟が待つ温かい場所が待っている。それでも、帰りたくないのだ。
幼女の体には真新しい傷がある。幼稚園で、仲の悪い男の子達と喧嘩をした。
奴らは弟をバカにしたのだ。弱虫、泣き虫、いつも姉ちゃんと一緒で気持ち悪い、と。
そして怪我をさせた。一人は倒れたまま起き上がらなかった。
教室中が悲鳴をあげた。先生は顔色を真っ青にさせて、幼女を悪魔と罵った。

幼女は逃げた。
皆が自分を恐れる視線から、冷たい視線から。
幼稚園を飛び出し、途中で雨が降って公園に一時避難し・・そして今に至る。
時間がどれだけ経ったかわからない。お腹が空いた。殴られた跡が痛い。逃げる途中で転んで、服が泥で汚れてしまった。

家に帰りたい。
でも、大好きな義父は怒る。先生に連絡を受け、事情を聞いて。たとえ相手に非があったとしても言うだろう。暴力をふるったお前が悪い、と。
答えがわかりきっているのは、幼女が誰かに怪我をさせたのは初めてじゃないからだ。

怒られるのは嫌いだ。でも、義父に迷惑をかける自分がもっと嫌いだった。
義父はまた怪我をさせた男の子達の親に、きっと謝罪したに違いない。何度も何度も頭を下げて、謝って。燐はぽろぽろと涙を零す。

そして、泣き虫で優しい弟は、辛そうに顔を歪めて言うのだ。
ごめんね姉さん、僕を庇ったからこんな事が起きたんだ。僕が弱いから、ごめんね。ごめんね・・・。

弟の言葉は、胸が引き裂かれそうなくらいに辛い。
だから幼女は帰りたくないのだ。この先、家に帰っても待っているのは暴力をふるった事で義父に怒られること、自分が原因で事件が起こったと、弟に謝られること。また彼らを苦しませると幼女の心は悲痛に染まる。

そして己が下した決断は、自分がいなくなった方が一番いいこと。

だから幼女は帰らない。帰りたくても帰れない。
もう嫌だ。どうしてこんな事になるのだろう。幼女は泣いた。痛いくらい腕をつかんで、頬には次々と滴が零れ落ちる。

「うぇ・・ふぇ・・とうちゃ・・ゆきお・・かえりたいよぉ」

それでも寂しさから耐えきれず、漏れる嗚咽は幼女の本心が哀しいくらいに現れている。

すると、目前に靴が見えて顔を上げれば外国人が立っていた。
年は義父より下だろうか。皺の少ない、端整な顔立ちだ。紫に近い髪に義父の無精髭とは違い丁寧に揃えた顎髭で、高級そうな黒いスーツを着ている。
たれ目気味の目つきでペリドット色の瞳の下は一体何日寝ていないのだろうと思うくらいの深い隈があって、幼女を真っすぐに見下ろしている。
その男の口許がニヤけると、幼女の背筋が凍った。

「・・・・燐」

「!・・あ・・」

男は甘く微笑んで、燐に合わせるように膝を折る。
彼の持つピンク色の水玉模様の傘が、余計に不気味さを煽っていた。

「怪しい者じゃありませんよ。私は藤本の友人です。連絡を受けて、貴方を探しに来ました」

藤本の友人、と聞いて燐は首を横に振った。

「や、やだ・・おれ、帰らない」

「おや、どうしてですか?藤本は貴方を心配していますよ」

男は首を傾げると、燐は言いづらそうに顔を俯かせて呟く。

「おれがいると迷惑がかかる。また人にけがさせたから・・」

「それはいけませんね。人を傷つけるのはいけない事だ」

「!でも、わざとじゃないっ・・あいつらが、いけないんだ。雪男をバカにするから・・いつも虐めるから」

燐は必死に弁明する。相手が弟をバカにしなければ喧嘩は始まらなかった。
だが、男の冷ややかな視線が突き刺さり燐の声は次第に沈んでいく。

「わざとじゃ・・ねぇもん・・」

「・・・」

「皆、嫌いだ・・・とうちゃんと雪男いがい、皆・・大嫌いだ・・・」

全てを拒否するように、燐は膝の間に顔を埋めた。

「お前、あっちいけ・・」

「そう言われましてもね。“運良く”藤本より先に見つけた訳ですし、幼い貴方を放っておく事はできません」

「とうちゃんに言うな・・雪男にも言うな・・」

「では、ここを動かないと?一生?」

こっくりと燐は頷くと、男は腰を上げて、ため息をついた。
そして小さな幼女を欲の孕んだ目で捉えるように見下ろすと燐に気づかれないよう舌なめずりをして密かに笑う。

「燐・・本当は帰らない気などないのでしょう?」

「っ!?」

「ここは修道院とそう離れていない公園。時間が経てば、藤本達は見つけに来る。貴方はそれを待ってる。帰れない、と言っても心の奥底では彼らに期待しているんです。自分を絶対に見捨てたりしない。今頃きっと探している。怒られはするが受け入れてくれる。だからここで待つ。違いますか?」

次々に吐き出される言葉がまるで凶器のように、燐の心に突き刺さる。
燐は泣き顔そのままに否定した。

「ちが・・おれ、そんなこと考えてない!思ってない!」

燐は思わず立ち上がって、遊具の外へ出た。
雨によって幼女の服は更にずぶ濡れになり、喧嘩で破れた部分も含めて更に惨めな恰好となる。その姿で必死に声をあげる幼女に対して男は顔を興奮するように嬉々に歪め、幼女に人差し指を向けて応える。

「思ってますよ。だから私と帰らない。藤本と弟は貴方を必死に探している。それをわかっているからこそ、動かない。二人の愛情を確認する為に。酷いですねぇ・・まだ幼いというのに何と計算高いのでしょう!父と弟の心を弄んで!」

「!!・・・違うっ違う違う!おれは、おれは・・・」

「おれは・・・なんです?否定するならばきちんとおっしゃい」

男の声に、燐は反論しようともできなかった。
口がパクパクと開いても、否定したい言葉は発せない。こんなこと、産まれて初めてだった。目が大きく見開いて、男の愉悦な表情が視界にいっぱいに映る。

「・・・・っ」

「できない?あ、ひょっとして・・苛めっ子を倒すのも本当は好きでやっていたんじゃないんですか?弟を虐めから守るのもただの口実で、貴方は人を傷つけるのが面白くて、仕方がないのです!」

「そ・・そんなこと・・」

「いえいえ、謙遜しなくても宜しい。私は知っていますよ。だって・・」

燐は恐れるよう後退する。もうやめて、これ以上言わないで。
おれは本当に・・・。男は幼女に、残酷に告げた。

「貴方は悪魔なんですから!!」

先生の、自分を見る忌々しげな形相が甦る。

『この悪魔ぁっ!』

「うぇ・・うわぁぁぁぁんっ!!」

燐は絶叫するように泣き叫んだ。
自分は悪魔だ。心も、体も、悪魔なのだ。
父と弟の優しさと愛情を弄び、幼稚園の生徒を手にかけた。なんて酷いんだろう。
雨は勢いを増していき、悲愴な叫びは雨音で消されていく。

すると、男はさしていた傘を燐にいれてやり「ねぇ・・燐」と先ほどとはうってかわって蕩けるように甘い声で言った。

「私のところへいらっしゃい。そんな小汚い服よりも、可愛い服を着せてあげます。温かい食事も、寝床も用意します。欲しい物何でも買い与えましょう。寂しくはありませんよ。私が一緒にいますから」

「・・・・え?」

さっきの恐ろしい言葉で責め立てていた男はどこへいったのか。
燐はきょとんと目を丸くする。男は甘いマスクで燐にね?と応えを促す。

「で、でも・・とうちゃんが知らない人と一緒に行っちゃいけないって」

「私は藤本の“親友”です。知らない人ではありません。後で連絡しましょう。私が引き取り、育てると。決して不自由な思いはさせませんよ。燐、もう貴方は苦しまなくてもいいのです」

「・・・・」

燐は考えた。
自分は悪魔。たとえ、家に帰ったとしてもまた同じ事を繰り返してしまう。
この先、義父にはもっと迷惑をかける。弟はもっと辛い想いをする。そして誰かを傷つけてしまう。へたしたら殺してしまうかもしれない。

だったら、この男の元へ行った方がいいのではないか。
燐は男の言葉を鵜呑みにし、ぎこちなく頷いて見せた。男は幸せそうに笑い、燐の汚れた頬を手袋ごしに撫でる。
くすぐったい動きに燐は目を細めると、男は「さぁ、行きましょう!」と燐の腕を引いて歩き出す。

義父の親友ならば、また弟とも会える。
きっとお金持ちなんだろうな、ごちそう食べたいな、と燐の口許は緩み男の背中を見上げる。

「そういえば、お前・・名前は?」

義父の親友と名乗っただけで、男は肝心の名前を言っていなかった。
燐は訊ねると男は決して歩みを止めずに顔だけを振り向いて名乗った。鋭い耳と歯を生やし、妖しい笑みを浮かべ、そして服装は白いマント姿に変化して。

「悪魔です」

「え」

男に寄せていた信頼が、一気に崩れた。
さぁぁぁ・・と顔色が青ざめて、燐は冷や汗をかいた。
燐は自分が悪魔だと自覚はしたが、それは疫病神のようなものと捉えており本物の悪魔だと思ってはいない。悪魔なんて、いるはずがない。

だが、この男は本物の悪魔だ。

頭がパニックになる。
やばい。早くこの悪魔から逃げなければ。
男に掴まれた腕を必死に引っ張ってもびくともしない。それならばと己の足を止めても男は歩き続ける。燐の片方の靴が脱げてしまい、泥の地面に落ちてしまった。
男は燐の抵抗を牽制するようにぎゅっと思い切り細い手首を握った。

「!!い、痛いよぉ・・やっだ・・誰か助けてっ・・」

助けを求めようとも、周りは誰もいない。当然だ。雨の中、公園で遊ぶ子供などいない。
男は小さな声でぶつぶつと呟いていた。藤本、燐はやはり私が引き取るべきだったのだ。悪魔を人間として育てるのは愚行極まりない。
燐は私の妹だ。産まれたときから兄である私のものなのだ。それを双子は一緒に育てるべきだと奪い、引き離しおって。だが五年の歳月を経て、ようやく我が手に戻った・・・監視した甲斐があった。やはり隙があったな。娘が父から離れると思わなかったのか藤本。そう言い切ると男は呼吸を荒々しげに歪みきった笑みを浮かべた。

早口過ぎて何を言っているのかわからないが、燐は震える声を振り絞る。
やっぱりお家に帰る、父ちゃんに謝る、雪男を抱っこする、傷つけた皆に謝る、全部おれが悪いんだ!良い子にするから!だから離して!と必死に謝るも男は決して燐を離しはしない。

むしろ力は強めるばかりで、男は「1、2、3」と指を鳴らすと二人の目の前には一つの重厚な扉が出現する。

「さぁ・・燐。今日から私が貴方を人間としてではなく、悪魔として調教します!閉じ込めて、愛でて、私だけの玩具に仕上げてみせましょう!」

扉は開くと、奥は漆黒の闇だった。
一切光りのない、暗闇。燐は恐怖に、愛しい義父と雪男の名を呼び叫んだ。

「とうちゃん!雪男ぉぉぉぉ!」






この日、町で一人の幼女が姿を消した。

公園で発見された靴を手がかりに捜索が開始されたが一向に幼女は見つからず。
しかも、遊具の下から出たと思われる幼女の足跡と犯人と思われる男の足跡も途中で消えているという、実に不自然な痕跡を残していた。
事件は迷宮入り。悪魔のような幼女は悪魔に攫われたのではないかと噂がたち、幼女は二度と町に帰ることはなかった。







END

シリアス。
こうして燐♀はメフィストに誘拐されて玩具にされます。
だって、メフィストってキャラ・・・子供誘拐しても違和感なさそうなんですもん(←失礼しましたぁ!!)。

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