― 穏やかな恋でした ―










貴方の優しさに触れて。
少しでも認められたい。

その表れだったのかもしれない。









3.穏やかな恋でした










分厚い雲に覆われる深い灰色に包まれた空。
仄かに鼻を掠める草木と土の入り混じった香り。
天からバケツをひっくり返した様に降り頻る雨。
ザァーッと傘とアスファルトを打ち付ける様に降る雨の中、ピシャピシャと音を立てて帰宅道を歩くチチ。

きっと、梅雨入りも間近だろう。


傘の隙間から赤に点滅する信号機を見詰めながら立ち止まる。
人々が行き交う街中にいるのにまるで自分の時間だけ止まってしまったようだ。

雨は苦手だ、それ以上に嫌いだ。
蒸し暑いからとか濡れるのが嫌だからなんて単純な理由ではない。
洗脳でもされているかの様に脳裏へ焼き付く記憶。
悪夢の様な悲劇が襲った日も雨だった。


青へ点滅した信号機に支配される様、人々が歩き出す。
チチもまたその中の一人で雑踏を掻き分ける様に歩を進めた。

交差点を抜けて、下町を抜けて、住宅街が立ち並ぶ歩道。

霧の様に視界が霞む中、道先に見えるのは、アスファルトへ放られた開いた傘と屈み込む人影。
徐々に露になっていく人影の姿は見覚えのある人物だ。
学園の制服を着用している男で特徴的な金色の逆立った髪と右耳に光る三つのピアスは彼しかいない。
最近、昼休憩を共にしている“カカロット”だ。

弁当を作る約束を交わしてから彼とは奇妙な関係が継続されていた。
教室内で会話するどころか挨拶も交わさない関係でありつつ、昼食の時だけふらっと現れて去っていく友達とは言い難い関係性。
それでも無関係ではない為、ただのクラスメイトだとも言い難い。


傘を放り投げ豪雨に打たれてまで、何をしているのだろう。

単純な疑問が脳裏を掠めたが、通り過ぎようとしたチチ。
一瞬、カカロットの横顔を見た時、その腕の中にはまだ幼い子猫が抱かれていた。
刹那後ろ髪を引かれる思いで立ち止まるチチ。


彼が心配な訳じゃない。
腕に抱かれる子猫が心配なのだ。


胸に改めて言い聞かせたチチは来た道を振り返り、カカロットの元へ歩み寄る。

背中から見る彼の身体は長時間、雨に打たれたのだろうか。
インナーの黒いタンクトップが覗き見える程、制服のYシャツは半透明に透けている。
金色の逆立った特有の髪も萎れ枯れた花の様に重力に逆らう事はなく地面へと向いていた。

チチは雨に濡れる事も気に掛けず、カカロットの頭上へ自分の傘を差す。



「 …誰だ?! 」



カカロットの背後を取った事が間違いだったのか。

一際、大きな声を張り上げたカカロット。
即座に立ち上がったと思えば後退し、まるで戦闘でも始まる様に身構えた。

サァーッと降る雨が妙に鼓膜を刺激する僅かな沈黙。



「 なんだ、おめぇか。」



ふっと身体の力を抜き、緊張の糸を解したカカロット。
しかしチチの目は騙されなかった。


冷酷な翡翠の瞳。
鋭く吊り上がった金色の眉。
無情に強張った表情。
威圧感を漂わせるオーラ。

例え一瞬の出来事でも彼の身体から感じたエネルギーは本物だ。
まるで獲物でも見付けた様な敵意剥き出しの容態。

やはり不良の風貌をした彼の事、喧嘩もするのだろうか。
なんでも力で解決しようとする野蛮で無能な暴力的行為を。


思考回路を強制的に遮断したチチは首を左右に振る。
脳裏に過ぎった過去の映像でも振り払う様に。



「 なんだじゃねぇべ! こったら雨に濡れて風邪でも引いたらどうするだっ!! 」



折角の好意を無碍にする様な発言のカカロットに憤怒したチチ。

唖然とした様子も一瞬でカカロットは僅かに口角を上げて、ピシャッと足音を立てて歩んでくる。
傘の中へ入り込むと端正な顔を覗き込む様にして近付けてきたカカロット。



「 なに? オレの事 心配してくれてんの? 」



自分の発言が誤解を招く言葉だった事にようやく気付いたチチ。
かぁ…と頬を紅潮させたチチは頭から湯気を立てる様に眉を吊り上げた。



「 違うべ!! おらは子猫を心配してるだ! 」

「 ふーん、素直じゃねぇな。」

「 おらはいつだって素直だべ!! 」



カカロットの自信は一体、どこから湧いて出てくるのか。
出来るものなら覗いて見たいものだ。

あまりにも自信家なカカロットに戸惑いつつ、逞しい腕に抱かれる子猫へと視線を移した。

どうやら、まだ目も開いていない生まれたてな子猫。
身体が雨に濡れているせいか、凍えた様子で震えていて、温もりを求める様にか細い声で鳴いている。

弱き者を見る様な優しい眼差しを子猫に送りながら、チチは問うた。



「 この子、捨て猫か親猫と逸れちまっただか? 」

「 分かんねぇ。ただ車道に出てたから轢かれたらまずいなと思って拾ったんだ。」

「 そうだか。この後 どうすんだべ? 」

「 家に連れて帰る。大人になるまで育ててやんねぇと生きていけねぇだろ。」



助けた上に養うのか。
意外にも動物には惜しみない優しさを配るカカロットに思わず綻んでしまうチチ。

もしまた野良猫に返してしまうなら自分が引き受けようと思っていたが、どうやら出番はなさそうだ。
せめて今の自分に出来る事をしよう。

ブレザーのポケットを探ったチチは厚手のハンカチを取り出す。



「 これあげるから子猫拭いてやってけれ。少しでも体温あげてやらねぇとな! 」

「 ん。」



チチの手から引っ手繰る様にハンカチを受け取るカカロット。
彼は不器用なのか、子猫さえも無造作に拭き始めた。

物ではなく生き物なのだからもう少し丁寧に…と言い掛けたところで止めたチチ。
その腕に抱かれて撫でられる子猫があまりにも気持ち良さそうに蹲ったせいだ。



「 ところでさ、」

「 なんだべ? 」

「 おめぇ、いつまで傘差してんの? 」

「 えっ…? 」



カカロットの声で戸惑う様に傘を降ろしたチチ。
どんよりと重たい雲が空を覆っているのは相変わらずだが、雨粒はいつの間にか止んでいた。

慌てて傘を閉じたチチに何を思ったのかクスッと勝ち誇った様に笑うカカロット。
ムッとする態度ではあったが声は飛んでこなかった為、何も発言はしなかったチチ。

厚手のハンカチで子猫を優しく包んだカカロットは片手に子猫、片手に放り出されていた透明傘を持つ。
車道脇に停車してある中型バイクへと歩いていったカカロットはシートを開いて、子猫へ何かを呟きそっとシートを閉めた。
どうやら傘は折り畳み式だったようでリュックの中へしまう。


この時、脳天へ稲妻が貫く様に彷彿な創案が舞い込んだ。

バイクではきっと傘など役立ちはしないどころか吹き飛ばされてしまう為、差すわけがない。
ならば何故、傘をリュックから出し、傘を放り出す様な状況になったのか。

答えは簡単だ。

猫を救助しようと思った理由は彼の宣言通り、轢かれたらまずいと思った為だろう。
しかしそれだけが理由ならば、傘を放り出す様な状況下には置かれない。
きっと救助しようと思い傘を差した刹那にでも、本当に子猫が轢かれてしまいそうな状況が訪れたのだろう。
この道は住宅街とはいえ、一本線の様に真っ直ぐな道の為、加速してくる車も多い筈だ。


以前、ブルマが言っていた“ こんな見た目だけど悪い奴じゃないから ”その言葉をようやく理解出来た気がした。
勿論 憶測であり、カカロット本人の口から告げられたわけではない為、真実ではないかもしれない。
けれど、あの制服の汚れ方、猫を抱き抱えていた後姿、誤解だとしてもそう思ってもいいのではないかと笑った。



「 おめぇ、家どこ? 」

「 おらん家? なして? 」

「 送ってやるよ。これ以上、借り作りたくねぇし。」



空へ虹を描く様に飛来してきたのは、飾り気も無い漆黒のヘルメット。
破損してはいけないという衝動と反射神経で、肯定したわけではないのに受け取ってしまったチチ。



「 い、いいだよ! こっからそんなに遠くねぇし。」

「 いいから早くしろよ。ヘルメット持ってんだし。」



有無も言わせぬ反論で、バイクのエンジンを掛けるカカロット。
ブォーンッとマフラーから鳴り響く轟音が耳を劈いた。

これではまともに話も聞いてもらえないだろう。

観念したチチは今回だけだと心に言い聞かせ、ヘルメットを着用した。
ヘルメット越しに翡翠の瞳で見詰めてくるカカロットに急かされる様にして、後部座席へ跨ぎ乗るチチ。
両腕は何処へ掴まれば振り落とされずに済むのか困惑し宙を舞う。



「 ちゃんと掴まれよ。」



グイッと手首を引かれたチチの両腕はカカロットの腰を包み込む様に回される。

まるで少女漫画にでも出てきそうなワンシーンだ。
カカロットの広い背中にピタッと頬を寄せ合う形を客観的に想像してしまったチチは茹で蛸の様に赤面した。



「 ちょっと…! 」

「 今度は何? 」



チチの方へと振り返ったカカロットは露骨に億劫な表情だ。

この男は自分に抱き着かれても何の感情も湧かないのだろうか。
それほど女慣れしているのだろうか。
はたまた自分だから感情が湧かないのか。
どちらにせよ、自分だけ馬鹿みたいに胸を跳ね上がらせ紅潮しているのが癪に触る。

話題を変えようと思ったチチはふと気になる点を尋ねた。



「 カカロットさ、ヘルメットは? 」



渡されたヘルメットを着用しているチチとは対照的にカカロットはヘルメットを着用しておらず露な金髪が風に靡いている。
バイクに乗車する場合はヘルメット着用が義務であり、違反が見付かれば切符を切られてしまうだろう。



「 おめぇが被ってんだろ。オレ、相乗り嫌いだからヘルメット一つしか持ってねぇし。」

「 えっ? 」



ならば、何故自分を乗せるのだろう。
もし警察にでも見付かれば点数どころか罰金まで課せられるというのに。
そこまでのリスクを負ってでも、カカロットは借りとやらを返したいのだろうか。

腑に落ちないチチが思い悩んでいる最中、アクセルを吹かすカカロット。



「 どうでもいいから道案内しろよ。」



有無を言う暇もなく、アクセルを踏み込んだバイクは発進した。
マフラーから騒々しい轟音が耳を劈く最中、カカロットの後部座席に相乗りして感じた事。


彼の背中は雨に濡れた服にも劣らない程熱く、安心感を抱く程温かかった。
荒々しい運転など無茶な事はせず、意外にも安全運転だった。

そして何よりも驚愕を受けたのは彼の髪。
風に靡き揺れ輝く金色の髪と毛先から照り落ちる雫が妙に美しく恍惚とした。
大嫌いな不良であって、その象徴とも言える髪色なのに。
こうも魅了されて目を奪われるのは何故だろうと思考回路を巡らせたが答えは見つからなかった。



「 送ってくれてありがとうな。」



ものの数分で到着したチチの自宅前。
今まで居合わせた場所から徒歩十分程度の距離だった為、バイクの速度であればあっという間の時間だった。

謝意を示す様に頭を一つ下げたチチは顔を上げる。



「 ん。それよりヘルメット。」

「 あっ、すまねぇだ。」



慌てるチチは早急に手にしていたヘルメットを返却した。

しかし、チチは以前からカカロットに対して気になる点がある。
ヘルメットを着用し始めたカカロットに視線を向けたチチ。



「 なぁ、カカロットさ。おらにはチチって名前があるだ!ちゃんと名前で呼んでけろ! 」

「 今更だろ。」

「 それでもだべ! おらに失礼だって思わねぇだか?! 」



カカロットとは約一ヶ月程関わってきたが、今まで一度も名を呼ばれた事がない。
毎度“ おめぇ ”や“ なぁ ”や “ おい ”と呼ばれている。
ブルマに対してもそういった対応をするが、時々名前を呼んでいるのを耳にした事がある。
これが幼馴染と友達とは言い難い関係性の差なのだろうか。

呆れた様に溜息を吐くカカロットはアクセルを吹かした。



「 いつかな。じゃあ。」

「 えっ、ちょっと!! 」



引き止めようと伸ばしたチチの手はカカロットがアクセルを踏み込んだ為に後一歩届かず、空を舞った。
轟音を立てて、来た道を帰って行く広い背中にはぁ…と盛大な溜息が零れるチチ。

このままではいつまでも名前は呼んでもらえなさそうだ。

諦念を心に抱えたチチは遠くにあるカカロットの後姿を見送り、視力では捉えきれなくなった所で父の待つ家路を歩き始めた。








穏やかな恋でした






2018.05.21




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