― 穏やかな恋でした ―










動く事を辞めた針が再び動き出す。
それは今後の人生を大きく左右する歯車でした。










2.穏やかな恋でした










人々を魅了する程 美しく咲き誇った桜は、春風に吹かれて舞い散った。
舞う薄桃色の花びらが小さな蝶の群舞の様だった事を今でも鮮明に思い出す。
そうして人々を虜にした桜が散り終わった頃、始まりの時を迎えた。


待ち望んでいた高校二年生の新生活だ。

この学園は学年ごとにリボンの色彩が振り分けられている。
二年生となった今、淡い紅色のリボンは卒業し、鮮やかな紺色へと変わった。
青系色はチチの好きな色彩でもある為、初めて着用した時は胸が踊ったものだ。

しかしクラス替えは落胆とせざるを得なかった。
学園一の仲良し、親友とも呼べる友達ブルマとクラスが離れ離れになってしまった。
今でも昼食は必ず一緒に食べる交流は継続している為、仲良し健在だが、寂しくないといえば嘘になる。


そんな新生活がスタートして、早一週間。
四月の半ばへと差し掛かった四限目のチャイムが校内に鳴り響いた。

午前の授業をようやく終えた教室内は生徒たちの声や移動で騒然とし出す。
チチもその中の一人で机のフックに掛けている鞄から弁当箱が包まれた巾着袋を取り出すと教室を出た。

そこへ駆け足で向かってくるのは、ブルマ。

透き通った淡青の長い絹髪。
誰もが羨望する程の端正な顔立ち。
しなやかな曲線を描く身体。



「 チチさん!お待たせー! 」



チチの前で立ち止まり花が咲いた様に微笑むブルマは憧憬の存在だ。
気高い容姿を兼ね備えた明るく勝気な性格、おまけにカプセルコーポの社長令嬢。
非の打ち所がない女性とはまさにブルマの様な人の事を指すのだろう。



「 おらもちょうど今、授業終わった所だから全然待ってねぇだよ。」

「 そうなのね。じゃあ屋上行きましょうか? 」

「 んだ! 」



この学園は基本的に他クラス生徒が教室内へ入る事は禁止されている。
なんでもイジメや盗難防止対策だ。
その為、クラス替えをしてからは食堂は混雑するので避け、屋上か中庭で昼食を取るスタイルになった。

ひょこっとチチのクラスを覗くブルマ。
“ ねぇねぇ ”とチチに声を掛けたブルマは教室の窓を指差した。



「 あそこの席の人、ずっといないわよね? 不登校かなにか? 」



追う様にブルマの指差す方向を見たチチ。
どうやら窓を指差したわけではなく、窓側の最後席を指摘している様だ。

首を傾げたチチは朝礼の出席確認を振り返る様に回想する。

チチのクラスは未だ嘗て一度も人数が揃ったことはない事を思い出した。
まさにブルマが指摘した窓側の最後席の人物が一度も登校していないせいだ。
名は確か。



「 カカロットとか言う人だったと思うだよ。今んところ不登校だべな。」

「 カカロット?! 孫君かぁ…。アイツ、また何かやらかしたのかしら? 」

「 …孫…くん? 」



カカロットという人物名は、このクラスに配属されてから知った名だ。
しかしブルマの呟いた“ 孫 ”という苗字は聞き覚えがある。
聞き覚えがあるというだけの関係じゃ済まされない程、慣れ親しんだ苗字だ。

眉を顰め表情を曇らせたチチに、ブルマは苦笑にも似た笑みを浮かべた。



「 留学時代からの腐れ縁なのよ。そのカカロットってのと。
今は苗字外しちゃったみたいだけど昔から孫君って呼んでたから今更呼び方変えるのも変でしょ? 」



留学時代からの幼馴染と聞いて、安堵の溜息が溢れたチチ。

どうやら自分の知っている“ 孫 ”とは関係がなさそうだ。
第一に自分の熟知している“ 孫 ”は留学生ではないし英語は不得意だった筈。



「 そうだっただな、おら全然知らなかっただ。」

「 今度、紹介するわ。」

「 んだな! 日頃ブルマさにはお世話になってっからご挨拶せねば! 」



意気揚々と笑ったチチ。

優秀なブルマの幼馴染であり、クラスメイトだ。
失礼のない様に親密な関係になれたらいいなと脳裏の片隅で思う。

そうして、その日の昼食を取りに屋上へと向かうのだった。










それから数週間が過ぎて、時期は五月に差し掛かる目前。
陽気なお日様のおかげで季節は春にも関わらずぽかぽかと温かい日が続いた。

しかし、陽気な太陽とは裏腹にチチの機嫌といえばすこぶる悪い。
月一度の周期が決まった頃にやってくる月経のせいだ。
普段のチチは決して重症な方ではないが、年に数回 重苦しい痛みに悩まされる。
あと数十分で昼食だというのにも関わらず空腹も感じない程、憂鬱な気分だ。

先生の話も頭には入ってこず、左耳から入っては右耳から抜けていくよう。
頭がぼーっとしながらもノートだけは書き殴った。
後々復習する為と定期的にノートを回収される成績の為だ。

作業感覚の中、鼓膜を刺激するのは先生の声とペンを走らせる音、そして校庭で行われる体育の賑わう他クラス生徒の声。

そこへガタンッと一際大きい轟音が耳を劈く。
廊下側の最後席であるチチにとっては愕然とする程だ。
ビクッと肩を震わせながら、皆の視線を掻き集めるチチの後方へ追う様に視線を移した。



「 …あっ、」



先に声を上げたのはどちらが先か。
二人の声は重なり合う様に発せられ、同時に視線同士が絡み合った。

走馬灯の様に蘇る春休み前の出来事。

金色の逆立った髪。
翡翠色の冷淡な瞳。
だらしなく着崩した制服。
右耳と舌に輝くピアス。
“ あの人 ”に似通う端正な顔立ち。
制服の上からでも分かる肉体美。

忘れもしない、図書室で出会った史上最悪な人物。



「 おめぇは変態不良さ!!! 」



ガタンッと椅子を大きく揺らし立ち上がったチチは不良を指差し罵声が飛び交った。

何故、彼がここにいるのか。
まさか同学年でクラスが一緒なのだろうか。
はたまたこの前の事で怨念でも付けられたのだろうか。

様々な感情と思考が入り混じり、挙動不審なチチ。
一方 不良は片耳に人指し指を突っ込み、明らかな不興顔をしていた。



「 朝からうるせぇなー。」



第一声は罵声か。
それに今は朝という様な時間でもない。



「 お、おめぇなしてここにいるだ?! 」

「 おめぇこそなんでここにいんの? 」

「 はっ?! おらはここのクラスなんだべ!! 」

「 じゃあオレもそう。」



愕然としたチチは卒倒でもしてしまいそうな勢いで瞳孔を見開いた。

二度と関わりたくない人物トップランキングの男とまさか同じクラスとは。
神様はなんて意地悪なお人なのだろう。
これから一年も辛抱しなくてはいけないのだろうか。

絶望にも近い気持ちで落胆した時。

ようやく気付いた。
今は授業中であり、先生や生徒の痛切する程の視線を掻き集めている事に。
不良に対する嫌悪よりも皆から飛び交う視線により、顔が紅潮としていくチチ。



「 ごめんなさいだっ!! 」



穴があったら入りたいほど羞恥心に駆られた。
深々と頭を下げたチチは誰の有無も聞かずに着席する。

ゴホンッと咳払いする先生はチチだけではなく教室全体を見渡した。



「 ほら、君たち授業に戻るぞ。カカロットも席へつきなさい。」



先生の声に早々と去っていく視線の数々。

そうか、この不良がカカロットというのか。
彼の容姿と名前が一致して、ある事を思い出した。
いつだったか、まだ高校一年生の頃の事。



“ 一匹狼の負け知らずな留学生が転校してきた。”



正直、一生関わりあう事はないと思っていた為、とうの昔に忘れてしまっていた。

しかし現実となった今。
噂の人物とは、この男カカロットで間違いはないだろう。


脳裏に掠めた記憶を掘り起こしている最中、ふと耳元に気配を感じた。



「 ばーか。」

「 …っ!!! 」



熱を帯びた吐息と男性らしい低声。
以前、図書室で起きたような卑猥な台詞とはまるで別な罵声にも関わらず、その色気立つ低声にゾクリッと身体が震えた。

反射的に低声を囁かれた方の耳を抑えるチチは振り返る。
しかしそこには既にカカロットの姿はなく、窓側の空いた席へ向かう後姿。
はぁ…と嘆息したチチは机の方へ向き直ると、そこには一年生の頃の生徒手帳が置かれていた。



「 なして? 」



心中の声が漏れるように発せられた小さな独り言。

だいぶ昔に無くしたとばかり思っていた生徒手帳。
一年の無くしてしまった時に再発行した上、今は二年生の為 必要ないのだが、なぜここにあるのか。
まさかカカロットが耳打ちする際にそっと渡してくれたのだろうか。

ガタンッと椅子を引き着席するカカロットへ視線を向ければ、こちらへ気付いた様に視線同士が絡み合う。
小首を傾げるチチに対し、カカロットは殺風景な表情でベッと光るピアスを見せびらかすように舌を覗かせた。



( やっぱ嫌ぇだ。)



ありがとうの言葉を口で象ろうとして止めたチチ。

あの挑発するような翡翠の瞳。
無機質に覗かせるピアスが光る舌。
勝負しているわけでもないが勝気な態度。
傲慢な不良でありながら、僅かに覗かせる優しさが心底気に喰わない。

ふんっと鼻を鳴らしたチチは授業再開する様に先生へと向き直った。











午前の授業が終わった、昼食時。
廊下には女二人、男一人の小さな集団の輪が出来ていた。
その中の一人チチはもう一人の女ブルマへ強く聞き返す声が発せられる。



「 …は? 」

「 ほら、前に言ったじゃない? 幼馴染を紹介するって話。覚えてない? 」



まさに開いた口が塞がらないといった様子で素っ頓狂な声が漏れるチチ。

幼馴染を紹介するという先日の話をすっかり忘れていた。
忘れてしまっていた事に後ろめたさは感じたが、それ以上に驚愕がチチを支配する。

苦悩に頭でも抱えたい所だが、親友のブルマといえど人前だ。
盛大な溜息を心中で吐くと憂いを帯びた表情でブルマと男を見詰めた。



「 コイツが孫君。まぁこんな見た目してるけど悪い奴じゃないからさ。」

「 …は、はぁ、」



そう、ブルマの幼馴染“ 孫君 ”と呼ばれた男こそ、不良のカカロット。
物憂い気に仁王立ちするカカロットの表情といえば、無表情で何を考えているのか得体が知れない。

小さく肩を落胆とさせたチチ。

まさかブルマの幼馴染が不良だなんて夢にも思わなかった。
優等生である彼女の友人となれば、それは成績優秀且つ裕福そうな人物を想像していた。

ブルマの言葉を信じないわけではないが、カカロットが悪い人ではないとは信じ難い事。
今まで二度、接触してきたが、どれも良い思い出が一つもない。
時に親切ではあるが、それ以上に意地悪で変態で傲慢なイメージだ。

チチが呆然としている最中、ブルマはカカロットのYシャツの裾を引っ張る。



「 ほら、孫君! 挨拶くらいしなさいよ! 」

「 挨拶するほどの仲じゃねぇだろ。」

「 アンタねぇ! 挨拶くらい常識でしょうが!! 」



裾を掴むブルマの手を振り払うカカロットは明白な不興顔だ。

愛想のない言葉とカカロットの仏頂面にチチは苦笑せざるを得なかった。
宥めるように二人の間に割って入ったチチ。



「 カカロットさとは初対面でもねぇから挨拶くれぇ気にしねぇでけろ。」

「 え? 初対面じゃない? 」

「 あ、えっと…。」



墓穴を掘ってしまった事に気付いたチチは狼狽えるように取り乱す。

図書室での出来事を話すべきか。
話すにしてもどこまで話すべきなのか。
出来れば卑猥な言葉を囁かれたのは伏せておきたい。

困惑したチチの様子を見兼ねてか、カカロットの舌鼓が一つ鼓膜を刺激した。



「 オレが図書室で寝ようと思ったら、ちょうどコイツが居て本取れなさそうだったから取ってやっただけ。」

「 えっ? 孫君が? 」

「 あ、んだ。それで一応 顔見知りだったんだべ。」



秘密にしておきたい内容を上手く伏せて説明してくれたカカロット。
ふぅ…と安堵の溜息を漏らしたチチ。



「 へぇ…孫君がね〜。珍しいわよね。まさか… 」



ニヤリッと破顔したブルマ。
カカロットの耳を引っ張っては背伸びをして何やら耳打ちをした。
チチの距離と角度では何の会話なのか聞こえない程の囁き声だ。

時間にして数秒、ブルマが話し終えたのかカカロットは呆れ顔で嘆息を吐く。



「 んなわけねぇじゃん。オレがこんな餓鬼っぽいの好きになると思うか? 」

「 ちょっと孫君!! なんて失礼な事言うの?! 」

「 おめぇが変な事言うからだろ。」



まるで姉が弟を叱るような痴話喧嘩が始まった。

喧嘩内容からしてブルマが耳打ちした内容をなんとなく察することが出来た。
“ チチさんの事好きなの? ”と言うブルマが好きそうな内容だろう。
不良みたいな風貌のカカロットに餓鬼っぽいと言われた事は正直腹立たしいがブルマが非難してくれた為 何も突っ込まなかったチチ。

日が暮れても尚、喧嘩していそうな勢いのブルマにトントンッと肩を叩く。
カカロットに憤怒する時の表情とはまるで別人の落ち着いた顔で振り返ったブルマ。



「 どうかした? 」

「 そろそろ飯さ食わねぇと休み時間終わっちまうだよ? 」

「 それもそうね。ほら、孫君行くわよ!! 」

「 へっ? 」

「 はっ? なんでオレ? 」



チチの声とカカロットの声は重なり合うようにして、ブルマへと聞き返した。
聞き返したと言うよりも予定にないカカロットも昼食に参加するのだろうか?と疑問形式から漏れた声だ。

もっともブルマは理解していない様子で小首を傾げた。



「 チチさんは孫君がいたら不都合かしら? 」

「 い、いや…そったら事はねぇけど、」

「 オレが嫌なんだけど。一人で食、」

「 アンタの意見は聞いてないの!
チチさんが良ければ孫君に聞きたい事あるし一緒に食べない? 」



カカロットへは妙に当たり強く言葉を遮ったチチ。

選択肢はどうやら自分にあるようだ。

きょとんとした締まりのない顔で見詰めてくるブルマとは反対に威圧するように鋭い眼差しを向けてくるカカロット。
カカロットへ聞きたい事があると言ったブルマ。
今日はブルマも傍にいるし、今日だけなら…と納得したチチは威圧してくるカカロットを無視して頷いた。



「 んだな! 今日は皆でお昼食べるべ! 」

「 よし!決まりね!! 」

「 ……めんどく…ってぇな!!! 」



またもや言葉を遮る様にして、カカロットの耳を引っ張るブルマ。
その顔は笑顔の様でいて目が笑っていない、友達ではあるが“おっかねぇなぁ”と苦笑したチチ。
仲睦まじい姉弟の様にも見えたチチは耳を引っ張られ屋上へ連れて行かれるカカロットの後姿を追う様に歩みを進めた。





屋上へ着いた時、ようやくカカロットの耳を解放したブルマ。
今まで引っ張られ続けた耳は少々痛々しくも見える程 耳縁が僅かに赤く染まっていた。
その耳を摩る様に熱を冷ますカカロットを置いて、先を歩くブルマ。



「 あ、こっちよ!こっち!! 」



嬉々とした笑顔を見せるブルマ。
手招きしている様子からして、きっと空いているベンチでも見付けたのだろう。
チチは駆け足でその場へと向かい、ブルマの隣へと腰掛けた。

程なくしてマイペースでやってきたカカロットはベンチではなく、コンクリートへ胡座を掻く。

カカロットのポケットから取り出されたビニール袋には、コッペパンと水のペットボトル。
まさか育ち盛りの青年がパンと水だけの昼食で済ませるのだろうか。
栄養もアンバランスな上に男には空腹の足しにもならないだろう。


愕然と目を見張ったのはチチだけではなく、ブルマも同様な表情でカカロットへ視線を向けていた。



「 アンタ、それだけで足りんの? 」

「 いや? 」

「 昔みたいにしつこく付き纏ってた女の子とかは? お弁当作ってきて貰ってたじゃない。」

「 海外にいた時の話だろ? それにオレが好き勝手頼んで貰ってたわけじゃねぇし。」

「 へぇ…こっちではモテないって事? 」

「 さぁな。女と連むのは面倒だからな。」

「 ふーん。」



海外留学時代の過去を語る、ブルマとカカロット。
ブルマが沢山の男性に好意を抱かれた事は聞いていた為、知っていた。
またカカロットも同様で沢山の女性に好意を示されただろう事が伺える会話内容だ。
それはきっと今も健在なのだろうが、女性と関わると面倒だから交友は狭くしているのだろう。

それに比べてチチは至って一般的だ。
年に一、二度、想いを告げられては決まった台詞でお断りする。
きっとブルマとカカロットには足元にも及ばないだろう。


コッペパンの封を開けたカカロットに視線を向けるチチ。

正直、月経のせいで空腹は感じていなかった。
巾着袋から出したはいいものの、未だ弁当の蓋さえも開けれらない程に。

思い悩んだ末、チチは弁当箱ごとカカロットへと差し出す。
コッペパンに口を付ける寸前で止めたカカロットは何だよとでも言う様な視線をチチに投げ掛けた。



「 おら今日は腹減ってねぇんだべ。育ち盛りなんだし栄養も考えて作ってあるから食べるといいだ! 」

「 はっ? 」

「 いらねぇっつーんなら捨てちまうしかねぇけんど。」



険しい表情で眉間に皺を刻むカカロット。
拒否の反応だと悟ったチチは弁当を持った手を引っ込めようとした瞬間、手首をカカロットの大きな手によって掴み取られ、引く事を阻止される。
愕然としたチチは手首を取られながらカカロットを覗き込む様にして見張った。




「 本当にいらねぇの? 」

「 んだ。今日は体調が優れねぇから。」

「 ふーん。じゃあ貰う。」



手首を解放したカカロットはコッペパンを袋に戻し、チチへ掌を返した。
差し出された掌へ弁当箱を置けば、すぐに持ち出され、パカッと蓋を開けるカカロット。
そこには朝早く起床して栄養バランスと彩りをきちんと整えられたおかずと白米が敷き詰められている。

料理には店の味にも劣らない自信があるチチ。
カカロットの反応が気になり、おかずを手に取って口へ運ぶところまで見届けた。

眉間に皺を寄せつつ、大きく目を見開いたカカロットの口角は僅かに上がる。



「 美味ぇ。」



カカロットは心の声でも漏れたかの様にひっそり呟いた。
無意識に頬が綻んでいくチチ。

その褒め言葉は嬉しい以外の何ものでもない。
歓喜した心は上機嫌に胸が踊るようだ。



「 これ、おめぇの母ちゃんが作ってんの? 」

「 んや、おっ母はおらを生む時に死んじまってずっと居ねぇだよ。全部おら一人で作ってるだ! 」

「 へぇ。」



感心する様に声を唸らしたカカロット。
次には黙々とおかずと白米を交互に凄まじい勢いで口へ掻き込んでいく。


母の事について深くは問われる事がなかった為、安堵したチチ。
彼が気を遣ってくれたのか。
興味がなかったからなのか。
余程食事が気に入り目がない状況なのか。
理由は定かではなくとも、不穏な空気にならず安心した。


それから数分の事。
成長真っ盛りの男だからなのか、カカロットが特有なのか、あっという間に平らげてしまった。

完食するスピードに呆気に取られてしまったチチ。
米粒一つない弁当箱の蓋を閉めた後、呆然とするチチの目の前へと空の弁当箱を差し出すカカロット。



「 ごちそうさん。美味かった。」

「 あ、んだ! 口に合って何よりだべ! 」



いただきますの声はなかったが、しっかりとご馳走さまを言えたカカロットへ、満面の笑みを浮かべるチチ。
勿論、美味しいという感想と完食してくれた感謝の意味もあり歓喜している。

チチが弁当を受け取ると、じーっと穴が開く程翡翠色の瞳で見詰められた。



「 なぁ。」

「 なんだべ? 」

「 これから弁当作ってきてくんねぇか? 」



愕然とするチチは大きな瞳を更に丸くする。

驚愕しないはずがない。
彼は今までの女性に弁当を懇願した事はないと言った。
それがたった今、譲渡した弁当だけでまた堪能したいと思わせたのだ。

正直、今後一切関わりたくない気持ちも僅かにある。
しかしそれ以上により一層舌を唸らせる絶品料理の数々を奢りたい気持ちが遥かに勝った。



「 いいだよ!その代わり連絡なしに休むでねぇだぞ! 」

「 おう。」



嬉々と微笑むチチ。
頷いたカカロットは余ったコッペパンを頬張り始めた。



まるで蚊帳の外に放り出されたブルマは一人呟く。



「 なんだか面白い事になりそうね。」



その声はカカロットの耳にもチチの耳にも届かない程の小声。
空を舞った声と共に頬を緩めたブルマは残り少ない昼休憩に急かされる様、早々と弁当を食べ進めるのだった。










穏やかな恋でした






2018.05.14




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