― 穏やかな恋でした ―










激しく求めた恋にさよならを。
優しく穏やかな恋に初めてを。










1.穏やかな恋でした










春の陽気な日差しが差し込む学校内。
窓が開け放たれた校内は、時折薄桃色の小さな花弁が舞い込む。
冷ややかな風に吹かれ運ばれる香りは、空気を彷徨うように春特有の甘い香りがした。


そんな中、一人廊下を歩くのはチチ。

艶めく絹糸の様な長い黒髪。
あどけなさが残る顔立ちでありながら、凛とした大きな瞳。
美貌へ更に追い討ちを掛ける様に嫌味にならない程度の華奢な身体。
その身体を包むのは、校則通り着用された暖色系の制服。

今日、優等生として高校一年生を終えた。
明日から春休みに突入し、時期に高校二年生を迎える。


そんなチチが訪れた場所は図書室だ。
カーテンが風に煽られる室内を見渡す。
どうやら放課後という事もあり、チチ以外の生徒は疎か人一人いない様子だ。

気兼ねなく春休みの課題に向けた参考書を探せると安堵した笑みを浮かべたチチはガラガラと静かな音を立てて戸を閉めた。

ズラッと立ち並ぶ本棚の中からたった一つの参考書を探すのは至難の技。
余計な時間を省く為にも室内にある検索用パネルを巧みに操り、目当ての参考書を検索するチチ。
参考書は在庫有りと表記されていて、場所も大まかではあるが記載されていた。

パネルから離れたチチは記されていた本棚に向け、歩を進める。
一角の本棚の目の前に立ち止まると指を差しながら目で追っていると、一際年季の入った分厚い本を見付けた。



「 あ!あっただ! 」



まるで宝探しの中でも一際大きいダイヤを発見したかのように歓喜し無邪気に微笑むチチ。
しかしそれは一瞬の出来事で、次には俄かに困惑の表情を浮かべた。

原因は、参考書が優に自分の身長を超える高さにある為だ。


チチはまだ成長期の途中で身長といえば、150cm後半。

果たして届くだろうか。
僅かな望みを掛けて、精一杯腕を伸ばし背伸びをする。



「 あと…ちっと…っ 」



距離にしてみれば、僅か3cmといったところだろうか。
届きそうで届かない距離に顔を真っ赤にしながら奮闘するチチ。

しかし努力をしても報われない時はある。

3cmという僅かな距離が一向に埋められそうになく、脚立を持ってくるしかないかなと諦め掛けた時。
すっ…と背後から伸びてくる正体不明の腕が参考書を取った。



「 え…? 」



驚愕に声が漏れたチチ。

確か図書室を訪れた時には人一人いなかった筈。
腕の太さからして、男子のものだということは振り返らずとも察する事が出来た。


学校内に住み着く何かの亡霊か。
はたまた恋愛ドラマに出てくる主人公の様な誠実な好青年か。

必死に本へ手を伸ばしている所に現れて、救ってくれたのだ。
どうか後者でありますように。

祈りにも似た思いで、好奇心と期待に胸を躍らせながら振り返った。



「 …っ!!! 」



見事なまでに予想と期待を裏切り、絶望へと叩き落とされた。

振り返った先にいたのは、亡霊でも誠実な好青年でもなんでもない。
寧ろ誠実な好青年とは掛け離れた人物。



( 不良だ… )



脱色された校則違反の金髪。
だらしなく着崩された制服。
右耳に光輝く三つのピアス。
顔立ちは似合わない程 端正ではあるが、無駄な装飾品のおかげで台無し。
制服の上からでも分かる鍛錬を重ねられた様な肉体は、きっと喧嘩慣れのせい。

まさに不良の中でも王道といった風貌をしていた。


16年間の人生、不良や悪人とは関係を持たないように生きてきたチチ。

それ故、こんな近距離で不良を見たのは初めての事だ。
絶望と恐怖に立ち眩みを起こしたチチは、足元がふらつく様に本棚へと寄り掛かった。


やはり、ドラマの様な上手い話はない。
現実は残酷で、夢の世界は夢のままだと思い知った気がした。



「 ほれ、これだろ? 」



現実の状況を理解する為、思考回路をフル稼働させる事に集中し切っていたチチは現実の時間へと引き戻される。
不良の懐古的な声と胸元に組んでいた手の目の前に差し出された本と口を開いた時に覗いた舌に光るピアスによって。

まさか舌にまでピアスを開けているとは。
よっぽどの不良だと悟ったチチは顔が蒼白としていった。


目の前に差し出される本を受け取ってしまったら、何の見返りを要求されるのだろうか。

だとすれば、どんな事だろう。
不良の奴隷だろうか。
それとも猥褻的な事だろうか。

奴隷ともなれば、今後の成績にも影響するだろう。
かといって猥褻的な事であっても、一生お嫁にいけなくなってしまう。

どうかこの二択以外でありますように。


神様でも仏様でもこの際、どちらでもいい。

拝む気持ちで祈るチチは目の前に差し出された本を僅かに震える両手で受け取った。
ずっしりと両手に伸し掛かる重量感で不良が本から手を離したのを察する。
覚悟にも似た気持ちで俯き、ぎゅっと固く目を閉じたチチ。



「 じゃあな。」



予想外の台詞に愕然として瞼を開くチチ。
大きな二重の目が更に大きく見開かれて、黒曜石の瞳に映り込むのは不良の背中。


見返りは要求されないのだろうか。
ならば何故、不良である筈の男が紳士的な真似をするのか。
全く結び付かない答えの糸口。



「 ま、待ってけれ!!! 」

「 ………何? 」



気が付いたら、不良を呼び止める様に声を張り上げていた。
まだ何かあるのかとでも言うように億劫な表情で眉を顰めながら振り返った不良。

見返りを要求する為にした行為でないとすれば。
不良の気紛れであったとしても人助けをしてくれたならば。
例え関係を持ちたくない不良であったとしてもお礼の一つは言わなくてはならない。
それが常識であり、父に教えられた人として当然の事。

緊張で固まった頬を緩ませ、柔らかに微笑みを作るチチ。



「 そ、その…取ってくれてありがとうだ。助かっただよ! 」



最初の言葉こそなんて伝えればいいか分からず狼狽えたものの、最後の言葉は明るくハキハキとした声でお礼を述べたチチ。
ちゃんと言えた、と内心ガッツポーズさえ決めていた。

不良は驚いたのか、目を丸くした。
刹那、厭らしく口角を上げ笑う。



「 ……ツ。」

「 ん? 」

「 パンツ見えてたから気をつけろよ。」

「 …っ!!! 」



一瞬にして、沸騰する様に熱を持つ顔。
咄嗟にスカートの丈を限界まで引っ張り下ろした。

折角、謝礼まで伝えたのに。
感謝の気持ちは疎か、乙女心まで踏み躙られた。
恩を仇で返された様な気分だ。

沸々と湧き上がる様に怒りを覚えたチチは、キッと目を鋭くし睨み付けた。



「 乙女心も知らねぇでおめぇ最低だべ!!
そうやっておらの事惑わして、襲おうって魂胆け?!
少しでも良い奴かもしんねぇと思ったが、とんだ間違いだっただ! 」



溢れる思いの丈のまま、怒鳴り付けたチチ。

きっと、目の前にいる最低な不良はこうなる事を読んでいたんだ。
その油断をついて、隙を見せた時に卑猥な事を。
先々の事を想像したら身震いさえした。


罵声を浴びせた事によるのか、ポケットから手を出した不良。

不良の怒りにでも触れてしまったのだろうか。
険相を浮かべて歩を進めてくる不良は、チチの目の前で立ち止まり腕を振り上げる。
殴られる、本気で覚悟したチチは固く目を閉じるが、手首を取られダンッと鈍い音が響くと同時に本棚へ身体を押し付けられた。



「 …えっ? 」



驚愕に目を見開くチチは愕然とした様子で不良を瞠目した。

初めて絡み合う視線。
冷淡でありながら恍惚とする程 綺麗な翡翠の瞳。
まるで視姦でもされている気分なのに、一度捉えられたら金縛りにあったかの様に逸らせない。

性格や風貌は不良といえど、それを差し引けばこの男は格好良かった。
正直、顔だけでいえばタイプにもなり得る程に。
そして何よりも“あの人”に似ている。


近付く不良の顔はチチの耳元へ。
薄く呼吸する音と熱い吐息がチチの耳を掠めて、身体が僅かに強張った。



「 襲われてぇなら襲ってやろうか? 今ここで。」

「 っ!!! 」



耳元に掛かる熱くて切ない吐息。
秘密を囁く様な男を感じる低声。
卑猥極まりない厭らしい台詞。

かぁ…と耳まで熱くなる感覚と激しい動悸は脳裏を焼き付ける様だ。

顔を上げた不良は悪戯が成功した様な得意げな表情で光るピアスを見せびらかす様にベッと舌を出す。
それは掌で転がされている様な屈辱的行為だ。



「 ばーか。冗談だよ。」

「 ………… 」

「 本気にした? 」



馬鹿にした様な物言い。
挑発する様な意地悪い笑い方。

不良などに翻弄されては完全に敗北だ。
頭の中ではちゃんと理解している。
しかし腸が煮えくり返る程の憤りは抑え切れず、脳内で音を立てて爆発した。

不良の厚い胸板をありったけの力で押し離し距離を取ったチチは、顔を真っ赤にして憤慨した。



「 おらは変態な不良なんてこの世でいっちばん大っ嫌いだあああ!!! 」



腹の底から叫んだチチの声は校内中に響く勢いで耳を劈く。
愕然とした不良を前に、そそくさと退散した。



やはり、不良などと関わるべきではない。

卑猥な言葉をすんなり吐く軽い男。
人を小馬鹿にする様な最低男。
乙女心も知らない鈍感男。

少しでも善人かもと期待した自分が馬鹿だった。
ほんの僅かでも恍惚とした自分を見損なった。

もう二度と関わってやるものか。
もう二度と相手にしてやらない。


不良の視線には気付かず、心の中で悪態を吐いたチチは固く決意するのだった。










穏やかな恋でした






2018.05.07




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