― 善と悪の共存 ―










彼女を誰にも渡したりしない。

誰かに渡すくらいなら、譲り受ける相手を殺してでも自分の元に留めておこう。
それが重い罪であり、悪人と変わらなかったとしても。










春も本番に差し掛かった、四月一日の昼時。
パオズ山には腹を空かせた、男二人が降り立った。



「 たでぇま〜!! 」

「 ただいま〜!! 」



盛大な声を張り上げ、帰宅したのは悟空と悟飯だ。



「 チチ〜!腹減ったぞ! 」



期待していたチチの返事はなく、悟空の声が妙に響き渡った。
僅かな沈黙が悟空と悟飯の間に流れる。



「 あれ…? 」

「 お母さん? 」



悟空と悟飯は同じ様な顔をして、見合った。

いつもの明るく温かい“ おかえり ”の声も無ければ、出迎えもない。
チチがいない代わりといってはなんだが、
テーブルの上にはラップが掛けられた昼食の数々が並んでいるだけ。

悟空が先に動くよりも早く行動したのは悟飯だ。



「 お母さん、どこか行ったんですかね? 」

「 さぁ? 朝家出る時、母さんはなんか言ってたか? 」

「 いえ。多分言ってなかったと思います。」

「 だよな。オラも聞いてねぇ。」



朝の出来事を思い返してみるが、何一つ報告は受けていない。

いつもと何ら変わりなく、朝食を食べて、見送られながら修行へと出掛けた。
出掛ける予定があったなら、いくらでも報告出来る時間はあった筈だ。

しかし今はチチの姿がないのが現状。



( 牛魔王のじっちゃんに呼び出されたんかな? )



安易に考えた悟空は、一枚の用紙を持って硬直している悟飯に気付き歩み寄る。
どうやら、少々青褪めている様にも見える顔色。



「 ん? どうかしたんか? 」

「 ……お父…さん、これ…… 」



手渡されたのは、悟飯が手にしていた一枚の用紙。

何気なしに受け取って目を通したが、愕然とした。
開いた口が塞がらない程の驚愕に目を丸くする悟空。



“ 悟空さには愛想が尽きただ。
悟飯と二人仲良く、修行でもして楽しんでけれ。
おらは他の男の所へ嫁ぎます。”



見間違えではない。
一言一句読み返すが、これはどう見ても彼女の字だ。


彼女の思い描く生活とは掛け離れた生活をしてきた。
謂わば、彼女が望む事を後回しにし、自分勝手に過ごしてきた。

いつ愛想を尽かされても何ら不思議ではないし、当然の報いだと思う。
文句一つ言えない立場なのは十分、承知の上であり自覚もある。

でも許せないのだ。
こんな状況を誰が許せると言うのか。


絶望と憤怒に顔が曇っていくのが自分でも分かった。
馬鹿みたいにドクドクと鳴り響く心臓と掌の汗を感じる程の焦燥。



( 他の男の嫁に行くってなんなんだよ。)



彼女を失うなんて、考えられない。
彼女が他の男の元で生活をするなんて許せない。
夫婦生活として当たり前に触れる行為を他の男にやるなんて有り得ない。

沸々と湧き上がる激情は身体を震わせ、手紙がクシャッと鳴った。



「 …お、お父さん、でも今日って、」

「 冗談じゃねぇよ。」



悟飯の言葉を遮って呟いた声は我ながら恐ろしく低い声だ。

溢れる激情に呑まれた身体は、制御が効かない。
内に秘めた力を爆発させた衝動で紙は燃え落ち、灰へと化した。



「 悟飯、お前は飯食って待ってろ。
オレはチチん事、迎え行ってっくっから。」

「 え、あ、はい…。」



何か言いたそうな悟飯を無視して、瞬間移動の構えを取った。

彼女の小さ過ぎる気を探り当てれば、
“ じゃあな ” と悟飯に一言残し、その場を後にする。





瞬間移動した先は、舗装され道が出来たパオズ山の一角。
そして、チチが走らせるエアカーの真ん前。

当然、急停車出来ない車は悟空へと衝突し、激しいドンッという音だけが響いた。



「 ご、悟空さっ?! 」



慌てた様子のチチは、運転席の窓から顔を覗かせ叫んでいた。

鍛え抜いた上に超化している悟空にとって、車が衝突してきた所で大した衝撃はない。
吹っ飛ばされる事も怪我した形跡もなく、ただ触れただけの感覚だ。
寧ろ傷を負ったのは車の方で、ぺしゃりっと僅かに凹んでいた。


無言のまま、運転席を開けると、
チチを助手席へと追いやって、運転席へと乗り込む悟空。



「 ちょ…悟空さ? 」



チチの困惑した声など無視して、アクセルを踏んだ悟空。
車は急発進まではいかないものの、重力が掛かる踏み込み方だ。


何から言えばいいのだろう。

まず謝罪からするべきなのか。
それとも思うがままに伝えるべきか。
彼女に会えたはいいものの、何を言おうかなんて考えてもいなかった。


整理が全く付かない脳内をフル回転させる悟空は僅かに眉を顰める。



「 な…なぁ、悟空さ? どこさ行くだ? 」

「 宛のねぇドライブ。」

「 へっ? 」



素っ頓狂な声を発するチチ。
ミラー越しに見るチチは小さな溜息を吐いていた。

悟空からデートに誘う事は初めてな為、チチが戸惑うのも無理はない。



「 一体、どういう風の吹き回しだべ? 」

「 それはおめぇだろ? なんだよ、あの手紙。」

「 …手紙? 今日がなんの日か知らねぇだか? 」

「 あっ? 」



今日は記念日なのだろうか。
しかし自分の誕生日でもなければ、チチの誕生日でもない。
結婚記念日でもないし、それ以外に記念日はあっただろうか。

思い当たる節は探してみたが、四月一日が何を示す日なのか検討も付かなかった。



「 知らねぇだか。
んだら、やっぱりおら達は終わりにするだ。」

「 なんで。」

「 修行ばっかの男に愛想尽きただ。悟空さと悟飯ちゃん二人で楽しい修行が出来るんだ。嬉しいべ? 」



この修行は自分の為でもあるが、チチと悟飯を守る為の修行でもある。
以前、説明した時は彼女もちゃんと理解してくれた筈だ。

何故、今更そんな事を言うのだろうか。


荒れ狂う憤怒と絶望に近い哀傷。

胸を抉り取られる気分だ。
同時に自嘲するような薄笑いが零れた。


想いが運転に表れるかの様にアクセルを思い切り踏み込んだ悟空。



「 ちょ、悟空さ!危ねぇだっ! 」

「 おめぇの言う男の所、案内しろよ。」

「 えっ? 」

「 其奴んとこ、嫁ぐんだろ? 」



僅かな沈黙が流れて、エンジン音だけが鳴り響く車内。



「 ……悟空さは、それでいいのけ? 」



口を割ったチチは、今にも消え入りそうな声で嘆く。
ミラー越しに見るチチは俯いているせいではっきりとは読み取れないものの、哀愁漂う表情をしていた。



「 はっ? いい訳ねぇだろ。」



他の男の元へ嫁ぐなんて、
許すつもりもなければ、許した覚えもない。

彼女の夫は自分であり、自分のとっての嫁も彼女以外いないのだ。

長年過ごしてきて、
惚れさせるだけ惚れさせておいて、
他の男の所へ行くだなんて自分勝手な事を放っておけない。



「 じゃあ、なして? 」

「 そいつん事、ぶん殴りに行く。オレの嫁に手出したんだから当然だろ。」



彼女が取られるくらいなら、男を殺して其奴の元へ行けないようにしてしまえばいい。

無理矢理でも自分の傍に置いておきたい。
例え彼女が泣け叫んで拒んだとしても、自分には彼女が必要なのだ。
それだけ彼女が自分の中で特別な存在になってしまった。

我ながら恐ろしい考えだとも思う。
これでは悪人と大差変わらない。
まるで善となる心の中に悪が潜んでいるかのようだ。

でも、そうでもしなければ自分が正気ではいられなくなってしまいそうなのだ。



「 悟空さ? 」

「 …なんだ? 」

「 全部嘘だったって言ったら怒るけ? 」



彼女の言葉に驚愕し、思わず急ブレーキを掛けてしまった。
シートベルトに助けられたものの、危うく吹っ飛んでしまう所だ。

ブレーキを踏んだまま、咄嗟にチチの方へ振り向く悟空。



「 嘘って本当か? 」

「 その…悪戯のつもりだっただよ。
今日エイプリルフールって言って、年に一度だけ嘘吐いていい日なんだべ。」



そんな紛らわしい記念日があるのか。
記念日とやらには毎度の事ながら、度肝を抜かれる。

安堵の表情を浮かべた悟空は、苦笑いにも近い自笑が零れた。
スッと力が抜け、超化から元の状態へと戻ってしまう程精神的に疲れた。



「 嘘なら、良かった。」

「 ごめんな。そんな騙される前に悟飯ちゃんが言っちまうと思ったんだべ。」

「 あぁ…なんか言いたそうにしてたのってそれだったんかもな。」



瞬間移動をする前、何かを言いかけていた悟飯の姿を思い出す。

もしかしたら途中で思い出して、伝えようとしていたのかもしれない。
もっとも激情に呑まれていて、そんな余裕はなかったのだが。



「 来年からは嘘でももっとマシなのにしてくれよ。
オラ、今日はもう修行も出来ねぇくれぇ疲れちまった。」

「 んだな。もう嘘吐くのは辞めにするだ。」

「 おう。」



フワッと彼女の頭を一つ撫でた悟空は、再びアクセルを踏んだ。
今度はまともにアクセルを踏むことが出来、ゆっくりと進み出した車。

ミラー越しに見る彼女は、どこか照れた様に笑っている。



「 この後、どっか行く予定だったんか? 」

「 んだ。街に出て買い物しようと思ったけど、辞めにするべ。」

「 そっか。んじゃ、オラの運転でちっとドライブでもすっか? 」



パァッと輝き出すチチの笑顔。
腹は減っていたが、この笑顔を見ていれば少しくらい耐えられそうだ。


悟空は宛てもなく、ただゆっくりと運転した。

隣には愛しい彼女を乗せて。
彼女の楽しそうな会話に耳を済ませて。


修行をサボった割には楽しい夫婦水入らずの時間を過ごすのだった。
盛大な腹の虫の音で、帰宅を強いられる事となるのはもう少し先のお話。










近い未来、迫り来るだろう強敵。

そんな奴等にこの幸せは絶対に奪わせない。
彼女の笑顔を絶やさせる事は絶対にしない。
勿論、彼女を手放すような事だってしない。


この楽しい時間は、改めてそんな決意をさせてくれた気がした。








善と悪の共存
〜 彼女を前にすれば、善にも悪にもなり得る心 〜






2018.04.05




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