― 歩幅合わせ ―
大人になった お前。
七年前と変わらない 俺。
頼むから、俺を置いて行かないで。
優しい風が そっと吹き抜け、頬を撫でる、
その中に 自然が生み出した 新鮮な酸素は心を落ち着かせ、パオズ山は 麗らか日和が続く。
ヤンチャな男共 三人が汚した、
孫家の洗濯物は一向に溜まる事を知らず、洗って干せば よく乾く。
まさに、求めていた 平和そのものだった。
一人の男を 除いては。
その一人とは 勿論、孫悟空だ。
”福 ”と描かれた 自宅の扉を目前としたまま、腕を組み 立ち竦んでいる。
( チチの奴、絶対ぇ 怒るよな…。)
思い悩む悟空は 扉の取っ手に手を掛けては 開ける事無く 引っ込める。
それを何度も繰り返し どれだけの時間を消費した事か。
思い悩む 原因は、悟空の作業着だ。
畑仕事に行ったは良いものの、
休憩と称して 修行をしていたら、見事に ボロボロになってしまった。
上半身の左肩の布は 破け、所々 穴が開き、白のタンクトップが覗き、
下半身は膝から靴に続くまでの布が 破け散って 修復不可能では と思う程にだ。
それに 畑仕事をサボって、修行をしていたなどとバレてしまったら きっと大目玉を食らうに違いない。
悟空は 一息 溜息に似た 息を吐く。
( 怒られるのは構わねぇんだけど、
頼むから、飯抜きだけには されたくねぇしなぁ。)
怒られる事は 問題ない。
それ以上に問題なのが 彼女の手料理なのだ。
彼女の手料理と来たら、この世もあの世も含め 一番と云っても良い程、絶品なのだ。
食えるもんなら 何でも善い と云う 幼い頃の思考回路はとっくに消え去り、チチの手料理が善いと思う程。
それ程、喉を唸らす 絶品を目の前にし、
飯抜きの刑を云い渡された時程、堪えるものはない。
( でも 今更だよな〜。
どうやったって、オラ "サイホウ"っちゅーんは、出来ねぇしな〜。)
いつも 彼女が縫い合わせている姿を目にするも、
あんな手先を器用に動かしながら 地味な作業をするのは苦手でもあるし 出来る筈もない。
本日、二度目の溜息を吐いた。
( よし!
こうなったら とことん怒られて とことん謝って 許してもらうぞっ! )
思い悩んでも無駄だ、と思い始めた悟空は、楽観的な思考回路へ 路線変更した。
ゴクッ、と固唾を呑み込み、意を決して、ドアを開け放つ。
「 チチ、たでぇま! 今 帰ぇったぞ〜。」
自分の帰宅を知らせ、
ズカズカと その汚れた姿のまま、家に入る。
どうやら、チチは調理場であるキッチンで 昼食の準備をしていて、上機嫌なのか 鼻歌交じりだ。
その所為で忙しなく動いているからか、
此方に気付きもせず、心地良く 胸に響く鼻歌を奏でる。
懐かしいな。
七年前も 同様の鼻歌を 奏でている時があった。
主に 上機嫌で、キッチンに立っている時。
悟飯が生まれた時も あやす為に その鼻歌を奏でていた記憶がある。
「 おーい、チチぃ? 」
悟空は キッチンに立つ チチに近付き、名前を呼ぶ。
そうすれば、鼻歌を止め、振り返るチチ。
「 あっ! 悟空さ、おかえりなさい。って、その服 どうしただ? 」
「 …あ、えーっと…、その、」
首を竦め、身を小さくしながら、後頭部を ポリポリと掻く。
世界最強と謳われた悟空でも、
ある意味 宇宙最強である チチには どう足掻いても 敵いっこないのだ。
「 何だべ? 」
そう云う チチの手に握られているのは 包丁。
怒らせれば 飛んでくるかもしれない、
と云う恐怖に 彼女の顔なんて 見られたもんではない。
「 え、えっとさぁ、つまり…その、
ちーっと身体が 訛ってきたから 身体動かそうと思って…さ、
修行中に かめはめ波 打ったら 自分に当たっちまって、こんなに 服がボロボロに…、」
「 なーんだ、そんな事け。」
「 本当 すまねぇ! ちゃんと畑仕事はしてきたんだっ!
だから 許してくれ、この通りっ! 」
身を縮めながら、頭を下げ 手を合わせる。
これでも 許してもらえなければ、
土下座でも 何でもして 許してもらうつもりだった。
だが 一向に パオズ山中に響き渡りそうな怒声は 一切 届かない。
それどころか、リズミカルに 野菜を切っていく 包丁の音。
「 おら、怒ってねぇから 謝んなくて大丈夫だべ。」
「 …へっ? 」
チチの言葉に驚き、思わず 素っ頓狂な声を出し、顔を上げる悟空。
確かに 彼女の表情は 怒りなど表していない。
それどころか、嬉々として ほんのり桜色に染まる頬は綻んでいる。
「 もう ほら、そんなに汚したんだから シャワー浴びて 着替えてくるだよ。」
「 え…、何で? 怒んねぇのか? 」
「 もう 慣れちまっただからな。
また 強い敵が現れて 悟空さが 危ない目に合ったんじゃねぇかって 心配になっただけだけだ。」
「 あぁ、それは大丈夫だけんど、」
「 だから 早く シャワー浴びて来い? そしたら 飯にするだよ。」
ほれ、行った 行った と軽く手であしらう彼女は
再び 調理再開と云わんばかりに 忙しなく 慣れた手つきで 下拵えをし始めた。
一方の悟空は、未だに 驚きを隠せなかった。
( 何で、怒んねぇんだ? )
ふと最近の事を遡る。
生き返って 一ヶ月経つか経たないか程だが、 怒られた事が一度もない。
今回同様に 作業着や胴着をボロボロにしても、
泥まみれの作業着で 帰宅し ソファに座っても、
服を その辺に脱ぎ散らかしても、
風呂上がりに 素っ裸で ウロついても、
修行で 時間を忘れ 帰宅が深夜帯や朝帰りになったしても、
彼女は 一度たりとも 叱る事無く 呆れた様に 笑っているだけだった。
考え出したら キリがない程、
怒られる要素はあると云うのに、怒られない。
それらしい雰囲気も 一切ない。
「 おめぇ、ちっと変わったか? 」
「 何がだべ? 」
「 何つったったらいいか 分かんねぇけどさ、落ち着いたっつーか…。」
本当は 落ち着いた どころの騒ぎではない。
七年前は 細かすぎるのではないか と思う程 捲し立てて 怒りを爆発させていた。
些細な事も 注意されては
何度も 同じ事を繰り返して 今度は 何度も叱られて。
それでも 彼女の思う様には してあげる事が出来ず、飯抜きの刑や無視なんて事も多々。
その所為で 今という現実が 不思議というか 落ち着かない。
思わずの展開に 調子が狂ってしまう。
「 そうけ?
でも 悟空さが前に生きてた時は おらも まだ若かったからな。」
彼女は 包丁を置き、下拵えを終えたのか、一息吐いた。
そして 此方に向き直り、小さく微笑む。
「 でも、悟空さは 何一つ変わってねぇみてぇだな。」
足の先から 頭の天辺まで 視線を巡らすチチは またもや 嬉々として 微笑む。
何故だろう。
不安なのだ。
彼女が笑っているのに、
彼女は今 目の前に居るというのに、
とてつもない 不安が押し寄せる。
もう 彼女の中で 自分は生きていないのではないかと。
もう 彼女の真っ直ぐな想いが 注がれる事はないのかと。
不安の荒波が 衝動となって、思わず 彼女を抱き締める。
「 …ちょ、」
「 確かに オラは変わっちゃいねぇ。」
戸惑うチチをよそに悟空は更に力を込めた。
あの世には 時間がないから とか そういうんじゃない。
昔から 楽観的な物事の考えを持っていて、
事は なる様に出来てる と云う考えでしか成り立っていない。
だからこそ、彼女に対しても 今まで変わった事がない。
彼女に対しての接し方も
彼女に対する愛情も その表現も
寧ろ、気持ちの面では あの世で暮らしていて 会う事が出来なかったのだから、増大という意味では変化しただろう。
「 怒ってくれよ。チチ。」
怒ってほしい。
全てを威圧するような真っ直ぐな瞳で、
自分を直向きなに叱ってくれる気持ちで、
叱りながらも それは愛情から来る怒りで、
それで最後に、”仕方ねぇ 許してやるだよ。”と笑って欲しい。
「 そ、そったら事 急に云われても無理だべ。」
「 何で変わっちまったんだよ。」
変わらないでほしい。
あの 穢れのない 純真な心で 自分を貫く様な愛がほしい。
愛情に飢えているわけではない。
ただ一心に注がれた あの頃の愛が 無性に恋しいのだ。
腕の中で 耳まで赤くする彼女を 真っ直ぐに見詰める。
だが、胸元に顔を埋める彼女と 視線が絡み合う事はない。
「 だ、だって、悟空さが 七年間も居なければ、
おらは 一人で家事やら育児やら畑仕事やらで大忙しで…、」
「 そうかもしんねぇけど、今はオラが居るだろ? 」
「 だども…。
おらは 悟空さが居なくても 立派なおっ母になる為に頑張ってきて、女ってのを忘れちまったんだべさ。」
腕の中で 震えるチチを しっかりと抱き締める。
「 … お疲れ様、チチ。」
「 えっ? 」
今にも 溢れそうな涙を 漆黒の大きな瞳に溜めながら 彼女は 驚いた様に 顔を上げた。
そっと、髪留めに手を掛ければ、
すっと解いて、結っていたにも関わらず ハラハラと重力に従い 落ちていくサラサラな髪を梳く様に撫でた。
「 悟飯や悟天の前では 変わらず 母ちゃんでいればいい。
でも オラの前でのチチは嫁だ。女だ。」
「 …… 馬鹿、」
そう呟く 彼女の瞳からは 涙が一粒 零れ落ちた。
耐えたのは、紛れもなく 彼女自身なのだ。
自分が居なくなったことで、
家計を支えていくのは 彼女で、
その上、母親としての使命も忘れる事無く、
きっと その完璧な母親になるまでには 相当な年月を要した事だろう。
本当に 頑張ってくれたと思う。
チチの瞳から流れ落ちた涙を 片手で上手く拭き取ると 真っ直ぐに見詰めた。
「 チチ、オラの事 まだ好きでいてくれてるか? 」
「 ……教えてやんねぇだ。」
彼女の真っ直ぐな瞳は 大きく揺らぎ、耳まで 真っ赤に染め上げる。
その仕草が、
彼女の存在全てが 愛おしい。
「 オラは チチが好きだ。
だから 変に強がって 大人振んのは 辞めろよ。」
「 …… 悟空さに交じって子供になったら 家庭崩壊もいいとこだべ。」
「 それでも、だ。
頼むからさ、」
―― オラを一人 置いて行くなよ。
その声が 届いたかは 定かではない。
それ程 自分の声が 弱々しくて 小さかった。
こんな事、初めて思ったんだ。
共に歩いた道を また 二人で歩いていきたい。
手を取って どちらかが 追い越そうとしても 手を引っ張ればいい。
手が離れてしまったら、相手が来るまで そこで立ち止まっていればいい。
いつも 一番であり続けていたいのに、
彼女に対しては 勝手が違っていて 二人で一番でありたい。
「 …… 今まで 散々 おらを置いてっちまったのは どっちだべ。」
聞こえていたのか、
ボソッと皮肉交じりに云う彼女は 呆れ半分の溜息を吐いた。
確かに 彼女の云う通りだ。
今まで 散々 あの世だこの世だと置いてきた。
でも 彼女は知らないだろうが その度に ちゃんと立ち止まった。
そして、耐え切れず 彼女の元へ戻ってきたら、
彼女は自分の後ろではなく、自分のずっと先に居て、既に追い越していたんだ。
「 それはすまねぇ。
でも 今 おめぇが置いてこうとしてる。」
「 そったら事 知らねぇだ。
それに いつも直ぐ謝って 何でも許してもらえると思ったら 大間違いだべ。」
「 …… じゃあ、好き。」
先程から拗ねた様に唇を尖らせているくせに、
耳まで真っ赤に染め上げ 照れている様が 愛しさを掻き立てる。
可愛らしくて、
愛おしくて、仕方がない。
やっぱり 徐々にでもいいから 歩幅を合わせて歩みたい。
「 な、何を云い出すかと思えば…。おめぇはいつまで 狡い男でいる気だべ。」
「 …… 狡い? 」
狡い とは チチの事じゃないのか、と思った。
先程から 素直になる事無く、
耳まで真っ赤にさせているくせに、
好きとは云ってくれず、
彼女は無自覚だろうが、焦らされているとしか思えない。
「 そうだ、悟空さは狡い男だべさ。
今だって そうだべ?
昔に戻れって…。悟空さなしでは生きてけねぇ おらに戻れって あまりにも酷過ぎるでねぇか。」
「 …… そうだな、」
「 んだら 諦め ……、」
「 だったら オラ、おめぇだけには 狡い男であってもいいや。」
「 はっ? …何、云ってるだよ…、
おめぇさは 誰よりもフェアに拘る男だべ? 」
「 あぁ、だからチチに対しては フェアじゃなくてもいいさ。」
云ってる事が 訳が分からない とでも云いたそうな表情で 小首を傾げてくる。
フェアに拘る必要なんてない。
そんな遠慮する程の関係で 成り立ってない。
あの頃の彼女が手に入るのなら、
フェアだろうが、そうでなかろうが、狡かろうが、何だって善い。
あの 真っ直ぐな愛が欲しいんだ。
いつも必死に 追い掛けてきてくれた あの愛が。
じゃなきゃ、自分だけ ―― 。
「 頼むから 昔みてぇに 必死になってくれよ。
オラ無しじゃ生きられなかった おめぇになれよ。」
「 …な、に 云ってんだべ、」
「 オラだけ 馬鹿みてぇじゃん。」
自分だけ、馬鹿みたいに 溺れて
必死で お前を求めて もがいて 追い掛けて
これじゃ 自分だけが 彼女無しでは 生きていけない と断言しているようだ。
気恥ずかしいのもあるけれど、
それ以上に 何だか 悔しくて仕方なかった。
自分だけ 馬鹿みたいに溺れてる姿が、憎らしかった。
「 悟空さは、ほんっとに馬鹿だ。」
「 …… それ、三回目だ。」
「 何度でも云ってやるだよっ!
馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、ば…か、」
呪文の様に 馬鹿 だと云い続けるチチを 抱き締めた。
強く、離さぬ様に、
震えている 華奢な身体を支える様に、
そうでもしなければ いけない気がしたんだ。
だって その漆黒の瞳からは 幾つもの涙が零れ落ちているから。
馬鹿だと罵声を浴びせる癖に
いつも強気な癖に
本当は弱くて、そんな彼女を抱き締めず 見守るだけなんて無理と云ったもんだ。
「 はは、云い過ぎだぞ、」
「 何度云っても、馬鹿は分かんねぇから、覚えられる様に云ってやってるんでねぇかっ、馬鹿悟空さっ! 」
「 ははっ、間違ぇねぇな。」
未だ 腕の中で 震え続け 泣き喚くチチ。
その姿が 段々と居た堪れなくなり、
落ち着かせようと ゆっくり呼吸に合わせて 背中を撫で続ける。
「 ――― 」
が ―― 。
次の瞬間、
悟空の動作は 止まった。
まるで 時間でも止められたかの様に 目を見開き 驚いたまま。
「 …チチ、今…なん、て? 」
「 …馬鹿な悟空さを好きなおらは、もっと馬鹿なのかもなって、」
呆れた様に 涙ぐみながら 微笑むチチ。
乾いていた心は、
胸の奥から 潤っていき ズクンッと胸の奥が 大きく波打つ。
待ち侘びていた言葉。
この身体を潤す 温かな感覚。
全身が 彼女を呼んだ。
理性なんて 簡単に吹っ飛んで、勢いと衝動が押し寄せる。
チチ、そう名を呼んだ瞬間、
彼女の許可もなしに 紅色の鮮やかな唇へ 噛み付く様なキスをした。
「 …ん、悟…、」
久々に触れた唇は
柔らかくて、温かくて、
紅色の唇は 果実の様に甘味があり、
吐息は 全てを溶かしてしまうのかと思う程、熱かった。
嗚呼、気持ちいい。
酸素を求めて 薄く開いた唇を
隙もなく 舌を捩じ込み 呼吸の暇すら与えてやらない。
口内へ舌を侵入させれば、甘過ぎて蕩けてしまいそうな感覚だ。
七年振りに触れた 彼女の温もりに 溺れてしまいそうな自分。
一体、このまま、抱いてしまったら 自分が溶かされてしまうのではないか とさえ思える。
「 チチ、」
「 …な、に? 」
唇を離せば、荒い呼吸。
誘うような 色っぽい 潤んだ瞳。
お互いが熱を持つ 体温に触れる。
「 一緒に 溺れよう。」
その一言に 驚いた様に 目を丸くする彼女は、
桜色の頬を 真っ赤に染め上げては、馬鹿だ、と云った。
それでも しっかりと腰に回された腕。
嗚呼、結局 底無しの海に 溺れさせようとしてるのは お前なんだな。
お前の貫く様な 純真な愛情。
そんなお前の愛情に、
溶かされ、溺れては、追い掛けて。
結局、溺れてしまうのは、いつも俺の方みたいなんだな。
歩幅合わせ
〜 俺無しでは生きられなかった 七年前の頃のお前に戻れよ 〜
2016.01.29
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