『な、何でこんなことに・・・』

夕季は手摺にしがみ付きながら、頭の中を整理する

『確か、教室で頼まれごとをして・・・』

バタバタと迫り来る足音に、身を竦めながら思い出す


『暮井さ〜ん』

いつものように呼ばれる名前

夕季が顔を上げると、そこには女子6人が夕季の席を囲むようにして立っていた

『あのね〜 ちょっと買出し行ってきて欲しいんだけど』

『何の買出し?』 

『私たちこれから委員会の仕事があってね〜 お夕飯買ってこれないのよ〜』

『だから、下のホールの弁当を買ってきて欲しいの』

『いいよ 種類は?』

『6人とも上玉弁当で』

『お願いね〜』

いつものように買出しを頼まれて、教室を出てきた

ホールについて予定通り弁当を買おうとしたのだが・・・

『ごめんね〜 上玉弁当、売り切れちゃってるのよ〜』

そう言われて、来た道を逆走 彼女たちに伝えると、

『じゃあ、代わりの弁当、オランベールまで買ってきてもらえる?』

『オランベールまで行くの?』

『当たり前じゃない 私たちの食べるものは、あれくらい高級なものでないと』

『まぁそれもそっか 分かった 時間かかるかもだけど、いい?』

『2時間以内に帰ってきてくださいな』

『2時間ならなんとかなるかな? 分かった』

そう言って、また教室を飛び出し、約1km離れた店まで行き、今度こそ彼女たちに弁当を届けた

そして、今度は家へ帰るために教室を出て、歩いていたのだが・・・

『痛っ ちょっと深く擦りむきすぎたかな?』

などとブツブツ言って余所見をして歩いていると・・・

ギュムュ!!

何かを踏みつけたような感覚を足の裏に感じて、ゆっくりと視線を巡らせると

足の下に引かれたフワフワしたもの そして、それの持ち主であるこの学校の番犬が、こちらをものすごい形相で睨んでいた

『うっそっ!!!』

夕季が慌てて足をよけたときには、時既に遅し

犬はものすごい勢いで夕季の跡を追ってきた

『きゃぁ!! 来ないでよ!! 犬苦手なのに!!』

なんで自分は前を見て歩かなかったんだ 今までだって散々経験してきてるのに

そう思いながら、校内を全力で逃げ回っていた夕季だったが、体力も限界に近付き

『どこか隠れられる場所・・・』

そう言って視線を巡らせた先にあったのが、壁にある避難用の手摺

夕季は慌てて、渡り廊下へ移動し、そこから手摺に向かってジャンプ

必死でしがみ付き、身を隠した


そして、今がその現状である

迫ってくる犬の足音 夕季は目を瞑り、息を殺していた

1・・・2・・・3・・・

時間が経つに連れて、徐々に犬の鳴き声は遠くなっていった

後に聞こえるのは、夕暮れを告げる鳥の鳴き声

「よかった・・・」

ホッと一息 頬を掠める風が妙に強い

風が・・・強い・・・?

夕季はゆっくりと下を見る

「・・・やってしまった・・・」

ここは3階の壁 さっき飛び移る為に利用した渡り廊下の壁までは約2m

『飛び上がるのは簡単だったけど、降りるのどうしよう・・・』

というのも、さっき踏み台として使った渡り廊下の壁
幅は約5cm 飛び上がるのは良かったが、下りたときあの5cmに足を乗せられなかった場合、下へ落下することとなる

それはつまり

「死んじゃうじゃん!!」

当たり前の事実を叫ぶ夕季 だが、周りに人らしき影はどこにもない

「・・・またやっちゃったよ・・・」

グズグズしていても仕方が無い いちかバチか、下りるしかないのだから

夕季は大きく深呼吸をする

大丈夫 絶対に乗れる絶対に乗れる

「よっ!!」

勇ましい掛け声と共に、手摺から手を離した夕季

彼女の体は渡り廊下の壁に向かって落ち・・・たが、足が乗った瞬間に滑った

「まずっ!!」

傾く体 さっきより一層強く風が吹いた気がした

『バカだ!! 私の不幸体質的に、落ちる可能性しかないの分かってたのに!!』

スローに映る視界の中、何か影がこちらに向かってくるのが見えた気がした

大きな衝撃と共に、夕季の意識は途切れた


次に夕季が目を開けたとき、視界は真っ白な世界でいっぱいだった

慌てて、飛び起きると、スプリング音とリバウンドの振動が身体を揺らす
鼻を衝く独特の匂いと、辺り一面を覆う真っ白なカーテン

もしかして、ここは・・・

「目が覚めた?」

不意に声をかけられて顔を上げると、カーテンのすき間から覗く顔

「体は痛くない?」

カーテンのすき間から中に入ってきたのは、青年だった

茶色の髪の毛は、長くも短くもなく、いい感じに毛先が散らばっている

カッコイイというよりは綺麗な顔つきをしており、うっすらと笑う表情は、どこか安心感を感じさせた

「え? あ、はい・・・?」

夕季は何が何だか分からないまま、首をかしげて答えると

「疑問系? どっちだよ」

青年はそう言って笑った

あどけない笑顔に、思わず返答がもたつく

「あ、痛くない・・・です」

青年の年齢を計り知れず、語尾がなんとも微妙な形になってしまった

「そ なら、よかった」

青年は近くのパイプ椅子に腰を下ろす

「あの・・・私、どうなってました?」

初対面の人にいきなりこんなことを聞くのはどうかとも思ったが、生きているのが不思議なくらいの状況までしか覚えていない夕季にとっては、なによりも真っ先に確認するべきことだった

ここは現実の世界なのか・・・?

「びっくりしたよ 普通に廊下歩いてただけなのに、人が落ちそうになってたんだもん」

その言葉に、自分が渡り廊下の壁に着地できなかったことを思い出す

「慌てて腕を掴んで、引き上げたよ あそこから落ちたら確実に死んでたね」

あ、やっぱり私が着地に失敗したのは現実らしい

とゆうことは・・・

「助けて・・・くれたんですか?」

夕季がおそるおそる尋ねると

「うん 目の前で死なれるのは嫌だからね」

青年は当たり前だと頷いた

「ここ、保健室ですよね? 運んでくれたんですか?」

独特な雰囲気から推測したことを素直に尋ねると

「そのままにしとく訳にはいかないでしょ?」

同意を求めるような口調に安心し、肩に入っていた力が抜け、小さな溜め息が出る

「ありがとうございます」

どうやら自分の不幸体質は完全ではないらしい

夕季は少しだけ笑って見せた


「あんた何年?」

何を話しかけていいか分からず、夕季が不自然にキョロキョロしていると、青年のほうから質問が投げかけられた

「あ、申し遅れました 私、2年の暮井夕季って言います 助けてくれてありがとうございました」

そう言って、ベッドに座った状態のままペコリと頭を下げる

青年は「あ、やっぱり年下だ」と呟いた

「どういたしまして 俺は3年の天希晴」

名前を聞いて顔を上げると、青年は頬杖をついてこちらを見ていた

優しい笑顔を溢した青年に夕季の心臓は、大きく高鳴る

「あの・・・ありがとうございました! 先輩は命の恩人です」

「命の恩人は大げさだよ」と細めた視界には移らない彼から聞こえたと思われる言葉

少し下がり気味だった顔を上げようとしたとき、不意に頭に重みを感じた
そして伝わる安心する温かい熱

それが晴の手であるということに気付くのに、時間がかかった

「・・・えっ?」

恐る恐る目線を上げてみると、晴はこちらに手を伸ばして優しく笑っていた

「なんかあんたおもしろいね」

そう言って何度か頭をポンポンと優しく叩かれる
子供をあやすような仕草だが、不思議と嫌な感じはしなかった

「・・・よく言われます」

されるがままに目線だけを上に上げて、晴を見つめた

「ところで、どうして上から落ちてきたりしたの?」

晴が夕季の顔を覗き込みながら、問いかける

「えっと・・・話せば長いんですが・・・」

夕季はしどろもどろになりながら、犬の尻尾を踏みつけたところからを話し始めた

「・・・という訳なんですが・・・笑いすぎじゃないですか?」

全てを話し終えた頃には、晴はお腹を抱えて笑っていた

「だって・・・犬におびえて壁へ逃げる人なんて聞いたことないよ」

「しかも下りれなくなるんだもんね」と最後まで言い終わらないうちに、また笑い出してしまった

ちょっと拗ねたような表情を浮かべる夕季

「あんた不幸体質?」

「よく言われますが、正しくその通りです」

幾度と無く言われてきた質問を、夕季は即肯定する

「加えて、よくボーっとしているので、幾度と無く命の危機に遭遇してきました」

命の危機って・・・と晴は苦笑いで繰り返す

「幼馴染にはよく『頼むからお前は家から出ないでくれ』と頼まれます」

「そこまで・・・」

遠い目をして言う夕季に、晴は一種に恐怖を感じた



「さてと、そろそろ帰るか」

そう言って、パイプ椅子から腰を上げ、伸びをする晴

時計を見ると、既に5時半を周っていた

「もうこんな時間・・・」

夕季も布団の中から足を出し、床においていた上靴に足を通す

「あんた、家どっち?」

「家は・・・北山ですけど・・・」

保健室の窓を閉めながら聞かれた質問に、夕季はベッドを整えながら答える

「うし んじゃ、行くか」

「えっ? ちょっと待ってください!」

保健室の鍵を持って、扉から出ようとした晴を慌てて止める

「何? 帰るんでしょ?」

「そうですけど・・・まさか・・・」

「送るよ? 当たり前じゃん」

「いやいやいや、そんなの悪いですって」

保健室から出ながら、夕季は両手をパタパタと横に振る

「っていうか、逆にさっきの話聞いてたら1人で帰らせられないよ」

さっきの話・・・というのは、おそらく夕季のドジ話のことだろう

あれは今までの中のたった一部しか話していないが、普通の人が心配するには十分すぎる内容だった

「え・・・でも・・・」

「いいから! ほら、鍵返しに行くよ」

そう言って先に歩き出した晴の後を、付いて行かざるを得なくなり、夕季は慌てて走り出した


「で、さっそくやらかしてくれたね」

職員室から下駄箱へ行く最中に、晴があ〜あという風に苦笑いする

「す・・・すみません」

夕季は鼻を押さえながら、晴の後に続いていた

保健室を出てすぐ、晴の跡を追うべく走りだした夕季だったが、最初の一歩は無事に踏み出せたものの、
2歩目が運悪く濡れていた部分に踏み出してしまった為、盛大に転んだのだった

「本当、1人で帰らせなくてよかったよ」

自分が不甲斐なくなり、夕季はひらすらうな垂れていた

夕季の不運はまだまだ続く

下駄箱を開けると、中から大きなコオロギが出てきたり

靴を間違えて体育館シューズに履き替えてしまったり

冷水を飲もうとしたら、飲み口が壊れて中から水が勢いよく吹き上がったり

・・・それはもう、絵に描いたような不運っぷりであり、ドジっぷりだった

「俺、冷水器からあんなに勢いよく水上がるの初めて見たよ」

「私はこれで3回目です」

夕季はいつも常備しているタオルを頭からかぶりながら、苦笑いを浮かべた

「その肘の怪我も、あんたのドジのせい?」

晴が夕季の左肘を指差しながら言う

「はい 今日、買い物に行く途中と帰りに2回ほど・・・」

「2回も?」

それでもケロっとしている夕季に、晴は一種の尊敬を抱いた

「ほら、貸して あんたがやるより、俺がやったほうがすぐ乾く」

晴は、夕季からタオルを引ったくり、夕季の頭を強引に拭いた

「ちょっ・・・頭がグワングワンします」

夕季は頭を前後左右に振り乱しながらも、されるがままだった

「ほら、拭けた」

「うぅ・・・ありがとうございます」

まだ視界が回っているような錯覚に陥りながら、夕季は晴からタオルを受け取る

それを畳んで、カバンに仕舞おうとしたとき

ガクンという衝撃と共に、踏みしめていた力が一気に抜けた

「はっ?」

と、夕季がまぬけな声を上げた途端、次は右腕に強い力を感じる

「ちょ!! 油断も隙もない!!」

すぐ右上から感じる声に、夕季が顔をそちらに向けると

「っ!!!」

「ちゃんと下見て歩きなよ」

思ったよりも近くに晴の顔があった

「す、すすす、すみません!」

回らない舌を強引に動かして、言葉を発す

見ると、晴の左手が夕季の右腕に絡みついていた

次は何が起こったのかと思い、夕季が下に視線を向けると

「あぁ・・・」

「あぁ・・・じゃないでしょ」

納得したように頷く夕季に、晴は軽く怒ったような口調でツッコむ

「よっ」という掛け声と共に、夕季の体は糸も簡単に引き上げられた

「まったく・・・なんでマンホールの蓋が開いてるんだよ」

晴は、夕季が落ちそうになった暗闇を覗き込む

対する夕季は顔をパタパタと小さな手で仰ぎながら、

「マンホールについては、落下未遂が10回、落下経験は3回です」

「落ちたのかよ」

「落ちましたね」

なかなか納まらない顔の火照りを隠そうと、必死に仰ぎ続ける夕季

思いの外、近かった顔が忘れられず、火照りは増す一方

「どうしたの? 焦ったの?」

「へっ? えぇ・・・まぁ・・・」

とりあえずは、そう言うことにしておこうと、夕季は微妙な返事を返しつつ頷く

「こりゃ、あんたの家に着くまで、何回死にそうになるのかな?」

「それでも生きていますのでご安心を」

2人で顔を見合わせて笑った

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