黒髪に碧い瞳をした黒猫――もとい青年の遙は、胡座で座る秋吉の足に頭を載せて寛いでいる。 嵯峨宅へ来てから、居着くまでそう時間はかからなかった。どうやら遙は、秋吉に起こされて目を覚ました時には既にあそこにいたらしい。見上げた時の空の広さや、家の密集加減が、遙のいた地元とは全く違って、困惑していた。 相当田舎の方だろうと秋吉は勝手に予想する。 ――するだけだ。 車の免許も持っておらず、場所を知っている友人なんぞもいない。頼れるものは何もないのだ。 だから遙を自宅へ戻せない代わりに、秋吉の家で過ごしてもらえればと考えた。 「ハル、今日の晩飯は何がいい?」 「鯖の味噌煮」 「また鯖かよ!」 遙は迷子になっていなければ、普通に学校に通っていただろう。 平日の昼間に秋吉が家に居るのは無職だからだ。金と人望だけは持っている両親から金と飯を仕送りして生きている。 なんの面白みもない毎日だったが、遙が迷い込んできてくれたおかげで、明日が来るのが楽しみだ。 遙は猫みたいなのに水が大好きで、お湯ではなく水を溜めた浴槽によく浸かる。 それと鯖が好きだ。「今日のご飯はなにがいい?」と訊くと大抵「鯖の○○」と返ってくる。それが可笑しくて楽しくなる。 「じゃあ今日は鯖の塩焼き! それと、かぼちゃの味噌汁に、きんぴらゴボウな」 遙は即答で肯いた。嬉しさの滲む潤んだ瞳に見上げられて、腹部やや下付近に何かがグッとこみ上げる。 最近こんなことが多くなった。遙の動作や言動に、秋吉の身体の至る場所が反応する。きっと愛猫を見る飼い主の気持ちなのだろうと思い込んで放っておいた。 晩飯作りに取り掛かり鯖を焼いていると、ジーパンの裾を引っ張られた。なぜそんな下が引っ張られるのかと疑問に思いながら床を見ると、遙がぺたんと尻をつけて座っている。 「なんで床に座ってるんだ」 「志生のペットだったなって……突然思い出して」 「俺のペットだった? 遙が?」 遙の言い分によると『前世の記憶』だと言う。 ペットだったという話自体は可愛らしいが、事実として突きつけられても怖いだけだ。 それも、遙は猫みたいだと思っていたから余計に。何かの運命だったりするのだろうか。 「と、とりあえず立とう」 「俺は飼い主である秋吉と同じ目線になることは許されない」 「どうしたんだよ突然!」 座り込んだままの遙を引き上げても、中々立ち上がらない。力を入れ引っ張って、呼吸を整えてを繰り返していると、魚が焦げるニオイが充満する。 「あー! 鯖が! くっさ!!」 一旦、遙を諦めて火を止める。グリルで焼いていたものの、焼きすぎで黒い煙が換気扇に向かって流れていく。 「……今日は鯖、中止ね……」 「俺は焦げてる鯖も食える!」 「そういう問題じゃなくて」 ぷっくり頬を膨らましす黒猫が愛おしい。だが秋吉は親ばかではないから、甘やかしたりなどしない。 黒く小さくなった鯖はゴミ箱行きだ。 さようなら、遙の餌になるはずだった鯖よ。 「ああ……俺の鯖が……」 「これも遙がわけわからない事言うからだよ」 「わけわからない事なんて言ってない。俺は事実を言っただけだ」 頑固な遙は、自分の意見が間違っているはずがないと言わんばかりに押し通さなければ気がすまない質らしい。その場合はスルーに限る。 ――迷い猫。気がつけば見たことのない町。なにか関連でもあるのかな。 実際は岩鳶なんて存在しなくて、本当に前世で飼い主だった秋吉に会いに来た……なんて可能性も皆無ではないのかも知れない。 きんぴらゴボウと冷凍していたシュウマイを皿に乗せる。冷蔵庫にだし巻き卵があったなと思い出して慌てて乗せた。 「はい、ご飯と即興おかず」 「……いただきます」 欠伸の時でさえ小さいその口で、遙は次々と食べていく。 「おいしい?」 「うん」 「はは、素直」 口は小さいが口の中はブラックホールのようだ。次々に放り込み、ハムスターの頬袋みたいに膨らんでいる。 ――猫だったりハムスターだったり忙しいな。 その日は、遙について新たに疑問が増えただけに終わった。 2013.11.21. |