▼ 茜さす、2人だけの
『今日、放課後教室残ってて』
昼休み、物間に言われた一言の意味を考えてしまう。
私が物間を意識するようになったのは、体育祭の少し前くらいだ。意地悪だし、人のことバカにしてばっかりだけど、クラスメイト思いで、実は繊細な物間を好きになるのにそう時間はかからなかった。
別に物間が私のことを好きな素振りは全く無いし、夢見すぎだってことも分かってるけど……どうしても、少し期待してしまう自分がいる。
「苗字」
「ッはい!!」
ぼーっと机を眺めていたら、突然物間に声をかけられる。驚いて勢いよく返事をしてしまえば、同じく驚いた様子の物間。
「放課後ブラド先生に呼ばれたから、悪いけどしばらく待っててもらってもいいかい?」
「ぁ、うん、大丈夫だよ!」
それだけ聞くと、物間はさっさと自分の席に戻って行ってしまった。
「ちょっとちょっと名前?
何今の〜、放課後何かあるわけ?」
いつの間にか隣にいた一佳が、ニヤニヤと問いかけてくる。
「いや〜、何も無いと思うよ……」
項垂れる私に、ふ〜ん?と何か考える様子の一佳。そりゃ何かあってほしいけどさ?勝手に期待だけして、勝手に落胆するのも虚しい。
「でも、何も無いのに放課後2人で呼び出したりするかね?」
「まぁ……」
言われてみればそうだ。話しにくいことなのかな……でも、物間が私だけに相談なんて、するだろうか。
「ま、なんにせよ、後でちゃんと教えてよ?」
今夜は女子会かな、と1人楽しそうな一佳を見て、私も口元が綻ぶ。
思わせぶりに呼び出しといてしょうもない用事だったら、それこそ女子会でネタにしてやろうと心に決めて、緊張を飲み込んだ。
運命の放課後。
みんなが少しずつ教室から姿を消していく。一佳は去り際、少しだけこちらを見て微笑んでいった。
教室に1人取り残された私は、とりあえず机に突っ伏して、スマホを眺めていた。
SNSやネットニュースを見て気を紛らわす。ひんやりとした机が、頬の熱を奪っていく感覚が心地良い。
放課後の校舎は静かで、まるでこの世界に私だけしか居ないような静寂に、少し居心地が悪くなって机上で組んだ腕に顔を埋める。
中学の頃、よく腕を枕にして授業中寝てたっけ。こう、制服のシワをちゃんと伸ばさないと、頬に強烈な跡が残るんだよね。
まぁ、ちゃんと伸ばしても赤くなっちゃうんだけど。
ふと顔だけ動かして物間の席を見ると、教材を片付けたであろう鞄が机の上に乗っていた。
「物間、おそいなぁ……」
時計を見ると、1人になってから10分ほどしか経っていなかった。どうして何かを待っている時間は、こんなにもゆっくり流れていくのだろう。私が物間に何かを期待して、楽しみにしているから余計そう感じるのかもしれない。
特に意味もなくスマホの画面をスワイプしていると、徐々に瞬きがゆっくりになっていく。終わりかけのオルゴールのように、少しずつ動きを止めていく瞼が、まだ開かない教室の扉を遠ざけていった。
無防備なはずの背中がじんわり温かくて、微かな重みが心地良い。包み込まれるような感覚に、このまま動きたくないな、なんて思案する。
あれ?
はっとして顔を上げると、目の前の席に横向きで座る物間が、自分のスマホからこちらに目線を寄越した。
「おはよう」
少し表情を和らげる物間。
いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
「ごめん、いつ来た?」
「10分くらい前」
時計を見ると、私の記憶にある時間から15分ほどが過ぎていた。
私が眠って、5分後くらいに来たのか。
「起こしてくれれば良かったのに」
「別に、急いでないし」
目を擦りながら、顔に跡が残っていないか確認する。
そう言えば、少し温かいこれは……。
手で触れて確認すると、私のより一回り大きいブレザーが私を包み込んでいた。
「これ…物間の?」
「じゃなきゃ誰のだって言うんだい?」
小さく肩を竦め、やれやれといった様子の物間。私が寝ている間に、好きな人が上着を羽織らせてくれた。なんてロマンチックな展開だろう。
さっきより確実に火照った頬を隠すように、俯いて小さく「ありがと」と呟いた。
「わざわざ残っててもらったのに待たせて悪かったね
それで話なんだけど」
その言葉に、一気に脳が覚める。
まってよ、ちょっとまだ心の準備ができていない。いや、別に話がなんであれ、受け入れる準備が……
「はい、これ」
物間が手渡してきたのは、CDアルバム。
「前言ってたオススメ
良かったら他のも貸すよ」
「あ……りがとう」
え?
放課後呼び出して、これ?
思わずぽかんとしてしまったが、CDを受け取り、我に返る。
あんなに緊張していた自分が馬鹿みたいだ。そうだよ、借りるって約束してたもんね、CDか、そうかそうか。
安心したような、ガッカリしたような不思議な感覚に陥り、思わず笑みが溢れる。
「何笑ってんの?」
怪訝そうに眉を顰める物間。
「いや、ごめんごめん、わざわざ呼び出したりするから、深刻な相談でもあるのかなぁと思っちゃって」
少し自虐的に笑ってみせれば、そう、と私に向き直る物間。
「大事な話かと思って期待した?」
不意に図星を突かれ、一瞬呼吸が止まる。
「いや、そんなこと…ないよ」
頬杖を付いて、こちらの真意を探るような物間の表情に、思わず目線を泳がせる。
そう、と再び頷いた物間は立ち上がり、鞄を取りに自分の席に向かった。
「帰るよ」
鞄を肩に掛け、さっさと教室を出ていってしまう彼。
これ、と上着を指して呼び止めるが、物間は「持ってて」と歩き続ける。慌ててCDをしまい、私も小走りで教室を後にした。
しばらく無言で歩き続ける。
何となく気まずくて、物間の少し後ろをついて歩いた。肩に掛けたままの物間のブレザーが落ちないよう、胸元できゅっと握りしめて、うるさい鼓動を押さえつけてみる。
「面白い話があるんだけど」
階段の踊り場で、不意に物間が足を止める。
聞きたい?とこちらを振り返る物間。恐る恐る頷くと、「おかしかったら笑ってほしいんだけど」と続ける。
体ごと私に向き直った物間は、1度ゆっくりと瞬きをし、口を開く。
「僕さ……君のこと、好きみたい」
いつもの調子で、
余裕そうな表情を崩さず、
からかうような話し方で、
私が待ち望んだ言葉を紡ぐ。
「うそでしょ…?」
咄嗟に出た言葉はそれだった。
「君にとって都合のいいのはどっち?」
もう、思考がまとまらない。
「私、は……」
何を言ったらいいか分からなくて、思った言葉が口をついて出てくる。
「嘘だったら……嫌、かな」
声が震える。
顔が真っ赤なのが自分でも分かって、顔を下げる。
何か言わなきゃ、と思って、思いつくままを口にする。
「私…は、物間のこと……好きだから」
言ってしまってから、物間の言葉が蘇る。
もしかして、冗談だったのだろうか。いつもみたいにからかっているだけだったら、私はとんでもないことを言ってしまったかもしれない。
「なんて、嘘に決まってるだろ?」「何、本気にしたの?」
そんな言葉が紡がれたら。考えるだけで泣きそうになり、物間のブレザーをきゅっと握りしめる。
「もしかして、からかってた、?」
さっきより震える声で、やっと紡ぎ出す。
涙が瞼に溜まっていく。
「……そんなわけないだろ」
少しの静寂の後に聞こえた物間の声は、聞いたことがないほど落ち着いていた。
「そんな、器用な嘘付けると思ってるの?」
顔を上げると、先程までの表情とは一変し、紅潮した顔でそっぽを向く物間がいた。
「好きな人のそんな顔見て、そんなに器用でいられるわけないだろ」
こちらを見ずに、独り言のように呟く物間。
物間、と名前を呼びかけた私を遮るように、こちらに手が伸ばされる。
一瞬、暖かい風が吹き込んだような心地がした。世界がスローモーションで再生されているような心地に思わず息を呑むと、物間の香りが私を包み込んだ。
「もの、ま……」
「うるさい、黙って」
物間って、こんなに大きかったかなと少し驚く。
背中から私を包み込む物間のブレザーも手伝って、すっぽりと物間の胸に収まっているような感じがするのだろう。
優しい温かさに、胸がきゅうと苦しくなる。
私を抱き締める物間の顔はよく見えないが、喧しく私をノックする心臓に、さっきまでの余裕そうな態度はなんだったと思わず笑みが溢れる。
何笑ってんの、と不満気な物間にごめん、と言うと、抱き締める腕に力を込められた。
「最後まで言えてないんだけどさ」
うん、と小さく相槌を打つ。
一呼吸置く物間の、次の言葉までがやけに長く感じる。
「付き合ってよ」
先程よりも強く、うん、と頷いた。
物間を見上げると、差し込む夕陽が物間の髪と頬を真っ赤に染めていた。
prev / next